氷麗の騎士は私にだけ甘く微笑む

矢口愛留

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第六章 噂と疑念

1-31 勘違いなさらないで

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 呪力の測定を続けている魔道具研究室の三人を残して、私とウィリアム様は、オースティン伯爵邸の庭園を散歩していた。

 春になれば花が咲き、緑萌える美しい庭園なのだが、現在は一年で最も寒い季節。寂しい色合いがどうしても目を引いてしまう。
 夏は気持ちの良い飛沫を飛ばす白亜の噴水も、今は水量を減らしている。噴水に彫られた天使のオーナメントも、この寒空に縮こまっているようだ。

 灰色の空の下、コツコツと小さな足音だけを響かせながら、遊歩道の固い石畳を、距離をあけて歩く。

「風が冷たいね。ミア、寒くない?」

「ええ――」

 少しだけ振り返って尋ねたウィリアム様に、大丈夫だと答えようとしたところで、私は言葉を切り、足を止めた。

「……ミア?」

「……やっぱり、寒いです。あの……少し、おそばに行ってもよろしいですか?」

「――っ、ああ」

 私から言い出したくせに、恥ずかしくて顔から火を噴きそうになる。ウィリアム様のお顔が見れない。
 顔も上げないまま、私はちょこちょことウィリアム様の元に駆け寄り、彼が差し出してくれた腕にそっと手を添えた。

「……さっき……」

 腕を絡めて庭園を歩きながら、ウィリアム様はぼそりと呟く。

「……俺、ミアに、嫌われたかと思った」

「……そんなことは、ありませんわ。先程は……申し訳ありませんでした」

 謝罪をして初めて、私は顔を上げた。
 ウィリアム様の表情は、寂しそうで苦しそうで、ペリドットの色の瞳は不安に揺れていた。

「噂話を信じるつもりなどなかったが、つい、勘繰ってしまった。噂通り……、ミアには、他に好きな男がいるのかもしれないと」

「噂話……?」

 そういえば、ビスケ様も言っていた。社交界で、私に関する良くない噂が流れていると。

「……どんな噂なのか存じませんけれど、私は、ウィリアム様以外の男性に、特別な感情を抱いたことはございませんわ」

 ルゥ君のことは、確かに心に引っかかっている。けれど、彼に対する想いは、ウィリアム様に対するものとは全く違う。
 あの子に対するこの気持ちは……後悔と、罪悪感だ。
 手を離してしまったこと、自分だけ助かってしまったこと、何もできなかったこと……。

「それより……ウィリアム様こそ、幼い頃からずっと想い続けている方がいらっしゃると、伺いましたわ。その方を迎えに行かなくて、よろしいのですか?」

「幼い頃からの想い人……? ああ、なるほど……」

 ウィリアム様は、一瞬眉をひそめたが、納得したように頷いた。

 ――否定、しないのね。

 心が、再び急速に冷えていく。
 私は、ウィリアム様の腕に添えていた指を離し、立ち止まる。

「……やはり噂は、本当だったのですね。ウィリアム様、私やエヴァンズ子爵家に気を使わずとも、よろしいのですわよ」

「え? ああ、違う違う、そうじゃないんだ! 俺が愛しているのはミアだけなんだよ」

「……また、愛だなんてそんな軽々しく」

 慌てて否定されても、薄っぺらく感じてしまうだけだ。
 私って可愛げがないな、とも思うが、何故だか今日は彼のことが信じられない。
 私が手を振り払ってしまったのが原因とはいえ、ウィリアム様だって私を疑ったのだから、おあいこだ。

「……ミア、信じてもらえないかもしれないけど、俺の気持ちは、決して軽いものなんかじゃないよ」

 彼の声は低くて、小さくて、切なげで――消えてしまいそうだった。
 私は、うつむいていた顔を、少しだけ上げる。
 見上げた彼の瞳は、私の方に向いているのに……何故だか、どこか遠くを見ているように感じてしまう。

「ミア、君は、俺のことが嫌い……?」

「私は――」

 不安げに揺れる瞳。
 彼がどんな言葉を望んでいるのか、鈍感な私でも、わかる。

 けれど、それでも、まだ素直にその言葉を告げられそうな勇気も持っていないし、自分の気持ちもしっかり定まっていなかった。
 だから私は、半分だけ……今、はっきりとわかっている分だけ、自分の気持ちを伝えることに決めた。

「私は、ウィリアム様のこと、嫌いではありません。……ビスケ様に、嫉妬してしまうぐらいには」

「……嫉妬? ビスケに?」

「……はい。ウィリアム様が、ビスケ様に完全に心を許しているようにお見受けしましたので……それで、恥ずかしながら、お話に耳を傾ける余裕を失くしてしまいました」

「嫉妬……そうだったのか。ミア、誤解させてしまったようで、すまない。ビスケは、俺の――」

「ビスケ様ご本人から、聞きましたわ。……先程は、ウィリアム様と噂になっていたご令嬢がビスケ様なのかと勘繰ってしまい、一人で勝手に落ち込んでしまいました。申し訳ございません」

「それって、つまり――」

 ウィリアム様の瞳に、喜色が浮かぶ。
 けれど。

「勘違いなさらないで下さいませ」

 私は、ウィリアム様と目を合わせたまま、あえて厳しい態度で、ぴしゃりと言った。
 正直言って、私は今、機嫌が悪いのだ。
 私の心の中には、まだウィリアム様への疑念が渦巻いている。

 彼は、どういう意図で私がそう言ったのか測りかねて、混乱しているようだった。

「――私、前に、言いましたよね。よく知らない方を、好きになることはできないと」

 ウィリアム様の目をしっかりと覗き込む。
 逃げないでと伝わるように。私の怒りが、疑念が、伝わるように。

「ウィリアム様、私に隠していること、たくさんありますよね? 魔法のお話はたくさんして下さるのに、ご自身のことをあまり話して下さらないのは、どうしてですか? 噂になっているご令嬢のことを否定しないのは、どうしてなのですか?」

 ウィリアム様は、言葉に詰まった。明らかに狼狽うろたえている。
 だが、私は言葉を続けた。もう、止まらなかった。
 口に出すことで、自分が何に対して怒っているのか、ようやくわかってきた。

「どうして私は……ウィリアム様の好きな食べ物も、好きな花も、好きな場所も……何一つ知らないのですか? そもそも、私のことを、どのくらい知って下さっているのですか? 私がレモンティーよりミルクティーの方が好きなこと、ご存知でしたか? こんなにも距離があるのに、私に、あなたの妻が務まりますか?」

「……ミア、それは……」

 ウィリアム様は、私を見ているようで、何か別のものを見ているような時があった。
 それが何なのかはわからない。もしかしたら、聖魔法に対する興味の方が勝っていて、『ミアという人間』のことなんて二の次なのかもしれない。

 これは何となくだが、そもそもウィリアム様は、他人への関心が薄いようだ。
 人とのコミュニケーションがあまり得意ではなくて、けれど何か話さなくてはいけないと感じて――それでついつい、自分一人でも話を広げられる、魔法の話題ばかりを出していたのだろう。
 婚約当初の冷たい態度も、そうだったとしたら納得がいく。あの頃は、そもそも、私と会話しようとすら思っていなかっただろう。

 そして、聞かれなければ会話のタネになることもない。
 だから、私はウィリアム様自身のことを、いまだに深く知らない。
 ウィリアム様も、私のことを、きっと知らない。

「だから……歩み寄りましょう。私も、頑張りますから……これから私を妻にするというのなら、ウィリアム様の世界に、どうか私も混ぜてください」

 これからの人生、きっと色々な問題が起こるだろう。
 私とウィリアム様が協力して立ち向かわなくてはならないことも、あるに違いない。
 その時、私とウィリアム様の間に大きく距離があいていたら、悪い方に転がってしまうことだってあるはずだ。

 彼は、一人で何でも解決して、自分の中で完結させてしまうようなところがある。
 ここのところ立て続けに起きている問題に向き合う時だって、そうだ。

 だから、はっきり言わないと伝わらないのだろう。
 教えてほしいと。頼ってほしいと。巻き込んでほしいと。

 守ってもらうばかりでなく、互いに支え合うのが、夫婦として正しい形のはずだ。

「……そう、だよな。俺の言葉も、努力も、足りなかったよな」

 私は、庭に出てから、ウィリアム様の一人称がずっと『俺』であることに気付いていた。
 彼も、私と同様、余裕をなくしているらしい。

「……少し時間をあけて、落ち着いてお話しましょう。私もウィリアム様も、今は心に余裕がなさすぎるみたいですから」

「……ああ、そうだね。それがいい」

 ウィリアム様も、納得してくれたようだ。
 やはり重たいままの空気を背負ったまま、私たちは魔法師団の三人が待つサロンへと、足を向けたのだった。
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