168 / 244
第6章
06-165 優柔不断
しおりを挟む
200万年後の社会について、香野木恵一郎は宗教的でないと評価している。
バンジェル島にいた移住第1世代の老人が、「この世界にやって来たのは神を信じない不心得者ばかりだ」と言ったが、その通りなのだと思う。
だが、事実は違う。
強い宗教的衝動に駆られて、200万年後に移住したヒトを抹殺しにやって来た集団もいた。
あるいは、強い信仰心を抱いた純粋な宗教グループもいた。環境保護をある種の宗教のように信奉していた集団もいた。
だが、いかなる宗教も、いかなる信仰も、いかなる信条も、ヒト食いの前では無意味なのだ。
ヒトは食物連鎖の頂点にいない。ゆえに、理論化・組織化された宗教は成立し得ない。
香野木は、ライン川西岸の監視塔にいた。
「対岸は地獄だな」
相馬はそうは思わない。
「地獄のほうがマシさ。
ヒト食いは最悪の生き物だ。
生物には違いないが、地球上の生物の範疇にはない。
哺乳動物に近いが、哺乳動物ではない。ヒトに似ているが、ヒトの近縁種ではない。
あれがいる限り、ヒトは文明を開けない」
香野木は、半田隼人に興味があった。
「半田さんだけど……。
ヒト食いの移動をライン川で食い止めたそうだけど、なぜ殺されたんだ」
「香野木さん……。
私にもわからない。
物盗りだったのか、それとも優生思想支持者による暗殺だったのか……」
香野木は、ノイリン北地区に思想的対立があることは、ある程度理解していた。
だが、優生思想支持者が勢力を増す理由には理解しがたいものがあった。
しかも、この現象はノイリン北地区だけで、他の街はもちろん、他地区にも伝播していない。一時期、伝播しかけたが、すぐに廃れた。この似非科学であり同時に疑似宗教は、ヒト食いの存在によって否定された。
優生学は似非科学だが、ヒトの心の琴線に触れる部分がある。だが、21世紀を生きてきたヒトであるならば、この思想的矛盾は容易に理解できる。
この世界では“優れた”ヒトとは、生き残ったヒトのこと。ヒト食いに食われなかったヒトのことだ。
ヒト食いに食われることなく、老いて死ねるヒトは数年前までは希だったのだ。
この世界の銃は14連発以上が基準。ヒト食いの群は8から12個体が多い。
レバーアクションかポンプアクションの14連発ライフル、6連発のリボルバーの計20発があれば、ヒト食いの群に襲われても生き残れる確率が高くなる。
銃弾を撃ちつくせばリロードの時間はない。最後は、剣を抜き、戦う。男も、女も、幼子も、若者も、老人も、金持ちも、貧乏人も同じなのだ。
ヒト食いに襲われた瞬間、ヒトは自分が生き残ることだけを考えるようになる。
それほどまでに、恐ろしい生き物なのだ。
だから、優生思想は伝播しない。
ヒト食いは黄金で買収できないし、権力にもひれ伏さない。
ヒトに対して、絶対的優位にいる生き物がヒト食いだ。
だが、ノイリン北地区では、域外に出ない限り、ヒト食いに襲われることはない。
結果、ヒト食いを見たことさえない住人が現れた。安全という“檻”のなかで、ヒトは飼い慣らされ、新たな階級の定義を求めたくなっていた。
そこに優生思想が入り込んだ。
「香野木さん、200万年前のことなんだが……。
何があった?」
「相馬さん、ノイリンの議会で話すよ。
その手はず、必ず付けてくれ」
「事前に説明はしてくれないのか?」
「俺は優柔不断な男でね。
過去を悔やみ、過去に囚われ、未来を決められない。
まずは、200万年前に何があったかを話し、それに対するノイリン指導層の考えを知りたい。
その上で、この先の行動を決める。
まぁ、優柔不断ぶりを発揮して、右往左往するさ」
香野木は、話題を変えた。
「大災厄が起こる前のことだが……。
新生代第四紀完新世、つまり元世界の1万年ほど前から大災厄までの時代についてだが……。
生物の大量絶滅が起きていた。
ゾウは更新世末で多くの種が滅んだが、アフリカゾウ、マルミミゾウ、アジアゾウは生き残った。
だが、大災厄がなくても絶滅は免れなかっただろう。キリンやサイも同じ運命だったはずだ。
大絶滅の主因は、間違いなくホモ・サピエンスだ。
そのホモ・サピエンスまで絶滅したとなれば、地球の生命はどうなると思う?」
「香野木さん……、そういう話は半田さんがよくしていたよ。
生き残った生物は、爆発的に多様化するはずだね」
「だが、そうなっていない。
野生動物は、限られた種しかいない。
西ユーラシアでは、有袋類のオポッサムだけがリスみたいな姿から、ハイイログマ並みの巨大種まで適応放散に成功した。
他は、寒冷適応で大型化はしたが、種と個体数は増加傾向にはない。
おそらく、完新世はまだ終わっていないんだ。生物の大量絶滅は、いまだに進行中なのだろう。
南アメリカのコロンビア太平洋側には、巨大爬虫類とメガテリウムのような地上性巨大ナマケモノがいた。
特にワニの仲間の進化は注目に値する」
「ワニは、ドラゴンと呼んでいる。
四肢で歩行する大型、有翼の飛翔性、恐竜みたいな二足歩行型がいる。
どうも外気温の変化に影響されにくいらしく、寒い西ユーラシアにもいるんだ」
「相馬さん、この200万年間で生物を取り巻く環境が激変したんだ。
たぶん、俺はその理由を知っている……」
「本当ですか?」
相馬は香野木に疑惑の目を向けた。
ノイリンでは、香野木たちの来訪が話題になっていた。
2億年移住計画が終了あるいは中止となった6年後からやって来たからだ。
2億年移住計画は1年2カ月続き、その前の2カ月間に“実験的移住”が行われた。
つまり、1年4カ月間にわたる移住が実施された。
200万年後には、1200年前の移住の記録が残っている。これが最も古い。
半田隼人たちは、2億年後移住計画の最末期に時渡りしている。彼らよりも新しい移住者は、10組ほどしか発見されていない。
香野木たちは、いったん閉じたゲートを再度開き、本来の時系列とは異なる経路でやって来た。
当然、200万年前がどうなっているのか、それを特に移住第1世代が知りたがった。
そんな経緯もあり、香野木恵一郎のノイリン議会での証言はすんなり決まる。
議会証言のラジオ放送も決定する。
200万年後のヒトは、200万年前のヒトが自分たちよりも幸福であることは望まなかったが、ことさら不幸になったとは聞きたくなかった。
ヒトの感情は複雑なのだ。
香野木恵一郎は、ヒト食いの観察を行い、トーカ(半龍族)の使者と会談した以外、ほとんどの時間をこの世界の標準言語の習得にあてた。
相馬悠人が「経年変化した英語だ」と言ったが、その通りで、要領をつかめば習得は難しくない。だが、そもそも英語が得意ではない香野木には、やや難易度が高かった。
それでも、議会証言までに、どうにか原稿を読む程度までは習得できそうだった。
土井将馬は、ヴルマンの女性パイロットであるミエリキにストーキングされていた。
正確には、彼女が追いかけているのはC-1輸送機だ。エンジンの換装と燃料タンクの増設を施されたC-1輸送機は、8トンの貨物を積んで3000キロ飛行できる。
ミエリキの愛機は双発双胴のフェニックスだが、ペイロードは1.5トン、最大ペイロードでの航続距離は2000キロ。
速度も段違いだ。フェニックスの巡航速度は時速350キロだが、C-1は650キロにも達する。
土井はまだ10歳代であろうミエリキに、惹かれ始めている自分の感情が理解できないでいた。
井澤貞之は毎日、ノイリンの街をブラついている。彼は建築家で、専門は構造計算だ。そして、気候や気象にも詳しい。建物から、ノイリンの自然環境を洞察しようとしている。
建物の壁は総じて厚い。北向きの窓はないか、あっても換気程度の小窓。
これは、相当な寒さの証だ。
土井将馬はミエリキに頼まれて、ヴルマンのゲマール領に機械部品の空輸を引き受けた。
香野木と井澤には報告したし、飛行場の駐機代は安くはないので、簡単なアルバイトだと思って引き受けた。
ただ、条件があり、副操縦手としてミエリキが搭乗すること。
しかし、それだけではなかった。
土井はゲマール領において、領主ベアーテに謁見し、中世ヨーロッパ的な豪華な歓待を受ける。ゲマール領は中世的な雰囲気を漂わせながら十分に近代的だ。
宴が終わり、寝所に案内されると、そこには領主ベアーテの内縁の夫という男がいた。
ハミルカルと名乗った男は、200万年前の世界情勢を尋ねてきた。
土井は大災厄後から大消滅直前までの状況を酔いに任せているように話す。肝心なことは、「明日、香野木さんが話すから……」と誤魔化した。
香野木が議会証言をする前夜のことだった。
土井は「厄介なことになった」と感じていて、脱出の算段まで考えた。
その夜はひどく酔っているのに、不安が重くのしかかり一睡もできなかった。
ノイリン中央議会議事堂は、香野木が思い描いていたよりも焼成レンガ積みの立派な建物だった。内部の造作もよく、重厚な雰囲気を漂わせている。
閉会中のため議席には空席が目立つが、傍聴席は埋まっている。香野木の“証言”は、FMラジオで放送される。単純な超短波アナログ波による放送で、中継されながら、西ユーラシア全域に伝わる。
議長が宣する。
「閉会中ではありますが、200万年前、我々の故郷の時代について、情報がもたらされました。
私たち、あるいは私たちの祖先が200万年後に移住した数年後のことではありますが、世界がどうなったのかを新たな移住者であるコウノギさんにお話しいただきましょう。
コウノギさん、証言台へ。
なお、コウノギさんは言葉を完全に習得してはいません。
このため、介添えとして、北地区代表のソウマさんが付き添います。
ソウマさん、よろしくお願いします」
香野木恵一郎は証言台に立った。相馬悠人は、香野木の真後ろに座る。香野木がパソコンにHDMI端子を差し込む少しの時間、沈黙が支配し、場がぎこちなくなる。
「みなさん、私は言葉が完全ではありません。
お聞き苦しいこともあると思いますが、その点は容赦してください。
まず、自己紹介から。
私は香野木恵一郎。大災厄の前後は、日本の東京に住んでいました。
まず、時渡りの未来側ゲートですが、当初は自然現象として開いたとされていました。しかし、実際は違いました。
ヨーロッパの原子核研究機構からの説明では、出口を開いたのはギガス、黒魔族ではないか、とのことです。
閉じかけた未来への扉を開け続けたのは、ヒトです。
最初に200万年後に渡ったのは、ギガスでした。おそらく、大災厄から逃れようとしたのでしょう。2億年後に渡った形跡はないそうです。
まぁ、当然でしょうね。すべての大陸が連結し、超大陸となった2億年後の環境は苛烈ですからね。
その後、1年4カ月にわたって、ヒトは2億年後への移住を始めます。
移住者の一部が、誤って、あるいは約定を破って、200万年後に移住します。
200万年後移住者の総数は、推定2万。
2億年後2億人移住計画の1パーセントが200万年後を選んだことになります。
ただ、入口側ゲートは当初、各国政府が設置と管理をしていましたが、途中からマフィアや麻薬カルテル、宗教団体も2億年後を目指そうと、入口側ゲートを作ったので、実際の移住者数は皆目わからないようです。
各地のゲートは、電力不足が原因で、次々と閉じたとされています。それは、事実でしょう。日本でも電力の不足から、次々に使用不能になりましたから。
ですが、根本は、未来側ゲートが閉じたことが原因です。
閉じたのはギガス、黒魔族だとされています。理由はわかりませんが、ヒトの移住を阻止しようとした可能性があります。
200万年前のオークとギガスですが……。
オークは宇宙から、ギガスは地底から現れました。
地球と月の中間ほどの軌道上に、月の直径の半分ほどもある巨大な円筒形構造物が現れます。
それが、北極に正対する位置まで移動して、第1射、南極側に移動して第2射、赤道上に移動する途中で何者かに反撃され、その構造物は軌道上で完全に破壊されます。
その直後、200から300もの降下船が地球に降り立ちます。
これが、オークの救命船でした。
オークの攻撃によって、地表から一切のものがなくなりました。建物はもちろん小石までも……」
香野木は、100型液晶モニターに画像を表示する。
「これは、大消滅発生直後の東京駅周辺です。何もかも消えてしまいました」
議場のざわめきが大きくなる。
だが、質問はない。誰もが信じられないのだ。
「ヒトも家畜も、野生動物も消えました。
助かったのは、地下か水中にいたヒトや動物だけです。
私は地下鉄の駅構内にいて助かりました。地下に5日間閉じ込められていたので、第1射と第2射のどちらからも逃れることができたのです。
生き残るという意味では、幸運でした。
しかし、その後は大災厄以後が天国と思えるほどの過酷な状況に陥ります。
生き残った人々は、地下から物資を掘り出して、どうにか生き延びようとします。
当時、日本には移動性低気圧3つが接近していました。
そのため、前線が刺激され、線状降雨帯、ゲリラ豪雨など、局所的に激しい雨が降っており、ごく一部に破壊を免れた地域がありました。
世界には、地形の影響で無事だった地域が散在しています。特にジュネーブは都市の半分が残ったとされています。
この現象は当初、自然現象だと考えました。大災厄に接していたヒトは、とんでもない自然災害を受け入れるようになっていたのです。
我々は、この現象を“大消滅”と名付けました。
ですが、戦いはすぐに始まりました。
我々が最初に会敵したのはオークでしたが、ヨーロッパと中央アジアはギガスでした。
オークに捕らえられ食べられてしまった犠牲者もいますが、オークとの戦い方を戦いながら学び、駆逐に成功します。
ギガスは大陸から侵攻しますが、日本の険しい山岳地形を利用して我々は戦いました。
この頃、日本列島の四国という島に街が丸々残っていることがわかり、東京近郊に集まっていたヒトによる移住の計画が進行中でした。
ギガスは東京まで侵攻しましたが、我々は引越荷物をすべてまとめて、四国島に逃げたのです。
オークとギガスは熱を発射する兵器を使いますが、それはヒトが使う耐熱素材で防げます。また、彼らの乗り物は運動エネルギーを利用した攻撃に脆弱で、戦車砲に対してほぼ無力です。
軍事関係者の間では、105ミリのライフル砲と120ミリの滑腔砲のどちらがより有効か、との議論が起こるほど、ヒトの兵器は効果がありました。
緒戦はともかく、ヨーロッパと中央アジアはギガスと互角以上に戦ったようです。
大消滅から4年、オークとギガスが始め、ヒトのほとんどを滅ぼした戦いは、オーク、ギガス、ヒトによる三つ巴の戦いに変化していました。
そして、ヒトは優勢でした。
オークとはコミュニケーションがありません。ギガスともですが……。
オークは大陸中国の上海付近に集結を始めます。
そして、杭州湾に巨大な“ゲート”の建設を始めました。
建設物資は、彼らの救命船です。
理由はわかりませんが、彼らが時渡りをしようとしていることは明白でした。
しかも、ヨーロッパからの情報では、200万年後の出口側ゲートが再び開こうとしていると……。
オークは同時に葉巻型の巨大な構造物3基を作っており、そのうちの1基が再度開いたゲートを使って時渡りしたのです。
私たちが出発する4カ月ほど前のことです。
残り2基を阻止するため、私たちは行動しました。そして、オークが200万年後に移住したことを知らせる使者の派遣を決めたのです。
使者が私たちです。
オークの時渡り船は、ヒトに作らせていました。オークの乗り物は高速では移動できず、空中に浮く装置はオークの機械を、推進装置はヒトのジェットエンジンを使っていました。
このハイブリッド推進システムを捕らえたヒトに作らせていたのです。
2基のうち1基はゲート突入の瞬間、2つに分離してしまいます。捕らわれたヒトたちのレジスタンスなのだと思います。
陸上にあったもう1基は、潜水艦から発射した対艦ミサイルで破壊しました。
ゲートが閉じる直前、我々は高速船で突入し、時渡りしたのです」
議長の目が香野木を突き刺している。
「コウノギ……さん。
生き残れたヒトの数は……」
「オークによる宇宙空間からの攻撃は、苛烈でした。多くの種が絶滅しました。
ヒトは絶滅を免れましたが、生き残った人口は正確にはわかりません。
日本には、台湾、フィリピン、ベトナムの生き残りが集まりましたが、5万ほどです。
ニューギニアやボルネオ、オーストラリア北部にも生き残りがいました。
ヨーロッパの生き残りは、ジュネーブに集まったようです。
中央アジアは、キルギスにあるイシク・クルという湖の周辺に集まっています。
植物が残っている場所でないと、ヒトは生きていけないので……。
推計ですが、数十万から最大で1千万、億は絶対にない……。100万でも過大かもしれません。
それと、工業設備がないと、オークやギガスとは戦い続けられないのです。
おそらく、経戦能力の点では、ヒトはオークやギガスより勝っています」
議員と傍聴者は、大消滅から4年を経た、名古屋近郊の画像を見ている。地表は大草原と化し、低木も散見できる。
議長の瞳には、涙が見える。
「200万年前のヒトはどうなったのですか?」
「議長、ヒトはしぶとい生物です。そもそも、新生代第四紀完新世の大量絶滅は、ヒトが原因ですから。
ヒトが最後に進出した南アメリカでは、メガテリウムなど地上性ナマケモノ、巨大アルマジロのグリプトドンはヒトが狩猟によって滅ぼしたとされています。
ヒトはどの時点かはわからないけれど、少なくとも後期更新世の終わりには大量絶滅の主因になっていたんです。
ヒトには生物を大量絶滅させる力があわけで、その力はオークやギガスにも働く……」
議長は、その意見には賛同しかねた。
「過去はともかく、ヒトの時代は終わったのですよ。
コウノギさん。
ヒトは、すでに食物連鎖の頂点にいない……」
香野木は、議長の言をよく理解していた。
「議長、異論を挟むつもりはありません。
食物連鎖の頂点にいることと、種の存続とは無関係です」
議場がざわつく。
「一般に食物連鎖の頂点に君臨する種は、肉食です。
ですが、捕食動物は環境の変化に弱い……。獲物となる草食動物が姿を消せば、滅びる以外ないのです。
種が存続するには、食物連鎖の頂点にいる必要はありません。
環境に適応しやすい柔軟性があれば、種は存続できます。そのためには多様な遺伝子を持つこととが大切。
ある条件下では不利に働く遺伝子は、別な条件では有利に働くのですから。多様性さえあれば生きていける……。
ヒト食いを見ました。
確かに恐ろしい生き物です。
ですが、ヒト食いよりも重要なことに、私は気付きました。
この世界では、生物の多様性が失われている……。
アフリカの草食哺乳類はガゼルの仲間ばかり……。哺乳類よりも爬虫類、それもクルロタルシ類が繁栄している。
平たく言えばワニですが、たった200万年でワニが水中、陸上、空中まで進出し、アフリカにおける食物連鎖の頂点に立ったわけです。
対してユーラシアでは、有胎盤類が減勢し、有袋類が繁栄しています。
特にオポッサムが凄い……。
草原性の捕食者や体重1トン近い雑食性まで、広範囲に適応放散しています。
ヒトが連れてきた家畜・家禽ですが、ウマ、ウシ、ヤギ、ヒツジ、ニワトリは一部が野生化しています。
ですが、勢力は強くありません。辛うじて生き残っている状況です。
一方、非常に大型化したウマがいますが、これは200万年前の種から進化したのでしょう。大型のネコやオオカミも進化の結果。巨大なトラは、たぶんトラではない……。
ティラコスミルスのような肉食の有袋類である可能性が高い。
クマに似た動物も同じ。あれは雑食性の巨大有袋類でしょう。草食ですが、過去には体重2.8トンに達するディプロトドンという有袋類がいました。
有胎盤類は、ネコ、オオカミ、ウマ、シカ、そしてヒトが連れてきた家畜とヒトだけが、辛うじて存続している状態です。
この世界は、200万年前とはまったく違う。
オークの攻撃によって、大型哺乳類のほとんどが絶滅し、おそらく海中にも大きな影響が及んだ……。
現在は、新たな生態系が構築されていく途上にあるのだと思います。
オークの攻撃によって、地上からすべてが消えました。この過酷な環境で生き残るには、爬虫類ではクルロタルシ類、哺乳類では有袋類が適していたのでしょう。
そして、200万年の間に、ヒトには競争相手ができた……。
それがセロ……、手長族なわけです。
生態系再構築の途上である以上、ヒトにもチャンスはあります」
「コウノギさん、白魔族の正体を知っていますか?」
「議長、白魔族と黒魔族は、ヒト科ヒト亜科の動物であることは間違いありません。
我々の分子生物学者が遺伝子を解析し、正体を突き止めました。
200万年前、ヒト科にはヒト亜科とオランウータン亜科があり、ヒト亜科にはヒト属、チンパンジー属、ゴリラ属の3属が存在していました。
チンパンジー属とゴリラ属は、大消滅で滅んだでしょう。
ギガスはチンパンジー属と同列、オークはもう少しヒトに近くヒト亜族内の属に分類できると聞いています。
ヒト以前に生まれた属で、ヒト亜族で最も古いサヘラントロプスとほぼ同時代に分岐したとされています。
200万年前を基準にしますが、600万年から700万年前のことです。
オークとギガスは、未知のヒト科動物によって70万年前頃に使役動物として家畜化されたようです。
ギガスは農耕などの労働、オークは戦闘用で、ギガスの幼体はオークの餌にされていました。
これが、オークとギガスの対立の原点です。
オークとギガスには共通点があり、彼らに教育を施した“全能神”が行っていたことをトレースする傾向があるようです。
つまり、真似ですね。
また、オークとギガスはヒトのように道具を創造することができないようです。
教育・習得したことは実行できますが、その根本、教育・習得すべきことを生み出すことはできない……。この特徴が先天的なものなのか、何らかの処置でなったのかわかりません。
ですが、いろいろな話を総合すると、ギガスは変わったようです。
私は、トーカと呼ばれるギガスの亜種と話をしましたが、とてもフレンドリーでした。
彼らとの音声でない会話は、精神的にひどく疲れますが……。
ギガスは何回かに分けて、200万年後に移住したようですが、最も古いと40万年以上前のことのようです。
最古の移住ギガスは滅んだようですが、25万年前の移住ギガスはトーカとなったようです。
彼らは、そのように説明しています。
トーカによると、200万年後に移住したオークはヒトを伴っていたとか。
トーカはオークに追われて、アフリカからユーラシアに渡ったようです。
トーカは、オークとの最初の接触は300年ないし400年前のことだと。
それ以前は、オークとの接触はないと説明しています。
そのオークこそが、私たちが追ってきた集団でしょう」
議長は、ノイリンのヒトが気にしている質問を投げかける。
「現在、北地区に不穏な動きがあります。
ヒトの外見の差をことさら大きく、評価する集団がいます。
ヒトは、その……」
議長は、言葉を続けなかった。
「言いにくそうですね。
優生学に基づく、優生思想のことですね。
21世紀には完全に否定された似非科学です。19世紀中頃から20世紀後半までの約150年間、ヒトを苦しめ続けました。
私が生まれた国でも、ひどいことが行われました。戦争の遠因になったこともあります。
とても邪悪な“宗教”です。
自然科学でも、人文科学でも、哲学でも、政治思想でもない……。
嫌悪すべき邪悪な宗教です。
精霊信仰はこの過酷な環境の中に生きるヒトが、自然に生み出した宗教です。ヒトに希望を与えます。
ですが、優生思想という宗教は、ヒトを分断し、ヒト同士で憎み合い、やがてヒトを滅ぼす……。
我々の分子生物学者は、イヌとオオカミは同じ動物だと……。巨大なブルーウルフとかわいいマルチーズは、まったく同じ生物だそうです。
遺伝子レベルでの差はない……。
肌の色、髪の色、瞳の色、体格、体毛の濃淡、そんな些末なヒトの差は、何の意味もないそうです。
マルチーズとポメラニアンのどっちがかわいいか、を学問として論じるようなバカげたことなのだそうです。
ノイリン北地区に、優生思想に取り憑かれたヒトがいることは知っています。この議場にもいるでしょう。
でも、気にすることはない……。
どんな社会にも一定数の愚か者はいる……」
香野木恵一郎は、彼自身がノイリンの一部のヒトから明確に敵として認定されたことを、いくつかの視線で感じた。
バンジェル島にいた移住第1世代の老人が、「この世界にやって来たのは神を信じない不心得者ばかりだ」と言ったが、その通りなのだと思う。
だが、事実は違う。
強い宗教的衝動に駆られて、200万年後に移住したヒトを抹殺しにやって来た集団もいた。
あるいは、強い信仰心を抱いた純粋な宗教グループもいた。環境保護をある種の宗教のように信奉していた集団もいた。
だが、いかなる宗教も、いかなる信仰も、いかなる信条も、ヒト食いの前では無意味なのだ。
ヒトは食物連鎖の頂点にいない。ゆえに、理論化・組織化された宗教は成立し得ない。
香野木は、ライン川西岸の監視塔にいた。
「対岸は地獄だな」
相馬はそうは思わない。
「地獄のほうがマシさ。
ヒト食いは最悪の生き物だ。
生物には違いないが、地球上の生物の範疇にはない。
哺乳動物に近いが、哺乳動物ではない。ヒトに似ているが、ヒトの近縁種ではない。
あれがいる限り、ヒトは文明を開けない」
香野木は、半田隼人に興味があった。
「半田さんだけど……。
ヒト食いの移動をライン川で食い止めたそうだけど、なぜ殺されたんだ」
「香野木さん……。
私にもわからない。
物盗りだったのか、それとも優生思想支持者による暗殺だったのか……」
香野木は、ノイリン北地区に思想的対立があることは、ある程度理解していた。
だが、優生思想支持者が勢力を増す理由には理解しがたいものがあった。
しかも、この現象はノイリン北地区だけで、他の街はもちろん、他地区にも伝播していない。一時期、伝播しかけたが、すぐに廃れた。この似非科学であり同時に疑似宗教は、ヒト食いの存在によって否定された。
優生学は似非科学だが、ヒトの心の琴線に触れる部分がある。だが、21世紀を生きてきたヒトであるならば、この思想的矛盾は容易に理解できる。
この世界では“優れた”ヒトとは、生き残ったヒトのこと。ヒト食いに食われなかったヒトのことだ。
ヒト食いに食われることなく、老いて死ねるヒトは数年前までは希だったのだ。
この世界の銃は14連発以上が基準。ヒト食いの群は8から12個体が多い。
レバーアクションかポンプアクションの14連発ライフル、6連発のリボルバーの計20発があれば、ヒト食いの群に襲われても生き残れる確率が高くなる。
銃弾を撃ちつくせばリロードの時間はない。最後は、剣を抜き、戦う。男も、女も、幼子も、若者も、老人も、金持ちも、貧乏人も同じなのだ。
ヒト食いに襲われた瞬間、ヒトは自分が生き残ることだけを考えるようになる。
それほどまでに、恐ろしい生き物なのだ。
だから、優生思想は伝播しない。
ヒト食いは黄金で買収できないし、権力にもひれ伏さない。
ヒトに対して、絶対的優位にいる生き物がヒト食いだ。
だが、ノイリン北地区では、域外に出ない限り、ヒト食いに襲われることはない。
結果、ヒト食いを見たことさえない住人が現れた。安全という“檻”のなかで、ヒトは飼い慣らされ、新たな階級の定義を求めたくなっていた。
そこに優生思想が入り込んだ。
「香野木さん、200万年前のことなんだが……。
何があった?」
「相馬さん、ノイリンの議会で話すよ。
その手はず、必ず付けてくれ」
「事前に説明はしてくれないのか?」
「俺は優柔不断な男でね。
過去を悔やみ、過去に囚われ、未来を決められない。
まずは、200万年前に何があったかを話し、それに対するノイリン指導層の考えを知りたい。
その上で、この先の行動を決める。
まぁ、優柔不断ぶりを発揮して、右往左往するさ」
香野木は、話題を変えた。
「大災厄が起こる前のことだが……。
新生代第四紀完新世、つまり元世界の1万年ほど前から大災厄までの時代についてだが……。
生物の大量絶滅が起きていた。
ゾウは更新世末で多くの種が滅んだが、アフリカゾウ、マルミミゾウ、アジアゾウは生き残った。
だが、大災厄がなくても絶滅は免れなかっただろう。キリンやサイも同じ運命だったはずだ。
大絶滅の主因は、間違いなくホモ・サピエンスだ。
そのホモ・サピエンスまで絶滅したとなれば、地球の生命はどうなると思う?」
「香野木さん……、そういう話は半田さんがよくしていたよ。
生き残った生物は、爆発的に多様化するはずだね」
「だが、そうなっていない。
野生動物は、限られた種しかいない。
西ユーラシアでは、有袋類のオポッサムだけがリスみたいな姿から、ハイイログマ並みの巨大種まで適応放散に成功した。
他は、寒冷適応で大型化はしたが、種と個体数は増加傾向にはない。
おそらく、完新世はまだ終わっていないんだ。生物の大量絶滅は、いまだに進行中なのだろう。
南アメリカのコロンビア太平洋側には、巨大爬虫類とメガテリウムのような地上性巨大ナマケモノがいた。
特にワニの仲間の進化は注目に値する」
「ワニは、ドラゴンと呼んでいる。
四肢で歩行する大型、有翼の飛翔性、恐竜みたいな二足歩行型がいる。
どうも外気温の変化に影響されにくいらしく、寒い西ユーラシアにもいるんだ」
「相馬さん、この200万年間で生物を取り巻く環境が激変したんだ。
たぶん、俺はその理由を知っている……」
「本当ですか?」
相馬は香野木に疑惑の目を向けた。
ノイリンでは、香野木たちの来訪が話題になっていた。
2億年移住計画が終了あるいは中止となった6年後からやって来たからだ。
2億年移住計画は1年2カ月続き、その前の2カ月間に“実験的移住”が行われた。
つまり、1年4カ月間にわたる移住が実施された。
200万年後には、1200年前の移住の記録が残っている。これが最も古い。
半田隼人たちは、2億年後移住計画の最末期に時渡りしている。彼らよりも新しい移住者は、10組ほどしか発見されていない。
香野木たちは、いったん閉じたゲートを再度開き、本来の時系列とは異なる経路でやって来た。
当然、200万年前がどうなっているのか、それを特に移住第1世代が知りたがった。
そんな経緯もあり、香野木恵一郎のノイリン議会での証言はすんなり決まる。
議会証言のラジオ放送も決定する。
200万年後のヒトは、200万年前のヒトが自分たちよりも幸福であることは望まなかったが、ことさら不幸になったとは聞きたくなかった。
ヒトの感情は複雑なのだ。
香野木恵一郎は、ヒト食いの観察を行い、トーカ(半龍族)の使者と会談した以外、ほとんどの時間をこの世界の標準言語の習得にあてた。
相馬悠人が「経年変化した英語だ」と言ったが、その通りで、要領をつかめば習得は難しくない。だが、そもそも英語が得意ではない香野木には、やや難易度が高かった。
それでも、議会証言までに、どうにか原稿を読む程度までは習得できそうだった。
土井将馬は、ヴルマンの女性パイロットであるミエリキにストーキングされていた。
正確には、彼女が追いかけているのはC-1輸送機だ。エンジンの換装と燃料タンクの増設を施されたC-1輸送機は、8トンの貨物を積んで3000キロ飛行できる。
ミエリキの愛機は双発双胴のフェニックスだが、ペイロードは1.5トン、最大ペイロードでの航続距離は2000キロ。
速度も段違いだ。フェニックスの巡航速度は時速350キロだが、C-1は650キロにも達する。
土井はまだ10歳代であろうミエリキに、惹かれ始めている自分の感情が理解できないでいた。
井澤貞之は毎日、ノイリンの街をブラついている。彼は建築家で、専門は構造計算だ。そして、気候や気象にも詳しい。建物から、ノイリンの自然環境を洞察しようとしている。
建物の壁は総じて厚い。北向きの窓はないか、あっても換気程度の小窓。
これは、相当な寒さの証だ。
土井将馬はミエリキに頼まれて、ヴルマンのゲマール領に機械部品の空輸を引き受けた。
香野木と井澤には報告したし、飛行場の駐機代は安くはないので、簡単なアルバイトだと思って引き受けた。
ただ、条件があり、副操縦手としてミエリキが搭乗すること。
しかし、それだけではなかった。
土井はゲマール領において、領主ベアーテに謁見し、中世ヨーロッパ的な豪華な歓待を受ける。ゲマール領は中世的な雰囲気を漂わせながら十分に近代的だ。
宴が終わり、寝所に案内されると、そこには領主ベアーテの内縁の夫という男がいた。
ハミルカルと名乗った男は、200万年前の世界情勢を尋ねてきた。
土井は大災厄後から大消滅直前までの状況を酔いに任せているように話す。肝心なことは、「明日、香野木さんが話すから……」と誤魔化した。
香野木が議会証言をする前夜のことだった。
土井は「厄介なことになった」と感じていて、脱出の算段まで考えた。
その夜はひどく酔っているのに、不安が重くのしかかり一睡もできなかった。
ノイリン中央議会議事堂は、香野木が思い描いていたよりも焼成レンガ積みの立派な建物だった。内部の造作もよく、重厚な雰囲気を漂わせている。
閉会中のため議席には空席が目立つが、傍聴席は埋まっている。香野木の“証言”は、FMラジオで放送される。単純な超短波アナログ波による放送で、中継されながら、西ユーラシア全域に伝わる。
議長が宣する。
「閉会中ではありますが、200万年前、我々の故郷の時代について、情報がもたらされました。
私たち、あるいは私たちの祖先が200万年後に移住した数年後のことではありますが、世界がどうなったのかを新たな移住者であるコウノギさんにお話しいただきましょう。
コウノギさん、証言台へ。
なお、コウノギさんは言葉を完全に習得してはいません。
このため、介添えとして、北地区代表のソウマさんが付き添います。
ソウマさん、よろしくお願いします」
香野木恵一郎は証言台に立った。相馬悠人は、香野木の真後ろに座る。香野木がパソコンにHDMI端子を差し込む少しの時間、沈黙が支配し、場がぎこちなくなる。
「みなさん、私は言葉が完全ではありません。
お聞き苦しいこともあると思いますが、その点は容赦してください。
まず、自己紹介から。
私は香野木恵一郎。大災厄の前後は、日本の東京に住んでいました。
まず、時渡りの未来側ゲートですが、当初は自然現象として開いたとされていました。しかし、実際は違いました。
ヨーロッパの原子核研究機構からの説明では、出口を開いたのはギガス、黒魔族ではないか、とのことです。
閉じかけた未来への扉を開け続けたのは、ヒトです。
最初に200万年後に渡ったのは、ギガスでした。おそらく、大災厄から逃れようとしたのでしょう。2億年後に渡った形跡はないそうです。
まぁ、当然でしょうね。すべての大陸が連結し、超大陸となった2億年後の環境は苛烈ですからね。
その後、1年4カ月にわたって、ヒトは2億年後への移住を始めます。
移住者の一部が、誤って、あるいは約定を破って、200万年後に移住します。
200万年後移住者の総数は、推定2万。
2億年後2億人移住計画の1パーセントが200万年後を選んだことになります。
ただ、入口側ゲートは当初、各国政府が設置と管理をしていましたが、途中からマフィアや麻薬カルテル、宗教団体も2億年後を目指そうと、入口側ゲートを作ったので、実際の移住者数は皆目わからないようです。
各地のゲートは、電力不足が原因で、次々と閉じたとされています。それは、事実でしょう。日本でも電力の不足から、次々に使用不能になりましたから。
ですが、根本は、未来側ゲートが閉じたことが原因です。
閉じたのはギガス、黒魔族だとされています。理由はわかりませんが、ヒトの移住を阻止しようとした可能性があります。
200万年前のオークとギガスですが……。
オークは宇宙から、ギガスは地底から現れました。
地球と月の中間ほどの軌道上に、月の直径の半分ほどもある巨大な円筒形構造物が現れます。
それが、北極に正対する位置まで移動して、第1射、南極側に移動して第2射、赤道上に移動する途中で何者かに反撃され、その構造物は軌道上で完全に破壊されます。
その直後、200から300もの降下船が地球に降り立ちます。
これが、オークの救命船でした。
オークの攻撃によって、地表から一切のものがなくなりました。建物はもちろん小石までも……」
香野木は、100型液晶モニターに画像を表示する。
「これは、大消滅発生直後の東京駅周辺です。何もかも消えてしまいました」
議場のざわめきが大きくなる。
だが、質問はない。誰もが信じられないのだ。
「ヒトも家畜も、野生動物も消えました。
助かったのは、地下か水中にいたヒトや動物だけです。
私は地下鉄の駅構内にいて助かりました。地下に5日間閉じ込められていたので、第1射と第2射のどちらからも逃れることができたのです。
生き残るという意味では、幸運でした。
しかし、その後は大災厄以後が天国と思えるほどの過酷な状況に陥ります。
生き残った人々は、地下から物資を掘り出して、どうにか生き延びようとします。
当時、日本には移動性低気圧3つが接近していました。
そのため、前線が刺激され、線状降雨帯、ゲリラ豪雨など、局所的に激しい雨が降っており、ごく一部に破壊を免れた地域がありました。
世界には、地形の影響で無事だった地域が散在しています。特にジュネーブは都市の半分が残ったとされています。
この現象は当初、自然現象だと考えました。大災厄に接していたヒトは、とんでもない自然災害を受け入れるようになっていたのです。
我々は、この現象を“大消滅”と名付けました。
ですが、戦いはすぐに始まりました。
我々が最初に会敵したのはオークでしたが、ヨーロッパと中央アジアはギガスでした。
オークに捕らえられ食べられてしまった犠牲者もいますが、オークとの戦い方を戦いながら学び、駆逐に成功します。
ギガスは大陸から侵攻しますが、日本の険しい山岳地形を利用して我々は戦いました。
この頃、日本列島の四国という島に街が丸々残っていることがわかり、東京近郊に集まっていたヒトによる移住の計画が進行中でした。
ギガスは東京まで侵攻しましたが、我々は引越荷物をすべてまとめて、四国島に逃げたのです。
オークとギガスは熱を発射する兵器を使いますが、それはヒトが使う耐熱素材で防げます。また、彼らの乗り物は運動エネルギーを利用した攻撃に脆弱で、戦車砲に対してほぼ無力です。
軍事関係者の間では、105ミリのライフル砲と120ミリの滑腔砲のどちらがより有効か、との議論が起こるほど、ヒトの兵器は効果がありました。
緒戦はともかく、ヨーロッパと中央アジアはギガスと互角以上に戦ったようです。
大消滅から4年、オークとギガスが始め、ヒトのほとんどを滅ぼした戦いは、オーク、ギガス、ヒトによる三つ巴の戦いに変化していました。
そして、ヒトは優勢でした。
オークとはコミュニケーションがありません。ギガスともですが……。
オークは大陸中国の上海付近に集結を始めます。
そして、杭州湾に巨大な“ゲート”の建設を始めました。
建設物資は、彼らの救命船です。
理由はわかりませんが、彼らが時渡りをしようとしていることは明白でした。
しかも、ヨーロッパからの情報では、200万年後の出口側ゲートが再び開こうとしていると……。
オークは同時に葉巻型の巨大な構造物3基を作っており、そのうちの1基が再度開いたゲートを使って時渡りしたのです。
私たちが出発する4カ月ほど前のことです。
残り2基を阻止するため、私たちは行動しました。そして、オークが200万年後に移住したことを知らせる使者の派遣を決めたのです。
使者が私たちです。
オークの時渡り船は、ヒトに作らせていました。オークの乗り物は高速では移動できず、空中に浮く装置はオークの機械を、推進装置はヒトのジェットエンジンを使っていました。
このハイブリッド推進システムを捕らえたヒトに作らせていたのです。
2基のうち1基はゲート突入の瞬間、2つに分離してしまいます。捕らわれたヒトたちのレジスタンスなのだと思います。
陸上にあったもう1基は、潜水艦から発射した対艦ミサイルで破壊しました。
ゲートが閉じる直前、我々は高速船で突入し、時渡りしたのです」
議長の目が香野木を突き刺している。
「コウノギ……さん。
生き残れたヒトの数は……」
「オークによる宇宙空間からの攻撃は、苛烈でした。多くの種が絶滅しました。
ヒトは絶滅を免れましたが、生き残った人口は正確にはわかりません。
日本には、台湾、フィリピン、ベトナムの生き残りが集まりましたが、5万ほどです。
ニューギニアやボルネオ、オーストラリア北部にも生き残りがいました。
ヨーロッパの生き残りは、ジュネーブに集まったようです。
中央アジアは、キルギスにあるイシク・クルという湖の周辺に集まっています。
植物が残っている場所でないと、ヒトは生きていけないので……。
推計ですが、数十万から最大で1千万、億は絶対にない……。100万でも過大かもしれません。
それと、工業設備がないと、オークやギガスとは戦い続けられないのです。
おそらく、経戦能力の点では、ヒトはオークやギガスより勝っています」
議員と傍聴者は、大消滅から4年を経た、名古屋近郊の画像を見ている。地表は大草原と化し、低木も散見できる。
議長の瞳には、涙が見える。
「200万年前のヒトはどうなったのですか?」
「議長、ヒトはしぶとい生物です。そもそも、新生代第四紀完新世の大量絶滅は、ヒトが原因ですから。
ヒトが最後に進出した南アメリカでは、メガテリウムなど地上性ナマケモノ、巨大アルマジロのグリプトドンはヒトが狩猟によって滅ぼしたとされています。
ヒトはどの時点かはわからないけれど、少なくとも後期更新世の終わりには大量絶滅の主因になっていたんです。
ヒトには生物を大量絶滅させる力があわけで、その力はオークやギガスにも働く……」
議長は、その意見には賛同しかねた。
「過去はともかく、ヒトの時代は終わったのですよ。
コウノギさん。
ヒトは、すでに食物連鎖の頂点にいない……」
香野木は、議長の言をよく理解していた。
「議長、異論を挟むつもりはありません。
食物連鎖の頂点にいることと、種の存続とは無関係です」
議場がざわつく。
「一般に食物連鎖の頂点に君臨する種は、肉食です。
ですが、捕食動物は環境の変化に弱い……。獲物となる草食動物が姿を消せば、滅びる以外ないのです。
種が存続するには、食物連鎖の頂点にいる必要はありません。
環境に適応しやすい柔軟性があれば、種は存続できます。そのためには多様な遺伝子を持つこととが大切。
ある条件下では不利に働く遺伝子は、別な条件では有利に働くのですから。多様性さえあれば生きていける……。
ヒト食いを見ました。
確かに恐ろしい生き物です。
ですが、ヒト食いよりも重要なことに、私は気付きました。
この世界では、生物の多様性が失われている……。
アフリカの草食哺乳類はガゼルの仲間ばかり……。哺乳類よりも爬虫類、それもクルロタルシ類が繁栄している。
平たく言えばワニですが、たった200万年でワニが水中、陸上、空中まで進出し、アフリカにおける食物連鎖の頂点に立ったわけです。
対してユーラシアでは、有胎盤類が減勢し、有袋類が繁栄しています。
特にオポッサムが凄い……。
草原性の捕食者や体重1トン近い雑食性まで、広範囲に適応放散しています。
ヒトが連れてきた家畜・家禽ですが、ウマ、ウシ、ヤギ、ヒツジ、ニワトリは一部が野生化しています。
ですが、勢力は強くありません。辛うじて生き残っている状況です。
一方、非常に大型化したウマがいますが、これは200万年前の種から進化したのでしょう。大型のネコやオオカミも進化の結果。巨大なトラは、たぶんトラではない……。
ティラコスミルスのような肉食の有袋類である可能性が高い。
クマに似た動物も同じ。あれは雑食性の巨大有袋類でしょう。草食ですが、過去には体重2.8トンに達するディプロトドンという有袋類がいました。
有胎盤類は、ネコ、オオカミ、ウマ、シカ、そしてヒトが連れてきた家畜とヒトだけが、辛うじて存続している状態です。
この世界は、200万年前とはまったく違う。
オークの攻撃によって、大型哺乳類のほとんどが絶滅し、おそらく海中にも大きな影響が及んだ……。
現在は、新たな生態系が構築されていく途上にあるのだと思います。
オークの攻撃によって、地上からすべてが消えました。この過酷な環境で生き残るには、爬虫類ではクルロタルシ類、哺乳類では有袋類が適していたのでしょう。
そして、200万年の間に、ヒトには競争相手ができた……。
それがセロ……、手長族なわけです。
生態系再構築の途上である以上、ヒトにもチャンスはあります」
「コウノギさん、白魔族の正体を知っていますか?」
「議長、白魔族と黒魔族は、ヒト科ヒト亜科の動物であることは間違いありません。
我々の分子生物学者が遺伝子を解析し、正体を突き止めました。
200万年前、ヒト科にはヒト亜科とオランウータン亜科があり、ヒト亜科にはヒト属、チンパンジー属、ゴリラ属の3属が存在していました。
チンパンジー属とゴリラ属は、大消滅で滅んだでしょう。
ギガスはチンパンジー属と同列、オークはもう少しヒトに近くヒト亜族内の属に分類できると聞いています。
ヒト以前に生まれた属で、ヒト亜族で最も古いサヘラントロプスとほぼ同時代に分岐したとされています。
200万年前を基準にしますが、600万年から700万年前のことです。
オークとギガスは、未知のヒト科動物によって70万年前頃に使役動物として家畜化されたようです。
ギガスは農耕などの労働、オークは戦闘用で、ギガスの幼体はオークの餌にされていました。
これが、オークとギガスの対立の原点です。
オークとギガスには共通点があり、彼らに教育を施した“全能神”が行っていたことをトレースする傾向があるようです。
つまり、真似ですね。
また、オークとギガスはヒトのように道具を創造することができないようです。
教育・習得したことは実行できますが、その根本、教育・習得すべきことを生み出すことはできない……。この特徴が先天的なものなのか、何らかの処置でなったのかわかりません。
ですが、いろいろな話を総合すると、ギガスは変わったようです。
私は、トーカと呼ばれるギガスの亜種と話をしましたが、とてもフレンドリーでした。
彼らとの音声でない会話は、精神的にひどく疲れますが……。
ギガスは何回かに分けて、200万年後に移住したようですが、最も古いと40万年以上前のことのようです。
最古の移住ギガスは滅んだようですが、25万年前の移住ギガスはトーカとなったようです。
彼らは、そのように説明しています。
トーカによると、200万年後に移住したオークはヒトを伴っていたとか。
トーカはオークに追われて、アフリカからユーラシアに渡ったようです。
トーカは、オークとの最初の接触は300年ないし400年前のことだと。
それ以前は、オークとの接触はないと説明しています。
そのオークこそが、私たちが追ってきた集団でしょう」
議長は、ノイリンのヒトが気にしている質問を投げかける。
「現在、北地区に不穏な動きがあります。
ヒトの外見の差をことさら大きく、評価する集団がいます。
ヒトは、その……」
議長は、言葉を続けなかった。
「言いにくそうですね。
優生学に基づく、優生思想のことですね。
21世紀には完全に否定された似非科学です。19世紀中頃から20世紀後半までの約150年間、ヒトを苦しめ続けました。
私が生まれた国でも、ひどいことが行われました。戦争の遠因になったこともあります。
とても邪悪な“宗教”です。
自然科学でも、人文科学でも、哲学でも、政治思想でもない……。
嫌悪すべき邪悪な宗教です。
精霊信仰はこの過酷な環境の中に生きるヒトが、自然に生み出した宗教です。ヒトに希望を与えます。
ですが、優生思想という宗教は、ヒトを分断し、ヒト同士で憎み合い、やがてヒトを滅ぼす……。
我々の分子生物学者は、イヌとオオカミは同じ動物だと……。巨大なブルーウルフとかわいいマルチーズは、まったく同じ生物だそうです。
遺伝子レベルでの差はない……。
肌の色、髪の色、瞳の色、体格、体毛の濃淡、そんな些末なヒトの差は、何の意味もないそうです。
マルチーズとポメラニアンのどっちがかわいいか、を学問として論じるようなバカげたことなのだそうです。
ノイリン北地区に、優生思想に取り憑かれたヒトがいることは知っています。この議場にもいるでしょう。
でも、気にすることはない……。
どんな社会にも一定数の愚か者はいる……」
香野木恵一郎は、彼自身がノイリンの一部のヒトから明確に敵として認定されたことを、いくつかの視線で感じた。
22
あなたにおすすめの小説
異世界で農業を -異世界編-
半道海豚
SF
地球温暖化が進んだ近未来のお話しです。世界は食糧難に陥っていますが、日本はどうにか食糧の確保に成功しています。しかし、その裏で、食糧マフィアが暗躍。誰もが食費の高騰に悩み、危機に陥っています。
そんな世界で自給自足で乗り越えようとした男性がいました。彼は農地を作るため、祖先が残した管理されていない荒れた山に戻ります。そして、異世界への通路を発見するのです。異常気象の元世界ではなく、気候が安定した異世界での農業に活路を見出そうとしますが、異世界は理不尽な封建制社会でした。
大絶滅 2億年後 -原付でエルフの村にやって来た勇者たち-
半道海豚
SF
200万年後の姉妹編です。2億年後への移住は、誰もが思いもよらない結果になってしまいました。推定2億人の移住者は、1年2カ月の間に2億年後へと旅立ちました。移住者2億人は11万6666年という長い期間にばらまかれてしまいます。結果、移住者個々が独自に生き残りを目指さなくてはならなくなります。本稿は、移住最終期に2億年後へと旅だった5人の少年少女の奮闘を描きます。彼らはなんと、2億年後の移動手段に原付を選びます。
勇者に全部取られたけど幸せ確定の俺は「ざまぁ」なんてしない!
石のやっさん
ファンタジー
皆さまの応援のお陰でなんと【書籍化】しました。
応援本当に有難うございました。
イラストはサクミチ様で、アイシャにアリス他美少女キャラクターが絵になりましたのでそれを見るだけでも面白いかも知れません。
書籍化に伴い、旧タイトル「パーティーを追放された挙句、幼馴染も全部取られたけど「ざまぁ」なんてしない!だって俺の方が幸せ確定だからな!」
から新タイトル「勇者に全部取られたけど幸せ確定の俺は「ざまぁ」なんてしない!」にタイトルが変更になりました。
書籍化に伴いまして設定や内容が一部変わっています。
WEB版と異なった世界が楽しめるかも知れません。
この作品を愛して下さった方、長きにわたり、私を応援をし続けて下さった方...本当に感謝です。
本当にありがとうございました。
【以下あらすじ】
パーティーでお荷物扱いされていた魔法戦士のケインは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもないことを悟った彼は、一人さった...
ここから、彼は何をするのか? 何もしないで普通に生活するだけだ「ざまぁ」なんて必要ない、ただ生活するだけで幸せなんだ...俺にとって勇者パーティーも幼馴染も離れるだけで幸せになれるんだから...
第13回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞作品。
何と!『現在3巻まで書籍化されています』
そして書籍も堂々完結...ケインとは何者か此処で正体が解ります。
応援、本当にありがとうございました!
最難関ダンジョンをクリアした成功報酬は勇者パーティーの裏切りでした
新緑あらた
ファンタジー
最難関であるS級ダンジョン最深部の隠し部屋。金銀財宝を前に告げられた言葉は労いでも喜びでもなく、解雇通告だった。
「もうオマエはいらん」
勇者アレクサンダー、癒し手エリーゼ、赤魔道士フェルノに、自身の黒髪黒目を忌避しないことから期待していた俺は大きなショックを受ける。
ヤツらは俺の外見を受け入れていたわけじゃない。ただ仲間と思っていなかっただけ、眼中になかっただけなのだ。
転生者は曾祖父だけどチートは隔世遺伝した「俺」にも受け継がれています。
勇者達は大富豪スタートで貧民窟の住人がゴールです(笑)
蒼穹の裏方
Flight_kj
SF
日本海軍のエンジンを中心とする航空技術開発のやり直し
未来の知識を有する主人公が、海軍機の開発のメッカ、空技廠でエンジンを中心として、武装や防弾にも口出しして航空機の開発をやり直す。性能の良いエンジンができれば、必然的に航空機も優れた機体となる。加えて、日本が遅れていた電子機器も知識を生かして開発を加速してゆく。それらを利用して如何に海軍は戦ってゆくのか?未来の知識を基にして、どのような戦いが可能になるのか?航空機に関連する開発を中心とした物語。カクヨムにも投稿しています。
後日譚追加【完結】冤罪で追放された俺、真実の魔法で無実を証明したら手のひら返しの嵐!! でももう遅い、王都ごと見捨てて自由に生きます
なみゆき
ファンタジー
魔王を討ったはずの俺は、冤罪で追放された。 功績は奪われ、婚約は破棄され、裏切り者の烙印を押された。 信じてくれる者は、誰一人いない——そう思っていた。
だが、辺境で出会った古代魔導と、ただ一人俺を信じてくれた彼女が、すべてを変えた。 婚礼と処刑が重なるその日、真実をつきつけ、俺は、王都に“ざまぁ”を叩きつける。
……でも、もう復讐には興味がない。 俺が欲しかったのは、名誉でも地位でもなく、信じてくれる人だった。
これは、ざまぁの果てに静かな勝利を選んだ、元英雄の物語。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
僕の秘密を知った自称勇者が聖剣を寄越せと言ってきたので渡してみた
黒木メイ
ファンタジー
世界に一人しかいないと言われている『勇者』。
その『勇者』は今、ワグナー王国にいるらしい。
曖昧なのには理由があった。
『勇者』だと思わしき少年、レンが頑なに「僕は勇者じゃない」と言っているからだ。
どんなに周りが勇者だと持て囃してもレンは認めようとしない。
※小説家になろうにも随時転載中。
レンはただ、ある目的のついでに人々を助けただけだと言う。
それでも皆はレンが勇者だと思っていた。
突如日本という国から彼らが転移してくるまでは。
はたして、レンは本当に勇者ではないのか……。
ざまぁあり・友情あり・謎ありな作品です。
※小説家になろう、カクヨム、ネオページにも掲載。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる