小説探偵

夕凪ヨウ

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Case21.氷の女王⑤

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 優しい声が反響する。耳を塞ぎたいと思うのに、どうしても塞げない。この先を聞きたくない。でも、聞きたい。


「あなたが不満を持っていることは分かっていました」
 だったらどうして?
「あなたの演技は、私とは違う」
 そんなこと言われたって分からない。言われなきゃ分からない。
「あなたの良さが消えてしまうと思ったんです」
 自分の良さなんて分からなかった。ずっと自分はレベルが低いと思っていた。
「あなたのファンであり続けることを約束します」


 別れの言葉を聞いた時、私は涙を流していた。

        ーカイリ『氷の女王』最終章ー


            ※


「へえ。動機と証拠、ですか。どうぞご自由に。できるのもなら証明してくださいよ」
 芝田の口調は挑戦的で高圧的だった。しかし、海里はあくまでも落ち着いた様子で続ける。
「まずは動機からお話ししましょう。そもそも・・・・今回の事件の引き金となったのは、これですね?」
 そう言って海里は芝田にスマートフォンを見せた。そこには、新聞記事の写真があり、見出しには大きく、

 『三波佐和子、現役引退』 

と書かれている。芝田の表情が青ざめるのが分かった。
「私は普段スポーツ観戦をしないので知らなかったのですが、あなた方3人のことを調べるにあたって行き着きました。
 引退の理由は、ご両親の会社が倒産したからと書かれています。フィギュアスケートは資金がかかると言いますから、どうしようもないことなのでしょう。
 三波さんは、将来オリンピックに出られるほどの期待を寄せられていたそうですね。そして同時期にフィギュアスケートを始めた東野さんも、三波さんの同期という道を辿り、注目を集めていた」
「・・・・それが何か? 何の関係も」
 芝田の言葉に重ねて海里は言った。
「大いにあります。
 三波さんは、現役引退をあなたと湯元さん、東野さんの3人に話したはずです。大勢いる選手の中で、特に親しいのがあなたたち3人だから・・・・そうでしょう? 美希子さん」
 芝田の表情が揺れた。美希子は頷く。
「東野さんから、その時のことを詳しく聞いた。3人とも驚いたけれど、仕方のないことだし、三波さんの意思なら受け止めるしかないって。今日の大会は三波さん引退前の最後の大会だから、1番手にして、トリに東野さんを配置して、次に託す自分の気持ちを表現したいーーそう言ってたって」
「・・・・そんなことまで」
 芝田の表情は暗かった。美希子は頷いて続ける。
「何なら確かめますか? 音源、ありますけど」
 美希子は龍から返された自分のスマートフォンを掲げた。しかし、芝田は静かに首を横にする。
「結構。話を続けてください」
 美希子はスマートフォンを仕舞って海里を見た。そして、再び彼が口を開く。
「私が初め東野さんにお話を聞いた時、なぜ三波さんのことを否定的に言うのか理解できませんでした。ライバル関係だとしても、幼馴染み。少しくらい肯定的な言葉を口にしても良いんじゃないか、と思いました」
 しかし、と海里は続ける。どこか悲しげな表情だった。
「それは愛情の裏返しだと気が付きました。肯定的に話せば話すほど、生前の彼女の優しさや、暖かさが蘇って苦しくなる。だから、一部の選手からの妬み恨みを話して、彼女本来の姿から目を逸らした・・・・そう思ったんです」
 芝田は何も言わなかった。海里は声を少しだけ大きくする。
「三波さんは、自分が去った後の“第2の三波佐和子”を探すようマネージャーから言われていた。そして彼女は、悩んだ末に“第2の三波佐和子”に湯元さんを指名した。そうですよね? 湯元さん」
 海里の質問に湯元は頷いた。変わらず不安げな表情をしており、落ち着かない様子である。
「・・・・はい。私は、よく分からなかった。東野先輩や芝田先輩の方が相応しいのに、どうして私なのかって・・・・三波先輩に尋ねたら、あの人は、ただ一言、言ったんです。“あなたの演技には命があるから。”・・・・と」
 湯元の言葉に海里は頷きながら言った。
「彼女の質問は個人的なものだったはずです。しかし、芝田さん。あなたはそれを聞いていた。いや、“盗聴”と言った方が相応しいですね」
「盗聴・・・・⁉︎」
 湯元が驚愕の表情を浮かべた。
「はい。湯元さん、あなたが付けられているその髪飾り。いつも付けているのですか?」
 海里は水色の薔薇の髪飾りを指し示した。湯元は頷く。
「はい。中学生の頃、地域のフィギュアスケート大会で優勝した時に両親から貰ったものです。お守りとして持っていて、傷つけたくないので演技中は外して控室にーーあ!」
「その通り。確かめたいので、髪飾りを貸して頂けますか?」
 湯元は髪飾りを外し、海里に渡した。海里は造花の裏側を探り、小さな物体を取り出した。龍に見せると、彼はあっさと答える。
「盗聴器だな」
「そんな、いつから・・・・?」
「あなたが“第2の三波佐和子”に指名された日、三波さんが引退を話した日でしょうね。新聞の日程から推定するに、1ヶ月以上前、ということになります」
 湯元が絶句した。海里は芝田を睨みつける。
「あなたはこの盗聴器を使って2人の会話を盗み聞き、そして決意した。自分を選ばなかった三波さんと、自分を出し抜いて選ばれた湯元さんを殺す、と」
「待ってよ、江本さん」
 何か言われると分かっていたのか、海里は落ち着き払った様子で尋ねた。
「どうしました? 美希子さん」
「今の流れだと、殺されるのは三波さんと湯元さんだよね? どうして東野さんが殺されなくちゃならなかったの?」
「簡単ですよ。2人が死んでも、三波さんと同等のキャリアを持つ彼女が、2人の代わりになる可能性が高いからです」
 海里はあっさりと言ってのけた。美希子は信じられないという顔で首を振る。
「私が謎解きを始めなければ、隙を見て湯元さんも殺害するつもりだったのでしょう? 方法は存じませんが、本当、狂っている」
 恐ろしいほど冷たい海里の言葉に、美希子は息を飲んだ。海里は更に芝田に近づく。
「証拠と言いましたね」
「・・・・ええ、言いましたよ。確かに動機はあるかもしれませんが、僕がやった証拠なんてどこにも存在しない」
 芝田が勝ち誇った笑みを浮かべたその時、スマートフォンが鳴った。芝田の物だ。
 海里は冷酷さを消し、笑って言う。
「出てはいかがですか? 急ぎの電話かもしれませんし」
「え、ええ。そうします」
 芝田は上着のポケットからスマートフォンを取り出し、画面を見た。そして、その画面を見て、彼は愕然とする。画面にある文字には、“芝田桔平”と書かれてあったのだ。
 海里は笑ったまま告げる。
「ご自分の携帯ではないようですね。本物はどこに行ったのやら・・・・」
 そう言いながら、海里は龍へ視線を流した。ハッとして芝田が視線の先を見ると、自分のスマートフォンを持った龍の姿があった。着信相手は、江本海里と示されている。
「あなたが持っているスマートフォンは私の物です。呼び出す直前にお手洗いに行っていたので、刑事さんに頼んで上着のポケットに入れてもらいました。自分の元にある以上、自分の物だと思うでしょうし、電話であれば自分の物か確認する前に取ると思ったんです。上手くいって良かった。
 取り敢えず、返して頂きますね」
 海里は早口に告げ、芝田の手から自分のスマートフォンを取った。しかし、彼は海里の言葉など聞こえていないのか、体を震わせている。
 そして海里もまた、芝田の様子など見えていないかのように「そういえば」と続けた。
「あのスマートフォン、かなり埃が付着していましたよ? 整理整頓されている控室には、汚れなんてありませんでした。控室に置いていたはずなのに、どうして埃が付着していたのでしょうね?」
「たっ・・たまたま! 観客席に落としたんだ! 探したけど見つからなくて、そのまま大会が始まって!」
「私、観客席で拾ったなんて言いましたっけ?」
 芝田を音を出すほど息を呑んだ。同時に、龍がため息をつく。
「往生際が悪いな。偶然落としたにしては、出来過ぎなこともあるようだが?」
 龍はそう言いながら、スマートフォンを操作した。何かを見つけて手を止め、スマートフォンの画面を芝田に見せる。
「11時52分。この時間に設定されているタイマーは一体何だろうな? この時間は、三波佐和子が殺害された時間だ」
「・・・・やめろ・・・・」
「普通のアラームとは違う音のようだな。こんな時間にセットして、一体何の音を出したんだ?」
「やめろ‼︎」
 芝田は必死の形相で叫んだが、龍は気に留めずボタンを押した。


 次の瞬間、銃声が会場を包んだ。海里と龍以外の全員が言葉を失う。
「おや? 偶然でしょうか? 三波さん殺害時の銃声とそっくりですね」
 海里の発言と同時に、芝田はその場に崩れ落ちた。彼は消え入るような声で呟き始める。
「あの女が悪いんだ。あんな・・・・経験も浅い奴を後見に指名して、僕を蔑ろにした。
 あの女も、東野も、あいつも、全員死ぬべきなんだよ。あいつらは、僕に感謝するべきだ。人生の最期に・・・・劇的な死体にしてやった。スポーツ選手としての舞台で、死なせてやったんだからな!」
 その言葉を言い終えた瞬間、海里は芝田を殴り飛ばした。彼は観客席の奥へ吹っ飛び、体を強く打ち付ける。海里は足早に芝田に近づき、何の感情もない冷たい瞳で見下ろした。
「殺してやった? あなた、何様のつもりですか? 三波さんも、東野さんも、あなたのような人間に殺される理由なんてない。ただ自分の想いを真っ直ぐに伝えて、引退まで仲睦まじく過ごそうとしただけです。
 それなのに、あなたは1人、子供のように喚き散らして2人を殺した。自分勝手な思い込みで」
 海里はその場に屈み、鼻血を出して歯を食いしばっている芝田の胸倉を掴んだ。
「人の命の価値を、人生の最期を、あなたが決めないでください。あなたには、いいえ、誰にも、人の命を値踏みする権利なんてありはしない。誰が何と言おうと、私は、あなたを絶対に許さない」
 静かな怒りだった。怒鳴らなかったのは、湯元がいたからである。本当に心から怒る権利があるのは、彼女だけだと考えていたからである。
 深いため息をつき、海里はゆっくりと立ち上がった。
「この音源をお渡しします。三波さんの想いです。美希子さんが東野さんから預かっていた物です。ここに、彼女の想いの全てがあります」
 海里は胸ポケットから小さな録音機器を出し、芝田の足元に置いた。ゆったりと立ち上がり、龍に告げる。
「どうぞ逮捕してください。私から申し上げることは、もうありませんから」
 丁寧な口調が芝田を突き放す気持ちを強くしていた。龍は大きく頷いて、部下に手錠を出すよう指示をする。
「芝田桔平。三波佐和子・東野ユーリ、両名の殺人罪で逮捕する」
 時間は15時を回っていた。大会の閉会を告げる放送が、虚しく会場にこだました。


            ※

                   
 某県の刑務所の一室。芝田は、海里から渡された音声を聴いていた。
『芝田君。あなたがこれを聞いている頃、私はもう引退していると思います。
 今回の件で、あなたが不満を持っていることは分かっていました。ずっと一緒にやって来たあなたよりも、英美さんを選んだ理由は、言葉にしないと伝わらないと思うから、ここに残します。直接言うのは、何だか恥ずかしくて。
 私が“第2の三波佐和子”に英美さんを選んだのは、あなたの演技と私の演技が全く違うからです。英美さんは、どことなく私に似た、静かな演技をしています。でも、芝田君は、私とは違う。炎のように熱く、激しい演技をしている。だから私は、あなたを“第2の三波佐和子”に指名するのをやめたんです。あなたの素晴らしい演技が、掻き消えてしまわないように。
 我儘を言ってごめんなさい。でも私は、ずっとあなたの演技が大好きなんです。幼い頃、あなたの激しい演技を真似したいと思った時期もあった。でもあなたは、“佐和子の演技があるんだから真似なんてしなくていい”と、そう言ってくれた。嬉しかった。あなたのおかげで、今の私があります。
 だからこそ、あなたの演技を残したい。どうか、最前線で輝き続けて、素晴らしい演技を見せてください。
 今まで、本当にありがとう。これからも、あなたのファンであり続けることを約束します。さようなら』


            ※

                  
「そんなことが録音されてあったのか」  
 事件が解決した数日後、警視庁に報告へ来た海里は、龍たちには聞かせなかった録音の内容を話した。
「はい。
 東堂さん・・・・私は、あの2人は、自分たちが殺されることを分かっていたんじゃないかと思うんです」
 龍は目を丸くした。
「まさか・・・・だったら、なぜあの録音を聞かせなかった? そうすれば、違う結果があったんじゃないのか?」
 龍の質問は、不用意に命が喪われたのではないか、という不安が込められていた。海里は彼の言いたいことが理解できると思いつつも、静かに己の意見を口にする。
「・・・・人の想いは難しいものです。1度こうだと思い込んだら、元に戻るのは簡単じゃない。第2の自分として生きてもらうという話だからこそ、簡単に誤解を解くことはできないと考えた。
 だから三波さんは録音を残した。私はそう考えています」
 龍は納得するのに時間を要していたが、結局それ以上踏み込むことなく、別の質問をぶつけた。
「芝田、聞いていると思うか?」
 海里は頷いた。その顔には優しげな笑みが浮かんでいる。
「きっと聞いていますよ。もちろん、彼の罪は消えない。2人の命を奪ったことは事実です。自分勝手な動機であったことも。
 それでも、やり直せる機会があるなら、彼はやり直せるのではないかと思います。簡単なことではありませんが、不可能だと断言はできませんし、したくありません。
 何より、やり直すことこそが、三波さんと東野さんの、最期の願いでもあるんですから」
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