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第六話
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「今日の依頼はそれほどのものだったんでしょうか? 依頼主の話ではただの浮遊霊に憑かれた程度かと――」
まだ鬼のアヤメの存在に動揺が隠せないでいる美琴をよそに、ツバキが真知子へと淡々と確認する。脱衣所で力尽きて倒れてしまうほど大変な案件だったのか、と。自分が立ち合わなかった現場で主人が危険に晒されたことが納得いかないようだ。
心配するツバキに対して、真知子は「そんなことはない」と首を横に振って返す。
「確かにそこそこ力のあるヤツだったが、依頼主の母親に憑いていたのは大したことはなかった。――けれど」
「床の間に飾られてた壺に、タチの悪いのがおってん。どうも母親はそいつの影響で憑きやすくなってたみたいや。でも、そっちの封印にちょっと手こずってたな。あの程度でこのザマ、真知子ももう歳やなー」
アヤメは小馬鹿にするようにニヤッと笑ってみせるが、すぐにツバキから睨んで制され、とぼけるようにそっぽを向き出した。種族的にも力は鬼姫の方が圧倒的に強いみたいだけれど、式同士に上下関係は別段ないような雰囲気だ。
ツバキは完全に人の姿をしているし、昔から一緒に暮らしているから今更だけれど、赤い瞳で角まであるアヤメには、正直まだ怖気づいてしまう。でも、美琴は心のどこかで小さく興奮していた。
祓い屋という稼業もあって、子供のころから霊やあやかしについてはしつこいくらい教え込まれてきた。あやかしという存在は、視えなくてもいるものだとは信じていた。それは小さな子供がサンタクロースに対して抱く感覚と似ているかもしれない。親代わりの祖母が寝物語として聞かせてくれた、あやかしの話。怖いモノもあれば、楽しいモノもあって、美琴にはとても身近な存在に感じていた。視えるなら視てみたいと思っていたのが、今こうして叶ったのだ。
勿論、あやかしや霊の中には危険なモノが多いことは知っている。過去に身近な人達が犠牲になったのを目の当たりにしたことがあるからだ。
美琴のことは割と何でも自由にさせてくれていた祖母が、一度だけ学校行事への参加を反対したことがあった。それは、小学校の林間教室だった。
小学生になって初めてのお泊りでの行事。友達と森林の中での宿泊はとても楽しみにしていた。けれど、真知子は頑として美琴の参加申込書にサインしてくれなかった。
「あそこは駄目だ。八神の家の人間が訪れたら、災いを誘ってしまう。あそこには妖力の強い血を欲しがるタチの悪い奴がいるから」
泣いて頼んでも駄目で、夕飯も食べずに布団の中で「お婆ちゃんなんて、嫌い……」と恨み節を吐きまくっても、最後まで参加を許して貰うことはできなかった。普段はほとんど我が儘を言わなかった美琴が、唯一駄々をこねた願いは叶わなかった。
「まだ力の制御ができない美琴が行けば、あの地で眠っている災いを起こしてしまうことになる。そうなれば、犠牲になるのはこの家の問題だけでは済まないんだよ」
祖母の言っていることの意味は、まだ小学校低学年の美琴には理解できなかった。祖母はただの意地悪で言っているのだ。本当は自分のことなんて引き取りたくなかったんだと、家の中で孤独感を感じて塞ぎ込んだ。
同級生達が宿泊合宿に参加している日、美琴は泣き腫らした目をこすりながら、居間のテレビをぼーっと眺めていた。朝食にと用意して貰ったオニギリは、美琴が一番大好きなエビマヨで、完全に拗ねてしまった孫娘へ、当時の真知子が気を使ってくれたのだということは今なら理解できる。
マヨネーズが絶妙に絡んだ茹でエビのプリプリ感に、少しだけ機嫌が和らいできた美琴は、リモコンを使ってテレビのチャンネルを変えた。子供向け番組の放送時間はとっくに終わり、どのチャンネルもテレビショッピングやワイドショーばかり。
と、流れて来たローカルニュースでリモコンを操作する手を止める。
『――昨夜、午後九時の消灯時刻になっても、一部の生徒の姿が館内のどこにも見当たらず……』
『――捜索隊によって発見されたうち、男児一人が意識不明の重体で……』
昭和の香りの残るコンクリート造りの苔むした建物を前に、リポーターが事件の状況を説明していた。美琴には初めて見た景色だったけれど、たまに彼が口にする宿泊施設の名前に聞き覚えがあり、慌てて祖母のことを大声で呼んだ。
「お、お婆ちゃんっ!!」
台所でオニギリの具材の下ごしらえをしていた真知子が、居間へと顔を出すと、美琴はテレビモニターの隅っこに映る、青褪めた表情で警察関係者に事情説明しているらしい担任教師を指差した。
事件があったのは、小学校の同級生達が泊まっている市営の宿泊施設。昨晩に何人かの生徒が行方不明になり、早朝になって森の奥深いところで泣いているのを発見されたらしい。
「……だから、あそこに子供を連れてくのは危険だって、役所にも再三言いに行ってやったのに」
真知子は特に驚いた風でもなく、呆れたように溜め息を吐いていた。
「美琴が行っていれば、もっと大事になってたよ。あそこは危ないんだ」
発見された子供達は揃って、「気が付いたら真っ暗な森の中にいた」と証言していた。意識不明で救急搬送された同級生も数日後には目を覚ましたみたいだが、やはり事件の記憶は無いという。
まだ鬼のアヤメの存在に動揺が隠せないでいる美琴をよそに、ツバキが真知子へと淡々と確認する。脱衣所で力尽きて倒れてしまうほど大変な案件だったのか、と。自分が立ち合わなかった現場で主人が危険に晒されたことが納得いかないようだ。
心配するツバキに対して、真知子は「そんなことはない」と首を横に振って返す。
「確かにそこそこ力のあるヤツだったが、依頼主の母親に憑いていたのは大したことはなかった。――けれど」
「床の間に飾られてた壺に、タチの悪いのがおってん。どうも母親はそいつの影響で憑きやすくなってたみたいや。でも、そっちの封印にちょっと手こずってたな。あの程度でこのザマ、真知子ももう歳やなー」
アヤメは小馬鹿にするようにニヤッと笑ってみせるが、すぐにツバキから睨んで制され、とぼけるようにそっぽを向き出した。種族的にも力は鬼姫の方が圧倒的に強いみたいだけれど、式同士に上下関係は別段ないような雰囲気だ。
ツバキは完全に人の姿をしているし、昔から一緒に暮らしているから今更だけれど、赤い瞳で角まであるアヤメには、正直まだ怖気づいてしまう。でも、美琴は心のどこかで小さく興奮していた。
祓い屋という稼業もあって、子供のころから霊やあやかしについてはしつこいくらい教え込まれてきた。あやかしという存在は、視えなくてもいるものだとは信じていた。それは小さな子供がサンタクロースに対して抱く感覚と似ているかもしれない。親代わりの祖母が寝物語として聞かせてくれた、あやかしの話。怖いモノもあれば、楽しいモノもあって、美琴にはとても身近な存在に感じていた。視えるなら視てみたいと思っていたのが、今こうして叶ったのだ。
勿論、あやかしや霊の中には危険なモノが多いことは知っている。過去に身近な人達が犠牲になったのを目の当たりにしたことがあるからだ。
美琴のことは割と何でも自由にさせてくれていた祖母が、一度だけ学校行事への参加を反対したことがあった。それは、小学校の林間教室だった。
小学生になって初めてのお泊りでの行事。友達と森林の中での宿泊はとても楽しみにしていた。けれど、真知子は頑として美琴の参加申込書にサインしてくれなかった。
「あそこは駄目だ。八神の家の人間が訪れたら、災いを誘ってしまう。あそこには妖力の強い血を欲しがるタチの悪い奴がいるから」
泣いて頼んでも駄目で、夕飯も食べずに布団の中で「お婆ちゃんなんて、嫌い……」と恨み節を吐きまくっても、最後まで参加を許して貰うことはできなかった。普段はほとんど我が儘を言わなかった美琴が、唯一駄々をこねた願いは叶わなかった。
「まだ力の制御ができない美琴が行けば、あの地で眠っている災いを起こしてしまうことになる。そうなれば、犠牲になるのはこの家の問題だけでは済まないんだよ」
祖母の言っていることの意味は、まだ小学校低学年の美琴には理解できなかった。祖母はただの意地悪で言っているのだ。本当は自分のことなんて引き取りたくなかったんだと、家の中で孤独感を感じて塞ぎ込んだ。
同級生達が宿泊合宿に参加している日、美琴は泣き腫らした目をこすりながら、居間のテレビをぼーっと眺めていた。朝食にと用意して貰ったオニギリは、美琴が一番大好きなエビマヨで、完全に拗ねてしまった孫娘へ、当時の真知子が気を使ってくれたのだということは今なら理解できる。
マヨネーズが絶妙に絡んだ茹でエビのプリプリ感に、少しだけ機嫌が和らいできた美琴は、リモコンを使ってテレビのチャンネルを変えた。子供向け番組の放送時間はとっくに終わり、どのチャンネルもテレビショッピングやワイドショーばかり。
と、流れて来たローカルニュースでリモコンを操作する手を止める。
『――昨夜、午後九時の消灯時刻になっても、一部の生徒の姿が館内のどこにも見当たらず……』
『――捜索隊によって発見されたうち、男児一人が意識不明の重体で……』
昭和の香りの残るコンクリート造りの苔むした建物を前に、リポーターが事件の状況を説明していた。美琴には初めて見た景色だったけれど、たまに彼が口にする宿泊施設の名前に聞き覚えがあり、慌てて祖母のことを大声で呼んだ。
「お、お婆ちゃんっ!!」
台所でオニギリの具材の下ごしらえをしていた真知子が、居間へと顔を出すと、美琴はテレビモニターの隅っこに映る、青褪めた表情で警察関係者に事情説明しているらしい担任教師を指差した。
事件があったのは、小学校の同級生達が泊まっている市営の宿泊施設。昨晩に何人かの生徒が行方不明になり、早朝になって森の奥深いところで泣いているのを発見されたらしい。
「……だから、あそこに子供を連れてくのは危険だって、役所にも再三言いに行ってやったのに」
真知子は特に驚いた風でもなく、呆れたように溜め息を吐いていた。
「美琴が行っていれば、もっと大事になってたよ。あそこは危ないんだ」
発見された子供達は揃って、「気が付いたら真っ暗な森の中にいた」と証言していた。意識不明で救急搬送された同級生も数日後には目を覚ましたみたいだが、やはり事件の記憶は無いという。
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