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第2章
第五三話 ヘリコプター
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夏の兆しが見える頃、ノイリンは地区ごとに再編の動きがあった。一種の行政地区の区割りだ。
首都的機能を担う中央地区、俺たちが住む北地区、時計回りに、東地区、東南地区、西南地区、西地区の六地区。
人口増加の目標を立て、八〇〇〇から一万人規模まで早期の実現を目指している。
そこで、各地区は一五〇〇から二〇〇〇の人口を求められた。
北地区には五〇〇を少し超える程度しかいなかった。
そして、中央地区、東地区、西南地区は一五〇〇を超えている。
北地区だけが、極端に少ない。
その理由として、非合理的な土地の利用、が指摘されている。
滑走路と燃料工場の広大な敷地が土地の有効利用を妨げていると、中央評議会から指摘された。
それは、正鵠を射ていた。
俺たちは、滑走路と燃料工場をノイリン内郭要塞外に移設することを決定していた。
北地区には、大量の燃料を必要とするグループがある。
俺たち北方低層平原で結成されたグループ、クラウスたち水運グループ、サビーナたち航空グループ、装甲車を含む車輌多数を装備する大佐グループだ。
これらグループにとって燃料の供給は死活問題だが、大量の車輌を持たないグループにとっては、どうでもいいこと。
燃料ならば、鬼神族からも手に入る。
結果として、四グループだけが早期に滑走路と燃料工場、酒蔵、車輌工場、造船所を撤去し、住居を要塞北端に移動することを決める。
北地区には、一〇〇〇を超える大集団が移住してくることになった。北地区の大半は、この移住者たちに明け渡す。
居館は解体移築する。
変わらず残されるのは、北地区北方外郭にある広大な農地と滑走路脇の格納庫三棟のうち二棟のみだ。
北地区と隣接する東地区との農地の境界には、南北に細長い沼がある。
この沼の主たる水源は湧水。北に向かって流れ出て、ロワール川に注ぐ川がある。
川幅は一〇メートル内外あり、ドラキュロの阻止に一定の効果がある。
だが、沼の南側からノイリン内濠までは一切の障害物がない。
沼の南端からノイリン内濠までの距離は最短五キロ。ここに水路を造れば、我々の農場は安全になる。
だが、現在は南から北に流れている沼の水が、水路の掘削によって逆流することを恐れる東地区が、水路建設に反対している。農業用水の減少を心配しているのだ。
防御壁の設置は、「日当たりが悪くなり、作物の生育に影響がある」と反対している。
これではどうにもならない。
ドラキュロの垂直跳躍力は一〇メートルに達することがある。
防壁の高さは最低でも一二メートルは欲しい。
結果、片倉の発案で、農地の境界に木製の柵を、その柵から幅一五メートルで沼まで螺旋の有刺鉄線を複数列敷設することになった。
東地区からの干渉を防ぐため、短期間で造ることにした。
この一帯は、西にロワール川本流、東と北は沼と河川、南は壁とノイリン内濠によって守られる非常に安全な農地・工業用地となる。
しかも、面積は広大だ。
数日で有刺鉄線を幾重にも敷設して、幅一五メートルの防御帯を全員総出で作った。
これで、恒久的ではないがドラキュロの侵入を阻止できる。
そこからは早かった。
すべての工場の移築を一か月で終え、四月の中旬には操業を再開する。
その移設進行中に、北端に新たな住居を他地区の業者に依頼して建設。煉瓦造りの二階建てだ。
そして、旧居館の木製ブロックのみを利用して、さらに木造一棟を追加。その後も次々と住居を建設する。
小工場や作業場などは、土地が足りず内濠より外側に移した。
意外なこともあった。
本来、移転の必要がないチェスラクのグループが、鍛冶場を内濠の外側に移設すると言い出した。住居も「そのうち移転するから、場所を開けておけ」と。
ケレネスのグループは、もともと北側に住居があったので、そのまま。農地も地域としては一緒。
ヴァリオのグループは離脱し、世代を重ねた人々が多い西地区に移る。俺たちと西地区は関係が深く、ヴァリオの決断は不思議ではなかった。
結局、旧北地区主要七グループのうち六グループが残り、グループ単位での離脱は一グループだけだった。
結果、北地区総面積の四分の一を確保できた。
格納庫の中には飛行機が収まっているが、滑走路はまだ未整備だ。
今度は土を固めただけではない、舗装した滑走路を造る計画だ。
ベルタはヘリコプターの必要性を説いていて、北方低層平原を乗り切ったメンバーはそれを理解している。
もちろん、俺と由加もヘリの獲得に賛成だ。
だが、ヘリを修理するには、この壊れたヘリの購入金額をはるかに上回る資金が必要になる。
北地区北端グループの多くは、消極的でもある。
現在、固定翼機が五機あり、回転翼機にこだわる必要を感じないという理由もある。
斉木や能美は、ヘリの完全買い取りを主張している。
稼ぎ頭である斉木やウィルの燃料生産は順調で、それだけの資金的余裕もある。
中央平原出身者は、スパルタカスのヘリを見ているので、その有効性をよく知っている。将来のことを考えて、購入に賛成している。彼らの酒蔵も繁盛しているので、資金余力がある。
金沢たち車輌工場は、利益を出しているとは言いがたい。
北方低層平原の厳しい冬を乗り越えたメンバーは、独特の連帯感があった。
それは、スペイン語を話すアグスティナ、フローリカ親子も同じだ。
この親子は、中央地区にヘアカットの店を開設した。客のほとんどは精霊族らしい。彼らの頭髪に対するこだわりは尋常ではなく、しばしば禿〈かむろ〉の鬼神族への当て付けでは、と勘ぐってしまうほどだ。
そして、精霊族の支族であるトゥクルクのミューズとララ親子も俺たちと一緒に行動することが多い。北方低層平原での越冬以降で、明確に我々と行動を共にする覚悟をしているのはこの親子だけだ。
全体会議において、北方低層平原グループがMi‐8汎用ヘリコプターを買い取りたい、という主張は歓迎された。
これは、正直意外だった。とくにクラウスのグループからの反対がないことが驚きだった。
クラウスたちは、このヘリの修理は不可能と判断しているようだ。
他のグループは、単に不要品と考えている。巨大な粗大ゴミだ。
現状ではその通り。
俺たちのグループは、買い取った値段で、購入することができた。
飛べないヘリは、俺たちのものになった。
よく晴れた朝、スパルタカスが双発のUH‐1イロコイでやって来た。
その一時間後、ハンニバル・バルカがOH‐6カイユースで来訪。
新設した集会所の食堂で、中央平原の北にある草原地帯に放置されているMi‐8の回収についての話し合いが始まる。
ハンニバルが話し始める。二五歳前後の美形だ。顔立ちはヨーロッパ系で、五〇〇年の歴史があるカルタゴの指導者が新参者とあって、少々驚いている。
「最近、引っ越しをされたそうですね」
俺が答える。
「えぇ、ノイリンは人口が増えているので……」
「皆さんのあとに誰が来るか知っていますか」
「……?」
「アガタの一派です」
「あがた?」
「奇妙なグループです」
「奇妙?」
「考え方が……」
「どういうふうに?」
「ヒトを外見や性別、職業で差別します」
「異教徒ですか?」
「そうです。アガタは政治思想的指導者です。
ある種の排他主義者です。暴力的でもあります。
厄介な人物なので、十分に気をつけてください」
「なぜ、そんなことを……?」
ハンニバルに代わって、スパルタカスが答えた。
「山脈山麓一帯では、有名な連中なんだ。
アガタはね。
街に入り込んでは盗みや暴力沙汰を起こし、最後に追い出される。
それで放浪を続けている」
「一〇〇〇人ですよ」
「総勢一二〇〇人くらいだよ」
「盗賊、なんですか?」
「盗賊のほうがましだね。
盗賊は盗みは悪事だと理解しているが、アガタの一派は劣るものから奪うことは悪とは考えていない……。
詭弁を弄し、他者をだまして物資を奪う。
詐欺や窃盗はするが、強盗はしないんだ」
俺には返す言葉がなかったし、アガタという人物を想像さえできなかった。
同席している斉木、ベルタ、ウルリカ、シャーマン・マリが心配そうな表情だ。
俺は話を変えることにした。
「ハンニバルさん、ヘリの回収を手伝っていただけますか?」
「手伝おう。
そのつもりだ。
だが、条件がある。
燃料が欲しい」
「どれだけ?」
「四〇〇キロリットル……」
「大型タンクローリー二〇台分ですか?」
「一括でなくていい。
燃料が不足していて、ヘリや飛行機を簡単には飛ばせないんだ」
「それはどこも同じでしょ」
スパルタカスがフォローする。
「トロイとカルタゴは、岐路に立っている」
「岐路?」
「時間のトンネルを抜けると、奇妙な盆地に出る」
「知っています。
俺たちもそこに出ましたから。
鍋の中のような地形でしょ」
「そうだ。
あの鍋は、過去五〇〇年間、何度か完全に砂に埋まった。
幸運にも埋もれたときにやって来た人々は、車輌ごと、物資を抱えて、この世界での新生活に臨むことができたんだ。
それでも、多くは生き残れなかった」
「俺たちは、あそこから脱出しました」
「あぁ、希な例だよ。
三〇〇年に一度あるかないかの希有な例だ。
多くの移住者は、あそこで何もかも捨てて脱出するんだ」
「それで、貴方たちが物資を回収する……」
「そう簡単じゃぁない。
鍋の縁の上の雲を見たか?」
「リング状の雲のことですか?」
「そうだ。
あの雲が出ていると、鍋の中には入れない。計器が狂い、エンジンも止まる。
磁気か何かの影響だろう」
「出ていないこともある?」
「ある。何年かに一回、そういうことがある。俺たちはそのときに回収するんだ」
「で?」
「あんたたちがやって来たあと、誰も来ない」
「……?!」
「あんたたちが最後だ」
「確かに、俺たちは移住最末期なんだが、まだいるでしょう。後続は……。
あと、半年は動かせると聞きましたよ」
「いや、あの地形もなくなった」
「ない?」
「あぁ、消えた」
「消えた?」
「終わったんだ。
移住が……」
ハンニバルが代わる。
「雲は不定期に消えるので、常時監視していた。
雲が消えたら、あそこから車輌や物資を回収していたんだ。
過去には、移住者を助けたこともあったそうだ。
だが、雲はもちろん、あの地形自体が消えた。
もう、何も手に入らない」
「売り物が、仕入れられない……」
「そうだ。
ハンダ、手を貸して欲しい。
このままでは、カルタゴとトロイの住民が飢えてしまう」
「どうすればいい?」
「移住先を見つけてある。
半年かけて移住するつもりだが、そのための燃料が欲しいんだ。
安定して供給して欲しい」
「どこに移住するつもり?」
「クフラック」
俺は正直、驚いていた。
クフラックを調べている連中がいることは知っていたが、それがカルタゴとトロイだとは思ってもいなかった。
「カルタゴとトロイが、クフラックに?」
「カルタゴとトロイは同根なんだ。
それに、私たちの祖先は、一時期、クフラックに住んでいた。
人食いの侵入が激しくなり、アルプスの山の中に逃げ込んだ。
夏でも寒冷で、気温が五度を下回る土地には人食いは侵入しない。
そして、道が険しいので、ヒトが訪れることもない……」
「人食いとヒトから安全だと?」
「完全に」
「その安全な巣穴から出ようと?」
スパルタカスが答える。
「作物が実らない。
寒すぎてね」
「クフラックは、ノイリンの数倍はある永久要塞ですよ。
修復することは簡単ではない……」
「それはわかっているが、あそこから西の野蛮人が出て行ってくれなければ、俺たちは行く場所がなかった。
凍てつく山の中で餓死することになりかねなかったんだ」
「で、現在、黒魔族を追い出し、クフラックを占拠しているヒトは、カルタゴとトロイなわけ?」
「送り込んだのは三〇〇だ」
「協力は燃料だけで大丈夫?」
スパルタカスがモジモジする。この偉丈夫の仕草としては、かわいかった。
「農業の学者さんがいるんだろう?
そのヒトに、作物の作り方を教えて欲しいんだ。
寒くても実る作物がいい」
俺は斉木を見た。
「先生、どうします?」
「まぁ、何とかするしかないね。
ただ、クフラックには放棄されてはいるが、農地がある。
何とかなる。
何とかしなければね」
放置されているMi‐8の回収に話しが移る。
「Mi‐26というヘリコプターで、車輪が埋まったMi‐8を持ち上げられますか?」
俺の問いにハンニバルが答える。
「たぶん、無理だ。埋まっている状態では危険が伴う」
「どうすればいいでしょう?」
「埋まった車輪を掘り出してもらわないと……」
「その場所は、人食いの密度が高く、長時間の作業は無理なんです。
せいぜい、一〇分か一五分が限度」
「人食いは、顔を隠せばしばらくは気付かない。
疑って近付いては来るが、三〇分ほどはだませる。
ただ、匂いか、それとも他の何かで、見分けてしまう。
どう偽装しても、30分が限度……。
その時間で、何とかしてもらうしかない」
「顔を隠せば、完全にばれない……のでは?」
「いいや、なぜだかわからないが、気付くんだ。
ヒトだと」
それは、スパルタカスも同意した。確かなことらしい。ドラキュロの対人兵器としての性能は、完璧に近いようだ。
俺が言う。
「人食いは、一〇〇〇年くらい前に黒魔族が白魔族を殺すために作った一種の生物兵器らしい……。
ですが、二足歩行の全霊長類を襲うようになったようです。
ヒトを含めてね……」
「その話は初めて聞いたぞ」
スパルタカスの反応にハンニバルも同意する。
「この話はいずれまた。
30分か……。
厳しいな。
車輌を投入したほうがいいかな?」
「人食いは、ヒトを追跡するんだ。
うっかりすると、呼び込んでしまうぞ」
「それは知っているんですが……。
ヘリだけのほうが安全か?」
二人が頷き、スパルタカスが言った。
「俺たちもヘリを出すよ。
俺たちのヘリに、二〇人でも、三〇人でも乗っていけばいい」
「それはダメです。
地上の作業員を回収できなくなるし、人数が多ければ、それだけ人食いに発見されやすくなるから……」
「その通りだな。
で、どうやって生きて帰るつもりなんだ。地上に降りた連中は?」
「ヘリを懸吊できるようにしたら、Mi‐8のキャビンに乗り込む予定です。
俺たちを乗せて、吊り上げてください。
ロープにつかまって、吊り上げてもらうなんて芸当は、俺たちにはできないから……」
スパルタカスが笑った。
「現実的だな」
「三〇キロほど北に氷河湖があります。
その氷河期に小さいが島があります。
そこまで運んでくれれば、そこでローターを折りたたんで、空中輸送できるように準備ができるんですが……」
ハンニバルが反対する。
「いいや、西に五〇キロ運んでしまおう。
そこで降ろすから、そこから先は陸送してくれ。
状態不明のヘリを懸吊して、モンブラン山の麓には向かいたくない。
気流が悪いんだ」
「承知しました」
俺が立ち上がり手を差し出すと、ハンニバルが握り、続いてスパルタカスとも握手した。
その夜は、ハンニバルとスパルタカス一行を歓迎して、宴会となった。
子供たちがはしゃぎ回り、なかなか寝ない。ヘリコプターの機内を見せてもらい、操縦席に座った子もいる。
ハンニバルは、優しそうな若い女性だ。女の子数人がまとわりついている。
宴席で俺がハンニバルの隣に座ると、彼女が鍋からの脱出について尋ねてきた。
「どうやって、車輌と一緒に脱出できたんだ。
そういった例は、一〇〇〇年間で一〇あるかないかだ」
「あの鍋には、穴が開いていた。
その穴から出た」
俺は笑いながら答えた。
「ヒト一人が通れるほどの穴はいくつかあるが、クルマが通れるような穴はないはずだ」
「埋まっていた。
穴はね。
その穴の痕跡を偶然見つけて、掘ったんだ」
「戦車は持ち込んだのか?」
「いいや、最初の戦車は、鍋の中で見つけた。武器と弾薬を積んだトラックも。
その他、医薬品や日用品も見つけたよ。
宝の山だった」
「この世界にやってきた人の多くは、あそこで持ってきた物資のあらかたを捨てるんだ。
だから、何でもある。
だけど、滅多に持ち出せない……」
「運が悪ければ、貴方たちが持ち出した直後に、俺たちがやってきた可能性があるわけだね」
「いいや、私たちがすべてを持ち出せたことはない。
いつも、全体量のわずかしか持ち出せていないんだ」
「でも、あまりなかったですよ」
「砂に埋まっている」
「砂の中にもっとあると?」
「あぁ」
「車輌も?」
「そうだ」
「モンブラン山の南、例の場所の北西に海抜よりも低い低地があるのは知っていますね」
「もちろん、知っている」
「あそこから、車輌や物資を回収したことは?」
「ある。
あのグループは大規模だった。
空前の大人数で、装備もよかった。
雲が一〇日も出なくて、数機のヘリコプターで物資を輸送していた」
「数機?」
「複数だ。二機か、三機」
「クレーンヘリは?」
「クレーンヘリ?
そんなものがこの世界にあるのか?」
ハンニバルの反応は、スパルタカスと同じだ。彼らは本当に知らないのかもしれない。
「確実に一機はあります。
もう飛べないかもしれないけど……」
「貴方たちは脱出に協力しなかった?」
「先代が、協力を申し入れたんだが、断られた、と聞いた。先代から直接ね。
先代が法外な代償をふっかけた可能性はあるけど……。
でも、先代は多くを話さなかった。
何かあったのかもしれない」
「ほとんどが、人食いに食われたんです。
仲間に生き残りがいます」
「そうなのか……。
でも、それとは違うように思う。
人食いに食われるのは、よくあることだから……」
そうだ、ヒトがドラキュロに食われることは、この世界では普通のことなのだ。
「でも、先代は手をつけなかったんだ。
理由は知らない。
だが、私は回収したよ。
それが仕事だから……」
「建設資材とか……」
「建設資材?
私が回収したのは、小型の四駆がほとんどだ。
あの土地は、草の丈が高くて、上空からでは発見が難しいんだ。
それに、私が捜索を始めたのは、先代が逝ってからだから、もう何年も経ってからなんだ」
「スパルタカスは?」
「彼は、私たちが回収を始めて、それで気付いた。
だから、彼は後手を踏んだんだ」
ちーちゃんとマーニが来た。
ちーちゃんが俺を非難する。
「おじちゃん、お姉ちゃんと二人でお話ししてずるい~」
以後、ハンニバルを子供たちに取られた。
俺は、北方低層平原には、まだ多くの物資が眠っていると確信した。
やはり、ヘリは絶対に必要だ。
翌朝、斉木が「土産に」と〝密造酒〟数種を大きな木箱に入れて渡すと、スパルタカスはたいそうな喜びようだ。
ハンニバルは微笑んでくれたが、彼女のパイロットは、その場で栓を開け飲む仕草をして、おどけた。
陽気な人たちだ。
六月中旬を過ぎると、短い雨期がある。霧雨が毎日数時間降る。この時期の降雨は朝方が多い。
この雨期前に、放置されているMi‐8を回収することになった。
ノイリン各地区の助力を得て、住居の建設に励んでいるが、他地区でも区画整理と移転があるので、希望するようには進まない。
滑走路と格納庫三棟の建設はバラックみたいなものだが完成していて、燃料工場は暫定的ではあるが生産を再開している。
滑走路は一五〇〇メートル。地面をローラーで固め、アスファルトを撒いただけの簡易舗装だが、運用を始めている。
飛行場と呼ぶには貧弱だが、我々は〝空港〟と名付けていた。
ショート・スカイバンによるMi‐8の偵察は、隔日で実施している。当然、ドラキュロの動向も監視している。
やはり、密度が高い。数百体級の大群を複数確認している。
ドラキュロは、目標を見つけるまでの動きは緩慢だ。おそらく、代謝を極限まで抑制しているのだろう。
目標を見つければ、ヒトとは次元の異なる身体能力を発揮する。
逆に、ヒトと認識させなければ、その驚異的な身体能力を発揮することはない。
過去のいろいろな経験から、動物やガスマスクなどのお面が一定の偽装効果があることは知っていた。
だが、スナイパーが使うギリースーツ(特殊迷彩服)は、顔をどうペイントしても効果がないことも伝え聞いている。
顔を隠しながら、作業性のよいものを工夫しなければならないが、外部から完全に目が見えないフルフェイスのヘルメットが最良と判断している。
だが、そんなものをこの世界で探し出すことは、至難だ。
今回もガスマスクを使うつもりだ。目の部分には、視界を妨げない程度の目隠し加工をする。
北地区北部と南部の境界に沿って、斉木の指導で子供たちが菜の花畑を作った。
境界線とか緩衝地帯にするつもりはなかったが、幅一〇メートルの黄色い花の帯ができるはずだ。菜の花は美しいし、菜種からは食用油が採取できる。
使い終わった油は、バイオディーゼルになる。
自動車工場とチェスラクの鍛冶場は、内濠の外側に隣接している。
燃料工場は、ロワール川河畔にあり、酒蔵は沼の南端にある。
これら生産拠点を結ぶ道も造った。未舗装だが……。
生産拠点が分散したので、各拠点には対ドラゴン用の対空砲陣地が設置された。二〇ミリ機関砲二連装で、俯仰旋回は水圧モーターで作動する。
この水圧モーターは相馬の設計だ。
また、各生産拠点には仮宿泊所が設置された。夜間の警備などで、泊まり込みが必要になっためだ。
沼は南北に約七キロ、幅は最大でも七〇〇メートルほどと細長い。
この沼は、おそらくロワール川の分流が内陸に封じ込められて生まれた。流れ込む小河川が複数あり、また沼の底に大量の湧水があるので水量を維持している。最大水深は四メートル、平均水深は一メートル強と推定している。
沼からロワール川に注ぐ河川が一本あり、この川の幅は一〇から一五メートルほどある。最大水深は二メートル。砂の堆積で浅くなっていた場所は、ドラキュロ対策のために浚渫して水深を上げた。
一四キロ北に流れて、ロワール川に達する。
我々の農地は、南北に二六キロもの広大な面積がある。水も豊富だ。
川の中間線が東地区との境界で、境界より東側の浚渫は東地区と相談しなければならないが、彼らは非協力的で、必ず法外な保証金を要求してくる。
その要求には応じず、浚渫できない場合は、河原に施設する螺旋の有刺鉄線で防衛線を築いた。
それと、東地区の農地は我々よりも広いが、機械化が遅れていて二〇パーセントほどしか耕作できていない。
新参者が多い地区だが、保守的で、変化を嫌うように感じる。一五〇〇人超を養うことができるだけの、農業生産高があるようには思えない。
放棄されたMi‐8に降下する人員が選抜された。
俺、金沢、デュランダル、アンティの四人。
この四人で、車輪を掘り出し、機体にワイヤーをかけて、懸吊のための作業を一五分で行う。
そのための訓練を、滑走路脇に駐機した現有のMi‐8で徹底的に訓練した。
放棄されたMi‐8の機体上部で、ワイヤーを取り付ける作業は、一番身軽な金沢。
俺、デュランダル、アンティは、車輪の掘り出し係だ。
吊り上げた際に、空気抵抗でローターが回転しようとする可能性があるが、そうなった場合はワイヤーの強度で止める以外に方法がない。
撤収は、吊り下げられたMi‐8の機内に乗り込んで、運んでもらう。
一五分で作業を終えられれば、誰も死ぬことはない。
シミュレーションは、二〇回行った。最終的には一〇分で完了できるようになった。
実際はどうなるかわからないが……。
ショート・スカイバンが天候の確認のために離陸する。
スカイバンには由加が乗り、作戦全体を指揮する。
Mi‐26には、ベルタが乗る。
Mi‐8の操作で、俺たちが習ったことは、ローターが勝手に回らないようにするための操作だけだ。
だが、放棄されているMi‐8のローターは、風で回転した様子がない。正常な駐機状態にあると、ベルタは判断している。
最初の決行予定日は、風が強く延期となった。
その翌日は雨。
その翌日は快晴だが、現地に風がある。
その翌日は曇天だが、運搬先が強風。
その翌日、ようやく条件が揃った。
Mi‐8の運搬地点には、何日も前から輸送隊が待機している。
輸送隊は、クレーン付き四トン車、牽引用の六輪ウニモグ、各種装輪装甲車で編制されている。
空輸されたMi‐8は、大型車輪を取り付けた特製ドリーで牽引される。
地上には、ドラキュロが無数にいた。これほどの密度は見たことがない。
この生物は、通常は突っ立っているだけだ。そして、時々、ゆっくりと歩いて移動する。一日の移動距離は数キロ程度。
俺たち四人は、スパルタカスのUH‐1イロコイに乗っている。
ロープを使って降下するなどできるはずはなく、イロコイでMi‐8の近くに降ろしてもらい、そこから自分の足で地上を走る。
個人装備は、屈折銃床のAK‐47と交換用弾倉一つ。マチェッテ一振。それとスコップだ。金沢はスコップの代わりに、梯子を抱えている。それと、大型トラック用の油圧ジャッキ。ジャッキ本体はアンティが抱え、長い棒状ハンドルは俺が持つ。
空中機動の兵士のような格好よさはかけらもなく、ドタドタと人食い兵器に怯えきった四人の男が灌木と丈の高い草がまばらに生える草原に、ヘリから降り立った。
イロコイは、接地する直前で離陸する。
振り返って見たイロコイの上昇は、ベトナム戦争の映画のシーンと同じだった。
イロコイの塗装がオリーブドラブではなく、明るいつや消しグレーである点が違っている程度だ。
そう感じた俺は、非常な恐怖を感じた。何に対する恐怖かはわからない。ただ、怖かった。
そして、先行する三人を追った。
デュランダルが観音開きの機体後部ランプドアに取り付く、俺もそれに続く。
金沢が機体に梯子をかけ、それをアンティが抑えて、機体上部への移動をアシストする。
機体内にドラキュロはいなかった。また、以前確認したときと同じように、ヒトの死体もない。
あのときと大きな変化はないが、砂が大量に入り込んでいる。
あのとき、ランプドアは閉めておくべきだった。そんなどうにもならない後悔が頭をよぎる。
明らかに正常な精神ではない。
デュランダルの目が見えない。彼が動揺しているのか、それとも冷静なのかわからない。
彼から見た俺もそうだろう。
「行こう」とデュランダルが言った。
二人で、機外に出る。
金沢は機体上部に上がっていた。
アンティは、右後輪車軸にリフト用のロープを取り付け、それを金沢に投げ渡そうとしている。
デュランダルが左後輪に向かい、俺は前輪に取り付く。
まず、リフト用のロープを車軸に取り付け、それを金沢に投げ渡したら、車輪の掘り出しを始める手はずだ。
すでに何体かのドラキュロが、俺たち四人に関心を示していて、こちらを見ている。やがてゆっくりと近付き、直近まで迫られると、方法は不明だがヒトと見分けられてしまう。
だが、まだ大丈夫だ。
俺はダブルタイヤの前輪の周囲を必死に掘っているが、地面が固く、掘り進められない。以前はもっと柔らかかったように記憶しているのだが……。
アンティが油圧ジャッキで強引に車輪を地面から引き剥がそうとしている。
それが正解だ。
地面を掘ってジャッキを押し込む空間を作ったら、あとはジャッキで持ち上げたほうが効率的だ。
だが、ジャッキは一基しかない。
デュランダルが取り付く車輪のほうが深く埋まっている。
ジャッキを押し込むのに時間がかかる。
ドラキュロがだいぶ近付いてきた。一〇〇を超える個体数に囲まれた。丈の高い草に隠れている個体もいるようだ。何体に囲まれているのか、見当もつかない。
左右の後輪が、地面から引き剥がされた。
前輪にジャッキが運ばれる。だが、車輪の上部がようやく見えてきた程度だ。
機体下部に寝転んで潜り込み、三人で必死に掘る。アンティが抜ける。AK‐47を構えて、周囲を警戒する。
すでに一五分はとうに経過し、危険な状態になっている。
失敗だ。
前輪が埋まりすぎている。ジャッキを入れるほど掘れない。
俺はデュランダルに、「どいてくれ!」と叫んだ。
もう、時間がない。機体が埋まりすぎていて効率的に作業できるスペースがないのだ。
これでは、どうにもならない。
俺は車輪後部が半分ほど見えている穴に、手榴弾を入れた。
慌てて、機体の下から後ずさりで這い出す。
爆発。
車軸が壊れ、穴が広がっている。だが、車輪は外れていない。
もう一発仕掛ける。
周囲の土はグズグズだ。車輪のゴムはズタズタ。もう、地面に固着していない。
デュランダルが金沢に合図し、金沢が赤の発煙筒に点火。
上空で離れていたMi‐26が懸吊用ワイヤーを下げながら、Mi‐8の直上に降下してくる。
金沢がワイヤーをかけようとすると、アンティが発砲。デュランダルが続く。
俺も発射する。
金沢が機体後部付近から地上に飛び降りる。
金沢が後部ランプドアから機内に入り、デュランダルが続く。
俺が機体横で黄色の発煙筒に点火。
Mi‐8のリフトが始まる。
アンティが機内に飛び込み、俺が続こうとすると機体が急に浮き上がった。
一瞬遅かった。
俺は、勢い余って大きく上昇したMi‐8に乗れなかった。
呆然としたが、同時に恐怖で固まった。
そこにイロコイがドアガンを発射しながら降りてきた。
俺は、AK‐47を発射しながら、イロコイに向かって走る。
数十メートルが遠かった。
だが、スキッドに足をかけ、機体の床に腹ばいになって、どうにか乗り込めた。
Mi‐26に吊り下げられたMi‐8は西に向かい、俺を乗せたUH‐1イロコイはトロイに向かう。
俺は、死ななかった。
俺は、チュールとの〝死なない〟約束を破らなかった。生きていることよりも、それのほうが嬉しい。なぜなのだろうか?
約束など意味をなさないこの世界で、子供との約束を守れたからだろうか?
首都的機能を担う中央地区、俺たちが住む北地区、時計回りに、東地区、東南地区、西南地区、西地区の六地区。
人口増加の目標を立て、八〇〇〇から一万人規模まで早期の実現を目指している。
そこで、各地区は一五〇〇から二〇〇〇の人口を求められた。
北地区には五〇〇を少し超える程度しかいなかった。
そして、中央地区、東地区、西南地区は一五〇〇を超えている。
北地区だけが、極端に少ない。
その理由として、非合理的な土地の利用、が指摘されている。
滑走路と燃料工場の広大な敷地が土地の有効利用を妨げていると、中央評議会から指摘された。
それは、正鵠を射ていた。
俺たちは、滑走路と燃料工場をノイリン内郭要塞外に移設することを決定していた。
北地区には、大量の燃料を必要とするグループがある。
俺たち北方低層平原で結成されたグループ、クラウスたち水運グループ、サビーナたち航空グループ、装甲車を含む車輌多数を装備する大佐グループだ。
これらグループにとって燃料の供給は死活問題だが、大量の車輌を持たないグループにとっては、どうでもいいこと。
燃料ならば、鬼神族からも手に入る。
結果として、四グループだけが早期に滑走路と燃料工場、酒蔵、車輌工場、造船所を撤去し、住居を要塞北端に移動することを決める。
北地区には、一〇〇〇を超える大集団が移住してくることになった。北地区の大半は、この移住者たちに明け渡す。
居館は解体移築する。
変わらず残されるのは、北地区北方外郭にある広大な農地と滑走路脇の格納庫三棟のうち二棟のみだ。
北地区と隣接する東地区との農地の境界には、南北に細長い沼がある。
この沼の主たる水源は湧水。北に向かって流れ出て、ロワール川に注ぐ川がある。
川幅は一〇メートル内外あり、ドラキュロの阻止に一定の効果がある。
だが、沼の南側からノイリン内濠までは一切の障害物がない。
沼の南端からノイリン内濠までの距離は最短五キロ。ここに水路を造れば、我々の農場は安全になる。
だが、現在は南から北に流れている沼の水が、水路の掘削によって逆流することを恐れる東地区が、水路建設に反対している。農業用水の減少を心配しているのだ。
防御壁の設置は、「日当たりが悪くなり、作物の生育に影響がある」と反対している。
これではどうにもならない。
ドラキュロの垂直跳躍力は一〇メートルに達することがある。
防壁の高さは最低でも一二メートルは欲しい。
結果、片倉の発案で、農地の境界に木製の柵を、その柵から幅一五メートルで沼まで螺旋の有刺鉄線を複数列敷設することになった。
東地区からの干渉を防ぐため、短期間で造ることにした。
この一帯は、西にロワール川本流、東と北は沼と河川、南は壁とノイリン内濠によって守られる非常に安全な農地・工業用地となる。
しかも、面積は広大だ。
数日で有刺鉄線を幾重にも敷設して、幅一五メートルの防御帯を全員総出で作った。
これで、恒久的ではないがドラキュロの侵入を阻止できる。
そこからは早かった。
すべての工場の移築を一か月で終え、四月の中旬には操業を再開する。
その移設進行中に、北端に新たな住居を他地区の業者に依頼して建設。煉瓦造りの二階建てだ。
そして、旧居館の木製ブロックのみを利用して、さらに木造一棟を追加。その後も次々と住居を建設する。
小工場や作業場などは、土地が足りず内濠より外側に移した。
意外なこともあった。
本来、移転の必要がないチェスラクのグループが、鍛冶場を内濠の外側に移設すると言い出した。住居も「そのうち移転するから、場所を開けておけ」と。
ケレネスのグループは、もともと北側に住居があったので、そのまま。農地も地域としては一緒。
ヴァリオのグループは離脱し、世代を重ねた人々が多い西地区に移る。俺たちと西地区は関係が深く、ヴァリオの決断は不思議ではなかった。
結局、旧北地区主要七グループのうち六グループが残り、グループ単位での離脱は一グループだけだった。
結果、北地区総面積の四分の一を確保できた。
格納庫の中には飛行機が収まっているが、滑走路はまだ未整備だ。
今度は土を固めただけではない、舗装した滑走路を造る計画だ。
ベルタはヘリコプターの必要性を説いていて、北方低層平原を乗り切ったメンバーはそれを理解している。
もちろん、俺と由加もヘリの獲得に賛成だ。
だが、ヘリを修理するには、この壊れたヘリの購入金額をはるかに上回る資金が必要になる。
北地区北端グループの多くは、消極的でもある。
現在、固定翼機が五機あり、回転翼機にこだわる必要を感じないという理由もある。
斉木や能美は、ヘリの完全買い取りを主張している。
稼ぎ頭である斉木やウィルの燃料生産は順調で、それだけの資金的余裕もある。
中央平原出身者は、スパルタカスのヘリを見ているので、その有効性をよく知っている。将来のことを考えて、購入に賛成している。彼らの酒蔵も繁盛しているので、資金余力がある。
金沢たち車輌工場は、利益を出しているとは言いがたい。
北方低層平原の厳しい冬を乗り越えたメンバーは、独特の連帯感があった。
それは、スペイン語を話すアグスティナ、フローリカ親子も同じだ。
この親子は、中央地区にヘアカットの店を開設した。客のほとんどは精霊族らしい。彼らの頭髪に対するこだわりは尋常ではなく、しばしば禿〈かむろ〉の鬼神族への当て付けでは、と勘ぐってしまうほどだ。
そして、精霊族の支族であるトゥクルクのミューズとララ親子も俺たちと一緒に行動することが多い。北方低層平原での越冬以降で、明確に我々と行動を共にする覚悟をしているのはこの親子だけだ。
全体会議において、北方低層平原グループがMi‐8汎用ヘリコプターを買い取りたい、という主張は歓迎された。
これは、正直意外だった。とくにクラウスのグループからの反対がないことが驚きだった。
クラウスたちは、このヘリの修理は不可能と判断しているようだ。
他のグループは、単に不要品と考えている。巨大な粗大ゴミだ。
現状ではその通り。
俺たちのグループは、買い取った値段で、購入することができた。
飛べないヘリは、俺たちのものになった。
よく晴れた朝、スパルタカスが双発のUH‐1イロコイでやって来た。
その一時間後、ハンニバル・バルカがOH‐6カイユースで来訪。
新設した集会所の食堂で、中央平原の北にある草原地帯に放置されているMi‐8の回収についての話し合いが始まる。
ハンニバルが話し始める。二五歳前後の美形だ。顔立ちはヨーロッパ系で、五〇〇年の歴史があるカルタゴの指導者が新参者とあって、少々驚いている。
「最近、引っ越しをされたそうですね」
俺が答える。
「えぇ、ノイリンは人口が増えているので……」
「皆さんのあとに誰が来るか知っていますか」
「……?」
「アガタの一派です」
「あがた?」
「奇妙なグループです」
「奇妙?」
「考え方が……」
「どういうふうに?」
「ヒトを外見や性別、職業で差別します」
「異教徒ですか?」
「そうです。アガタは政治思想的指導者です。
ある種の排他主義者です。暴力的でもあります。
厄介な人物なので、十分に気をつけてください」
「なぜ、そんなことを……?」
ハンニバルに代わって、スパルタカスが答えた。
「山脈山麓一帯では、有名な連中なんだ。
アガタはね。
街に入り込んでは盗みや暴力沙汰を起こし、最後に追い出される。
それで放浪を続けている」
「一〇〇〇人ですよ」
「総勢一二〇〇人くらいだよ」
「盗賊、なんですか?」
「盗賊のほうがましだね。
盗賊は盗みは悪事だと理解しているが、アガタの一派は劣るものから奪うことは悪とは考えていない……。
詭弁を弄し、他者をだまして物資を奪う。
詐欺や窃盗はするが、強盗はしないんだ」
俺には返す言葉がなかったし、アガタという人物を想像さえできなかった。
同席している斉木、ベルタ、ウルリカ、シャーマン・マリが心配そうな表情だ。
俺は話を変えることにした。
「ハンニバルさん、ヘリの回収を手伝っていただけますか?」
「手伝おう。
そのつもりだ。
だが、条件がある。
燃料が欲しい」
「どれだけ?」
「四〇〇キロリットル……」
「大型タンクローリー二〇台分ですか?」
「一括でなくていい。
燃料が不足していて、ヘリや飛行機を簡単には飛ばせないんだ」
「それはどこも同じでしょ」
スパルタカスがフォローする。
「トロイとカルタゴは、岐路に立っている」
「岐路?」
「時間のトンネルを抜けると、奇妙な盆地に出る」
「知っています。
俺たちもそこに出ましたから。
鍋の中のような地形でしょ」
「そうだ。
あの鍋は、過去五〇〇年間、何度か完全に砂に埋まった。
幸運にも埋もれたときにやって来た人々は、車輌ごと、物資を抱えて、この世界での新生活に臨むことができたんだ。
それでも、多くは生き残れなかった」
「俺たちは、あそこから脱出しました」
「あぁ、希な例だよ。
三〇〇年に一度あるかないかの希有な例だ。
多くの移住者は、あそこで何もかも捨てて脱出するんだ」
「それで、貴方たちが物資を回収する……」
「そう簡単じゃぁない。
鍋の縁の上の雲を見たか?」
「リング状の雲のことですか?」
「そうだ。
あの雲が出ていると、鍋の中には入れない。計器が狂い、エンジンも止まる。
磁気か何かの影響だろう」
「出ていないこともある?」
「ある。何年かに一回、そういうことがある。俺たちはそのときに回収するんだ」
「で?」
「あんたたちがやって来たあと、誰も来ない」
「……?!」
「あんたたちが最後だ」
「確かに、俺たちは移住最末期なんだが、まだいるでしょう。後続は……。
あと、半年は動かせると聞きましたよ」
「いや、あの地形もなくなった」
「ない?」
「あぁ、消えた」
「消えた?」
「終わったんだ。
移住が……」
ハンニバルが代わる。
「雲は不定期に消えるので、常時監視していた。
雲が消えたら、あそこから車輌や物資を回収していたんだ。
過去には、移住者を助けたこともあったそうだ。
だが、雲はもちろん、あの地形自体が消えた。
もう、何も手に入らない」
「売り物が、仕入れられない……」
「そうだ。
ハンダ、手を貸して欲しい。
このままでは、カルタゴとトロイの住民が飢えてしまう」
「どうすればいい?」
「移住先を見つけてある。
半年かけて移住するつもりだが、そのための燃料が欲しいんだ。
安定して供給して欲しい」
「どこに移住するつもり?」
「クフラック」
俺は正直、驚いていた。
クフラックを調べている連中がいることは知っていたが、それがカルタゴとトロイだとは思ってもいなかった。
「カルタゴとトロイが、クフラックに?」
「カルタゴとトロイは同根なんだ。
それに、私たちの祖先は、一時期、クフラックに住んでいた。
人食いの侵入が激しくなり、アルプスの山の中に逃げ込んだ。
夏でも寒冷で、気温が五度を下回る土地には人食いは侵入しない。
そして、道が険しいので、ヒトが訪れることもない……」
「人食いとヒトから安全だと?」
「完全に」
「その安全な巣穴から出ようと?」
スパルタカスが答える。
「作物が実らない。
寒すぎてね」
「クフラックは、ノイリンの数倍はある永久要塞ですよ。
修復することは簡単ではない……」
「それはわかっているが、あそこから西の野蛮人が出て行ってくれなければ、俺たちは行く場所がなかった。
凍てつく山の中で餓死することになりかねなかったんだ」
「で、現在、黒魔族を追い出し、クフラックを占拠しているヒトは、カルタゴとトロイなわけ?」
「送り込んだのは三〇〇だ」
「協力は燃料だけで大丈夫?」
スパルタカスがモジモジする。この偉丈夫の仕草としては、かわいかった。
「農業の学者さんがいるんだろう?
そのヒトに、作物の作り方を教えて欲しいんだ。
寒くても実る作物がいい」
俺は斉木を見た。
「先生、どうします?」
「まぁ、何とかするしかないね。
ただ、クフラックには放棄されてはいるが、農地がある。
何とかなる。
何とかしなければね」
放置されているMi‐8の回収に話しが移る。
「Mi‐26というヘリコプターで、車輪が埋まったMi‐8を持ち上げられますか?」
俺の問いにハンニバルが答える。
「たぶん、無理だ。埋まっている状態では危険が伴う」
「どうすればいいでしょう?」
「埋まった車輪を掘り出してもらわないと……」
「その場所は、人食いの密度が高く、長時間の作業は無理なんです。
せいぜい、一〇分か一五分が限度」
「人食いは、顔を隠せばしばらくは気付かない。
疑って近付いては来るが、三〇分ほどはだませる。
ただ、匂いか、それとも他の何かで、見分けてしまう。
どう偽装しても、30分が限度……。
その時間で、何とかしてもらうしかない」
「顔を隠せば、完全にばれない……のでは?」
「いいや、なぜだかわからないが、気付くんだ。
ヒトだと」
それは、スパルタカスも同意した。確かなことらしい。ドラキュロの対人兵器としての性能は、完璧に近いようだ。
俺が言う。
「人食いは、一〇〇〇年くらい前に黒魔族が白魔族を殺すために作った一種の生物兵器らしい……。
ですが、二足歩行の全霊長類を襲うようになったようです。
ヒトを含めてね……」
「その話は初めて聞いたぞ」
スパルタカスの反応にハンニバルも同意する。
「この話はいずれまた。
30分か……。
厳しいな。
車輌を投入したほうがいいかな?」
「人食いは、ヒトを追跡するんだ。
うっかりすると、呼び込んでしまうぞ」
「それは知っているんですが……。
ヘリだけのほうが安全か?」
二人が頷き、スパルタカスが言った。
「俺たちもヘリを出すよ。
俺たちのヘリに、二〇人でも、三〇人でも乗っていけばいい」
「それはダメです。
地上の作業員を回収できなくなるし、人数が多ければ、それだけ人食いに発見されやすくなるから……」
「その通りだな。
で、どうやって生きて帰るつもりなんだ。地上に降りた連中は?」
「ヘリを懸吊できるようにしたら、Mi‐8のキャビンに乗り込む予定です。
俺たちを乗せて、吊り上げてください。
ロープにつかまって、吊り上げてもらうなんて芸当は、俺たちにはできないから……」
スパルタカスが笑った。
「現実的だな」
「三〇キロほど北に氷河湖があります。
その氷河期に小さいが島があります。
そこまで運んでくれれば、そこでローターを折りたたんで、空中輸送できるように準備ができるんですが……」
ハンニバルが反対する。
「いいや、西に五〇キロ運んでしまおう。
そこで降ろすから、そこから先は陸送してくれ。
状態不明のヘリを懸吊して、モンブラン山の麓には向かいたくない。
気流が悪いんだ」
「承知しました」
俺が立ち上がり手を差し出すと、ハンニバルが握り、続いてスパルタカスとも握手した。
その夜は、ハンニバルとスパルタカス一行を歓迎して、宴会となった。
子供たちがはしゃぎ回り、なかなか寝ない。ヘリコプターの機内を見せてもらい、操縦席に座った子もいる。
ハンニバルは、優しそうな若い女性だ。女の子数人がまとわりついている。
宴席で俺がハンニバルの隣に座ると、彼女が鍋からの脱出について尋ねてきた。
「どうやって、車輌と一緒に脱出できたんだ。
そういった例は、一〇〇〇年間で一〇あるかないかだ」
「あの鍋には、穴が開いていた。
その穴から出た」
俺は笑いながら答えた。
「ヒト一人が通れるほどの穴はいくつかあるが、クルマが通れるような穴はないはずだ」
「埋まっていた。
穴はね。
その穴の痕跡を偶然見つけて、掘ったんだ」
「戦車は持ち込んだのか?」
「いいや、最初の戦車は、鍋の中で見つけた。武器と弾薬を積んだトラックも。
その他、医薬品や日用品も見つけたよ。
宝の山だった」
「この世界にやってきた人の多くは、あそこで持ってきた物資のあらかたを捨てるんだ。
だから、何でもある。
だけど、滅多に持ち出せない……」
「運が悪ければ、貴方たちが持ち出した直後に、俺たちがやってきた可能性があるわけだね」
「いいや、私たちがすべてを持ち出せたことはない。
いつも、全体量のわずかしか持ち出せていないんだ」
「でも、あまりなかったですよ」
「砂に埋まっている」
「砂の中にもっとあると?」
「あぁ」
「車輌も?」
「そうだ」
「モンブラン山の南、例の場所の北西に海抜よりも低い低地があるのは知っていますね」
「もちろん、知っている」
「あそこから、車輌や物資を回収したことは?」
「ある。
あのグループは大規模だった。
空前の大人数で、装備もよかった。
雲が一〇日も出なくて、数機のヘリコプターで物資を輸送していた」
「数機?」
「複数だ。二機か、三機」
「クレーンヘリは?」
「クレーンヘリ?
そんなものがこの世界にあるのか?」
ハンニバルの反応は、スパルタカスと同じだ。彼らは本当に知らないのかもしれない。
「確実に一機はあります。
もう飛べないかもしれないけど……」
「貴方たちは脱出に協力しなかった?」
「先代が、協力を申し入れたんだが、断られた、と聞いた。先代から直接ね。
先代が法外な代償をふっかけた可能性はあるけど……。
でも、先代は多くを話さなかった。
何かあったのかもしれない」
「ほとんどが、人食いに食われたんです。
仲間に生き残りがいます」
「そうなのか……。
でも、それとは違うように思う。
人食いに食われるのは、よくあることだから……」
そうだ、ヒトがドラキュロに食われることは、この世界では普通のことなのだ。
「でも、先代は手をつけなかったんだ。
理由は知らない。
だが、私は回収したよ。
それが仕事だから……」
「建設資材とか……」
「建設資材?
私が回収したのは、小型の四駆がほとんどだ。
あの土地は、草の丈が高くて、上空からでは発見が難しいんだ。
それに、私が捜索を始めたのは、先代が逝ってからだから、もう何年も経ってからなんだ」
「スパルタカスは?」
「彼は、私たちが回収を始めて、それで気付いた。
だから、彼は後手を踏んだんだ」
ちーちゃんとマーニが来た。
ちーちゃんが俺を非難する。
「おじちゃん、お姉ちゃんと二人でお話ししてずるい~」
以後、ハンニバルを子供たちに取られた。
俺は、北方低層平原には、まだ多くの物資が眠っていると確信した。
やはり、ヘリは絶対に必要だ。
翌朝、斉木が「土産に」と〝密造酒〟数種を大きな木箱に入れて渡すと、スパルタカスはたいそうな喜びようだ。
ハンニバルは微笑んでくれたが、彼女のパイロットは、その場で栓を開け飲む仕草をして、おどけた。
陽気な人たちだ。
六月中旬を過ぎると、短い雨期がある。霧雨が毎日数時間降る。この時期の降雨は朝方が多い。
この雨期前に、放置されているMi‐8を回収することになった。
ノイリン各地区の助力を得て、住居の建設に励んでいるが、他地区でも区画整理と移転があるので、希望するようには進まない。
滑走路と格納庫三棟の建設はバラックみたいなものだが完成していて、燃料工場は暫定的ではあるが生産を再開している。
滑走路は一五〇〇メートル。地面をローラーで固め、アスファルトを撒いただけの簡易舗装だが、運用を始めている。
飛行場と呼ぶには貧弱だが、我々は〝空港〟と名付けていた。
ショート・スカイバンによるMi‐8の偵察は、隔日で実施している。当然、ドラキュロの動向も監視している。
やはり、密度が高い。数百体級の大群を複数確認している。
ドラキュロは、目標を見つけるまでの動きは緩慢だ。おそらく、代謝を極限まで抑制しているのだろう。
目標を見つければ、ヒトとは次元の異なる身体能力を発揮する。
逆に、ヒトと認識させなければ、その驚異的な身体能力を発揮することはない。
過去のいろいろな経験から、動物やガスマスクなどのお面が一定の偽装効果があることは知っていた。
だが、スナイパーが使うギリースーツ(特殊迷彩服)は、顔をどうペイントしても効果がないことも伝え聞いている。
顔を隠しながら、作業性のよいものを工夫しなければならないが、外部から完全に目が見えないフルフェイスのヘルメットが最良と判断している。
だが、そんなものをこの世界で探し出すことは、至難だ。
今回もガスマスクを使うつもりだ。目の部分には、視界を妨げない程度の目隠し加工をする。
北地区北部と南部の境界に沿って、斉木の指導で子供たちが菜の花畑を作った。
境界線とか緩衝地帯にするつもりはなかったが、幅一〇メートルの黄色い花の帯ができるはずだ。菜の花は美しいし、菜種からは食用油が採取できる。
使い終わった油は、バイオディーゼルになる。
自動車工場とチェスラクの鍛冶場は、内濠の外側に隣接している。
燃料工場は、ロワール川河畔にあり、酒蔵は沼の南端にある。
これら生産拠点を結ぶ道も造った。未舗装だが……。
生産拠点が分散したので、各拠点には対ドラゴン用の対空砲陣地が設置された。二〇ミリ機関砲二連装で、俯仰旋回は水圧モーターで作動する。
この水圧モーターは相馬の設計だ。
また、各生産拠点には仮宿泊所が設置された。夜間の警備などで、泊まり込みが必要になっためだ。
沼は南北に約七キロ、幅は最大でも七〇〇メートルほどと細長い。
この沼は、おそらくロワール川の分流が内陸に封じ込められて生まれた。流れ込む小河川が複数あり、また沼の底に大量の湧水があるので水量を維持している。最大水深は四メートル、平均水深は一メートル強と推定している。
沼からロワール川に注ぐ河川が一本あり、この川の幅は一〇から一五メートルほどある。最大水深は二メートル。砂の堆積で浅くなっていた場所は、ドラキュロ対策のために浚渫して水深を上げた。
一四キロ北に流れて、ロワール川に達する。
我々の農地は、南北に二六キロもの広大な面積がある。水も豊富だ。
川の中間線が東地区との境界で、境界より東側の浚渫は東地区と相談しなければならないが、彼らは非協力的で、必ず法外な保証金を要求してくる。
その要求には応じず、浚渫できない場合は、河原に施設する螺旋の有刺鉄線で防衛線を築いた。
それと、東地区の農地は我々よりも広いが、機械化が遅れていて二〇パーセントほどしか耕作できていない。
新参者が多い地区だが、保守的で、変化を嫌うように感じる。一五〇〇人超を養うことができるだけの、農業生産高があるようには思えない。
放棄されたMi‐8に降下する人員が選抜された。
俺、金沢、デュランダル、アンティの四人。
この四人で、車輪を掘り出し、機体にワイヤーをかけて、懸吊のための作業を一五分で行う。
そのための訓練を、滑走路脇に駐機した現有のMi‐8で徹底的に訓練した。
放棄されたMi‐8の機体上部で、ワイヤーを取り付ける作業は、一番身軽な金沢。
俺、デュランダル、アンティは、車輪の掘り出し係だ。
吊り上げた際に、空気抵抗でローターが回転しようとする可能性があるが、そうなった場合はワイヤーの強度で止める以外に方法がない。
撤収は、吊り下げられたMi‐8の機内に乗り込んで、運んでもらう。
一五分で作業を終えられれば、誰も死ぬことはない。
シミュレーションは、二〇回行った。最終的には一〇分で完了できるようになった。
実際はどうなるかわからないが……。
ショート・スカイバンが天候の確認のために離陸する。
スカイバンには由加が乗り、作戦全体を指揮する。
Mi‐26には、ベルタが乗る。
Mi‐8の操作で、俺たちが習ったことは、ローターが勝手に回らないようにするための操作だけだ。
だが、放棄されているMi‐8のローターは、風で回転した様子がない。正常な駐機状態にあると、ベルタは判断している。
最初の決行予定日は、風が強く延期となった。
その翌日は雨。
その翌日は快晴だが、現地に風がある。
その翌日は曇天だが、運搬先が強風。
その翌日、ようやく条件が揃った。
Mi‐8の運搬地点には、何日も前から輸送隊が待機している。
輸送隊は、クレーン付き四トン車、牽引用の六輪ウニモグ、各種装輪装甲車で編制されている。
空輸されたMi‐8は、大型車輪を取り付けた特製ドリーで牽引される。
地上には、ドラキュロが無数にいた。これほどの密度は見たことがない。
この生物は、通常は突っ立っているだけだ。そして、時々、ゆっくりと歩いて移動する。一日の移動距離は数キロ程度。
俺たち四人は、スパルタカスのUH‐1イロコイに乗っている。
ロープを使って降下するなどできるはずはなく、イロコイでMi‐8の近くに降ろしてもらい、そこから自分の足で地上を走る。
個人装備は、屈折銃床のAK‐47と交換用弾倉一つ。マチェッテ一振。それとスコップだ。金沢はスコップの代わりに、梯子を抱えている。それと、大型トラック用の油圧ジャッキ。ジャッキ本体はアンティが抱え、長い棒状ハンドルは俺が持つ。
空中機動の兵士のような格好よさはかけらもなく、ドタドタと人食い兵器に怯えきった四人の男が灌木と丈の高い草がまばらに生える草原に、ヘリから降り立った。
イロコイは、接地する直前で離陸する。
振り返って見たイロコイの上昇は、ベトナム戦争の映画のシーンと同じだった。
イロコイの塗装がオリーブドラブではなく、明るいつや消しグレーである点が違っている程度だ。
そう感じた俺は、非常な恐怖を感じた。何に対する恐怖かはわからない。ただ、怖かった。
そして、先行する三人を追った。
デュランダルが観音開きの機体後部ランプドアに取り付く、俺もそれに続く。
金沢が機体に梯子をかけ、それをアンティが抑えて、機体上部への移動をアシストする。
機体内にドラキュロはいなかった。また、以前確認したときと同じように、ヒトの死体もない。
あのときと大きな変化はないが、砂が大量に入り込んでいる。
あのとき、ランプドアは閉めておくべきだった。そんなどうにもならない後悔が頭をよぎる。
明らかに正常な精神ではない。
デュランダルの目が見えない。彼が動揺しているのか、それとも冷静なのかわからない。
彼から見た俺もそうだろう。
「行こう」とデュランダルが言った。
二人で、機外に出る。
金沢は機体上部に上がっていた。
アンティは、右後輪車軸にリフト用のロープを取り付け、それを金沢に投げ渡そうとしている。
デュランダルが左後輪に向かい、俺は前輪に取り付く。
まず、リフト用のロープを車軸に取り付け、それを金沢に投げ渡したら、車輪の掘り出しを始める手はずだ。
すでに何体かのドラキュロが、俺たち四人に関心を示していて、こちらを見ている。やがてゆっくりと近付き、直近まで迫られると、方法は不明だがヒトと見分けられてしまう。
だが、まだ大丈夫だ。
俺はダブルタイヤの前輪の周囲を必死に掘っているが、地面が固く、掘り進められない。以前はもっと柔らかかったように記憶しているのだが……。
アンティが油圧ジャッキで強引に車輪を地面から引き剥がそうとしている。
それが正解だ。
地面を掘ってジャッキを押し込む空間を作ったら、あとはジャッキで持ち上げたほうが効率的だ。
だが、ジャッキは一基しかない。
デュランダルが取り付く車輪のほうが深く埋まっている。
ジャッキを押し込むのに時間がかかる。
ドラキュロがだいぶ近付いてきた。一〇〇を超える個体数に囲まれた。丈の高い草に隠れている個体もいるようだ。何体に囲まれているのか、見当もつかない。
左右の後輪が、地面から引き剥がされた。
前輪にジャッキが運ばれる。だが、車輪の上部がようやく見えてきた程度だ。
機体下部に寝転んで潜り込み、三人で必死に掘る。アンティが抜ける。AK‐47を構えて、周囲を警戒する。
すでに一五分はとうに経過し、危険な状態になっている。
失敗だ。
前輪が埋まりすぎている。ジャッキを入れるほど掘れない。
俺はデュランダルに、「どいてくれ!」と叫んだ。
もう、時間がない。機体が埋まりすぎていて効率的に作業できるスペースがないのだ。
これでは、どうにもならない。
俺は車輪後部が半分ほど見えている穴に、手榴弾を入れた。
慌てて、機体の下から後ずさりで這い出す。
爆発。
車軸が壊れ、穴が広がっている。だが、車輪は外れていない。
もう一発仕掛ける。
周囲の土はグズグズだ。車輪のゴムはズタズタ。もう、地面に固着していない。
デュランダルが金沢に合図し、金沢が赤の発煙筒に点火。
上空で離れていたMi‐26が懸吊用ワイヤーを下げながら、Mi‐8の直上に降下してくる。
金沢がワイヤーをかけようとすると、アンティが発砲。デュランダルが続く。
俺も発射する。
金沢が機体後部付近から地上に飛び降りる。
金沢が後部ランプドアから機内に入り、デュランダルが続く。
俺が機体横で黄色の発煙筒に点火。
Mi‐8のリフトが始まる。
アンティが機内に飛び込み、俺が続こうとすると機体が急に浮き上がった。
一瞬遅かった。
俺は、勢い余って大きく上昇したMi‐8に乗れなかった。
呆然としたが、同時に恐怖で固まった。
そこにイロコイがドアガンを発射しながら降りてきた。
俺は、AK‐47を発射しながら、イロコイに向かって走る。
数十メートルが遠かった。
だが、スキッドに足をかけ、機体の床に腹ばいになって、どうにか乗り込めた。
Mi‐26に吊り下げられたMi‐8は西に向かい、俺を乗せたUH‐1イロコイはトロイに向かう。
俺は、死ななかった。
俺は、チュールとの〝死なない〟約束を破らなかった。生きていることよりも、それのほうが嬉しい。なぜなのだろうか?
約束など意味をなさないこの世界で、子供との約束を守れたからだろうか?
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