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第3章:広がる世界と、七歳の肖像
死神公爵の防衛戦・突撃する皇帝と逃走の街角――
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ロゼレイド公爵邸の最上階に近い一角。そこには、かつて「帝国の死神」の屋敷には存在しなかった、温かな色彩に満ちた部屋がある。
「アン、みて! このあめ、お空のいろみたい」
エレーナは、先日ヴィンセントが街で買い与えた青い飴玉を、窓から差し込む陽光に透かして見せていた。侍女のアンは、その宝石のような瞳と飴玉を見比べ、目尻を下げる。
「本当ですね、エレーナ様。公爵閣下が心を込めて選ばれたものですから、きっと格別に綺麗なのでしょう」
エレーナの細い指先には、まだ以前の過酷な生活を物語る小さな傷跡が残っている。しかし、ヴィンセントが屋敷に連れ帰り、帝国有数の医者を総動員して治療したおかげで、頬にはふっくらとした赤みが戻っていた。
「おにいさまたちは、まだお勉強?」
「はい。アルベルト様とジュリアン様は、アカデミーの課題を終わらせてから、エレーナ様と遊ぶと仰っていましたよ」
エレーナは「そっか」とはにかみ、ベッドの上に並べられたぬいぐるみの列を整え始めた。彼女にとって、この静かで安全な部屋こそが、生まれて初めて手に入れた「世界」だった。
同じ頃、一階の執務室では、ヴィンセントが不穏な気配を察知していた。
数日前、王宮で実兄である皇帝から「突撃予告」を受けて以来、彼は常に神経を研ぎ澄ませていた。そして、魔導通信機が悲鳴のような音を立てる。
『閣下! 緊急事態です! 陛下が先ほど、側近たちを捕まえて「5歳の女の子は何を贈れば喜ぶんだ?」と聞き回っておりました。それだけではありません。今しがた、制止も聞かずに「ちょっとヴィンセントの屋敷まで散歩してくる。あわよくばアイツのデレ顔を拝んでくる」と、お忍びの格好で門を飛び出されました!』
「……散歩だと? あの男、公務を何だと思っている」
ヴィンセントは通信を切ると、氷のような冷徹な瞳を光らせた。
「……あの、馬鹿兄貴が……!」
ヴィンセントは椅子を蹴るようにして立ち上がった。
皇帝は実の兄であり、昔からヴィンセントをからかうことに命を懸けているような男だ。もしエレーナに会わせれば、彼女の「視界共有」の能力がどう反応するか分からない。何より、あの騒がしい男にエレーナの純粋な心を毒されたくない。
「アルベルト! ジュリアン! 今すぐ来い!」
ヴィンセントの怒声に近い呼び出しに、隣室で勉強していた二人の息子が飛び出してきた。
「父上、敵襲ですか!?」
「資格ですか!?」
「皇帝だ! 刺客より厄介な奴が、すぐそこまで来ている。二人とも、今すぐエレーナを連れて裏門から街へ出ろ!」
「えっ、今からですか!?」
ジュリアンが驚くが、ヴィンセントの瞳はマジだった。
「陛下は正面から来る。お前たちはエレーナを抱えて、一般市民のふりをして街へ紛れ込め。いいか、あの子が『怖い』と思わないように、あくまで『お兄ちゃんとのお出かけ』だと思わせるんだ。これは命令であり、ロゼレイド家最大の防衛任務だ!」
「了解しました!」
二人の兄は、エレーナの部屋へと階段を駆け上がった。
「エレーナ! お出かけだ、準備はいいかい?」
アルベルトが息を切らして部屋に入ると、エレーナは不思議そうに小首を傾げた。
「お出かけ? でも、お外は……」
「大丈夫だよ、僕たちが一緒だ。今日は街で、一番甘くてキラキラした飴を買いに行こう」
ジュリアンが優しく微笑み、エレーナの小さな体を抱き上げる。エレーナは「わあ、おでかけ!」と喜び、アンが慌てて用意した厚手のコートに包まれた。
アルベルトの侍従とジュリアンの侍従が、それぞれの主人の影に隠れるように周囲を警戒し、総勢十名近い「脱出部隊」が裏門へと走る。
「おにいさま、みんなでおでかけ? おとうさまは?」
不思議そうに尋ねるエレーナに、ジュリアンが優しく嘘をついた。
「父上は、ちょっと『声の大きな珍客』の相手をしなきゃいけないんだ。僕たちは街で、パパへのお土産を探しに行こうね」
一団を乗せた、公爵家の紋章を隠した馬車が裏門から帝都の繁華街へ消えた、まさにその一分後――。
「ヴィーーンセーーンーーー! 来たぞぉーーー!!」
正面玄関の扉が、物理的に破壊されんばかりの勢いで開かれた。
玄関ホール。そこには、平民の服(といっても最高級の絹製)をこれでもかと着崩し、手には山のような贈り物を抱えた皇帝が立っていた。
「よお、ヴィンセント! お前のデレ顔を拝みに……って、なんだその顔は。お前、今にも人を斬りそうな顔してるぞ」
「……陛下。いえ、兄上。……不法侵入ですよ」
ヴィンセントは、玄関ホールのど真ん中で仁王立ちしていた。その背後からは、人一人通さないという「死神」の殺気が溢れている。
「硬いこと言うなよ! ほら、噂の『エレーナちゃん』はどこだ? 最高の飴細工と、特注のドレスを持ってきたんだ。一緒に選ぼうと思ってな」
「あいにくですが、エレーナは今、兄たちに連れられて街へ遊びに行きました。ちょうど今、出たところです」
「なんだと!? 貴様、余が来るのを読んで逃がしたな!?」
皇帝は鼻を鳴らした。実の弟の性格を熟知しているからこそ、その「先読み」も想定内だったらしい。
「いいかヴィンセント、余はお前が救ったその娘が、帝国にとってどれほど貴重な能力者かを知っている。保護したことには感謝もしている。だがな、あの冷徹な弟を『飴玉の言いなり』にさせたあの子に、兄として会わんわけにはいかんのだ!」
「……言いなりにはなっていません。保護……教育の一環です」
二人の間で激しい火花が散る。皇帝は屋敷の中を勝手に捜索し始めたが、エレーナの気配どころか、息子たちやメイドたちの気配さえ完全に消えていた。ヴィンセントは内心で「よし」と勝ち誇り、冷徹な執事のように兄の相手をし続けた。
その頃、帝都の中央広場。
アルベルトの侍従とジュリアンの侍従が一般市民に紛れて周囲を警戒する中、エレーナはアン、リサ、カレン、ニーナに囲まれて、夢のような時間を過ごしていた。
「みてみて! あめざいく、うさぎさん!」
「エレーナ様、あちらにはお花の飴もありますよ!」
カレンがぴょんぴょん跳ねて屋台を指差せば、リサが「食べ過ぎはいけませんよ」と釘を差しつつも、自分もこっそりエレーナの可愛さに鼻の下を伸ばしている。ニーナは「あぁ、幸せな光景ですねぇ」と、幸せそうに飴の袋を抱えていた。
アルベルトとジュリアンは、もしもの時に備えて少し離れた位置から目を光らせていたが、エレーナが楽しそうに笑うたび、自分たちの「任務」の重要性を再確認していた。
「……父上は大変だね、あの陛下を一人で相手にするなんて」
「ああ。でも、エレーナがこうして笑っていられるなら、僕たちは何度でも囮になるさ」
一方、屋敷では。
二時間以上も屋敷をひっくり返し、ヴィンセントに茶を三杯も淹れさせた皇帝が、ついに諦めてソファに倒れ込んでいた。
「……ちっ、逃げ足の速い奴らだ。侍従やメイドまで動員して、完全に余を撒きおったな」
「陛下、諦めてお帰りください。……エレーナが帰ってくるのは、日が暮れて陛下が執務室に戻らなければならない時間になりますから。これ以上遅くなれば、王宮のバッシュが胃を壊します」
「おのれ……! 次回は絶対に、予告なしで朝から突撃してやるからな!!」
捨て台詞を残して、嵐のように去っていく皇帝。その背中を見送り、ヴィンセントは勝利の余韻に浸りながら扉を閉めた。
夜の帳が下りる頃。
街から帰ってきたエレーナたちは、心地よい疲れに包まれていた。
玄関で待っていたヴィンセントは、真っ先にエレーナを抱き上げる。
「おかえり、エレーナ。……楽しかったか?」
「おとうさま! あのね、おにいさまたちと、キラキラの飴をたべたの! あと、リサたちと選んだの。これ、おとうさまにおみやげ!」
エレーナの小さな手から差し出された、半分溶けかけた小さな飴細工。
ヴィンセントは、それを受け取り、誰にも見せないような慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「ああ。……世界で一番、美しい飴だ。……アルベルト、ジュリアン。リサ、カレン、ニーナ、そしてアン。よくやった。今日は全員に特別手当を出す。ゆっくり休め」
「「「「「ありがとうございます!!」」」」」
屋敷に笑い声が響く。
「帝国の死神」は、愛娘の笑顔を守り抜くためなら、実の兄という名の「強敵」にさえ、何度でも立ち向かう準備ができていた。
あの日、雪の中で拾い上げた小さな命は、今やロゼレイド公爵家全体の「光」となり、鉄の団結力を作り上げていたのである
ロゼレイド公爵邸を風のように去った皇太后リサーナは、その足で王宮へと乗り込んだ。
彼女が向かったのは、政務を終えて「さて、次はどうやって弟(ヴィンセント)のガードを崩して、その『隠し子』を拝んでやろうか」と、不敵な笑みを浮かべていた皇帝の執務室である。
「おや、母上。お帰りなさい。旅行はどう……」
「この、出来損ないの長男!!」
扉が勢いよく開くと同時に、リサーナの怒声が室内に響き渡った。
皇帝は驚きすぎて、手に持っていた高級な万年筆を指から滑らせ、机の上にインクをぶちまけた。
「な、なんだいきなり! 母上、旅先で何か悪い精霊にでも取り憑かれたのですか!?」
「取り憑かれたのはあなたの脳みそよ! あなた、ヴィンセントがあんなに痛々しくも健気な『至宝』を抱えているのを知っていながら、なぜ私に真っ先に報告しなかったの!」
リサーナは扇子をバサリと閉じ、皇帝の胸元を突き刺すように指した。
「い、いや……報告も何も、余だってまだ会えていないんだ! この前もヴィンセントの奴に上手く逃げられて、屋敷で茶を三杯飲まされただけで帰されたんだぞ!」
「逃げられた? 笑わせないで。あんなに小さな子が屋敷にいるのに、見つけられなかったというの? あなたの目は飾りかしら? 皇帝としての観察眼はどこへ行ったのよ!」
「……えっ、母上。……まさか、もう会ったのか?」
皇帝が呆然と尋ねると、リサーナは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「ええ、会ったわよ。ヴィンセントがいなくても、あの子の方から私の前に現れてくれたわ。……あの子の瞳を見た? ヴィンセントがどれほどの覚悟であの子を守ろうとしているか、一目見れば、おちゃらけて『デレ顔を拝む』なんて下世話な遊びができるはずがないでしょうに!」
「……そ、そんなに凄い子なのか……」
「凄いどころじゃないわ。この母が、一瞬で『この子はロゼレイドの、いいえ帝国の宝だ』と確信したほどよ。それなのに、あなたは面白がってあの子を怖がらせるような真似ばかり考えて……! 兄として、もっと他にやるべきことがあるでしょう!」
リサーナの背後に立ち上る「真の支配者」のオーラに、皇帝は椅子の上で小さく縮こまった。
「わ、わかった……。次からはもっと慎重に、というか、真面目に対応する……」
「次なんてないわよ、あなたが不用意に近づいてあの子を泣かせたら、この母が容赦しませんからね。いいこと、ヴィンセントには私が『公認』を与えておきました。今後は帝国としても、あの子を全力で守りなさい。……それから、あの子に似合いそうな最高級の絹を王立の仕立屋に用意させなさい。もちろん、出し抜かれた罰として、あなたの私費でね」
「……会ってもいない娘の服を、余のポケットマネーで……?」
「当然よ。母を出し抜こうとした罰よ。さっさと手配なさい!」
リサーナは優雅に踵を返すと、満足げに部屋を去っていった。
一人残された皇帝は、飛び散ったインクを眺めながら、深いため息をついた。
「……やれやれ。母上に先を越された上に、財布まで軽くされるとは。……あの子、一体どんなに可愛いんだ? 逆に気になるじゃないか……」
こうして、ヴィンセントの知らないところで「エレーナ守護網」は、最強の母の手によって、より一層(そして皇帝の財布を犠牲にして)強固なものとなったのである
「アン、みて! このあめ、お空のいろみたい」
エレーナは、先日ヴィンセントが街で買い与えた青い飴玉を、窓から差し込む陽光に透かして見せていた。侍女のアンは、その宝石のような瞳と飴玉を見比べ、目尻を下げる。
「本当ですね、エレーナ様。公爵閣下が心を込めて選ばれたものですから、きっと格別に綺麗なのでしょう」
エレーナの細い指先には、まだ以前の過酷な生活を物語る小さな傷跡が残っている。しかし、ヴィンセントが屋敷に連れ帰り、帝国有数の医者を総動員して治療したおかげで、頬にはふっくらとした赤みが戻っていた。
「おにいさまたちは、まだお勉強?」
「はい。アルベルト様とジュリアン様は、アカデミーの課題を終わらせてから、エレーナ様と遊ぶと仰っていましたよ」
エレーナは「そっか」とはにかみ、ベッドの上に並べられたぬいぐるみの列を整え始めた。彼女にとって、この静かで安全な部屋こそが、生まれて初めて手に入れた「世界」だった。
同じ頃、一階の執務室では、ヴィンセントが不穏な気配を察知していた。
数日前、王宮で実兄である皇帝から「突撃予告」を受けて以来、彼は常に神経を研ぎ澄ませていた。そして、魔導通信機が悲鳴のような音を立てる。
『閣下! 緊急事態です! 陛下が先ほど、側近たちを捕まえて「5歳の女の子は何を贈れば喜ぶんだ?」と聞き回っておりました。それだけではありません。今しがた、制止も聞かずに「ちょっとヴィンセントの屋敷まで散歩してくる。あわよくばアイツのデレ顔を拝んでくる」と、お忍びの格好で門を飛び出されました!』
「……散歩だと? あの男、公務を何だと思っている」
ヴィンセントは通信を切ると、氷のような冷徹な瞳を光らせた。
「……あの、馬鹿兄貴が……!」
ヴィンセントは椅子を蹴るようにして立ち上がった。
皇帝は実の兄であり、昔からヴィンセントをからかうことに命を懸けているような男だ。もしエレーナに会わせれば、彼女の「視界共有」の能力がどう反応するか分からない。何より、あの騒がしい男にエレーナの純粋な心を毒されたくない。
「アルベルト! ジュリアン! 今すぐ来い!」
ヴィンセントの怒声に近い呼び出しに、隣室で勉強していた二人の息子が飛び出してきた。
「父上、敵襲ですか!?」
「資格ですか!?」
「皇帝だ! 刺客より厄介な奴が、すぐそこまで来ている。二人とも、今すぐエレーナを連れて裏門から街へ出ろ!」
「えっ、今からですか!?」
ジュリアンが驚くが、ヴィンセントの瞳はマジだった。
「陛下は正面から来る。お前たちはエレーナを抱えて、一般市民のふりをして街へ紛れ込め。いいか、あの子が『怖い』と思わないように、あくまで『お兄ちゃんとのお出かけ』だと思わせるんだ。これは命令であり、ロゼレイド家最大の防衛任務だ!」
「了解しました!」
二人の兄は、エレーナの部屋へと階段を駆け上がった。
「エレーナ! お出かけだ、準備はいいかい?」
アルベルトが息を切らして部屋に入ると、エレーナは不思議そうに小首を傾げた。
「お出かけ? でも、お外は……」
「大丈夫だよ、僕たちが一緒だ。今日は街で、一番甘くてキラキラした飴を買いに行こう」
ジュリアンが優しく微笑み、エレーナの小さな体を抱き上げる。エレーナは「わあ、おでかけ!」と喜び、アンが慌てて用意した厚手のコートに包まれた。
アルベルトの侍従とジュリアンの侍従が、それぞれの主人の影に隠れるように周囲を警戒し、総勢十名近い「脱出部隊」が裏門へと走る。
「おにいさま、みんなでおでかけ? おとうさまは?」
不思議そうに尋ねるエレーナに、ジュリアンが優しく嘘をついた。
「父上は、ちょっと『声の大きな珍客』の相手をしなきゃいけないんだ。僕たちは街で、パパへのお土産を探しに行こうね」
一団を乗せた、公爵家の紋章を隠した馬車が裏門から帝都の繁華街へ消えた、まさにその一分後――。
「ヴィーーンセーーンーーー! 来たぞぉーーー!!」
正面玄関の扉が、物理的に破壊されんばかりの勢いで開かれた。
玄関ホール。そこには、平民の服(といっても最高級の絹製)をこれでもかと着崩し、手には山のような贈り物を抱えた皇帝が立っていた。
「よお、ヴィンセント! お前のデレ顔を拝みに……って、なんだその顔は。お前、今にも人を斬りそうな顔してるぞ」
「……陛下。いえ、兄上。……不法侵入ですよ」
ヴィンセントは、玄関ホールのど真ん中で仁王立ちしていた。その背後からは、人一人通さないという「死神」の殺気が溢れている。
「硬いこと言うなよ! ほら、噂の『エレーナちゃん』はどこだ? 最高の飴細工と、特注のドレスを持ってきたんだ。一緒に選ぼうと思ってな」
「あいにくですが、エレーナは今、兄たちに連れられて街へ遊びに行きました。ちょうど今、出たところです」
「なんだと!? 貴様、余が来るのを読んで逃がしたな!?」
皇帝は鼻を鳴らした。実の弟の性格を熟知しているからこそ、その「先読み」も想定内だったらしい。
「いいかヴィンセント、余はお前が救ったその娘が、帝国にとってどれほど貴重な能力者かを知っている。保護したことには感謝もしている。だがな、あの冷徹な弟を『飴玉の言いなり』にさせたあの子に、兄として会わんわけにはいかんのだ!」
「……言いなりにはなっていません。保護……教育の一環です」
二人の間で激しい火花が散る。皇帝は屋敷の中を勝手に捜索し始めたが、エレーナの気配どころか、息子たちやメイドたちの気配さえ完全に消えていた。ヴィンセントは内心で「よし」と勝ち誇り、冷徹な執事のように兄の相手をし続けた。
その頃、帝都の中央広場。
アルベルトの侍従とジュリアンの侍従が一般市民に紛れて周囲を警戒する中、エレーナはアン、リサ、カレン、ニーナに囲まれて、夢のような時間を過ごしていた。
「みてみて! あめざいく、うさぎさん!」
「エレーナ様、あちらにはお花の飴もありますよ!」
カレンがぴょんぴょん跳ねて屋台を指差せば、リサが「食べ過ぎはいけませんよ」と釘を差しつつも、自分もこっそりエレーナの可愛さに鼻の下を伸ばしている。ニーナは「あぁ、幸せな光景ですねぇ」と、幸せそうに飴の袋を抱えていた。
アルベルトとジュリアンは、もしもの時に備えて少し離れた位置から目を光らせていたが、エレーナが楽しそうに笑うたび、自分たちの「任務」の重要性を再確認していた。
「……父上は大変だね、あの陛下を一人で相手にするなんて」
「ああ。でも、エレーナがこうして笑っていられるなら、僕たちは何度でも囮になるさ」
一方、屋敷では。
二時間以上も屋敷をひっくり返し、ヴィンセントに茶を三杯も淹れさせた皇帝が、ついに諦めてソファに倒れ込んでいた。
「……ちっ、逃げ足の速い奴らだ。侍従やメイドまで動員して、完全に余を撒きおったな」
「陛下、諦めてお帰りください。……エレーナが帰ってくるのは、日が暮れて陛下が執務室に戻らなければならない時間になりますから。これ以上遅くなれば、王宮のバッシュが胃を壊します」
「おのれ……! 次回は絶対に、予告なしで朝から突撃してやるからな!!」
捨て台詞を残して、嵐のように去っていく皇帝。その背中を見送り、ヴィンセントは勝利の余韻に浸りながら扉を閉めた。
夜の帳が下りる頃。
街から帰ってきたエレーナたちは、心地よい疲れに包まれていた。
玄関で待っていたヴィンセントは、真っ先にエレーナを抱き上げる。
「おかえり、エレーナ。……楽しかったか?」
「おとうさま! あのね、おにいさまたちと、キラキラの飴をたべたの! あと、リサたちと選んだの。これ、おとうさまにおみやげ!」
エレーナの小さな手から差し出された、半分溶けかけた小さな飴細工。
ヴィンセントは、それを受け取り、誰にも見せないような慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「ああ。……世界で一番、美しい飴だ。……アルベルト、ジュリアン。リサ、カレン、ニーナ、そしてアン。よくやった。今日は全員に特別手当を出す。ゆっくり休め」
「「「「「ありがとうございます!!」」」」」
屋敷に笑い声が響く。
「帝国の死神」は、愛娘の笑顔を守り抜くためなら、実の兄という名の「強敵」にさえ、何度でも立ち向かう準備ができていた。
あの日、雪の中で拾い上げた小さな命は、今やロゼレイド公爵家全体の「光」となり、鉄の団結力を作り上げていたのである
ロゼレイド公爵邸を風のように去った皇太后リサーナは、その足で王宮へと乗り込んだ。
彼女が向かったのは、政務を終えて「さて、次はどうやって弟(ヴィンセント)のガードを崩して、その『隠し子』を拝んでやろうか」と、不敵な笑みを浮かべていた皇帝の執務室である。
「おや、母上。お帰りなさい。旅行はどう……」
「この、出来損ないの長男!!」
扉が勢いよく開くと同時に、リサーナの怒声が室内に響き渡った。
皇帝は驚きすぎて、手に持っていた高級な万年筆を指から滑らせ、机の上にインクをぶちまけた。
「な、なんだいきなり! 母上、旅先で何か悪い精霊にでも取り憑かれたのですか!?」
「取り憑かれたのはあなたの脳みそよ! あなた、ヴィンセントがあんなに痛々しくも健気な『至宝』を抱えているのを知っていながら、なぜ私に真っ先に報告しなかったの!」
リサーナは扇子をバサリと閉じ、皇帝の胸元を突き刺すように指した。
「い、いや……報告も何も、余だってまだ会えていないんだ! この前もヴィンセントの奴に上手く逃げられて、屋敷で茶を三杯飲まされただけで帰されたんだぞ!」
「逃げられた? 笑わせないで。あんなに小さな子が屋敷にいるのに、見つけられなかったというの? あなたの目は飾りかしら? 皇帝としての観察眼はどこへ行ったのよ!」
「……えっ、母上。……まさか、もう会ったのか?」
皇帝が呆然と尋ねると、リサーナは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「ええ、会ったわよ。ヴィンセントがいなくても、あの子の方から私の前に現れてくれたわ。……あの子の瞳を見た? ヴィンセントがどれほどの覚悟であの子を守ろうとしているか、一目見れば、おちゃらけて『デレ顔を拝む』なんて下世話な遊びができるはずがないでしょうに!」
「……そ、そんなに凄い子なのか……」
「凄いどころじゃないわ。この母が、一瞬で『この子はロゼレイドの、いいえ帝国の宝だ』と確信したほどよ。それなのに、あなたは面白がってあの子を怖がらせるような真似ばかり考えて……! 兄として、もっと他にやるべきことがあるでしょう!」
リサーナの背後に立ち上る「真の支配者」のオーラに、皇帝は椅子の上で小さく縮こまった。
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「……会ってもいない娘の服を、余のポケットマネーで……?」
「当然よ。母を出し抜こうとした罰よ。さっさと手配なさい!」
リサーナは優雅に踵を返すと、満足げに部屋を去っていった。
一人残された皇帝は、飛び散ったインクを眺めながら、深いため息をついた。
「……やれやれ。母上に先を越された上に、財布まで軽くされるとは。……あの子、一体どんなに可愛いんだ? 逆に気になるじゃないか……」
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