フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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13.水鏡編

62学園追放 ②

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***

 情報管理局の屋舎は、人間界の大規模な競技場のような、ドーム型をしている。
 三大機関の中で最もデスクワークを主とする組織の本拠地がアリーナのような風体だときくと、どこかちぐはぐな印象があるが、円盤状の建物の中央に収められているのがサーバールームだといえば、一気にそれらしい趣になる。
 フロアは地上に三階、地下に二階。地下階はその限りではないのだが、地上界は先述の構造上、廊下が内周をぐるりと一周する形になっており、廊下とサーバールームの間に執務室が配置される間取りになっている。
 宇奈川うとめは、まさにその大きくカーブする廊下を歩いているところだった。
「……あら」
 湾曲した廊下ゆえに、かなり近くまで来ないと、歩みを進める先に立つ者が見えない。ゆえに、ここでは特に「廊下を走るな」を励行しなければならないのだが、それはともかく。
「どうしたの、二人とも」
 うとめが、執務室の一つの扉前に立つ二人の少女を視認した時には、声を張り上げるまでもなく呼びかけられる距離にいた。
 扉の前で足踏みしていた二人は、うとめの姿を見て、「あっ」と安堵したような、それでいて泣き出しそうな顔をした。
「うとめ先輩っ」
「お疲れ様です!」
 少女達は姉妹だ。パールグレーの髪にひまわりの種のような髪飾りをつけているほうが、妹の樹香向日葵。薄藤色の髪をツインテールに結えているほうが、姉の樹香菫だ。
 向日葵はおどおどと、菫は緊張した面持ちで、うとめに頭を下げる。お疲れ様、とうとめも微笑んで、二人が入るのに二の足を踏んでいた部屋の扉、その横にはめ込まれたネームプレートに視線を移した。
 氏名の上に併記されている肩書きは、「調査室 室長」。
「また何か言われた?」
「えっと、はい、その……」
「午前中に、事情聴取した結果をお渡ししたら、録音データと手書きのメモじゃなくて、テキストに起こしたデータにしろって……」
「怒られちゃいました……」
 しゅんと肩を落とす二人は、主体なら両耳が垂れていることだろう。
 菫の手には、メモリースティックが握られている。おおよそ、指示通りに文字起こししたデータを持ってきたが、また何かにつけて叱られるのではないかと怯えているのだろう。
 言い方がそっけないだけで、怒っているわけではないと思うのだが、本人達が怖がっているなら、それは立派に「怖がらせている」のである。
「大丈夫よ、私も一緒に入ってあげるから」
「ほ、本当ですか」
「すみません、ありがとうございます」
 恐縮しながらも、二人ともうとめに先立ってノックする意気は起きないらしい。
 尻込みする後輩に代わって、うとめの拳が三度、室内に来訪の合図を鳴らした。
 どうぞ、と投げるような返事があった。うとめはためらわずにノブを回した。
 壁際の本棚にぎっしりと詰まった書籍とファイル、本人の趣味も相まってそろえられたガジェット一式。床の上にあるのは、収納スペースからあふれたものをとりあえずまとめておく箱だ。相変わらずものの多いこの部屋は、比例して部屋主の仕事量の多さを物語っている。
 雑然と整理された、という表現が、この空間では矛盾しない。
 そんな一室の主は、振り返って出迎えることもせず、こちらに背を向け、奥の壁際のデスクに向かっていた。
「し、失礼しますっ!」
「失礼します!」
「向日葵と菫か」
「あのっ、書き起こしデータ、持ってきました!」
「表計算ファイルにまとめてきただろうな?」
 固まる二人。微動だにしないまま、アハ体験の映像のように、じわじわと冷や汗だけが浮かんでいく。人数分の文書ファイルを収めたメモリースティックも、菫の手の中で汗ばみ始める。
「そういう言い方するから部下が委縮するんじゃないの、室長サマ」
 見かねて口を出したうとめの存在を、声で初めて知ったらしい。
 ビジネスチェアの背もたれからのぞく頭がぴくりと揺れて、椅子をゆっくりと回転させながら、彼は振り返った。
「何だ、その呼び方は。オレが室長であることに何か文句でもあるのか、うとめ」
「別に。ただ、室長ならなおさら、もっと部下に気を遣いなさいよね――宮希」
 対象の分子の動きさえ見透かすかのようなブロンズの瞳。耳が見える程度に短くなったことで、生来の猫っ毛が目立つようになったカーキ色の髪。シャツの上に重ねたニットのカーディガンに着られているような成長途中の細い体。
 どこをとっても、大人びているようで端っこに幼さが残る少年だが、態度は一丁前だ。
 今も、椅子にふんぞり返って、薄い胸を張っている。
「オレは必要なことを伝えただけだ。萎縮する道理の方がわからん。というか、なぜお前が付き添っているんだ」
「あのねえ」
 相変わらず不遜な弟に、うとめは額に手を当ててうなだれた後、大きく息を吸い込んで啖呵を切る。
「元・希兵隊の最司官サマで! 現・調査室の室長サマのあんたは! 一挙手一投足一言一句がパワハラになってもおかしくないくらいのキャリアなのよ! 癪だけど!」
「最後になぜ私情をいれた」
 宮希は宮希で悩ましく、眉間に手をやって息をつく。
 しばらく置いた後、その目をチラと後輩二人に向けた。
「向日葵、菫」
「は、はいっ!」
「何でしょうかっ」
「オレの言い方が悪かったならすまなかった。データを分析するにあたって、表計算ファイル一つにまとめられていた方が、一度に読み込めるからありがたい。今回はオレがやっておく。次からそうしてくれ。いいな?」
 一言一言、温度を確かめるように慎重に言葉を紡ぐ。何よりその姿勢が伝わったらしく、必要以上に背筋を張り詰めさせていた二人は、安堵の吐息交じりに「はいっ」と返事をした。
 宮希の方も、ほっと小さく息をつくと、ふと思い出したように部屋を見回した。
「ノン……四炉崎しろざきノン、いるか?」
「ひぎゃぁぁああ!?」
 直後、心臓を縮み上がらせるような悲鳴が、部屋の隅からほとばしった。悲鳴をあげた本人はといえば、縮みあがった心臓がさらに口から転び出そうになるのをやっとこさ飲み込んだところというような顔で、洗面台の下の空間で震えている。
 びろうどのような深い緑色の髪をした、宮希ほどではないが小柄な少年だ。人見知りが高じて、目がすっかり隠れるほど前髪を伸ばしているため、宮希を含めこの場にいる誰も、彼の虹彩の色すら知らない。主体になると目が丸見えになって恥ずかしいからという理由で、外では常に双体姿だ。
 もう一つ外せない特徴が、その影の薄さだ。うとめも、向日葵も菫も、入室してから今の今まで、彼の存在にはつゆほども気が付かなかった。この存在感のなさが、術の類でも能力でも何でもないのが逆に恐ろしい。
 スタンドカラーのシャツにベストを重ねた服装も形なしの、しりもちをついた姿勢で、彼は「はわわ」と声を震わせる。
「す、すみません! 呼ばれるとは思わず、驚いてまた大きな声を……!」
「……気にするな。いつものことだ」
 宮希は心臓を押さえたまま、平静を保った口調で言う。
「そこにいたのか。もうとっくに出ていったとばかり」
「は、はいぃ。手が空いていましたので、水回りのお掃除をっ」
「いや、いいよ、やらなくて」
 呆れのあまり声の抑揚を忘れたセリフの後、宮希はため息で仕切りなおして、改めてノンに指示を出す。
「今後、向日葵と菫には事情聴取に専念させてやってくれ。お前に聞き取りデータの整理を頼む」
「了解しましたっ」
 調査室で一番の新人は、そう言って正座の姿勢に居直り、敬礼した。
「よし。では、各員仕事に戻……」
 バァン。
 扉が勢いよく開け放たれた。
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