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1話 幼馴染
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◆◆◆
人生というのは、何が起こるか分からない。
何気ない日常というのは突如、何の前触れもなく、いとも簡単に崩壊するものだ。
困った時だけ神様に助けを求めても、都合よく奇跡なんて起こらない。
『 速報 有澤ロイヤル株式会社 倒産 』
ぽろりと手のひらからリモコンが滑り落ち、足の小指に直撃した。
しかし痛みの感覚はない。感じている余裕さえなかった。
放心したあと、おそるおそるテレビに顔を近づける。この日本で同じ名前の会社があることなんて珍しくもないだろう。もしかしたら自分の勘違いかもしれない。
(だめだ。うちのビルだ……)
しかし奇跡は起こらなかった。自社ビルが全国放送のニュースで大きく映し出されている。
もう言い訳は思い浮かばない。昨日遅くまで残っていた後輩が、明日会社潰れたらいいのに、と恨みがましく呟いていたことを思い出す。まさかあいつが何かやらかしてしまったのではないかと一瞬頭を過ったぐらいだった。
(あの子、大丈夫かな)
人の心配をしている場合ではないのだが、もはやあまりにも突然すぎる自体に頭が追いつかなかった。
大手リゾート企業 有澤ロイヤル株式会社
マーケティング部へ配属 朝倉 千秋
入社四年目。夏から念願のハワイ支部へ転勤決定。
キャリアを積み、女性初のハワイ支部支店長(予定)。
現地で多くのリゾートホテルを成功させ、ハワイ永住(予定)。
……もう一度言おう。
人生というのは、何が起こるか分からない。
⇔
有澤ロイヤル 本社
昨日と同じ景色が、今日はまるで別世界のように見える。活き活きとしていた社員も、背筋が曲がりふらふらとゾンビのようにフロアを徘徊している。
まるでバイオハザードの世界に来てしまったかのようだ。最もTウイルスに感染しているのはうちの社員だけのようだが。
挨拶をしても返事はなし。むしろ聞こえているかさえ怪しい。ふと周りを見渡せば、隣の部署は仕事をしているふりをして求人サイトを開いているし、なんならデスクの片づけをしている者さえ居る。ただひとつ共通して言えるのは、全員生気が感じられないということ。
自分の席に深く腰掛けて一度大きく深呼吸した。始業五分前、隣の後輩はまだ来ていない。よく見ればところどころ空席が目立つ。まだ出勤しているだけ頭は冷静なのかもしれない。
奥のフロアではすでに荷物整理が始まっていた。朝一番に弁護士軍団が現われ、差し押さえの紙をお札のように容赦なく貼っていったそうだ。
「朝倉先輩、おはようございます……」
「おはよう山岸」
ふらついた足取りで山岸が隣の椅子を引いた。
昨日、会社潰れればいいのに発言をしていた本人だ。
良かった。なんとかここまでたどり着けたらしい。だがそのまま机に突っ伏して動かなくなってしまう。
「先輩、違うんです、俺じゃないっす……」
「分かってるわよ、そんなこと」
「まさか本当に潰れるなんて……」
「シッ」
慌てて山岸の言葉を止めた。フロアの雰囲気からしてその話は完全にタブーだ。
みんな分かっていても口には出さない。
「朝倉さん、転職するなら俺も連れてってください……地方でも海外でもどこでもついて行きますから」
「ばか。まだ決まったわけじゃないでしょ。しゃきっとしなさい」
うなだれる山岸の肩をぽんと叩く。とは言ったものの、私もまだ動揺のほうが大きい。
(これからどうなるんだろ)
テレビで自社の倒産を知るぐらいなのだ。当然、私たちにはまだ何の情報も回ってきていない。
右隣の上司がいないということは、今ごろ上層部が今後の方針について緊急会議を行っているのだろう。だがなんとなく検討はついている。
ようやく掴んだはずのハワイ勤務。
ここまで上り詰めるのにどれだけ苦労したか――思い出すだけでもため息がでる。
新卒の頃は、フレッシュさがないと上司にこっぴどく怒られ続けて我慢する日々。
それも社内でもハズレと呼ばれるほど新人潰しで有名な上司だった。
耐えに耐えて二年目。新しい上司に変わったのだ。手腕で勤続年数や年齢関係なく、新しい意見はどんどん取り入れ、見事なまでに業績を伸ばしていった。仕事で最も大切なことは人間関係とはよく言ったものである。まさにその通りだ。その日から劇的なまでに仕事のやり方が変わった。おかげで私――朝倉千秋はありがたいことに高く評価され、この夏念願のハワイ支部へ転勤が決まっていたのである。
(それなのに……誰か夢だと言って)
気丈に振舞おうとするも、パソコンの電源を入れる気力すらわかない。
会社がギリギリ機能している以上、今日から無職になるということわけではなさそうだが、時間の問題だ。当然だがハワイ行きの話はなかったことになるに違いない。
(念願のハワイが……)
若いうちから海外勤務が可能。
その決め文句に引かれてこの会社に就職したというのにあんまりだ。
幼い頃、家族旅行で訪れた思い出の場所。
あの地で働くことが昔からの夢だったのに、ようやく手にした切符はただのちり紙のように消えていく。
(いっそ、向こうで仕事を探す?)
だが、仕事がすぐ見つかるとは限らない。
結局先のことを考えて何もできない自分にも腹が立つ。
だからこそこうやって足場を固めて、向こうで暮らすはずだった。
(はーーーーー私の意気地なし!)
ドンッと机を叩く。周りの何人かが驚いてこちらを見るが、そんなことはどうでもよかった。
その時だった。ゾンビ化していたフロアが一瞬、緊張感に包まれる。全員ピンと背筋を張ってある一点に視線を向けた。
緊急会議が終わったのだ。中からぞろぞろとお偉い方々が姿を現す。だが妙な違和感があった。
てっきり先行きのない話をしていたとばかり思っていたが、皆笑いあっているのだ。
不思議に思いつつ首をかしげていると、斎賀さんの姿が見えた。
「斎賀さん。おはようございます」
「おはよう、朝倉」
すらりと伸びた長い足がこちらへ向く。
さらりと清潔感のある黒髪が揺れて、今日もチャコールグレーのスーツがよく似合っている。
斎賀さんが通るだけで女性社員の目の色が変わるのが分かる。
正直、この人を拝みに出勤している女性も多いだろう。
彼が今の上司――斎賀 理人。
アメリカ帰りの帰国子女。容姿端麗、品性高潔、切れ長の瞳が特徴的で一部の女性社員からは騎士様(ナイト)と呼ばれている。
以前、階段から落ちた女性社員をお姫様抱っこで助けたことが由来らしいが、本人はその話を知って珍しく大笑いしていたものだ。
騎士というより魔王じゃないですか、と突っ込んだ山岸に容赦のない鉄槌をくらわせていたが、私も同意見だったのは内緒だ。
他部署からはクールだと評判の斎賀さんだが、案外よく笑うし何より後輩思いの良い上司だ。この人の下で働けることが何よりも光栄だった。
「あの、今の会議って……」
「ああ。お前も知ってると思うが今朝のことだ」
「そうですよね……」
「悪いな、こんなことになって」
「斎賀さんのせいじゃありませんから」
なるべく口角を持ち上げて、にこっと笑顔を作った。
受け入れられないのは私だけじゃない。斎賀さんだって同じだ。
だが斎賀さんの表情は暗いままだった。何かと戦うように眉をひそめて、じっと私を見つめる。
「……朝倉、悪いが一緒にきてくれないか」
「え? 私ですか?」
思わず間抜けな声が漏れて、自分を指さした。
フロア出入り口にいる役員がなぜか私を手招きしている。
それも一人や二人ではない。怪しい、とても純粋とはいえない笑顔で一斉にこちらを見ているのだ。
「先輩、なにかやらかしたんっすか?」
「んなわけないでしょ!」
戸惑いを隠せないまま、とりあえず荷物をまとめて斎賀さんを見上げる。
「あの、どこへ……?」
「悪い。事情は後で話すから」
気持ち悪い笑顔を浮かべる役員とは違って、斎賀さんは神妙な面もちだった。
――嫌な予感がする。
むしろ嫌な予感しかしない。
だが当然、拒否権などあるはずもなく無言のままあとを追いかけた。
⇔
倒産が決まっても、たった六人でタクシー三台。
いやいや、二台でいけるだろうと思いつつも、役員には口出しできない。
幸い斎賀さんと同乗だったが、いつもは明るい斎賀さんが何も話してこない。
ちらっと横目に様子を伺う。相変わらず口元には笑顔が無い。こんな恐い斎賀さんは初めてだった。
「あの……私、何かやらかしました?」
おそるおそる問いかける。心当たりはないというのに、両手が小刻みに震えてしまう。
まさか今回の倒産危機は自分になにか失態があったのかもしれない。そのせいで斎賀さんまで責任を負うことになったとか。
嫌な想像はみるみるうちに膨らんでいき、顔が青ざめていく。
(私だけならともかく、斎賀さんにまで迷惑をかけてたら……)
斎賀さんは私の実力を買ってくれた人 だ。この人のおかけで今の自分がいるのだ。
そんな人に恩を仇で返すようなまねだけはしたくない。
「いや、そうじゃ――」
「責任なら私が取ります!」
斎賀さんの声を遮って、車内に大声が響く。
さすがの斎賀さんも目を丸くしていた。
「ごめんなさい、私何かやってしまったんですよね? そのせいで、斎賀さんまで……」
「違う。そうじゃないんだ朝倉」
「大丈夫です。斎賀さんにこれ以上迷惑はかけませんから」
「落ち着け朝倉。お前は悪くない、悪いのは――」
その時だった。右折したところでタクシーが止まる。
けれど斎賀さんは中々降りようとしなかった。話はいったん途切れ、車内で沈黙が流れる。
「朝倉、俺はお前を……」
喉奥からひねり出すような声だった。だがその言葉の続きを聞けないまま、急かすように窓をノックされる。それはまるで逃げ道を防ぐように。
それでも斎賀さんは中々動かなかった。辛そうな表情でじっと見つめられ、思わず息をのむ。
(なに……?)
車内が静寂に静まり返る。ミラー越しに運転手が早く降りろと視線を送ってくるが気づかないふりをした。
斎賀さんは何かを言いかけては口を塞ぎ、結局そのまま料金を払うと私を連れ出した。
「ここって……」
連れてこられたのは、数年前に完成したばかりの高層オフィスビルだった。
数々の大手企業が本社を置き、ここに入ることが成功者の証とも言われている。
「さ、朝倉くんも来なさい」
「は、はぁ……」
訳も分からないまま機嫌の良い役員に案内される。本能が危険を察知するかのように足が重くて進まない。
まるで何かの生贄にされるような気分だった。だが退路はなく、黙ってついていくことしかできない。
「十時から相模リゾート株式会社社長とアポを取っております、有澤ロイヤルです」
「お待ちしておりました。どうぞお通りくださいませ」
(相模リゾート!?)
この業界で知らない人間はいない。近年急成長を遂げたリゾートホテル会社だ。
鬼才と呼ばれる若社長は、倒産寸前の旅館やホテルを買い取り、平安時代や江戸時代をコンセプトとした斬新な展開で国内外問わず人気が高い。
(その相模リゾートがなんで……?)
高層エレベーターで四五階まであがっていく。階数が増えていくごとに耳がキンと鳴って、心臓がうるさい。結局どういう事情で自分がここにいるのかサッパリ分からない。
だがこれが絶望へのカウントダウンのような気がしてならなかった。
チンと小さく音が鳴って、ゆっくりと扉が開く。
受付だけでも自社とは比べ物にならない広さに圧倒されたというのに、通されたのは社長室だった。いよいよ足の感覚がなくなって、くらりと眩暈がする。
(状況が全く飲み込めない)
まさかとは思うが、有澤ロイヤルが相模リゾートに買収されるのだろうか。
だがそうだとしても、自分がここに呼び出される理由が全く分からないのだ。一平社員である自分が。
それともやはり自分がとんでもない粗相をしてしまって、土下座させられるのだろうか。
いや、そうじゃない。ここで女は私だけだ。ということはまさか、枕営業的なことさせられ相模リゾートに取り入られようという作戦なのかもしれない。
(冗談じゃないわ!)
そう考えれば斎賀さんが負い目を感じて黙り込んでいたのも分かる。斎賀さんがそんなことを許すはずがない。当然、このニヤついた気味の悪い笑みを浮かべる上層部の仕業だろう。
つくづく古い企業体質に嫌気がさす。体を売るような真似なんかしてたまるか。
なんとかして逃げる手段を考えていた矢先、コンコンと控えめにノック音が響いた。
「お待たせて致しました」
相模リゾート社長。よく耳にするが実際どういう人物なのかは全く知らない。
一体どんな奴なのかと顔を拝んでやろうと思い、顔をあげたそのときだった。
「へ……!?」
重圧な空気が漂う中、なんとも間抜けな声が漏れた。
幻でも見ているのではないかと、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
(なんで、なんで、どうしてここに!?)
驚きのあまり声も出なかった。その男はうちの社長と握手を交わし、深く頭を下げた。
ひとつ、またひとつ隣の役員と握手を交わしていき、そしてその男はこちらへ近づいてくる。
そして呆然とする私に、にっこりと微笑んで優しくその手を差し出してきた。それはまるでエスコートする王子様のように。
若くして成功した近代のホテル王、相模リゾート社長。
その男の正体は――。
「久しぶり、ちーちゃん」
長年音信不通だった幼馴染――相模 悠だった。
人生というのは、何が起こるか分からない。
何気ない日常というのは突如、何の前触れもなく、いとも簡単に崩壊するものだ。
困った時だけ神様に助けを求めても、都合よく奇跡なんて起こらない。
『 速報 有澤ロイヤル株式会社 倒産 』
ぽろりと手のひらからリモコンが滑り落ち、足の小指に直撃した。
しかし痛みの感覚はない。感じている余裕さえなかった。
放心したあと、おそるおそるテレビに顔を近づける。この日本で同じ名前の会社があることなんて珍しくもないだろう。もしかしたら自分の勘違いかもしれない。
(だめだ。うちのビルだ……)
しかし奇跡は起こらなかった。自社ビルが全国放送のニュースで大きく映し出されている。
もう言い訳は思い浮かばない。昨日遅くまで残っていた後輩が、明日会社潰れたらいいのに、と恨みがましく呟いていたことを思い出す。まさかあいつが何かやらかしてしまったのではないかと一瞬頭を過ったぐらいだった。
(あの子、大丈夫かな)
人の心配をしている場合ではないのだが、もはやあまりにも突然すぎる自体に頭が追いつかなかった。
大手リゾート企業 有澤ロイヤル株式会社
マーケティング部へ配属 朝倉 千秋
入社四年目。夏から念願のハワイ支部へ転勤決定。
キャリアを積み、女性初のハワイ支部支店長(予定)。
現地で多くのリゾートホテルを成功させ、ハワイ永住(予定)。
……もう一度言おう。
人生というのは、何が起こるか分からない。
⇔
有澤ロイヤル 本社
昨日と同じ景色が、今日はまるで別世界のように見える。活き活きとしていた社員も、背筋が曲がりふらふらとゾンビのようにフロアを徘徊している。
まるでバイオハザードの世界に来てしまったかのようだ。最もTウイルスに感染しているのはうちの社員だけのようだが。
挨拶をしても返事はなし。むしろ聞こえているかさえ怪しい。ふと周りを見渡せば、隣の部署は仕事をしているふりをして求人サイトを開いているし、なんならデスクの片づけをしている者さえ居る。ただひとつ共通して言えるのは、全員生気が感じられないということ。
自分の席に深く腰掛けて一度大きく深呼吸した。始業五分前、隣の後輩はまだ来ていない。よく見ればところどころ空席が目立つ。まだ出勤しているだけ頭は冷静なのかもしれない。
奥のフロアではすでに荷物整理が始まっていた。朝一番に弁護士軍団が現われ、差し押さえの紙をお札のように容赦なく貼っていったそうだ。
「朝倉先輩、おはようございます……」
「おはよう山岸」
ふらついた足取りで山岸が隣の椅子を引いた。
昨日、会社潰れればいいのに発言をしていた本人だ。
良かった。なんとかここまでたどり着けたらしい。だがそのまま机に突っ伏して動かなくなってしまう。
「先輩、違うんです、俺じゃないっす……」
「分かってるわよ、そんなこと」
「まさか本当に潰れるなんて……」
「シッ」
慌てて山岸の言葉を止めた。フロアの雰囲気からしてその話は完全にタブーだ。
みんな分かっていても口には出さない。
「朝倉さん、転職するなら俺も連れてってください……地方でも海外でもどこでもついて行きますから」
「ばか。まだ決まったわけじゃないでしょ。しゃきっとしなさい」
うなだれる山岸の肩をぽんと叩く。とは言ったものの、私もまだ動揺のほうが大きい。
(これからどうなるんだろ)
テレビで自社の倒産を知るぐらいなのだ。当然、私たちにはまだ何の情報も回ってきていない。
右隣の上司がいないということは、今ごろ上層部が今後の方針について緊急会議を行っているのだろう。だがなんとなく検討はついている。
ようやく掴んだはずのハワイ勤務。
ここまで上り詰めるのにどれだけ苦労したか――思い出すだけでもため息がでる。
新卒の頃は、フレッシュさがないと上司にこっぴどく怒られ続けて我慢する日々。
それも社内でもハズレと呼ばれるほど新人潰しで有名な上司だった。
耐えに耐えて二年目。新しい上司に変わったのだ。手腕で勤続年数や年齢関係なく、新しい意見はどんどん取り入れ、見事なまでに業績を伸ばしていった。仕事で最も大切なことは人間関係とはよく言ったものである。まさにその通りだ。その日から劇的なまでに仕事のやり方が変わった。おかげで私――朝倉千秋はありがたいことに高く評価され、この夏念願のハワイ支部へ転勤が決まっていたのである。
(それなのに……誰か夢だと言って)
気丈に振舞おうとするも、パソコンの電源を入れる気力すらわかない。
会社がギリギリ機能している以上、今日から無職になるということわけではなさそうだが、時間の問題だ。当然だがハワイ行きの話はなかったことになるに違いない。
(念願のハワイが……)
若いうちから海外勤務が可能。
その決め文句に引かれてこの会社に就職したというのにあんまりだ。
幼い頃、家族旅行で訪れた思い出の場所。
あの地で働くことが昔からの夢だったのに、ようやく手にした切符はただのちり紙のように消えていく。
(いっそ、向こうで仕事を探す?)
だが、仕事がすぐ見つかるとは限らない。
結局先のことを考えて何もできない自分にも腹が立つ。
だからこそこうやって足場を固めて、向こうで暮らすはずだった。
(はーーーーー私の意気地なし!)
ドンッと机を叩く。周りの何人かが驚いてこちらを見るが、そんなことはどうでもよかった。
その時だった。ゾンビ化していたフロアが一瞬、緊張感に包まれる。全員ピンと背筋を張ってある一点に視線を向けた。
緊急会議が終わったのだ。中からぞろぞろとお偉い方々が姿を現す。だが妙な違和感があった。
てっきり先行きのない話をしていたとばかり思っていたが、皆笑いあっているのだ。
不思議に思いつつ首をかしげていると、斎賀さんの姿が見えた。
「斎賀さん。おはようございます」
「おはよう、朝倉」
すらりと伸びた長い足がこちらへ向く。
さらりと清潔感のある黒髪が揺れて、今日もチャコールグレーのスーツがよく似合っている。
斎賀さんが通るだけで女性社員の目の色が変わるのが分かる。
正直、この人を拝みに出勤している女性も多いだろう。
彼が今の上司――斎賀 理人。
アメリカ帰りの帰国子女。容姿端麗、品性高潔、切れ長の瞳が特徴的で一部の女性社員からは騎士様(ナイト)と呼ばれている。
以前、階段から落ちた女性社員をお姫様抱っこで助けたことが由来らしいが、本人はその話を知って珍しく大笑いしていたものだ。
騎士というより魔王じゃないですか、と突っ込んだ山岸に容赦のない鉄槌をくらわせていたが、私も同意見だったのは内緒だ。
他部署からはクールだと評判の斎賀さんだが、案外よく笑うし何より後輩思いの良い上司だ。この人の下で働けることが何よりも光栄だった。
「あの、今の会議って……」
「ああ。お前も知ってると思うが今朝のことだ」
「そうですよね……」
「悪いな、こんなことになって」
「斎賀さんのせいじゃありませんから」
なるべく口角を持ち上げて、にこっと笑顔を作った。
受け入れられないのは私だけじゃない。斎賀さんだって同じだ。
だが斎賀さんの表情は暗いままだった。何かと戦うように眉をひそめて、じっと私を見つめる。
「……朝倉、悪いが一緒にきてくれないか」
「え? 私ですか?」
思わず間抜けな声が漏れて、自分を指さした。
フロア出入り口にいる役員がなぜか私を手招きしている。
それも一人や二人ではない。怪しい、とても純粋とはいえない笑顔で一斉にこちらを見ているのだ。
「先輩、なにかやらかしたんっすか?」
「んなわけないでしょ!」
戸惑いを隠せないまま、とりあえず荷物をまとめて斎賀さんを見上げる。
「あの、どこへ……?」
「悪い。事情は後で話すから」
気持ち悪い笑顔を浮かべる役員とは違って、斎賀さんは神妙な面もちだった。
――嫌な予感がする。
むしろ嫌な予感しかしない。
だが当然、拒否権などあるはずもなく無言のままあとを追いかけた。
⇔
倒産が決まっても、たった六人でタクシー三台。
いやいや、二台でいけるだろうと思いつつも、役員には口出しできない。
幸い斎賀さんと同乗だったが、いつもは明るい斎賀さんが何も話してこない。
ちらっと横目に様子を伺う。相変わらず口元には笑顔が無い。こんな恐い斎賀さんは初めてだった。
「あの……私、何かやらかしました?」
おそるおそる問いかける。心当たりはないというのに、両手が小刻みに震えてしまう。
まさか今回の倒産危機は自分になにか失態があったのかもしれない。そのせいで斎賀さんまで責任を負うことになったとか。
嫌な想像はみるみるうちに膨らんでいき、顔が青ざめていく。
(私だけならともかく、斎賀さんにまで迷惑をかけてたら……)
斎賀さんは私の実力を買ってくれた人 だ。この人のおかけで今の自分がいるのだ。
そんな人に恩を仇で返すようなまねだけはしたくない。
「いや、そうじゃ――」
「責任なら私が取ります!」
斎賀さんの声を遮って、車内に大声が響く。
さすがの斎賀さんも目を丸くしていた。
「ごめんなさい、私何かやってしまったんですよね? そのせいで、斎賀さんまで……」
「違う。そうじゃないんだ朝倉」
「大丈夫です。斎賀さんにこれ以上迷惑はかけませんから」
「落ち着け朝倉。お前は悪くない、悪いのは――」
その時だった。右折したところでタクシーが止まる。
けれど斎賀さんは中々降りようとしなかった。話はいったん途切れ、車内で沈黙が流れる。
「朝倉、俺はお前を……」
喉奥からひねり出すような声だった。だがその言葉の続きを聞けないまま、急かすように窓をノックされる。それはまるで逃げ道を防ぐように。
それでも斎賀さんは中々動かなかった。辛そうな表情でじっと見つめられ、思わず息をのむ。
(なに……?)
車内が静寂に静まり返る。ミラー越しに運転手が早く降りろと視線を送ってくるが気づかないふりをした。
斎賀さんは何かを言いかけては口を塞ぎ、結局そのまま料金を払うと私を連れ出した。
「ここって……」
連れてこられたのは、数年前に完成したばかりの高層オフィスビルだった。
数々の大手企業が本社を置き、ここに入ることが成功者の証とも言われている。
「さ、朝倉くんも来なさい」
「は、はぁ……」
訳も分からないまま機嫌の良い役員に案内される。本能が危険を察知するかのように足が重くて進まない。
まるで何かの生贄にされるような気分だった。だが退路はなく、黙ってついていくことしかできない。
「十時から相模リゾート株式会社社長とアポを取っております、有澤ロイヤルです」
「お待ちしておりました。どうぞお通りくださいませ」
(相模リゾート!?)
この業界で知らない人間はいない。近年急成長を遂げたリゾートホテル会社だ。
鬼才と呼ばれる若社長は、倒産寸前の旅館やホテルを買い取り、平安時代や江戸時代をコンセプトとした斬新な展開で国内外問わず人気が高い。
(その相模リゾートがなんで……?)
高層エレベーターで四五階まであがっていく。階数が増えていくごとに耳がキンと鳴って、心臓がうるさい。結局どういう事情で自分がここにいるのかサッパリ分からない。
だがこれが絶望へのカウントダウンのような気がしてならなかった。
チンと小さく音が鳴って、ゆっくりと扉が開く。
受付だけでも自社とは比べ物にならない広さに圧倒されたというのに、通されたのは社長室だった。いよいよ足の感覚がなくなって、くらりと眩暈がする。
(状況が全く飲み込めない)
まさかとは思うが、有澤ロイヤルが相模リゾートに買収されるのだろうか。
だがそうだとしても、自分がここに呼び出される理由が全く分からないのだ。一平社員である自分が。
それともやはり自分がとんでもない粗相をしてしまって、土下座させられるのだろうか。
いや、そうじゃない。ここで女は私だけだ。ということはまさか、枕営業的なことさせられ相模リゾートに取り入られようという作戦なのかもしれない。
(冗談じゃないわ!)
そう考えれば斎賀さんが負い目を感じて黙り込んでいたのも分かる。斎賀さんがそんなことを許すはずがない。当然、このニヤついた気味の悪い笑みを浮かべる上層部の仕業だろう。
つくづく古い企業体質に嫌気がさす。体を売るような真似なんかしてたまるか。
なんとかして逃げる手段を考えていた矢先、コンコンと控えめにノック音が響いた。
「お待たせて致しました」
相模リゾート社長。よく耳にするが実際どういう人物なのかは全く知らない。
一体どんな奴なのかと顔を拝んでやろうと思い、顔をあげたそのときだった。
「へ……!?」
重圧な空気が漂う中、なんとも間抜けな声が漏れた。
幻でも見ているのではないかと、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
(なんで、なんで、どうしてここに!?)
驚きのあまり声も出なかった。その男はうちの社長と握手を交わし、深く頭を下げた。
ひとつ、またひとつ隣の役員と握手を交わしていき、そしてその男はこちらへ近づいてくる。
そして呆然とする私に、にっこりと微笑んで優しくその手を差し出してきた。それはまるでエスコートする王子様のように。
若くして成功した近代のホテル王、相模リゾート社長。
その男の正体は――。
「久しぶり、ちーちゃん」
長年音信不通だった幼馴染――相模 悠だった。
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