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最終話 未来への証明
しおりを挟む温もりとともに目を覚ました。
まだ夢と現実の区別がつかないまま、ぼんやりと視界が広がっていく。
「おはよう、ちーちゃん」
「お、はよ……」
腕の中にそっと抱かれていた。愛おしむように髪を撫で、悠がふわっと微笑みを浮かべる。
心地よい体温にまた、うとうとと瞼が閉じそうになってしまう。
けれど覚醒し始めた頭が昨夜の記憶を呼び起こすと、一気に目が覚めた。
恥ずかしくて死んでしまいそうだ。思わずシーツを引っ張り上げて、何も身に纏っていない身体を隠す。
そのままくるりと体を反転させると、背後から抱きしめられてしまった。
「かわいいなあ」
「う、うるさい……」
「だって本当のことだもん」
返事に困って黙り込む。こういうときどうすればいいのか分からない。
けれど背中に触れる熱を振りほどく気にもなれず、ただ少し緊張して体が強張った。
「まだ夢を見てるみたい、ちーちゃんが俺の傍にいてくれるなんて」
その声があまりにも嬉しそうだったから、不覚にもキュンとしてしまった。
「……いるわよ、ちゃんと」
自分の変化に戸惑いながらも小さな声でそう呟くと、妙な沈黙が流れる。
「ねえ、こっち向いて」
「や、やだ……」
「お願い。キスしたい」
強引に体を反転させられ、目前に悠の顔が迫る。逃げ出そうとするとあっけなく両手を掴まれて、そのまま唇を塞がれた。
「んっ……!」
ちゅ、と短い音がして離れたあと、もう一度深く口付けられる。息をする余裕もなく舌を絡め、体の力が抜けていく。
頭がふわふわと浮く。そのまま身を預けてしまえば、悠の手がさらりと髪を撫でた。
やがて名残惜しそうに唇が離れていくと、幸せそうに微笑む悠と目が合う。
「可愛い、ちーちゃんだいすき」
子どものように無邪気に抱きしめられて、抵抗する気力もなくす。
髪を撫でたり、頬にキスを落としたり、しばらく悠の好きにさせていると、そろそろ起き上がらないといけない時間だった。
「ほら、もう準備しなきゃ」
「もうちょっとだけ」
「だめ。笹桐さんに迷惑かかっちゃうでしょ。朝ごはん作ってあげるから」
「やった。ちーちゃんの手料理だ」
ころっと表情を変えて素直にリビングへ向かう。
軽食ぐらいなら作る時間もあるだろう。冷蔵庫の中から適当な食材を取り出して、珈琲を淹れる。
ダイニングテーブルに並べて二人で手を合わせると、悠が美味しそうに頬張った。
(うん。美味しくできたはず)
以前は悠に任せっきりだったことを思い出し、恥ずかしくなる。
一人暮らし生活が長いおかげで、料理だけは上達したのが唯一の救いだった。
「これからはちーちゃんの手料理、毎日食べられるんだよね」
「え?」
唐突な一言にきょとんと首を傾げる。
「一緒に住もうよ」
「は!?」
「だめ……?」
子犬のように潤んだ瞳で見上げてくる悠に、うっと言葉をつまらせる。
たぶん今頃、顔が真っ赤だ。隠すように手で顔を覆うがもう遅い。
「か、考えとく……」
「ほんと? じゃあ次の休日は一緒に不動産に行こうね」
「だから気が早っ……!」
「行こうね絶対」
こちらの話などもう耳には入っていないのだろう。すっかりその気になっている悠に、これ以上は何を言っても無駄だ。
人間、諦めが肝心とはよく言ったものだ。
悠のことだ。どうせ次の休みで新居を決めてすぐに引っ越しが始まるだろう。
葛藤しながらも、すでに荷物をまとめておくことばかりが頭に過ぎる。
話を逸らすようにつけっぱなしのテレビに視線を向けた。天気予報が終わったあと、映し出されたのは美しいエメラルドグリーンのビーチだった。
よりにもよって今、ハワイ特集をするかと心のなかで苦笑する。けれどチャンネルを変える気にもなれず、何度も夢にまで見たその景色に、無意識に目を奪われる。
「……やっぱり、いつか行きたいな」
「ハワイ?」
「もう一度行けば、何か変わるかなって」
「じゃあ今度、二人で行こっか」
「それもいいかもね」
たとえ過去の楽園だったとしても、そこは確かに私の楽園だった。
変わらないものと、変わっていくものがある。
今はまだ全てを受け入れることはできないけれど、それでも私はあの楽園にずっと恋い焦がれていたのだ。
その気持だけは絶対に嘘じゃない。
もう逃げないと決めた。だからきっと大丈夫。
全てを受け入れて進んでいこう、自分のために。
(そのためには、もうひとつ向き合わなきゃいけないことがある)
スマホの画面に視線を落とす。
目を背けて、怖くて返事をすることができなかった。
けれどもう、逃げるわけにはいかない。
今夜会えますか、と短い言葉を返してそっと画面を閉じた。
⇔
夜――。
少し風が肌寒くて、木々が揺れる。
心は思っていたよりも落ち着いていた。人通りはほとんどなく、静寂が覆う。
こつこつとこちらへ近づいてくる足音に気づき、顔を持ち上げた。
「すみません、こんなお時間に」
「気にするな。仕事忙しいみたいだな」
現れた斎賀さんにぺこりとお辞儀をして、近くのベンチに腰掛ける。
唇が少し震えていた。何か話さなければと思うのに、言葉が出てこない。
斎賀さんは待っている。口元に薄ら笑みを浮かべて、じっと私を見つめる。
「……この前のお話なんですが」
向き合っているふりをして、ずっと逃げていた。そんな自分はもう終わりにしたい。
きっと、斎賀さんを傷つけてしまう。それでも私はちゃんと自分の言葉で伝えなきゃいけないんだ。
「斎賀さんのことは上司としてとても尊敬しています。でも……」
そこで一旦、言葉が止まる。沈黙が時間を止めると、やがて斎賀さんは苦笑して遠くの空を見上げた。
「そんな顔をするな、お前らしくない」
「え……?」
月明かりに眩しい笑顔が反射した。
宥めるようにくしゃりと頭を撫でられて、ぽかんと目を見開く。
「情けないのは俺の方だ。もっと早くお前を奪っておくべきだったな」
自嘲するようにそう漏らして、斎賀さんがベンチから立ち上がった。
「俺は向こうで待ってる。あの男に愛想を尽かしたらいつでも来い」
「斎賀さん……」
「頑張れよ、朝倉。俺はいつでもお前の味方だ」
そっと差し出された手に応えるように、立ち上がる。
「……はい、私も応援しています」
手を取って、握手を交わす。
斎賀さんは少し照れくさそうに笑っていた。
ゆっくりと手が離れて、斎賀さんが背を向けて歩きだす。
その背中を見つめていると、懐かしい思い出が次々と蘇ってきた。
「さようなら、斎賀さん……」
――どれだけ貴方に助けられたか。
一人で生きていくなんて甘えたことを言って、何も見えていなかった。
斎賀さんがいたからこそ、私はここまでやってこれたのだ。
もう二度と会えないかもしれない。それを選んだのは私自身だ。
遠ざかっていく姿を眺めながら、一筋の涙が頬を伝った。
「本当に、ありがとうございましたっ……」
もう届かない距離で、深く頭を下げた。
やがて斎賀さんの姿は見えなくなり、私はまたほんのすこしだけ泣いた。
◆◆◆
相模リゾート 社長室
「本日の予定は11時から社内会議、14時アリストン社と打ち合わせ、夜は――」
「ちーちゃんとイチャつく時間がない……」
「当たり前でしょ!」
デスクに突っ伏してうなだれる悠に喝を入れる。この男は仕事を一体なんだと思っているのだ。
(とはいえ、ここまで会社を大きくしたのは事実だし……)
悶々としながらため息をつくと、悠のデスクから何かが落ちた。
何気なく拾ったそのパンフレットを見て、はっと息を呑む。
「ハワイ挙式……?」
「今までのこと全部忘れるぐらい、最高の思い出になるでしょ?」
にっこりと微笑む悠に一瞬目を丸くしたあと、胸の内から愛おしさがこみ上げる。
言葉にできない感情が溢れて止まらない。きゅっと唇を結んで小さく頷くと、悠が近づいてくる。
「ちょ、ちょっと仕事中!」
「だってちーちゃん不足なんだもん」
――ずるい。
分かっているのだ、今なら断れないことを。
悠の思惑通りそれ以上抵抗する気にもなれず、唇が触れる直前――。
「ふたりとも28秒の遅刻ですよ! ……おや?」
笹桐さんが乱入し、慌てて悠を突き放した。
「なにかありましたか?」
「いえなんでもありません!」
時の流れは残酷だ。人の心を置いて、あっというまに過ぎていく。
けれど月日が経って初めて、向き合えるものがある。受け入れられる過去がある。
立ち止まって逃げ出してしまい時もあるけれど、今はもうひとりじゃない。
未来が待ってる。暗闇と葛藤を輝きに変えて、自分を信じた分だけ道は開いて前進していく。
「早く行くわよ、悠!」
「待ってよ、ちーちゃん!」
うなだれる悠の手を引っ張って、急ぎ足に会議へ向かう。
さあ今日も、忙しい1日が始まる――。
完
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>momo様
初めまして、南と申します。
作品を読んで下さりありがとうございます!
表紙の絵本当に素敵ですよね…!!私も凄く好きです^^
ゆっくりな連載で申し訳ないのですが、最後まで楽しんで頂ければ嬉しいです!
こうゆうお話、大好物です★ 今後の展開が楽しみです、ガツガツ更新してください! 毎日、楽しみにしてますので~~\(^_^)/
>シスター・オン・ザ・ブロック様
はじめまして、南と申します。
ご感想ありがとうございます!
毎回「これ面白いのかな…」と思いながら書いていたので
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>榎本 ぬこ様
はじめまして、南と申します。
ご感想いただき、本当に嬉しいです。ありがとうございます。
おっしゃる通り『いじめてあげる。』の篁アンナ先生です^^
アンナ先生には本当にお忙しい中、私の理想をこと細かく聞いて下さって
こんなにも素敵な表紙を描いて下さりました…!
表紙に劣らぬよう小説も頑張ってまいりますので
どうぞよろしくお願いいたします!