200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち

半道海豚

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第10章

10-238 過去の記憶

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 賀村桃華は、彼女の飛行技術とレイク・レネゲードの航続距離の長さから、ヴィクトリア湖と飛行艇US-1綾波が不時着した沼との間を何度も往復した。
 飛行艇であることと、小型機であることがこの任務に最適だった。
 主な任務は、人員輸送。
 高額な給与に惹かれて、西アフリカ義勇飛行隊に参加した佐竹太志に代わって、テストパイロットと掛け持ちをしながら、学術調査会の航空輸送に協力している。

 桃華は、レムリアにも、丸耳族にも、不死の軍団にも興味はない。
 そもそも、200万年後に来る予定ではなかった。単なる事故。生きていくために、流されている。
 それは、太志も同じで、彼があれほど行きたがっていた高知は、マハジャンガとなっていた。希望は打ち砕かれ、望んでいたものは存在しなかった。
 200万年後に迷い込んでしまったことも、想定外過ぎて辛いことだった。
 いま、彼を前向きに生かしているのは、自分の機を手に入れること。再び空に戻ることだけだった。

 胡桃は元気。友だちができ、マハジャンガの生活に適応している。
 桃華と太志とは異なり、生命の危険を感じない充実した生活を送っていた。
 姉妹であっても、桃華と胡桃の間には隙間のようなものが生じていた。

 飛行艇US-1綾波は、だいぶ前に沼から撤去されている。
 現在は、桃華が操縦する飛行艇が細々と輸送を担っている。輸送が細々ならば、研究成果も遅々としたものとなる。
 不死の軍団が保有する記憶が重要であることは間違いないのだが、研究者が大挙して押し寄せたら不死の軍団の不信を招くことになる。最悪、交戦につながる。
 だから、研究者は少人数でなければならない。
 大型テント4張りからなる研究拠点には、研究者は4人までとの決まりがある。
 桃華は今回、考古学者と電子工学者、補給物資200キロを運んできた。
 帰路には、人類学者と光学技術者を乗せる予定。

「すぐの離陸は無理です」
 天候の悪化から、明日の出発をやめるよう進言する。
「この霧だけど、いつまで続くのかな?」
 歴史学者が答えのない質問を桃華にする。
「先生、私にはわからないです。
 古気象学の先生なら……?」
「私にもわからないよ。
 霧なのか、霧雨なのか、この微妙な天気が4日も続いている。
 この季節は、こんな天候が多いらしいけど、それだから不死の軍団はここを拠点に決めたのかもしれないね」

 大型テントには、男女別の2つの居住棟があった。
 桃華が居住棟に入ると、考古学者と歴史学者が歓迎してくれる。
 3人は貴重なビールで乾杯する。

 桃華は不死の軍団については、まったく興味がない。実際、安全であるか否か以外は関心事の対象外。
 マハジャンガのヒトたちが、レムリア、西アフリカと北アフリカの情勢に興味があることが、そもそも理解できていない。
 セロとの戦争は、彼女にとってはどうでもいいこと。
 だから、考古学者と歴史学者の会話は当初、あまり頭に入ってこなかった。

 歴史学者が考古学者に問う。
「永遠の謎になりつつあるけど、あのピラミッドだけど、いつ頃のものかな?」
 考古学者がグラスを小さな折りたたみテーブルに置く。
「考古学的な根拠はないけど、そもそも考古学的なデータがまったくないんだけど、1万年以上古いってことはないと思う。
 3000年くらい前なんじゃないかな。
 根拠はないけど」
「文献がないから、私たちも研究が進んでいないんだ。いや、研究の方法がないんだよね」
「でも、わかっていることがある……」
「彼らの記録では、彼らはもともと北アメリカの西海岸にいた……。
 セロとの戦いに敗れて、南アメリカの南端に向かい、ドレーク海峡を抜けて、さらには喜望峰を回り込んで東アフリカまで逃げてきた……。
 それが、いつだったのか?
 なんだけど……。
 古くても5000年前、たぶん3000年前。
 マハジャンガのオカルトマニアが唱えている、1万年とか、2万年前はあり得ないかな」

 歴史学者と考古学者が黙り込む。若手学者として、意気込んで不死の軍団の調査に赴いたが、結果として何も得られていない。
 学者としての成果がない。
 2人とも、別々の機会に、ピラミッドの前で、ヒトによく似た姿のドローンと会話した。会話は成立するが、微妙なズレがあり意味がある情報が引き出せない。

 歴史学者が疑問を呈する。
「あれだけの科学技術。
 基礎があったとしても、簡単には構築できないよね。1000年か2000年は必要だと思うんだ。
 で、時系列破綻が関係しているんじゃないかって」
「そうだね。
 賀村さんも時系列破綻の経験者でしょ」
 考古学者にいきなりふられた桃華は、咄嗟に何のことかわからなかった。
「時系列破綻?
 それって……」
 考古学者が説明する。
「賀村さんは、大災厄の20年後からこの世界に来たんでしょ?」
「そう、だけど……」
 桃華の回答に歴史学者が返答する。その前に、ビールを飲み干す。
「私たちは、大災厄の70年後からマハジャンガにやって来たの。
 巨大な移住船に乗って……」
 桃華もそれは知っていたが、それが何を意味するのか考えたこともなかった。
 考古学者が説明する。
「ギガスやオークのゲートは、停止と起動を繰り返しても時系列を維持できるみたい。
 だけど、ヒトのゲートは、停止後、再起動すると時系列が乱れてしまう。
 つまり、再起動後にゲートを通ると、再起動前の時間軸と同じにはならないわけ。
 再起動前よりも、未来に行ったり、過去に行ったりしてしまう。
 これが時系列破綻。
 そもそも、200万年後は同じ時間軸でも1000倍の間隔が開くことがわかっているの。
 先行車の1分後にゲートに入ったクルマは、1000分後、16時間40分後に200万年後に着くわけ。
 ゲートへの突入は3分間隔だったって記録にあるから、50時間間隔で200万年後にやって来ることになる。
 2日と8時間待たないと、後続車が来ないんだよね。
 時渡りは1年2カ月くらい続いたから、42万5000日、時系列が連続していても1164年もの差になってしまう。
 1164年の間に何万人かが振り分けられてしまうんだから、ヒトは文明を維持することが難しい。
 フルギア、ブルマン、北方人、東方フルギアのヒトたちは、時渡りの記憶をなくしているし……。
 さらに、ゲートは不安定で、停止と起動を繰り返してしまった。
 いったん停止すると、時間軸を維持できないから、前回の1万年前に着いたり、2万年後だったりするわけ。
 ヒトがいない時代に行ってしまったら、数人のグループは生き残れない……。生き残っても、知識の多くを失ってしまう。
 時渡りをして、自動車を動かしたり、船を造ったり、飛行機を直したりできることは、奇跡に近いの。
 私たちもだけど、賀村さんも幸運だったんだよ」

 桃華は「幸運」という言葉に異常反応しそうだったが、どうにか堪えた。
 この状況が幸運とは思えない。
 彼女はニュージーランドにとどまりたかったし、それは胡桃も同じ。太志を説得する自信もあった。
 200万年後であろうと、2億年後であろうと、桃華は時渡りをする意思がなかった。しかし、何らかの事故で、200万年後に渡ってしまった。
 これが幸運だとは思えない。
 不運だとしか思えない。

 歴史学者が話題を変える。
「高知に集まってきたヒトは、日本全国ばかりじゃなかったよね。
 私の母方はフィリピンから。台湾、ベトナム、インドネシア、マレーシアのヒトたちも……。
 インドネシアやマレーシアでは、オーストラリアのダーウィンに向かったヒトも多かったみたい。
 日本各地に残ったヒトも……」
 考古学者が特定の人物の名を出す。
「うちの子がサクラちゃんと同じクラスなんだけど、サクラちゃんによると房総は限界だったんだって。
 暖かいはずだけど、冷害でジャガイモくらいしか育たなかったって。
 食糧の状況は深刻だったらしい……」
 歴史学者が頷く。
「結局、食べ物なのよ!
 高知だって、食べ物の確保が難しくなっていたし、燃料はもっと逼迫しいて……。
 それに、穴居人。何度か遭遇したけど、精神の奥底から湧き出てくる根源的な恐怖と嫌悪を感じた……。
 あの状況で、高知で何とかなると考えているヒトがいたことのほうが不思議だよ」
 考古学者が深刻な顔をする。
「高知から出ないヒトにはわからないんだよ。
 危機が迫っていたことが……。
 いまも同じでしょ。
 マハジャンガから出ないヒトと、出るヒトでは、現状認識が違うと思うよ」

 この話題は、ここで中断する。
 考古学者が梨々香から聞いた話をする。
「サクラちゃんのママ、梨々香さんだけど……」
 歴史学者も彼女を知っている。
「梨々香さんは、飛行機の技術者なんでしょ。
 専門外だから何とも判断できないけど、優秀なんだって噂を何度も聞いた。
 梨々香さんは、サクラちゃんのことを考えて高知を目指したんだって。
 房総から……。とんでもなく危険だよね。
 不時着とかしたら、ほぼ生き残れなかった。
 それでも高知を目指したのは、彼女が死んでしまったらサクラちゃんが独りぼっちになっちゃうから……。
 房総で最後の1人にしたくなかったんだって」
 考古学者はこの話を初めて聞いた。
「そうだったんだ。
 優しいお姉さん兼お母さんだよね」

 この話を聞いて、桃華は激しく心を揺すぶられる。胡桃が独りぼっちになることを考えたことがなかった。
 胡桃が最後に1人になるなんて、想像さえしていなかった。
 誰とも接触しなければ、傷付けられることはない。友人はなく、何らかの濃密な会話をすることもなく、恋愛をすることもない。
 桃華は無意識に、胡桃にそういう人生を歩ませようとしていた。
 安全が絶対だと考えていたが、現状はこの価値観は超えてしまっている。胡桃は新しい環境に適応しつつあるが、桃華はまったくの状態だった。

 彼女は腹の底にずしりとたまっていた違和感の正体に、ようやく気付く。

 考古学者が話題を変える。
「根拠がない、推測でしかない、ことはわかっているんだけど、不死の軍団をどう思う?」
 歴史学者が即答する。
「最後の1人が亡くなったのは、2500年から3000年くらい前。
 最後の1人は女性で、30年から35年くらい独りぼっちだった。
 同時に飼っていたのか、時期が異なるのかわからないけど、ネコ科とイヌ科の動物と一緒に暮らした。
 死後、ドローンが葬ったみたいね。
 映像記録を見せてもらったけど、時系列がバラバラで埋葬のシーン以外は撮影の前後がはっきりしないんだよねぇ」
 考古学者が目を伏せる。
「80歳近い年齢で亡くなったみたいだけど、晩年は食べるものに苦労していたようね。
 ヒトは電気じゃ動かないから……。
 ドローンに畑仕事をさせていたみたいだけど……」
 考古学者が頷く。
「私、フランス語が少しわかるんだけど、フランス語なんだよね。最後のヒト……。
 記録映像の中で『10年、誰とも会話していない。言葉を忘れそう』って言っていて、泣いてしまった」
 歴史学者が賛同する。
「私も……。
 フランス人なのかわからないけど、フランス語がネイティブだったんだと思う。
 話は変わるんだけど……。
 私たちでは作れないドローンを持つほどの優れた技術があるのに、どうして、セロとの戦いに負けたんだろう?」
 考古学者が考え込む。
「軍事は専門じゃないから……。
 人口?
 セロよりも少ないから、動かせるドローンに制限があったとか……」
 歴史学者が同意。
「生物学者っぽい表現すると、個体数の差、ってことだよね。
 バンジェル島の社会学者から聞いたんだけど、正確な統計はないけれど、人口は増えているんだって。
 スエズ海峡の西には、大河、ナイル川の残滓があって、豊かな農地になるそうよ。
 人口は食糧の生産量と密接不可分だから、まだまだ、人口増加の余地があるみたい」
 考古学者が本質的で解のない疑問の回答を求める。
「ヒトはセロに勝てるかな?」
 歴史学者が答える。
「勝たないと、誰かが最後の1人になっちゃう」

 桃華は、歴史学者と考古学者の会話にからむつもりはない。だが、太志の目的地だった高知がどういう場所だったのか知りたかった。
「高知って、どういう場所だったの?」

 空気に近かった桃華が発言したことで、歴史学者と考古学者は少し驚く。

 桃華の問いに歴史学者が答える。
「大災厄が起きてから数年間は、何とか生活できたの。
 日本全国どこでも、ではないけれど……。
 東京や大阪みたいな人口の多い地域は、すぐに食料難になっちゃった。私の祖父母は東京近郊に住んでいて、食べ物がなくて苦労したみたい。
 ガソリンがなくて、移動もままならなくなって……。
 大消滅後のことだけど、祖父母は船で高知に避難したの。
 高知は大消滅の影響が少なかった……。
 高知市と南国市など広域で、海岸部に建物やインフラが残っていたから……。
 だから、高知に生き残ったヒトが集まってきた……。国内だけでなく、海外からも……。台湾やフィリピンからが多かったけど、ベトナムからも少なくなかった。
 船や飛行機で……。
 小さな漁船から豪華客船まで、2人乗りの軽飛行機から300人乗りの大型旅客機まで……。
 高知では、食糧の生産はどうにかなったのだけど、燃料の調達に苦労したの。新潟で石油を汲み、九州で石炭を掘ったけど、そんなんじゃ足りない。
 植物の種から採油して、すべてを発電に使った……。
 そのうち、太陽の光が届きにくくなったために、毎年毎年、寒くなっていって、作物が育たなくなって……。
 それ以上に、穴居人……、ヒト食いとか噛みつきとかとも呼ばれるけど……、あれが四国にも現れて……。
 高知にとどまることは、不可能になってしまった……」
 桃華は、ドラキュロを知らない。ニュージーランドは、一番近いオーストラリアからでも1800キロ以上離れている。
 だから、ドラキュロは渡ってこられない。
 また、桃華たちは大災厄から20年後の世界から200万年後にやって来た。この時期はまだ、ドラキュロの存在は知られていない。
 現れていなかった可能性もある。
 桃華はドラキュロを見たことがない。
「穴居人って……」
 歴史学者が答える。
「穴居人は通常、10頭程度の群を作るの。
 遭遇したら、どんな状況でも襲ってくる。すごい勢いで……。逃げることはできないから、戦うしかない。
 ライフルを撃ち、撃ちつくしたら拳銃を抜き、拳銃の弾がなくなったら刀を構える。そうすれば、もしかしたら生き残れるかも……。
 あんな恐ろしい生き物はいない……」
「先生は、見たことがあるの?
 ヒトにそっくりなんでしょ?
 ヒトじゃないの?」
 考古学者が答える。
「私は3回。
 1回は早く見つけたから、逃げ切ったけど、2回は戦った。
 罪悪感はまったくなかった。
 気持ち悪すぎて……。
 あれは、ヒトなんかじゃない。直感でわかる。本能が危険を告げるの」
 歴史学者が同意。
「そうね。
 あの気味悪さは、出会ったことがないとわからないかも……」
 桃華は得心できない。
「でも、穴居人は生物なんでしょ?
 私たちと同じ……」
 考古学者が首を横に振る。
「専門じゃないから……。
 まぁ、でも間違ってはいないよ。生物に分類していいと思う。
 穴居人には雌雄がないの。有性生殖はもちろん、単為生殖もないらしい……。
 どうやって、個体数を増やしているのか……。
 そもそも、穴居人は生物なのか、という疑問は相当以前からあったみたい。
 生物の仕組みを利用した兵器ではないのか、という意見は説得力があるね」
 歴史学者がこの先を続ける。
「ここに来た目的は、いくつかある。
 そのうちの1つが、穴居人誕生の秘密を知ること。
 穴居人はヒト科動物を襲うことがわかっている。原則、ヒト科以外は襲わない。
 だから、セロは襲われない。ヒトに似ているけど、ヒト科じゃないから……」
 桃華には、歴史学者の説明がよくわからなかった。
「ヒト科、って?」
 考古学者が説明する。
「受け売りなんだけど……。
 ヒトは、哺乳綱、真獣下綱、真主齧上目、真主獣大目、霊長目、直鼻猿亜目、真猿型下目、狭鼻小目、ヒト上科、ヒト科、ヒト亜科、ヒト族、ヒト亜族、ヒト属に分類される生物なわけ。
 現在、ヒト科動物はヒトしかいない。オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボは絶滅している。
 西ユーラシアには、森の人という類人猿がいるみたいだけど、マハジャンガは確認していないの。
 つまり、現在、ヒト科はヒトだけ。
 セロはヒトに似ているけど、ヒト上科にも入らない……。
 バンジェル島からの情報だと、ヒトよりはバンブーやマカクに近いんじゃないかって……」
「バンブー?
 マカク?」
「ヒヒやニホンザルとか……」
「サルに近いの?」
「遺伝子解析では、そういう結果が出ているみたい」
「セロと話し合いはできないの?」
「ヒトを見たら殺そうとするみたいよ。
 クマンからの情報では、負傷したセロが、救護していた看護師を殺した事例があるって」
「救護されているのに?」
「そう。
 ヒトを殺すことは、セロの本能みたい。
 捕虜を尋問しても、ヒト的な要素は、ほとんど感じないって……。
 クマンからの伝聞だけど……」

 歴史学者が引き継ぐ。
「200万年前には、いられなかったの。
 高知には500人くらいが残ったようだけど、最後の1人はどうするんだろう?
 小さい子もいた。
 最後の1人が幼い子だったら?
 そう考えたら胸が痛い……。
 この世界では、ヒトは頂点捕食者じゃないの。セロもいるし、穴居人もいる。
 ヒトは生き残れるかどうか……」
 桃華は考え込んでしまう。
「不死の軍団は、セロや穴居人のことを知っている……?」
 考古学者が答える。
「セロのことを知っていることは確か。
 だけど、穴居人のことは何も知らないみたい。北アメリカには。穴居人がいないのかも……。
 バンジェル島も、そう推測しているみたい」
 桃華は、マハジャンガがバンジェル島に興味があることを何となく感じていた。
「マハジャンガに敵対的なんでしょ。
 バンジェル島は」
 歴史学者は、そうは思っていない。
「敵対関係ではないと思うよ。
 ただ、商売敵って言うか……。
 お金儲けの競争相手。
 飛行機のシェア争いをしていて、ドラゴン代表特別補佐の活躍で、マハジャンガが少し有利な状況にあるみたいだけどね」
 桃華にとっての対人関係は、殺すか殺されるかしかない。そういう世界で生きてきた。
 実際、16歳の夏にそれを実体験している。家族で生き残ったのは、桃華と胡桃の姉妹だった。
「バンジェル島に負けたら、マハジャンガはどうなるの?」
「商売は買った負けたの連続で、特段、どうと言うことはないと思うけど……」
 桃華は納得できないが、反論する論拠もなかった。
「そう、なんだ……。
 でも、バンジェル島は敵なんだよね」
 歴史学者が答える。
「バンジェル島のルーツは、たぶん私たちと同じ。
 高知から時渡りしたヒトたち。
 でも、ルーツが同じだからといって、家族にはなれない。何十年も経ているんだから、いまさらだよね。
 だけど、競争相手であって、敵ではないよ」
 桃華には、よく理解できない。ヒトの争いとは、生命の奪い合いだからだ。
 好戦的と思われたくなくて、これ以上は避けた。

 霧なのか、霧雨なのか、判断に困る天候はさらに2日を過ぎても回復しなかった。
 この調査基地の全員が手持ち無沙汰で、桃華も自機の点検以外することがない。
 だから、何度も読んだ太志からの手紙を開く。
 彼女は、太志の一節が気になっていた。
「クマンは、バンジェル島の軛から逃れたがっている。真の独立を求めている。俺は、クマンを応援したい」
 太志が西アフリカから帰ってこないのではないか、そんな心配をする。否定したいが、太志に精神的に頼っていることに、桃華は気付いている。

 太志は、クマンの首都空港とマハジャンガ管理の基地の間を何度も往復する。
 多くは人員輸送だが、まれに物資を運ぶこともある。輸送機が足らず、かつペイロードが小さいので、1日に4回も往復したことがある。
 勤務は過酷だが、副操縦士に指名されるクマンのパイロットの教官役も引き受けている。
 クマンのパイロット候補生は真摯で真面目。だが、エリート意識が高く、謙虚さに欠ける。

 太志は基本、自機は自分で整備するようにしている。
 どんな機でも飛ばすつもりだが、幸運にも初期型ポーターⅡが割り当てられ、特別な理由がない限り、機体が変更になることはなかった。

「佐竹さん、整備手伝うよ」
 広大な駐機場の片隅で整備を始めた太志に基地整備長が声をかける。
「いえ、大丈夫です。
 通常の点検ですから」
「そうかい。
 異常があったら、報告してくれ。
 修理の記録は、きちんとしないとね」
「わかってます。
 故障があれば報告しますし、修理の内容は確認してもらうようにします」
「あんた、整備の腕がいい。
 パイロットにしておくのはもったいない」
 太志が微笑み、基地整備長は片手を上げて去って行った。

「教官殿、何をされているのです?」
 この問いは、クマンのパイロットからの定番。
「あぁ、点検だ」
 クマンのパイロット候補生が怪訝な顔をする。これもよくあること。
「それは、整備士の仕事でしょう。
 パイロットが手を油で汚すなんて……」
「俺は、乗機を他人任せにしない。
 そういう主義なだけで、他人にそれを強要したりしない。
 自分で使う道具は、自分が掌握しないと。
 歩兵は小銃を手入れするように、船乗りが甲板を洗うように、パイロットは自機の状態を正確に知っていなければならない。
 他人の生命を預かるのだから……」
「では、整備士の仕事は何です?」
「もちろん整備をすることさ。
 だけど。パイロットが異常を感じ、その原因を特定できたなら、整備士の仕事は半分になる。
 特定できなくても、現象を正確に表現できれば、整備士はどこを見ればいいのかわかる。
 1機の飛行機を飛ばす。
 これは、分業作業のなせる技。
 ただの分業じゃない。
 相互に協力し合う分業なんだ」
「……」
 クマンは、階級が歪に消えかけている社会。パイロットは整備士よりも上位に位置していると考える。
 太志は、クマンのこういった部分が嫌いだった。

「そろそろ潮時かな。
 マハジャンガに帰ろうかな」
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