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第五話
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「ただ視えるだけというのは危険が伴う。視えれば相手して欲しがるものに纏わり付かれ、玩具にされる。場合によっては命だって――」
孫の顔を覗き込んでいるようでいて、真知子の目線はもっとずっと違うところを彷徨っている風に見えた。早くに死んでしまった息子のことを思い出しているんだろうか。
「えっと、お婆ちゃん……? それってどういうこと? お父さんは事故死だったって……」
祖母の話の流れから、父の圭吾は人ならざるものによって命を奪われたという風にも聞こえる。美琴は驚きと怯えの混ざる表情で真知子の顔を見上げた。
台風で地盤の緩んだ山の斜面で、落石に巻き込まれたと聞かされた両親の死因。それは自然災害によるものだと信じて疑っていなかった。けれど、
「それは今となっては調べようもないことさ。ただ、あの子は霊やあやかしによく悪戯を仕掛けられてた。河童に水をぶっかけられたと言って、真冬にずぶ濡れで帰ってきたり、何もないはずのところで足を引っかけられて躓かされたり、駅のホームから突き落とされたことも一度だけじゃない」
「うわ……」
「祓う力があればやり返せたはずだけどさ、圭吾には素質がまるっきり無かった。でも、心配はない。美琴なら私の跡を継がせられるくらいの才がある。まあ、身を守る術は早めに覚えておいても損はないってことだ」
孫娘の頭の上にぽんと手を置き、真知子は優しく微笑みかける。
「本当は成人するまで待ってやりたかったんだけどねぇ。ツバキも大丈夫だと言ってるし、少しずつ覚えていけばいい」
「ええ、問題ありません。私達がフォローできます」
廊下へ繋がる襖の手前で控えめに正座し待機していたツバキが、表情を変えずに静かに頷き返す。
「ツバキ、さん?」
「ああ、教えたことは無かったかい? ツバキは八神家に仕える式神だよ。元は猫又だったかいね」
「はい、三代前からお仕えしております」
「妖力は低いが、こうして人化には優れているから家のことを中心にさせてるのさ」
祖母の言うことに、美琴は驚きのあまり目をパチパチと瞬かせる。普段から冗談なんて口にしたことが無いツバキはさも当然と頷いているし、真知子だってさっき倒れたばかりなのだから、このタイミングでそんな詰まらない嘘を付くはずもない。
――え、ええっ、ええーっ⁉
遠縁の親戚のお姉さんと信じ込んでいたツバキが、ヒトではなかったという事実。しかも、祓い屋一門と契約した式神で、元は猫又というあやかし。
確かにツバキは美琴が幼い頃から全く見た目が変わっていないように思える。もう十年以上も前の印象を思い浮かべても、ほとんど同じなのだ。老けにくいというレベルじゃない。
驚きはするが、それと同時に大きく納得もできる。ツバキ関しては容姿のことだけじゃなく、妙に耳が良かったり気配が薄かったりと腑に落ちることばかりだ。
真知子に言われるがまま、美琴は自分の右手を祖母の手の平に重ねる。祓いの力を得ることに不安が無い訳じゃなかったが、それほど深く考えていなかったというのも本当だ。
『この者、われの力を正統に継ぐものなり――。われの力、この者へ与えたもう――』
真知子の両手に挟まれた右手から、じんわりとした熱を感じ取る。それは祖母の体温とは全く別物で、手から注ぎ込まれた何かが高速で美琴の身体の中を駆け巡っていく気がした。視えない何かに身体を侵食される恐怖に、反射的にギュッと両目を閉じた。
しばらくして、祖母の手から解放されたのに気付き、ゆっくりと両目を開いてみる。まず最初に、目の前で心配そうに顔を覗き込んでくる真知子の姿が視界に入ってきた。振り返ると、襖の横に背筋を伸ばして正座する無表情なツバキの顔もあり、特に何も変わっていないように感じ、ホッと安堵の息を吐きかける。
――が、真知子が上体を起こして座っている布団の足下を見て、飛び跳ねそうな勢いでのけぞりかけた。
「なんや、小娘まで視えるようになったんか」
濃灰の生地に赤と白の菖蒲柄の振袖を身に纏った、長い黒髪の娘が揶揄うように笑いながら、布団の上でゴロゴロと寝転んでいた。女と呼ぶにはやや幼さが残り、少女と呼ぶには妖艶な雰囲気もある。見た目は美琴より一つか二つ上くらいには見えるだろうか。透き通った白色の肌に、艶のある唇。大きく見開いた瞳の色は真っ赤で、額から突き出た二本の角が彼女がヒトではないと知らしめている。
「――っ⁉」
驚いてまともに声も出ない美琴のことを、鬼の娘は指をさしてケラケラと笑う。
「真知子の孫にしては、いい反応やな」
「お、お婆ちゃんっ、鬼がっ……⁉」
慌てて祖母の方を見ると、真知子は普段と変わらない穏やかな笑みを浮かべて、頷き返してくる。美琴一人が勝手に慌てているみたいだ。
「うちの式のもう一体、アヤメだ」
「へ、式っ⁉ い、いつ部屋に入ってきたの?! さっきまで居なかったのに……」
「いつって、ずっと居ったやろうが。小娘が視えてなかっただけやん」
むっとしたのか、唇をとんがらせて鬼が不満そうな顔になる。ゴロゴロと寝転がりながら、布団の柔らかさにじゃれているような動作は、かなり幼さを感じさせる。鬼のアヤメは真知子に小さく諫められて、仕方ないなと不満げに畳の上へと座り直した。
「妖力の強いアヤメには、祓いの仕事を手伝って貰っている。ツバキのように人化は出来ないから、視えない人間には認識できないけれど――」
「うん、私、小さい頃に一度だけ会ったことがあると思う」
そう、アヤメの姿を見て、忘れかけていた幼い頃の記憶が少しだけ蘇った気がした。両親の何回忌かが屋敷で執り行われている時に、退屈して仏間から逃げ出した美琴は、庭先に飛ぶ赤とんぼを物珍しげに眺めている鬼の娘の姿を見かけた。凛とした花の絵をあしらった綺麗な着物に、長い黒髪。そして、印象的な赤色の瞳。
「ああ、あの時の鬼のお姫様は、アヤメだったんだね」
力が安定しない幼い美琴に奇跡的に視えた光景。あまりに非現実的だったから、夢でも見たのかと思っていた。
孫の顔を覗き込んでいるようでいて、真知子の目線はもっとずっと違うところを彷徨っている風に見えた。早くに死んでしまった息子のことを思い出しているんだろうか。
「えっと、お婆ちゃん……? それってどういうこと? お父さんは事故死だったって……」
祖母の話の流れから、父の圭吾は人ならざるものによって命を奪われたという風にも聞こえる。美琴は驚きと怯えの混ざる表情で真知子の顔を見上げた。
台風で地盤の緩んだ山の斜面で、落石に巻き込まれたと聞かされた両親の死因。それは自然災害によるものだと信じて疑っていなかった。けれど、
「それは今となっては調べようもないことさ。ただ、あの子は霊やあやかしによく悪戯を仕掛けられてた。河童に水をぶっかけられたと言って、真冬にずぶ濡れで帰ってきたり、何もないはずのところで足を引っかけられて躓かされたり、駅のホームから突き落とされたことも一度だけじゃない」
「うわ……」
「祓う力があればやり返せたはずだけどさ、圭吾には素質がまるっきり無かった。でも、心配はない。美琴なら私の跡を継がせられるくらいの才がある。まあ、身を守る術は早めに覚えておいても損はないってことだ」
孫娘の頭の上にぽんと手を置き、真知子は優しく微笑みかける。
「本当は成人するまで待ってやりたかったんだけどねぇ。ツバキも大丈夫だと言ってるし、少しずつ覚えていけばいい」
「ええ、問題ありません。私達がフォローできます」
廊下へ繋がる襖の手前で控えめに正座し待機していたツバキが、表情を変えずに静かに頷き返す。
「ツバキ、さん?」
「ああ、教えたことは無かったかい? ツバキは八神家に仕える式神だよ。元は猫又だったかいね」
「はい、三代前からお仕えしております」
「妖力は低いが、こうして人化には優れているから家のことを中心にさせてるのさ」
祖母の言うことに、美琴は驚きのあまり目をパチパチと瞬かせる。普段から冗談なんて口にしたことが無いツバキはさも当然と頷いているし、真知子だってさっき倒れたばかりなのだから、このタイミングでそんな詰まらない嘘を付くはずもない。
――え、ええっ、ええーっ⁉
遠縁の親戚のお姉さんと信じ込んでいたツバキが、ヒトではなかったという事実。しかも、祓い屋一門と契約した式神で、元は猫又というあやかし。
確かにツバキは美琴が幼い頃から全く見た目が変わっていないように思える。もう十年以上も前の印象を思い浮かべても、ほとんど同じなのだ。老けにくいというレベルじゃない。
驚きはするが、それと同時に大きく納得もできる。ツバキ関しては容姿のことだけじゃなく、妙に耳が良かったり気配が薄かったりと腑に落ちることばかりだ。
真知子に言われるがまま、美琴は自分の右手を祖母の手の平に重ねる。祓いの力を得ることに不安が無い訳じゃなかったが、それほど深く考えていなかったというのも本当だ。
『この者、われの力を正統に継ぐものなり――。われの力、この者へ与えたもう――』
真知子の両手に挟まれた右手から、じんわりとした熱を感じ取る。それは祖母の体温とは全く別物で、手から注ぎ込まれた何かが高速で美琴の身体の中を駆け巡っていく気がした。視えない何かに身体を侵食される恐怖に、反射的にギュッと両目を閉じた。
しばらくして、祖母の手から解放されたのに気付き、ゆっくりと両目を開いてみる。まず最初に、目の前で心配そうに顔を覗き込んでくる真知子の姿が視界に入ってきた。振り返ると、襖の横に背筋を伸ばして正座する無表情なツバキの顔もあり、特に何も変わっていないように感じ、ホッと安堵の息を吐きかける。
――が、真知子が上体を起こして座っている布団の足下を見て、飛び跳ねそうな勢いでのけぞりかけた。
「なんや、小娘まで視えるようになったんか」
濃灰の生地に赤と白の菖蒲柄の振袖を身に纏った、長い黒髪の娘が揶揄うように笑いながら、布団の上でゴロゴロと寝転んでいた。女と呼ぶにはやや幼さが残り、少女と呼ぶには妖艶な雰囲気もある。見た目は美琴より一つか二つ上くらいには見えるだろうか。透き通った白色の肌に、艶のある唇。大きく見開いた瞳の色は真っ赤で、額から突き出た二本の角が彼女がヒトではないと知らしめている。
「――っ⁉」
驚いてまともに声も出ない美琴のことを、鬼の娘は指をさしてケラケラと笑う。
「真知子の孫にしては、いい反応やな」
「お、お婆ちゃんっ、鬼がっ……⁉」
慌てて祖母の方を見ると、真知子は普段と変わらない穏やかな笑みを浮かべて、頷き返してくる。美琴一人が勝手に慌てているみたいだ。
「うちの式のもう一体、アヤメだ」
「へ、式っ⁉ い、いつ部屋に入ってきたの?! さっきまで居なかったのに……」
「いつって、ずっと居ったやろうが。小娘が視えてなかっただけやん」
むっとしたのか、唇をとんがらせて鬼が不満そうな顔になる。ゴロゴロと寝転がりながら、布団の柔らかさにじゃれているような動作は、かなり幼さを感じさせる。鬼のアヤメは真知子に小さく諫められて、仕方ないなと不満げに畳の上へと座り直した。
「妖力の強いアヤメには、祓いの仕事を手伝って貰っている。ツバキのように人化は出来ないから、視えない人間には認識できないけれど――」
「うん、私、小さい頃に一度だけ会ったことがあると思う」
そう、アヤメの姿を見て、忘れかけていた幼い頃の記憶が少しだけ蘇った気がした。両親の何回忌かが屋敷で執り行われている時に、退屈して仏間から逃げ出した美琴は、庭先に飛ぶ赤とんぼを物珍しげに眺めている鬼の娘の姿を見かけた。凛とした花の絵をあしらった綺麗な着物に、長い黒髪。そして、印象的な赤色の瞳。
「ああ、あの時の鬼のお姫様は、アヤメだったんだね」
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