次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

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必要としてくれる人のために

一途な愛など存在しない

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 美しく着飾り夜会に出席することに心が浮きたったのはいつまでだろう? 

 エリザは義理で出席しなければならない夜会で一通りの挨拶をすませたあと、ワインを手に会場をながめていた。

 友人と話している夫の姿をみながら「老けたわね」思わずつぶやいていた。三歳年上の夫は五十という数字に近くなっている。年相応に貫禄がつき頭髪にも年齢があらわれている。

「それはお互い様というもの」

 エリザが見るともなく会場に視線をむけていると夫の元愛人の姿が目にはいった。

 半年前まで夫の愛人だった女はまだ三十代半ばだったはず。しっかりと肌を手入れしているのが遠目からでも分かるほど肌に艶があった。

 若い頃は夫の愛人への嫉妬で苦しんだが、結婚して二十年もたてば夫の愛人ときいても何の感情もうごかない。

 結婚した時は、両親の仲がよかったこともあり、政略結婚であっても愛をはぐくめるかもと期待していた。夫も結婚前にできれば愛ある関係をつくりたいといっていたので、両親のように温かい家庭をつくりあげられるのではと思っていた。

 しかしそのように思っていたのはエリザだけだったと気付いたのは、結婚して四年たった頃に夫に愛人ができたからだった。

「貴族の男に愛人がいるのは当然だろう。配偶者以外の異性との付き合いを制限する国教の教えを馬鹿正直に守って愛人をもたない男などいない」

「そもそも一生妻ひとりに縛りつける考え方がおかしい。

 友人で考えれば分かるだろう。友人は一人ではなく複数いるものだ。それぞれの友人に違った魅力がある。友人として好ましい気持ちを持つのは一人だけではない。

 素晴らしい人が世の中にはたくさんいる。それらの人に好意を持つのは普通のことだ。

 だから好きになる女性も一人であるわけがないだろう。君のことも好きだよ」

 エリザが夫のことを好きな理由のひとつが、自分とは違う考え方をするところだった。自分と違うことにつよく興味をひかれた。

 しかし時がたつにつれ考え方の違いによる衝突がふえた。そして夫が愛人がいることの何が問題なのだという態度をみせたことで、エリザは自分がいかに夫のことを分かっていなかったかを痛感した。

「夫婦関係に夢をもちすぎてはいけないといったでしょう」

 夫のことを相談した母が同情する視線をエリザにむけた。

「母上がうらやましい。父上のような一途な男性と政略結婚で出会えて」

 エリザが愚痴をこぼすと母は笑った。

「あら、あの人は愛人こそつくらなかったけど浮気はしていたわよ」

「嘘ですよね!? あの父上が?」

「そうよ。あの父上よ。もしかしたら愛人もいたのかもしれないけど私は気付かなかったわね」

 エリザは衝撃で口がきけなかった。

 エリザのそのような姿をみて母が無邪気な笑みをみせた。

「ごめんなさいね。あの人の印象を悪くして。でも男性なんてそんなものよ。あなたもいろいろ人の話を耳にしているでしょう?」

 エリザはふと目の前にいる母も浮気相手や愛人がいたのではと疑問をもったが、もし肯定されてしまうとこれまで両親にいだいてきた尊敬や憧れがすべて崩れてしまいそうで聞けなかった。

「父上の浮気に母上はどのように対処したのですか?」

 エリザが母に問うとエリザの母はつまらなそうな顔をし、「何もしなかったわよ」といった。

「何もしなかったとはどういうことですか?」

「言葉どおりよ、エリザ。浮気について知らないふりをして何もなかったことにしたの」

 父に愛され幸せそうだった母が隠していた苦しみをみたような気がした。

「私とあの人も政略結婚だから、浮気したり愛人をつくったりするのが普通だと思って結婚しているのよ。

 母上――あなたの祖母上のことね。母上からくどいほど夫に期待してはいけないといわれたわ。

 国の風紀をひきしめるため貴族が公然と愛人をもてなくなったからといって、人が突然品行方正になるわけではないもの」

 母がエリザの手をとり強くにぎった。

「あなたにも結婚に夢をもってはいけないと教えてきたつもりだけど、私とあの人が仲睦まじげにしていたから期待をもたせてしまったわよね」

 ため息をついた母が視線をおとした。

「あなたもこれから人の気持ちがうつろうことを痛感することが多くなるはずよ。

 政略結婚でなく好き合って結婚しても、気持ちが冷めたり、心変わりしたりするものなの。浮気されるのはつらいけど、そういうものと思うしかないの」

 エリザは自分が知らなかった両親の話をきき、自分が信じていたものが何だったのかと笑いたくなった。自分のことをしっかりした人間だと思っていたが、あっさり両親にだまされていた。

 両親の間にあると信じていた一途な愛は存在しなかった。

 そして自分と夫の間にあると思っていた愛も存在しなかった。エリザがあってほしいと願っていただけだった。

 それならばとエリザは夫へ期待することをやめた。夫と最低限にしか顔をあわせないようにし、夫を自分の意識の外へとおいやった。

 もともと夫は子にそれほど関心をもっておらず、家族として一緒にすごすことにこだわっていなかった。そのおかげでエリザが家族の時間をつくるようにしむけなければ顔をあわすことなくすんだ。

 そのような生活をするようになり一年たった頃に、夜会で知り合った男性からエリザは口説かれるようになった。エリザは甘い言葉をかけてもらっているうちに彼へと気持ちがかたむいているのを感じた。

 美しいとほめられ、熱のこもった目でみつめられ、好きだとささやかれる。意味ありげに手の甲に口づけられ気持ちが高揚した。

 少しでも美しくみえるようにと身につけるものすべてに気を配り、どのような髪型や化粧をすればほめてもらえるかと試行錯誤した。

 しかしエリザは一夜のたわむれも愛人をもつこともなかった。熱心に愛をささやいていた男が、他の女性に馴れ馴れしくしているのをみて一気に冷めた。

「しょせんお遊びよね。私がほしいのはこれじゃない。私がほしいのはお互いが大切な存在だと心から愛せる存在なのよ」

 エリザは悟った。自分がほしかったのは父の浮気をしる前に理想だと思っていた両親のような関係だった。お互いが一途に愛し合う関係だった。

 しかし――。そのような一途な愛は存在しない。

「私、どうすればよいのかしら?」

 グレイスの顔がうかんだ。グレイスもアーサー陛下と好き合って結婚したと思っていたが政略結婚で愛していないといわれた。

 エリザからみてアーサー陛下はグレイスに好意をもっていた。グレイスに会うと側からはなれず優しい目でみつめていた。

 それはエリザだけが思っていたわけではなく二人と近い関係にあった人達もそのように思っていた。

 それだけにアーサー陛下がグレイスに政略結婚でしかないといったと聞かされ本当におどろいた。愛していないといわれたグレイスの心の痛みを思うとアーサー陛下の頬のひとつもぶちたかった。

「世間知らずの子供だったから王子様に優しくされて舞いあがってしまったのよ」

 グレイスが無理をしてつくった笑顔があまりにも痛々しかった。

 もし本当にアーサー陛下がグレイスのことを好きではなく周囲にグレイスとの美しい恋物語を信じさせる必要があったのなら、グレイスにあらかじめ政略結婚であることと、王家にとって都合のよい話を流すことをいっておくべきだった。

 グレイスにはいえない複雑な理由があったのかもしれない。しかしグレイスの心をもてあそぶようなことをする必要が本当にあったのかと思う。

 グレイスにとってつらい状況ではあったが、グレイスにできることは自分のおかれた状況に適応するだけだった。自分の気持ちに折り合いをつけ、王太子妃としての仕事にはげみ、それまで以上に慈善活動に力をいれた。

「自分にできることをやるしかないわよね」

 グレイスは自分に求められていることをやる。そして自分がやりたいことをやる。自分がおかれた場所で出来ることをやるしかないと腹を括ったといったあとほほえんだ。

 エリザも自分にできることをやるしかない。自分を必要としている人達のために自分の時間や感情をつかえばよいのだと割り切った。

 エリザもグレイスと同じように育児と慈善活動に力をいれた。

 貴族の間で慈善活動は、高位爵位の家では寄付金をだすだけ、実際に孤児院などの施設にいき活動するのは子爵家や男爵家といった下位爵位の家だった。

 エリザの母は子爵家から伯爵家へ嫁いだこともあり、結婚後も慈善活動として孤児院へいっていた。そのため周囲から伯爵家にふさわしくないことをするなといわれてきた。

 しかしエリザの父が母の行動を認めたため、父方の祖母は不満をしめすことはあってもしぶしぶ目をつぶったという。

 母は自分の子供達にも孤児院で慈善活動するようつれていき、それがエリザからグレイスへとつながっていった。

 侯爵家の令嬢であったグレイスはエリザにつれられ孤児院へいくまで、孤児院の子供達がどのような環境におかれているのかをまったくしらなかった。

 一度いっしょにいってからグレイスは自分にできることをやりたいと強く思ったという。それは王太子妃となってもつづいた。

 わざわざ孤児院へいっての慈善活動に眉をひそめる人は多かったが、グレイスが慈悲深い王太子妃として王国民にしたわれるようになると、徐々にグレイスへの批判はうすらいでいった。

 しかしそれでも根強く現場へいくことに対する批判はのこり、エリザも人から物好きだと笑われたり、人からほめられたいだけの偽善だといわれた。

 しかしエリザは慈善活動をやめなかった。グレイスという同志がいることが大きかったが、偽善といわれようと自分の行動が誰かの助けとなっているのであればやるだけだ。

 助けを必要としている人にしてみれば、助けてくれる人が高尚な精神をもっていようが、自己満足の偽善であろうが、助けてくれるという行動にかわりはない。



 ふいに夫と元愛人の視線があったかと思うと、元愛人がこれみよがしに夫をさけたのが目にはいった。

 あの二人がなぜ別れたのかは知らないが、どうやら円満ではない別れ方をしたようだ。

 エリザはそのような二人をみても何も感じなかった。

 夫に対し家族としての情はあるが夫に愛をもとめる気持ちはすっかりなくなり、長い時間をかけて二人の間にあるのは穏やかな感情だけになっていた。

 三人いる子供達もあと数年で末の娘が結婚し全員が親の手から完全にはなれる。結婚の用意はいろいろと大変ではあるが、親としてやりとげたという達成感まであと一息だ。

 エリザは末の娘が結婚したあとのことを考える。王都にいる必要もなくなるので伯爵領へひっこみのんびりしようかと思っている。

 長年かかわってきた孤児院の職員や子供達に会えなくなるのはとても寂しい。しかし王都にいれば否応なく社交の義理を果たす必要があり何かとわずらわしい。

「こんな所にいたのか。そろそろ帰らないか?」

 まだ夜会は始まったばかりだ。夫がこれほど早く帰ろうというなどめずらしい。元愛人がくるのをしらず参加しばつが悪いのかもしれない。

 夫の手をとり夜会の主催者に挨拶をしたあと馬車へとむかう。

 夫の横顔をみながら「そういえば若い頃は夫の優しげな目が大好きだったな」と思い出す。

 いまとなっては夫としてだけでなく、家族の一員としての愛情もうすくなっており、夫をみてもただのくたびれた中年男性とおもうだけだった。

 爵位や権力、財力といったものから女性をひきつけることはできるだろうが、夫より若く見目などの条件がよい男性はいくらでもいる。昔とくらべ夫が浮気相手や愛人をさがすのはむずかしくなっているだろう。

 そのようなことを冷静に考えている自分に苦笑する。

 自分が理想とした夫婦関係はえられなかったが不幸ではなかった。子に恵まれ、婚家も実家も没落することなく自分がやりたいことをやってきた。十分幸せだ。

「久しぶりに二人でおいしいものを食べにいかないか?」

「あら素敵。新しくできたレストランに行きたいと思っていたのよ」

「モンテールだろう? ちょうどよかった。友人が出資していて席をおさえてくれた」

 夫が笑顔をみせた。

 エリザは夫の笑顔を間近で見たのが久しぶりなことに気付き、すっかりお互いの距離が遠くなってしまったと静かに思った。

 この距離が縮まることはない。それが二人にとっての快適な距離だから。

 エリザは夫としっかり視線をあわせ笑顔をかえした。
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