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第二十五話・八神の分家
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「いってきまーす」
玄関前まで見送ってくれたゴンタに声を掛け、美琴は通学鞄を持って玄関扉を横に引いた。生欠伸を洩らしながらも尻尾を振っている妖狐は、番犬さながらに屋敷へ出入りする人間を監視しているつもりみたいで、こうして玄関周辺をうろついていることが多い。
朝方に少しだけ雨が降ったらしく、まだ湿っている玉砂利を踏みしめながら門へ向かって歩き出す。と、庭先に植えられた松の木の枝から、美琴の首筋めがけて水滴が落ちてきて、そのあまりの冷たさにぶるっと震えながら立ち止まる。そして、忌々しいと松の木を見上げた時、朝日に逆光するように何かが目の前を飛んでいるのが視えた。
反射的に、美琴は腕を伸ばしてバシッと両手の平でそれを叩く。こうも庭中が植木に囲まれていると、季節外れの蚊が飛んでいても珍しくはない。あまり手応えは感じなかったが、ちゃんと仕留められたかを確かめる為に、そっと手を開いた。
「……へっ⁉」
きっと空振りだったと思いつつ、期待せずに開いた手の平の上でペシャンコに潰れたモノに対し、素っ頓狂な声が出る。思ってたんと違う、という台詞はきっとこういう時に使うのが正解なはず。
「お、なんだ? 間違ってカメムシでも潰したのか? 早く手洗わないと匂いが染みつくぞ」
家の中から、ゴンタが揶揄うように聞いてくる。臭い匂いを放つ害虫を素手で触るなんて、相変わらず無謀なヤツだなとでも言いたげに、好奇心丸出しで庭へと様子見に駆け出てきた。
「違う、カメムシじゃない……え、何これ?」
腰を低くして子ぎつねにも見せるようにしながら、手の中で潰れてしまっている物体を広げてみる。美琴が力いっぱい叩いたことで、折れて皺くちゃになってしまった白色のそれは、一見するとただの紙クズだ。けれど、慎重に伸ばしてみると頭と手足もあってヒトの全身の輪郭のような形をしていた。紙は美琴がいつも護符を書くのに使ってるのと似ていて、繊維の細かいつるんとした手触りの和紙。
「形代だな。昨日、婆ちゃんが言ってたヤツじゃないのか?」
「誰かが家を覗いてるって、これで? え、潰しちゃったんだけど……」
「また考えなしに手を出しやがって。こないだアヤメに怒られたところだろうが」
「だって、蚊に刺されるって思ったんだもん」
さっきまで宙を飛んでいたはずの紙人形は、美琴に加えられた衝撃のせいで力を失ったのかぴくりとも動く気配はない。今はただのゴミにしか見えない。
真知子へは代わりに報告しておくと言ってくれたゴンタに預けたものの、その日の美琴は学校に居る間中ずっと紙人形のことが気になって頭から離れなかった。子供の工作のような大雑把な形。なのに意志あるモノのように自在に宙を飛んでいた。それは当然、どこかで操っているものが存在するということ。
――お婆ちゃんは人の仕業だって言ってたけど、うちの家が誰かから恨まれるようなことなんて……うん、いっぱいありそうだね。だって、お婆ちゃんもあんな感じだし……
祓い屋の仕事についてはまだよく分かっていないけれど、真知子のあの気性だと同業者とのトラブルは少なからず抱えていそうな気がする。特に最近はネットか何かで口コミが出回っているのか、目に見えて依頼が増えている状態なのだから。そういったことを良く思っていない祓い屋はいるはずだ。
放課後、駅前で寄り道して帰るという陽菜と別れ、ゴンタが待っているはずの交差点へ、美琴は小走りで向かっていた。遠く離れた場所からでも妖狐のフサフサした尻尾が大きく振られているのが見えてしまうから、少しでも早く着きたいと気持ちが急かされてしまう。完全にペットと下僕化した飼い主の関係だ。
横断歩道の向こうに、真っ白な四尾が激しく揺れているのを、美琴は頬を綻ばせながら眺める。こんなに犬っぽいのだからと、首輪をプレゼントしたら「犬扱いするな!」と怒られたのはつい先週のこと。「外を散歩する時は首輪とリードを付けるのがマナーだよ」と説得してみたけれど、「他のヤツらには視えないんだから必要ない」と頑なに拒まれた。社会のルールに従おうとしない理由は、アヤメが自転車の二人乗りしようとしてきた時と全く同じだ。
真横の信号が点滅し始めたのに気付き、正面の信号が変わるのを視線を上げて待っていると、車道で信号前に停車していたセダン車の後部座席のドアが大きく開いた。そして、中から美琴の方へ、ぬっと腕が伸びてくる。窓にスモークが貼られていてよく見えなかったが、黒色のスーツを着た男の腕が美琴が肩へ掛けていた通学鞄の紐を強く引っ張ってきたのだ。
「ちょ、ちょっと――っ!」
咄嗟に鞄を横に向けて振り回して抗ったことで、その勢いに驚いたのか男が手を離す。その隙に美琴は車体から距離を取るために歩道の方へと走った。その後すぐに信号が変わり、ドアを締め直した車は急発進して逃げるように立ち去っていったが、あまりの突然のことに歩道を渡らず呆然と立ち尽くしていた美琴の元へ、ゴンタが慌てて駆け寄って来た。
「おい、今のは何なんだ⁉」
鞄を狙ったひったくりという訳ではなさそうだった。あれは間違いなく、美琴ごと車の中へ引き込もうとしてきていた。あの車も、男の顔のどちらにも全く見覚えはなかった。
玄関前まで見送ってくれたゴンタに声を掛け、美琴は通学鞄を持って玄関扉を横に引いた。生欠伸を洩らしながらも尻尾を振っている妖狐は、番犬さながらに屋敷へ出入りする人間を監視しているつもりみたいで、こうして玄関周辺をうろついていることが多い。
朝方に少しだけ雨が降ったらしく、まだ湿っている玉砂利を踏みしめながら門へ向かって歩き出す。と、庭先に植えられた松の木の枝から、美琴の首筋めがけて水滴が落ちてきて、そのあまりの冷たさにぶるっと震えながら立ち止まる。そして、忌々しいと松の木を見上げた時、朝日に逆光するように何かが目の前を飛んでいるのが視えた。
反射的に、美琴は腕を伸ばしてバシッと両手の平でそれを叩く。こうも庭中が植木に囲まれていると、季節外れの蚊が飛んでいても珍しくはない。あまり手応えは感じなかったが、ちゃんと仕留められたかを確かめる為に、そっと手を開いた。
「……へっ⁉」
きっと空振りだったと思いつつ、期待せずに開いた手の平の上でペシャンコに潰れたモノに対し、素っ頓狂な声が出る。思ってたんと違う、という台詞はきっとこういう時に使うのが正解なはず。
「お、なんだ? 間違ってカメムシでも潰したのか? 早く手洗わないと匂いが染みつくぞ」
家の中から、ゴンタが揶揄うように聞いてくる。臭い匂いを放つ害虫を素手で触るなんて、相変わらず無謀なヤツだなとでも言いたげに、好奇心丸出しで庭へと様子見に駆け出てきた。
「違う、カメムシじゃない……え、何これ?」
腰を低くして子ぎつねにも見せるようにしながら、手の中で潰れてしまっている物体を広げてみる。美琴が力いっぱい叩いたことで、折れて皺くちゃになってしまった白色のそれは、一見するとただの紙クズだ。けれど、慎重に伸ばしてみると頭と手足もあってヒトの全身の輪郭のような形をしていた。紙は美琴がいつも護符を書くのに使ってるのと似ていて、繊維の細かいつるんとした手触りの和紙。
「形代だな。昨日、婆ちゃんが言ってたヤツじゃないのか?」
「誰かが家を覗いてるって、これで? え、潰しちゃったんだけど……」
「また考えなしに手を出しやがって。こないだアヤメに怒られたところだろうが」
「だって、蚊に刺されるって思ったんだもん」
さっきまで宙を飛んでいたはずの紙人形は、美琴に加えられた衝撃のせいで力を失ったのかぴくりとも動く気配はない。今はただのゴミにしか見えない。
真知子へは代わりに報告しておくと言ってくれたゴンタに預けたものの、その日の美琴は学校に居る間中ずっと紙人形のことが気になって頭から離れなかった。子供の工作のような大雑把な形。なのに意志あるモノのように自在に宙を飛んでいた。それは当然、どこかで操っているものが存在するということ。
――お婆ちゃんは人の仕業だって言ってたけど、うちの家が誰かから恨まれるようなことなんて……うん、いっぱいありそうだね。だって、お婆ちゃんもあんな感じだし……
祓い屋の仕事についてはまだよく分かっていないけれど、真知子のあの気性だと同業者とのトラブルは少なからず抱えていそうな気がする。特に最近はネットか何かで口コミが出回っているのか、目に見えて依頼が増えている状態なのだから。そういったことを良く思っていない祓い屋はいるはずだ。
放課後、駅前で寄り道して帰るという陽菜と別れ、ゴンタが待っているはずの交差点へ、美琴は小走りで向かっていた。遠く離れた場所からでも妖狐のフサフサした尻尾が大きく振られているのが見えてしまうから、少しでも早く着きたいと気持ちが急かされてしまう。完全にペットと下僕化した飼い主の関係だ。
横断歩道の向こうに、真っ白な四尾が激しく揺れているのを、美琴は頬を綻ばせながら眺める。こんなに犬っぽいのだからと、首輪をプレゼントしたら「犬扱いするな!」と怒られたのはつい先週のこと。「外を散歩する時は首輪とリードを付けるのがマナーだよ」と説得してみたけれど、「他のヤツらには視えないんだから必要ない」と頑なに拒まれた。社会のルールに従おうとしない理由は、アヤメが自転車の二人乗りしようとしてきた時と全く同じだ。
真横の信号が点滅し始めたのに気付き、正面の信号が変わるのを視線を上げて待っていると、車道で信号前に停車していたセダン車の後部座席のドアが大きく開いた。そして、中から美琴の方へ、ぬっと腕が伸びてくる。窓にスモークが貼られていてよく見えなかったが、黒色のスーツを着た男の腕が美琴が肩へ掛けていた通学鞄の紐を強く引っ張ってきたのだ。
「ちょ、ちょっと――っ!」
咄嗟に鞄を横に向けて振り回して抗ったことで、その勢いに驚いたのか男が手を離す。その隙に美琴は車体から距離を取るために歩道の方へと走った。その後すぐに信号が変わり、ドアを締め直した車は急発進して逃げるように立ち去っていったが、あまりの突然のことに歩道を渡らず呆然と立ち尽くしていた美琴の元へ、ゴンタが慌てて駆け寄って来た。
「おい、今のは何なんだ⁉」
鞄を狙ったひったくりという訳ではなさそうだった。あれは間違いなく、美琴ごと車の中へ引き込もうとしてきていた。あの車も、男の顔のどちらにも全く見覚えはなかった。
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