久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

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第伍話──箪笥

【拾陸】成レノ果テ

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 桜子が久世慶司の屋敷に到着した時、一瞬地面が揺れた気がした。
「じ、地震!?」
 しかし、辺りの様子は変わりなく、明るい空に笹の緑が鮮やかに映えているだけだった。
「き、気のせいかしら……」

 そんな彼女の横で、警官たちはてきぱきと動く。
 玄関の格子戸を開き、雨戸を担架代わりに寝かせた久世慶司を運び込む。
「あ、右手の部屋が居間みたいなんで、一旦そこに下ろしましょう」
 桜子が声を掛けると、警官たちは敬礼を返しそうな勢いで「はっ!」と答えた。

 怪盗・鴉揚羽を靴べら一本で退治した女傑の名は、警視庁じゅうに知れ渡っているようだ。そんな彼女が再び、市民を守る大活躍を見せたとあって、名を聞いた警官たちは、まるで乃木大将に接するように恭しい。
 ……少々こそばゆいが、悪い気はしない。

 慶司が居間に運び込まれるのを、監督官のごとく眺める桜子はハッとした。
「あの部屋、お布団がないわね」
 確か、奥の箪笥のある部屋が寝室だと聞いた。そこに行けば、布団はあるのだろう。布団運びくらい手伝わなければ。

 桜子はスタスタと、廊下の奥へを足を進める。そして、突き当たりの襖を開いた。
 その途端……。
「キャッ!」
 足元を勢いよく黒い影が飛び抜けたから、桜子は尻もちをついた。
「か、カラス!?」
 どうやらカラスが入り込んでいたらしい。慌てて振り向くが、カラスは開いた玄関から空へと消えていった。

 カラスやハトが人家に迷い込むのは珍しくもない。桜子はそんなものに腰を抜かしたのを気恥しく思った。
 何事もなかったかのように立ち上がり、ワンピースに付いた埃を払う。そして寝室に顔を向けるや、再びヒッ! と声を上げた。
「た、箪笥の扉が、動いたわよね?」
 もしかしたら、カラスだけに留まらず、タヌキも忍び込んでいるのかもしれない。
 桜子はそろそろと箪笥に近付き、そっと観音開きに手を掛けた。
 そして、恐る恐る扉を引いたが、箪笥の中は空っぽだった。

「気のせい……だったみたいね……」
 雨戸の閉まった不気味な屋敷という先入観から、見間違いを起こしたのだろう。
 桜子はそう自分を納得させ、箪笥の前に敷かれたままの布団を抱えて居間に戻った。


 ◇


 桜子の足音を、引き出しの下から見送ったハルアキは、「ふぅ」と大きく息を吐いた。
 元は台所とはいえ、改修されていて裏口がなく、箪笥の中に逃げ込むしかなかったのだ。
 しかし、鴉揚羽を井戸に入れる訳にはいかなかった……この先の状態を彼女に見せるのは忍びなく、カラスに変化へんげさせて外に逃がした。

 鴉揚羽の作戦はうまくいったようだ。に無事送れたかを確認する術はないが、とりあえず、この屋敷から赤子と、赤子の根源たるがなくなったのは確かだった。とりあえず、桜子の無事が確保できただけで大成功と言えよう。
 鴉揚羽の裏切りのおかげで助かったのは皮肉だが、結果は万々歳と言う他ない。

 首を竦めつつ、ハルアキは井戸の階段に足を踏み出した。冷え冷えとした空気が濃くなり――鉄の匂いが鼻を突く。
「…………」
 ハルアキは足を止め、口元をシャツの袖で覆った。
 やはり、覚悟を決めなければならないようだ。

 犬神零は不死である――それは紛れもない事実であるように思える。
 それだからこそ、ハルアキはこの先に進むのが恐ろしいのだ。
 生身の人間でありながら、死を許されぬ者の抱える苦痛を目にすることになるのだから。
 それは零だけのものではない。彼自身が自ら選択した運命でもある。「賢者の石」を体内に抱える限り、彼と同じなのだ。

 だが、零が回復するまで待つ余裕もない。間もなくこの井戸も、警察により発見されるだろう。その時に零のがあるのが、最も忌むべき事態だ。
 彼は自らが不死であると決して認めない。それは、彼の裏にある何者かの意思であるように思える。
 それが公になった時、何が起こるのか……。
 それだけはあってはならないと、本能的にハルアキは感じていた。

 目を閉じ、心を落ち着け、ハルアキは再び階段を下った。
 辿り着いたところは、四畳半ほどの石室である。

 ――その中央、少し窪んで水溜まりになった中に、零は仰向けに横たわっていた。

 いや……着物などから零であると推察されるだけで、と表現するのが正しいのかもしれない。
 どこかに通気口があるのか、朧げな光が射している。白々とした光が、彼の輪郭をなぞっているだけだが、その無惨さは直視に耐えられないほどだった。

 それでも、ハルアキは為すべきことを為さねばならない。彼の式神・天后てんこうにより、この体を元通りに修復する――その為にここに来たのだ。
 そっと歩みを進める。血で染まった水溜まりに足を入れれば、痛みを伴う冷たさがハルアキの肌を刺した。

 そして、そこにあるモノを真下に見下ろしたところで、ハルアキは状況を確認する。
 首、腕、脚はバラバラに外れ、あらぬ方に散らばっていた。首など、頭蓋が押し潰され、熟れて落ちた柘榴ざくろのようだ。圧により腹腔も破裂し、内臓が水溜まりに飛び散っている。
 これで生きているなどと、誰が信じようか。

 ハルアキは目を閉じ、式札を亡骸の上に掲げた。
「天后、こやつを治癒せよ」
 式札が光を発する。それが消えると同時に天女が姿を現した。
 ところが、彼女はいつものように動かなかった。どうしたのかとハルアキが目を開くと、天后は彼に哀れみに似た目を向けていた。
「死人の蘇生は、わらわの範疇に非ず」
 人型の式神は時折、自我を見せることがある。その性格を踏まえて働かせるのが陰陽師の腕なのだ。
 ハルアキは低く彼女に命じた。
「体の修復のみで構わぬ。見るに忍びない故」
 温厚な性質の天后はそれで納得したようで、美しい羽衣を何度か揺らし、零の体の上でくるくると舞う。
 そしてスッと消えた後には、生きていた頃と同じ形の、犬神零の体があった。

 ハルアキは無表情にそれを見下ろす。だがしばらく待っても、彼が動き出すことはなかった。

「…………」
 ハルアキの心に不安が湧き出す。
 不死といえど、あれほどまでに体が損壊すれば、蘇生するのは無理なのだろうか?
 いても立ってもいられず、ハルアキはかがみ込んだ。頸動脈に指を当て、心臓に耳を当てる。

 しかし、鼓動を感じることができない。

 みるみる血の気が引いていく。そして、生命の痕跡を探すべく、体のあちこちに触れてみた。
 だがどこを触れても、そこにあるのは間違いなく、氷のように冷たい亡骸だった。

「おい……」
 動揺のあまり、ハルアキは声を掛けずにいられなかった。
「いつまで寝ておるつもりぞ。早う起きぬか」
 と、ピクリともしない体を揺らす。
「余が命じておるのじゃぞ。目を開け。呼吸せよ……」

 頬を叩き、腕を持ち上げ、手を己の頬に当てる。自分の体温をその手に移そうと試みるも、虚しいばかりに時だけが過ぎていく。

「そんなはずがなかろう……そなたが、死ぬはずがなかろう」

 またもや余を置いていくのか。
 そう続けようとして、ハルアキはふと思い付いた。
 ――まだ、生命の痕跡を確認していない場所がある。

 瞳孔。

 眼球の、虹彩に囲われた黒いあな
 死すれば虹彩の力が失われ、瞳孔が開くと聞いたことがある。

 ハルアキは零の顔に顔を近付け、瞼に手を置く。
 その時、とある誘惑が脳裏に浮かんでその手を止めた。

 ――零は、かつて安倍晴明の弟子であった『名無し』に瓜二つ。
 だが彼は、名無しのように「左右の目の色が違う」という特徴を持っていない。それを根拠に、零は名無しではないと言い張っているが……。

 もし、何らかの方法で目の色を変えているとしたら?
 片目のみ義眼であるという可能性も、否定できないのではなかろうか?

 ハルアキはゴクンと唾を呑んだ。
 この場面は、それを確認する絶好の好機ではなかろうか?

 誘惑に勝てず、ハルアキは右の瞼に指を置いた。
 名無しは確か、右目が銀色だった。
 それを確かめれば、彼の正体が判明する。

 指に力を入れる。
 指の下で、瞼がゆっくりと動いた。
 ガラス玉のような眼球が露わになっていく。

 そして、開ききった瞼の奥にあったのは、太陰太極図の形をした瞳だった。

 それが真っ直ぐハルアキを見上げていると認識した刹那、彼の体は一転していた。
 床に叩きつけられると同時に腕を背中に回される。水溜まりに倒れた背に膝を置かれ、完全に動きを封じられた。
「ググ……」
 痛みに呻くが、彼を拘束する手は容赦がない。体重を乗せられる圧を感じた後、耳元で声がした。

「人の目の色を覗き見るのは、いい趣味ではありませんね」

「あぐっ……!」
 呼吸が苦しくて言葉にならない。だが犬神零は返答を求めてはいないようで、機械のように単調な声で彼に囁いた。
「あなたは何も見ていません」
「…………」
「私は死んでなどいません。この通りピンピンしています。この井戸の底には何もなく、私の身に何もありませんでした」

 何とか言葉にしようと口を動かす。
「そなた……何者……」
「何もありませんでした」

 有無を言わさぬ圧が、ハルアキの全身を押し付ける。
「何もなかったんです。初めから何もなかったのです。あなたは妖の術で、幻影を見せられていたんですよ」
「そんな……」
「何もありませんでした」

 話の通じる状況ではない。痛みから逃れるため、ハルアキは首を縦に振った。
「分かった……離せ……!」

 そこでようやく拘束が緩み、ハルアキは必死で抜け出した。
 這う這うの体で零から離れる。石壁に背を預け、ハルアキは彼の保護者を見上げた。

 犬神零の表情は、逆光になって見えない。だがその視線が持つ温度は、人の持ち得るものではないと、ハルアキは感じた。

 零はゆっくりとハルアキに近付く。ハルアキは限界まで石壁に身を寄せ、震える目で長身を見上げた。
 零は濡れた長髪の先から雫を落としながら、ハルアキに視線を合わせる。
「床が濡れていましたのでね、つい足を滑らせて、転んだ拍子に頭を打ったようです。心配させてしまいましたね」
 華奢な指が、癖のある髪をポンと撫でた。真正面から見た零の表情は、いつものように柔和なものだった。

「…………」
 体が震えるのは、水の冷たさが体の芯まで冷やしているばかりではない。
 犬神零という存在の得体の知れなさが、彼に激しい恐怖心を抱かせているのだ。

 返事もできず、ハルアキはガタガタと歯を鳴らす。そんな彼に困ったような笑顔を零は向けた。
「濡れてしまいましたね……確か、柴又の駅前に古着屋がありました。そこで着替えて、温かいおかめそばでも食べましょうか」

 零の瞳は、いつもと変わらぬものになっている。その瞳の奥の彼の思惑を読もうと、ハルアキはじっと瞳孔を見据えた。

 零が己の正体を隠そうとするのは、彼の裏にある存在が原因であろう。
 太陰太極図――先程、零の瞳に見たアレがその存在を物語っているとすれば、とてもハルアキの手に負えるものではない。
 零を操るその存在は、自らの存在を知られた途端、零を殺すのか……。
 否、そうではない、
 自らの存在を知った者を消す――その方が効率的だ。
 だとすれば、零が見せたあの態度の理由――それは、ハルアキを守るために他ならない。

 ……そう、信じていいのだろうか?

 零は静かに、ハルアキの髪を撫でている。
 彼を見つめる表情は穏やかで……だが、目の奥にあるのは闇――決して触れてはならない、底なしの闇が漂っていた。

 零の指が止まる。
 静かに動いた唇から発せられた声は、氷点下の氷柱のように冷たかった。
「まだ分かりませんか? 何もなかったんですよ」
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