小説探偵

夕凪ヨウ

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Case22.魔の館の変死体①

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 事件発生まで、残り2日。

                    
 この日、天宮一家は知り合いが主催する宴会に出席していた。盛大な宴会で、多くの人々が集まり、飲み食いをし、世間話に花を咲かせていた。

「お嬢様。」
「何?」

 執事に呼ばれ、女性は振り向いた。執事は声を顰め、周囲に聞こえないよう細心の注意を払いながら、尋ねる。

「本当によろしいのですね? 2日後・・・・“計画”を実行されること、お変わりなく?」
「当然でしょう。何のために布石をしたと思っているの?」

 女性は、手に持っているワインの残りを一口に飲み干した。執事の方を向き、言葉を続ける。

「確かに、上手くいく保証はないわ。でも、成功させなければ、あの子たちは自由になれない。そのためなら、私は手段を選ばない。あなたも・・・・覚悟は決めたはず。」
「もちろんです。ただ、必ず警察は駆けつけてくる。」
「ええ、分かっているわ。でも、問題ない。私たちは何食わぬ顔で過ごし、2日後、全てに決着をつけるのよ。」

            ※
                    
 海里は自宅で編集者と電話をしていた。先月出版した“氷の女王”の発行部数を連絡されていたのだ。

「そうですか。今回も売れ行きは良いのですね。」
『ああ! 素晴らしいよ。トリックだけでなく、犯人の思いもよく感じ取れる。読者も気に入ってくれているし、このまま上がり続けるだろう。』
「ありがとうございます。また何かあれば電話しますね。」
『そうしてくれ。じゃあまた。』

 電話を切ると、海里はソファに体を沈めた。息を吐き、一眠りしようと毛布に手をかける。その時、再び電話が鳴った。

「うーん・・・・何ですか? 少し休みたいのに・・・・。え、東堂さん?」

 海里は事件のことだと直感し、通話ボタンを押した。

「もしもし? また事件ですか?」
『ああ。お前、K町の天宮家を知ってるか?』
「天宮グループの天宮家ですか? ええ、名前も場所も知っていますよ。
 確か・・・・元は財閥で、解体された後、天宮グループと名前を変えて現在まで残っている資産家一家、ですよね。現当主の天宮和豊さんは、インターネット会社の社長も兼任しているとか。」
『そうだ。今からそこに来てくれ。殺人だ。それも、稀に見る“変死体”のな。』
                    
            ※

 天宮家に到着した海里は、なぜか寒気がした。美しく見える洋館は、酷く恐ろしく見えたからだ。
 真白い壁と茶色の扉は傷1つなく、庭にある花々は白の洋館を際立たせていた。黒い門は大きく、威圧感を感じた。ふっと空を見上げると、雲一つない晴天で、洋館は日に照らされている。なぜ恐ろしく見えるのか、自分でも分からなかった。

 少し洋館を見つめた後、海里は躊躇いがちにインターフォンを押した。すると、ゆっくりと巨大な黒い門が開き、1人の青年が歩いて来た。

「江本海里様ですね。お待ちしておりました。」
「わざわざありがとうございます。」

 海里は笑って礼を述べた。と同時に、青年の顔に見覚えがあると気がつく。

「・・・・あれ? あなたは・・・・あの時の・・以前の爆破事件の時、避難所となっていた洋館の執事の方では?」
「はい。
 あの時は、犯人を招き入れているとは思いませんでした。事件解決のことは後から耳にしまして。改めて、お礼申し上げます。」

 青年は深々と頭を下げた。細身の体と燕尾服が、よく似合っている。精悍な顔立ちは、いかにも良家に仕える執事らしかった。

「そんなに畏まらないでください。お名前は?」
「黒田と、お呼びください。」

 執事・黒田はそう言って、海里を洋館の中に招き入れた。2人が門を潜ると自動的に閉まり、鍵が掛かる音もした。
 海里は厳重だな、と思いつつ、黒田に続いて庭を抜けた。黒田が玄関を開けると、奥から複数人の話し声が聞こえた。

 玄関を通り過ぎると、長い廊下が現れた。避難所となっていた屋敷より、遥かに大きい。床には赤い絨毯が敷かれ、壁には絵画や剥製、廊下の左右には棚や机に置かれた壺などの置物があった。
 海里が途方もない値段なんだろうな、などと考えていると、黒田は立ち止まり、扉が開放された大広間ーーーーこちらもやはり避難所となっていた屋敷より大きいーーーーを指し示した。

 中には大勢の警察官がいた。そして、その中に、指示を出している龍の姿があった。彼は海里に気がつくと、視線を移す。

「わざわざ呼び出して悪いな。仕事中だったか?」
「いえ。もう本になっていて、編集者の方と電話で話していただけなので。
 それで・・・・これが、先ほど仰られた変死体ですか。」

 海里の前には、首と手足に紐が巻かれ、全身の骨が折られている若い男の遺体があった。口元からは乾いてはいるが、血が流れ、苦痛に歪んだ顔は事件の悲惨さを物語っている。体格は普通であり、力のある人物には押さえ込まれるだろうと思われた。
 遺体を凝視する海里は、首と手足に巻かれた紐を見て、目を丸くする。

「これ、ただの糸・・・・ですよね? こんな物では、絞殺することも、骨を折ることもできません。明らかに他殺であるのに、吉川線はなく、縛られた痕も見当たらない・・・・。一体、どういうことなのでしょう?」
「俺も全く分からない。とにかく、遺体の捜査は鑑識の作業が終わり次第だ。先に天宮家への事情聴取を行うから、お前も加わるだろう?」
「はい。」

 龍の部下が天宮家の人間を呼びに行った数分後、2階から2人の男女が降りて来た。大広間の四方に階段があるため、姿を確認するのに少し時間を要した。現れた男女は、見たところ中高生くらいだった。
 彼らは神妙な面持ちで、ブルーシートが掛けられた遺体を一瞥し、海里と龍の前へ行く。

「初めまして。天宮秋平です。こちらは妹の春菜。他に姉と弟がいますが、1人ずつの方がいいと思ったので、先に来ました。」

 礼儀のなった口調だった。海里は驚きつつも、笑みを浮かべて頷く。

「お気遣い、ありがとうございます。私は江本海里です。よろしくお願いしますね。」
「はい。よろしくお願いします。」
「では・・秋平さんからお話を伺ってもよろしいですか? 春菜さんは、しばらく刑事さんと待っていてください。」
「分かりました。」

 春菜は頷いた。2人とも、非常に整った顔立ちをしている。海里は前に新聞で見た天宮和豊の姿を思い出し、遺伝が強いな、と感じた。  

「客間を1つ、事情聴取の場としてお借りしています。行きましょうか。」

 龍は出来る限り優しい声音を出した。秋平は返事をして、2人に続いて大広間を出る。
 客間は大広間の中にある扉を潜り、その扉から見て、廊下の右側に並ぶ部屋の一室だった。客間も豪華なもので、花柄のソファーとガラスの机、大きな窓があった。3人はソファーに腰掛け、秋平が一息ついたのを見計らって、海里は尋ねる。

「まず・・・・亡くなられていたのはどなたですか? 天宮家の方でしょうか?」
「違うと言えば違いますが、正しいと言えば正しいです。亡くなったのは、泉龍寺真人。俺たちの姉・天宮小夜の婚約者です。」

 婚約者、という言葉に2人は眉を動かす。朝起きて広間を見たら、婚約者が無惨に死んでいるなど、たまったものではないだろう。海里は続ける。

「では、小夜さんが事情聴取を後にされたのも・・・・」
「・・・・はい。」

 秋平は小さく頷いた。彼の表情にも、確かな悲しみが見える。海里は分かりました、と言った。

「昨夜、泉龍寺さんが亡くなられた時、どこで何を? 死亡推定時刻は昨夜の深夜2時から3時頃、とのことなので、その時間の行動を教えてください。」
「部屋で眠っていました。最近は夜遅くまで勉強をしていたので、昨夜はゆっくり寝ようと思って、22時にはベッドに入ったんです。」
「そうなんですね。では、泉龍寺さんの悲鳴を聞いたり、犯人の姿を見たりしましたか?」
「聞いていませんし、見ていません。眠っていたせいかもしれませんが。」

 秋平は酷く冷静だった。2人は子供としては落ち着きすぎている彼の態度を、不気味だと感じる。
 その時、

「お兄ちゃん・・・お客さん?」
「夏弥! 部屋で待ってろって言っただろ。どうしてここが分かったんだ?」

 客間の扉から、少年が顔を出していた。ゆっくり開けたのか、海里たちは音を聞き取れなかった。
 夏弥と呼ばれた少年は、兄の質問にゆっくりと答える。

「こっそりついて来たの・・・・春菜お姉ちゃんに聞いたら、こっちの方に行ったよって言うから、つい。」
「弟さんですか? 付いて来ていたなんて、全然分かりませんでしたよ。」

 海里の冗談めかした口調に秋平は笑って答えた。

「まだ8歳なので、好奇心旺盛なんですよ。ほら、夏弥。部屋に戻りなさい。姉さんと一緒にいなきゃダメだろう。」
「いやだ! お兄ちゃんと一緒にいる‼︎」
「夏弥!」

 兄弟喧嘩が始まったので、龍は間に入った。

「まあそう怒らずに。弟さんにも話は伺う予定でしたから、それが少し早まったと考えませんか?」
「すみません・・・・。」

 夏弥は扉を閉めると駆け足でソファーへ寄り、秋平の膝の上に座った。8歳と考えると、かなり子供らしい。龍は夏弥を怖がらせぬよう、ゆったりとした口調で彼に尋ねた。

「昨日の夜は、お家にいたのか?」
「うん。春菜お姉ちゃんに絵本読んでもらって、7時には眠ったよ。その後のことは、よくわかんない。」
「そうか。泉龍寺真人さんのことは、どう思ってた?」
「大好き! 優しいし、お姉ちゃんと仲も良いの! お父さんとお母さんと、おじさんは、あんまり仲良くしていなかったみたいだけど・・・・」

 夏弥が声を落としながら俯いた。龍は尋ねる。

「仲良くなかった? どうしてだ?」
「分かんない・・・・でも多分・・小夜お姉ちゃんが大切だったからじゃない?」

 違う。海里は、直感でそう感じた。

(そんな理由で仲良くしないならば、初めから婚約などする必要がない。別に反対する理由があったと考える方が自然だ。これは、彼の嘘なのか? いや、8歳の子供にそんなこと・・・・)

「江本。その顔やめろ。」
「あ・・すみません。では秋平さん。春菜さんを呼んでくれませんか?」
「えっ? もう良いんですか? 俺たちを疑っているのでは?」
「否定はしませんが、現状で特定することは不可能です。お2人の話を聞く限り、泉龍寺さんはあなた方兄妹と仲が良かった。疑う気にはなりません。」

 海里の言葉に、2人は安心したように頷いた。そして、2人と入れ替わるように、春菜が部屋に入って来た。

「わざわざありがとうございます。」
「事件解決のためですから。」  

 どこか淡々とした口調は、大人っぽい容姿と相待って距離を感じた。しかし、すぐに表情を暗くし、春菜は呟く。

「真人お義兄様が、あんな風に亡くなるなんて、思わなかった。もうすぐ・・・・お姉様と結婚するはずだったのに。」
「そうだったんですね・・・・。しかし、ご両親は反対しているとお聞きしましたが。」

 海里がそう言うと、春菜は笑った。嘲笑とも取れる、苦い笑みだった。

「あいつらは、お姉様を駒として置いておきたいだけです。興味があるのはお姉様の頭脳だけで、愛情なんて微塵もない。
 何もかも自分中心で考える父も、父に従うだけの母も叔父も、ただのクズ。真人お義兄様を殺したと言っても、驚きません。」

 侮蔑と怒りを帯びた口調に、海里は目を丸くした。彼は思わずフォローするようなことを口走る。

「そんなに、仲が悪いのですか? 仮にも血の繋がった・・・」

 海里が言い終わらぬうちに、春菜は怒鳴った。

「そんなこと関係ない‼︎ 寧ろあいつらの血が自分に入っているだなんて思うと、ゾッとする! 私たちは、絶対にあいつらの支配下から逃れるの! 何があっても、絶対に・・・・‼︎」
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