落ちて拾われて売られて買われた私

ざっく

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勇者と魔物

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初めての時から、私が触って、客が寝ないことなんてなかった。
ぼんやりと、さっき握られた手の温かさを思い返す。
他の人間の手に触れたのなんて、何年ぶりだろうか。

――この後はどうしたらいいのだろう。
固まったままの私に、彼が声をかける。
「適当に食ってるから、曲でも弾いていてくれ」
そう言って、また皿を引き寄せる。
ふと見ると、料理があらかたなくなってしまっている。
接待のために準備された料理は、食べ尽せない量を準備している……はずだ。
食べ方が静かなので気が付かなかったが、ものすごい量を食べている。
酒と食べ物につられてきたというのは、あながち冗談でもないのかもしれない。
思わず目を丸くして料理を眺めてしまう。体格がいいとは思うけれど、これほど食べる人は見たことが無い。
「食いたいのか?」
勘違いした彼が、私に皿を差し出す。
「え、いいえ……!」
慌てて首を振って答える。
「遠慮するなよ」
そう言いながら、彼は饅頭を一つつまんで、私の口に突っ込んだ。
そんなことされると思わなかったし、思わぬところで唇に彼の手が触れて、真っ赤になってしまった。
「…………。こんなことで、そこまで照れるなよ」
自分でもそう思うけれど、ドキドキしてしまったのだ。
人によっては嫌だと思うかもしれない行動を、胸が弾むような気持ちで受け入れた。

「信じられないかもしれませんが、あまり経験がないんです」
ぽつりとこぼして、彼が聞いたかどうかも確かめずに私は琴を奏でた。
彼が料理を食べ尽すまで、ただ、音楽を奏でていた。


昨夜の客はとても面白い人だった。
彼が帰った後で皿を下げに来た見習いが、空っぽの皿を見て目を丸くしていた。
そのことを思い出して、私はまた、ふふっと声を立てて笑った。
「リンカ、機嫌が良いね。昨日の客はそんなに上物だったのかい?」
隣に座る遊女が嫉妬交じりの視線を投げてくる。
「そうね……。とてもいい人だったよ」
もう一度来てくれることは無いだろうけど。
握られた手に視線を落とす。
思えば、あんなにしっかりと手を握られたことさえも初めてかもしれない。
客は、私が触ればすぐに眠るし、向こうから触れてきたとしても、一瞬だ。
その後、客の服を脱がし、傍で寝言を聞きながら返事をするだけ。
店の者は商品に触れることなどしないから、人のぬくもりなど、人買いに手を引かれて以来のような気がする。

客が店の扉をくぐる音がした。
「今日の客はもう来たのかい。せっかちだね!」
隣に座っていた子は文句を言いながらも、裾をなおし呼ばれる準備をする。
私は、こんな時間に呼ばれることはまずない。
私を拘束する時間が長ければ長いほど高額になるため、私の客は遅い時間にならなければ来ない。
「リンカ。客だよ」
――はず、なのだが。
「私なの?」
しかも、案内を主人がやっている。余程上玉なのか。
少し面倒に思いながら、私は立ち上がって部屋に向かう。
そして、そこで待っていたのは、
「よお。お前が他の奴に先に取られるかもしれないと早めに来たんだが、早すぎたみたいだな」

昨日の、勇者様だった。

「勇者様……」
私の呟きに、彼の眉が片方くいっと上がった。
「その呼び方はあまり好きじゃない……、ああ、名乗っていないのか。俺のことはサランダと呼べ」
あっさりと名乗った彼は、ちょいちょいと手招きする。
今の名前が本名か分からないけれど、彼を名前で呼べることは嬉しい。
私がサランダの前に座ると、彼がおもむろに両手を差し出す。
その手の上には、小さな檻があって、中に何かがいる。
「こうもり?」
私は、ここから出たことがほとんどないが、本で知識だけは身につけた。だから、目の前の黒い生き物をこうもりだと思った……のだが、なんとなく違う気もする。
というか、これ、どこから出てきた?
こんな嵩張るものを持っていなかったと思う。今、手を開いた瞬間に現れたように見えた。
女と部屋に二人きりになるので、武器類の持ち込みが禁止されている。厳重ではないが、簡単にこんなものを持ち込める環境でもないはずなのに。
「いや、魔物」
しかも、大変なことを言われた。
魔物は、小さなものでも人間を殺すのが容易であると聞いている。
こうもりと言われたら、少し様子が違うとは思う。でも、目の前にしてじっくりと見たことは無いし。

「リンカの眠らせる魔法が、これにも効くか試してみたい」

「ああ……」

思わず、気の抜けた声が出てしまった。
思った以上に、私は浮かれていたようだ。
彼がもう一度居てくれたことが嬉しかった。他の奴に先を越されないようにと、早い時間に来てくれた。『旦那様』でも『勇者様』でもない、呼び方を許してくれた。
期待していた心が一気に弾け飛んで、あまりの痛みに涙ぐみそうだ。

――もしかしたら、愛してくれるのかと思った。手を握って、抱きしめてくれるかもと。
今までずっと自分が拒否してきておきながら、私は誰かに愛されたかったのだ。

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