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第二十六話
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信号が変わったと同時に猛スピードで発進したセダン車は、あっという間に視界から消えてしまった。車が走り去った方角へ視線を送りながら、ゴンタが眉間に皺を寄せて確認してくる。
「さっきの車から、あやかしの気配がした。何が乗ってたか見たか?」
「ううん、窓も真っ暗だったし、鞄を引っ張ってきた人の腕しか見えなかった……」
「あやかしと一緒ってことは、祓い屋か? なんか、朝の紙人形と関係ありそうだな」
とにかく急いで帰るために、再び信号が青になると美琴は妖狐とともに小走りで帰路を進み始める。頭上にはカラスが数羽飛んでいたから、家に帰ればツバキを通じて何か分かるかもしれない。
怨霊や形代など、最近は安易に触れてはいけないものを触ることが多かったが、さっき知らない人に強く鞄を引っ張られたのが一番恐怖を感じた。下手したら鞄を離さなければ危ないと感じたほど、美琴の意思を無視して車の中へと引き摺られそうになったのだ。人間には数珠も護符も効かない。力尽くで挑まれたら、非力な女子高生が大人の男に勝てる訳がない。
極度に怖い思いをした直後だから、通りですれ違う人との距離が少しでも近いとビクっと身体が強張ってしまう。すぐ隣でゴンタが寄り添うように歩いてくれているから心強かったが、一人だったなら足がすくんでまともに帰れなかったかもしれない。
八神家の屋敷の門が見えてくると、美琴の口からふぅっと安堵の溜め息が漏れた。そして、門柱の後ろから菖蒲柄の振袖の裾がチラチラと見え隠れしているのに気付き、ほんの少し頬を緩ませる。
「ただいま、アヤメ。お迎えなんて初めてだね」
美琴が声を掛けると、アヤメが柱の向こうから顔を見せる。どうやら不貞腐れているみたいで、ぷっくりと頬を膨らませていた。けれど、鬼姫が機嫌を損ねている理由が分からず、美琴は少し困惑する。理由を聞くべきかと考えていると、アヤメが祖母からの伝言を渋々といった風に口にした。
「真知子が奥の部屋に来るように言ってた。紙人形を飛ばしてたヤツが誰か分かったんやって」
それだけ言うと、美琴達よりも先にスタスタと門の中へ入っていく。怒っているというよりは気まずさを感じているみたいに見える。
「鬼女はお前が危険に遭遇している時に、付いてなかったのが悔しいんだろうな。ヒトは弱っちいから簡単に死ぬっていつも嘆いてるし」
「アヤメが……?」
普段の態度ではそんな風に大切に扱って貰った記憶はないが、確かにいざという時はしっかり傍で守ってくれている。そんなアヤメの目の届かないところで連れ去られそうになったのだから、怒って当然。というか、やっぱり既にツバキからの情報でさっきの件は伝わっているみたいだ。カラスの目は侮れない。
ゴンタの足を拭いてから自室へ戻り、着替え終えた美琴はアヤメの伝言に従って奥にある和室へと向かう。普段、護符を作成する時に使う、陣が敷かれた小さい部屋だ。
心配しているのかずっと美琴の後を付いて回っていたゴンタも、四方に護符が貼られたこの部屋だけは足を踏み入ることを躊躇っていた。「ここで待っててやる」と宣言してから、廊下の床板の上で丸くなって寝転がり始める。
ツバキは平気みたいだが、アヤメもあまりこの部屋には入りたがらないから、式として契約していても妖力が高くなるほど嫌悪感を感じるのだろうか?
また真知子にも余計な心配をかけてしまったんだなと思いつつ、美琴は和室へと繋がる襖に手を伸ばした。
「ただいま、お婆ちゃん」
「ああ、無事に帰ってきたようだな。美琴にちょっかいを出して来た車はまだ追跡中らしいが、その内に報告があるだろう」
向かいに敷かれた座布団に座るよう促しながら、真知子は座卓の上に広げた長方形の和紙に墨で梵字を書いていく。するすると流れるように墨が置かれていくのを、美琴はしばらく黙って眺めていた。
「それはいつものとは違うの?」
祖母が書く文字は初めて見るもので、封印や除霊用の護符ではないことに気付く。美琴がこれまで書いたことがあるのはその二種類だけで、他の文字があることすら知らなかった。きっと、真知子がこれを書いているのをわざわざ孫娘に見せているということは、今から美琴は新しい護符の使い方を学ばされることになるのだろう。
「これは扱える人間も、使う相手も限られた、少し特殊な護符だ。禁術と言ってもいいかもしれんな。だけど、美琴なら間違った使い方はしないと信じてるからこそ教えるんだよ」
「特殊な護符……それって、どんな効力があるの?」
孫の問いに、真知子はふっと短い息を吐いて笑った。それには伝えずに終わらせたかったという本音が漏れ出たように感じ、美琴は姿勢を正して祖母の話に耳を傾ける。
「今朝、美琴が捕まえた形代は分家から飛んで来たものだったよ。うちの爺さんが死んでから付き合いは途絶えてしまったけれど、分家の中では一番血の濃い八神喜平の家さ。といっても、喜平はガンを患って入院中でもう長くはないって話だから、その子か孫か――」
「さっきの車から、あやかしの気配がした。何が乗ってたか見たか?」
「ううん、窓も真っ暗だったし、鞄を引っ張ってきた人の腕しか見えなかった……」
「あやかしと一緒ってことは、祓い屋か? なんか、朝の紙人形と関係ありそうだな」
とにかく急いで帰るために、再び信号が青になると美琴は妖狐とともに小走りで帰路を進み始める。頭上にはカラスが数羽飛んでいたから、家に帰ればツバキを通じて何か分かるかもしれない。
怨霊や形代など、最近は安易に触れてはいけないものを触ることが多かったが、さっき知らない人に強く鞄を引っ張られたのが一番恐怖を感じた。下手したら鞄を離さなければ危ないと感じたほど、美琴の意思を無視して車の中へと引き摺られそうになったのだ。人間には数珠も護符も効かない。力尽くで挑まれたら、非力な女子高生が大人の男に勝てる訳がない。
極度に怖い思いをした直後だから、通りですれ違う人との距離が少しでも近いとビクっと身体が強張ってしまう。すぐ隣でゴンタが寄り添うように歩いてくれているから心強かったが、一人だったなら足がすくんでまともに帰れなかったかもしれない。
八神家の屋敷の門が見えてくると、美琴の口からふぅっと安堵の溜め息が漏れた。そして、門柱の後ろから菖蒲柄の振袖の裾がチラチラと見え隠れしているのに気付き、ほんの少し頬を緩ませる。
「ただいま、アヤメ。お迎えなんて初めてだね」
美琴が声を掛けると、アヤメが柱の向こうから顔を見せる。どうやら不貞腐れているみたいで、ぷっくりと頬を膨らませていた。けれど、鬼姫が機嫌を損ねている理由が分からず、美琴は少し困惑する。理由を聞くべきかと考えていると、アヤメが祖母からの伝言を渋々といった風に口にした。
「真知子が奥の部屋に来るように言ってた。紙人形を飛ばしてたヤツが誰か分かったんやって」
それだけ言うと、美琴達よりも先にスタスタと門の中へ入っていく。怒っているというよりは気まずさを感じているみたいに見える。
「鬼女はお前が危険に遭遇している時に、付いてなかったのが悔しいんだろうな。ヒトは弱っちいから簡単に死ぬっていつも嘆いてるし」
「アヤメが……?」
普段の態度ではそんな風に大切に扱って貰った記憶はないが、確かにいざという時はしっかり傍で守ってくれている。そんなアヤメの目の届かないところで連れ去られそうになったのだから、怒って当然。というか、やっぱり既にツバキからの情報でさっきの件は伝わっているみたいだ。カラスの目は侮れない。
ゴンタの足を拭いてから自室へ戻り、着替え終えた美琴はアヤメの伝言に従って奥にある和室へと向かう。普段、護符を作成する時に使う、陣が敷かれた小さい部屋だ。
心配しているのかずっと美琴の後を付いて回っていたゴンタも、四方に護符が貼られたこの部屋だけは足を踏み入ることを躊躇っていた。「ここで待っててやる」と宣言してから、廊下の床板の上で丸くなって寝転がり始める。
ツバキは平気みたいだが、アヤメもあまりこの部屋には入りたがらないから、式として契約していても妖力が高くなるほど嫌悪感を感じるのだろうか?
また真知子にも余計な心配をかけてしまったんだなと思いつつ、美琴は和室へと繋がる襖に手を伸ばした。
「ただいま、お婆ちゃん」
「ああ、無事に帰ってきたようだな。美琴にちょっかいを出して来た車はまだ追跡中らしいが、その内に報告があるだろう」
向かいに敷かれた座布団に座るよう促しながら、真知子は座卓の上に広げた長方形の和紙に墨で梵字を書いていく。するすると流れるように墨が置かれていくのを、美琴はしばらく黙って眺めていた。
「それはいつものとは違うの?」
祖母が書く文字は初めて見るもので、封印や除霊用の護符ではないことに気付く。美琴がこれまで書いたことがあるのはその二種類だけで、他の文字があることすら知らなかった。きっと、真知子がこれを書いているのをわざわざ孫娘に見せているということは、今から美琴は新しい護符の使い方を学ばされることになるのだろう。
「これは扱える人間も、使う相手も限られた、少し特殊な護符だ。禁術と言ってもいいかもしれんな。だけど、美琴なら間違った使い方はしないと信じてるからこそ教えるんだよ」
「特殊な護符……それって、どんな効力があるの?」
孫の問いに、真知子はふっと短い息を吐いて笑った。それには伝えずに終わらせたかったという本音が漏れ出たように感じ、美琴は姿勢を正して祖母の話に耳を傾ける。
「今朝、美琴が捕まえた形代は分家から飛んで来たものだったよ。うちの爺さんが死んでから付き合いは途絶えてしまったけれど、分家の中では一番血の濃い八神喜平の家さ。といっても、喜平はガンを患って入院中でもう長くはないって話だから、その子か孫か――」
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