フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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13.水鏡編

62学園追放 ③

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 ずかずかと入ってきた長身の男が、手にした茶封筒を掲げて明るい声を上げる。
「ういーっす。機密書類だぜー、チビすけー」
「誰がチビすけですか」
 げんなりした顔で、宮希はその金髪の男を見上げた。
 服装は白いシャツに暗い色のスラックスだが、どちらもカジュアルな生地でできているうえ、首にはリング付きのチェーンネックレスと、一見して浮ついた人物に見える。
 だが、そのファッションセンスだけで彼を軽んじるわけにはいかない。
 やんちゃにハネる金髪の上に座するもの。白い、綿のたっぷり入った大きめの角帽。情報管理局の幹部の証である賢者帽だ。
 鳴上なるかみ威綱イヅナ。情報管理局において、局長に次ぐ力をもつ三賢者が一人だ。
 そんな、情報管理局のナンバーツーに向ける宮希の目は、隠すことなく嫌悪をあらわにしたものだった。が、イヅナはカエルの面に水だ。
「いやいや、チビすけだろ。ずっと伸び悩んでるもんな。今何センチだ?」
「言うわけないでしょう、そんな個人情報」
「鳴上さんは何センチあるんですか?」
「オレ? オレは一八〇あるよ」
「二十二センチ差ね」
「うとめ!?」
 信じられない裏切りに思わず牙をむいた宮希の肩を、機密書類とやらの茶封筒でぺしぺし叩きながら、イヅナはさらっと仕事を振る。
「それよりこれ、人事関連の書類だから、ご査収しろ。あと、鏡像騒ぎの件、追加で事情聴取相手が出てきたから、クラウドのリスト見とけ」
 上司にそう言われてなおぐずるほど幼稚ではない。むすっと仏頂面を浮かべて、宮希は封筒を受け取る。
「……了解です。まだ終わってる分のデータも見てませんけど」
「なーに、向日葵と菫に聞き取りさせてる間に終わるだろ」
「そう簡単にいけばいいですけどね」
「いくいく。お前なら問題ねえ。オレが保証する」
 口調は軽いが、彼の言葉が出まかせでないのは、宮希もよくわかっている。そうでなければ、彼は自分の後釜に宮希を指名しないはずだ。
 絶対の信頼と期待。それは、かつて宮希の肩に重くのしかかり、その小さな体を押しつぶそうとしていたものだ。
 けれど、今は違う。
 ――完璧じゃなくたっていい。完全じゃなくたっていい。
 もしも期待に応えられなくても、イヅナは、仲間達は、きっと自分を見限ったりはしない。
 そう考える限り、全ての信頼と期待は、上昇気流か追い風だ。
「……わかりました。尽力します」
「おう、頑張れよ! ……お前の元同僚が容疑にかけられているとはいえ、な」
 軽く礼をした宮希の頭が、ぴくりと震えた後、ゆっくりとイヅナを見上げる。いつもまぶしい笑顔の日差しが少し緩んで、その上の浮き雲のような賢者帽が妙に存在感を増した。
 宮希はため息交じりに、当該の人物の名を口にする。
「……花雛さんか」
「どんなヤツだった?」
 希兵隊を去ってのべ約四年。その間、彼女と言葉を交わすこともなければ、思い出す機会もそうあったわけではない。
 けれど、伊達に「部下のことはよく見ている」と豪語してきたわけではない。訊かれれば、彼女の性格も能力も、長所も短所も、具体例を挙げて答えられる自信がある。
「誠実なひとでした。周りに対しても、仕事に対しても。何より、科学に対して真摯に向き合っていました。禁じられた研究計画を秘密裏に続行するとは思えないし、論文から何から破棄したというなら、本当に破棄したはずだ。……容疑をかけられるいわれがないくらい、信用に足る人物でしたよ」
 宮希は目を伏せながら、本件に即して簡潔に伝えた。
 そんな彼に、笑いを噛み殺すような声が降り注ぐ。
「じゃあ、誰の仕業だと?」
 宮希はゆっくりと視線を上げ、そばに立つ長身を見上げた。
 イヅナは、やはり笑みを噛み殺しているような表情で、挑戦状を突き付けるがごとく言い放つ。
「濡れ衣だと思うなら晴らしてみろよ、元最司官。その方が希兵隊のスキャンダルにもならずに済むだろ。今の最司官も一安心だろうさ」
 言い方は意地悪いが、イヅナの目はショーを見る観客のようなものだ。この小さな天才がどう状況をひっくり返すのか楽しみで仕方ない。そんな輝きに満ちている。
 だが、その一言を聞いた瞬間、宮希の双眸はどんよりと据わったものになった。
「……」
「……どうした?」
 はあぁ、と肺を空っぽにするようなため息とともに、宮希は少し椅子を回して、机に頬杖を突いた。そして、ガラの悪い悪霊にでも憑りつかれたかのごとく、吐き捨てるように呟く。
「事情聴取データの分析結果、あの最高司令官に強要されて花雛さんが実行したという結論にしてやろうか。それがいい。バレれば当然、情報管理局と希兵隊の関係が悪化するだろうが、その時は全てオレのせいだと皆に伝えてくれ。オレは後で首でも腹でも何でも斬る」
 そのセリフの、態度の変わりよう。
 うとめは苦い顔をし、後輩組はきょとんとし、イヅナは腹を抱えて大爆笑した。
「お前、ほんっと今の最高司令官嫌いだな! わかりやすいやつだぜ!」
「当たり前でしょう」
 心の底からの嫌悪をむき出しにして、宮希は苦々しげに言う。
「あのひとが最司官に着任してから、ろくなことがない。霞冴はクロ化した挙句に瀕死の状態に陥った。あまつさえ前線に立たされて未知のチエアリにやられた。悪いことずくめだ」
 チエアリ・ジンズウによる一件にしろ、ガオンとの戦いにしろ、一部始終は宮希の耳にも入っていた。その当時の宮希の様子といったら、ポーカーフェイスでさっき立ち上げたばかりのパソコンをシャットダウンしてしまったり、書類の一ページ目を開いたまま十分間固まっていたりと、彼らしからぬ奇行を見せる始末だった。要は、平静を装いながらも、相当うろたえていたのだ。
 前者の神隠し事件に関わって、希兵隊本部に赴いていた向日葵と菫も、その名前には聞き覚えがあった。
「あの、霞冴さんって、前に時空震で行方不明になってた……?」
「そう、今は副最高司令官だけど、元は最高司令官だった女の子。つまり、宮希の直属の後輩。ちなみに、
 そう言って、うとめは細く形のいい小指を立てて見せる。
 それを見つめること三秒、込められた意味に気づいて、二人の少女の頬に色がさした。
「お……おおー……!」
「えっ、茄谷先輩って……えっ、えっ!?」
「長らく会ってないんだけどね。この子ったら、プライドが高すぎて。希兵隊トップの座から降りたものだから、それ相応に高みに上ってからじゃないと会いたくないんだって。でも、本当はずっと会いたくて会いたくて仕方なかったのよ。ねー、宮希。だからしゃかりきになって室長まで上りつめたんだものねー。もう胸を張って会いに行けるわねー」
 姉に全てを暴露され、色めき立つ樹香姉妹、どこか尊敬のまなざしで見つめ……ているかもしれない目隠れノン、笑いを必死に飲み込むイヅナの視線を集めた宮希は――さっきのやさぐれた表情はどこへやら、唇を震わせて、耳まで真っ赤に染まって。
「――お前達! 仕事配分はわかったな! 至急とりかかれ! 以上! 解散!」
「は、はいっ!」
「了解です!」
「はひゃぁああかりましたぁ!」
 突然の噴火で飛び散った噴煙から逃げるように、後輩ズは部屋を飛び出していった。
 フーフーと火山灰を吐き出していた宮希は、まだ熱をもちながらも、ようやく鎮火した。
 いつものぶっきらぼうな目を、残った二人に向ける。
「……用が済んだならご退室を。分析始めますんで」
「おう、頼むぜ。ちなみに、どれくらいかかりそうだ?」
「共起パターンとクラスタリングで森を見つつ、共起性に沿って重要単語を変えながらカテゴライズする計量テキスト分析と並行して、そのデータベースに基づいて時系列順に個々の動線をマッピングするシミュレーションの作成くらいは今日中にしますよ。結果次第なので、さっきも言いましたがあいつらの事情聴取中に成果をまとめられるかは保証しません」
 イヅナはしばらく、黙ったまま彼の視線を受け止めていた。反芻、理解、批判的思考、納得、感心、それらのプロセスを終えるのに五秒弱。
「……頼もしいこって」
 唇の端を吊り上げると、「じゃあ頼むぜ」と言い残して踵を返した。うとめも、「じゃあね」と弟に手を振って、イヅナとともに部屋を後にする。
 パタン、と閉じた扉の横のネームプレートを、うとめは再度見やる。
 「調査室 室長 茄谷宮希」。
 取り戻した漢字名さえ、プラスチック板の上で肩をそびやかしているように見えた。
「……すみません、相変わらず生意気なヤツで。室長になってから、また一段と態度が大きくなったでしょう」
 保護者精神で、うとめはイヅナにそう言って頭を下げた。彼は、一瞬きょとんとした後、明朗な笑い声をあげた。
「いいよ、いいよ。実際、オレが室長やるよりよっぽど頼もしいし。それに、あいつだって努力したんだからさ。ったく、入局当初の発言には驚いたぜ」
 うとめと宮希の入局当時、調査室室長だったイヅナ。十歳で普通科を、十三歳で理数学研究科を卒業してから、エンジニアを経て情報管理局に就職した彼は、その経歴から情報工学系の仕事を担ってきたのだが、三大機関が一角でIT畑を背負うには知識も技術も足りなかった。調べながら、学びながら、何とか回している――そんな愚痴を、まだ仕事の割り振りが決まっていなかった二人にこぼした時だった。
 ――オレに二年ください。
 不安も躊躇もなく、確信に満ちた目で、あの小さな天才は言った。
 ――その間、パートタイムで理数学研究科への通学と掛け持ちさせてください。二年で卒業して、即戦力になって見せます。
「あれ聞いた時は、冗談だろって思ったけどな。まさか全部有言実行するとは」
「でも、だからあの子を後釜に選んだんでしょう?」
 見上げてくるうとめを見つめ返すイヅナは、少しばかり返答に迷った。即答するには、胸中はやや複雑だ。
 なにせ、同時に入局したとはいえ、宮希は二年間パートタイム労働だったのだ。それに対し、うとめは最初からフルタイムで働いていた。熱心に取り組み、着実に仕事を覚えていった。
 けれど、イヅナが選んだのは、彼女ではなかったのだから。

***

 調査室の室長が替わったのは、そう前でもない、今年の春のことだ。
「えっ、オレが!? 三賢者!? マジで!? いいの!?」
 中央管理室――三階の大部屋、局長の坐す一室に呼ばれたイヅナは、局長に言い渡された事柄を興奮ぎみに何度も確かめた。
 局長は、イヅナの熱気にも汗一つかかず、泰然と頷く。
「まだ年若いが、次期三賢者にふさわしい能力、経験、気質を有しているのはお主であると判断されたゆえにな」
 年若い、というフレーズを苦笑いぎみに反芻しながら、イヅナはトップの前でも委縮する様子もなく、頭の後ろで手を組んだ。
「長老が引退する年なのはわかるけどよー、また幹部の年齢層が低くなっちまって、大丈夫か? まだエンピツおばさんがいるとはいえ、さ」
「誰がエンピツおばさんでござぁますか?」
 そこで初めて、彼の顔に緊張が走った。白で統一されたいくつものデスク、その一つの陰から出てきた眼鏡の猫を、ぎこちなく振り返る。
「い、いたのか……いや、いたんすか」
「相変わらずでござぁますね、イヅナ君?」
 三賢者が一人、通称「エンピツおばさん」。主体時の耳が先っぽだけ黒く細長いことから、あるいは細っこく背の高い双体姿をしていることから命名された――が、恐れ慄くあまり呼ぶ者は少ない。
 チェーンのついた眼鏡をくいとやりながら、彼女はイヅナを見据える。
「それで、後継は決まったのでござぁますか?」
「そだねー。次の室長決めなきゃだよねー」
 のんびりと間延びした声でそう言ったのは、デスクに腰掛け、ぱらぱらと書物をめくっていた少女だ。彼女が、長老、エンピツおばさんに続いて三賢者となった、スピード出世も甚だしい元管理室室長だ。
 ちなみに、先程から一言も発さないが、局長にほど近いデスクの上に、この度退職する、けうけげんのような長毛極まる猫も座っている。寝ているのか起きているのかわからない、ほけっとした柔和な目元が特徴だ。
「順当にいけば、うとめさんが後継となりそうでござぁますね?」
「そだねー、しっかりしてるしねー」
 局長も重くうなずく。長老もうなずく――舟をこいでいるわけではなさそうだ。
「あー……それなんだが」
 幹部一同の視線と、宇奈川うとめという局員への期待を浴びて、イヅナはきまり悪そうに頭をかいた。
「オレとしては、次の調査室室長は……」

***

「……悪いな、うとめ」
 迷った末に、イヅナは彼女にそう返した。
「お前の方が先に正規で働いてたんだから、あのままいけばお前が室長だったのにさ」
 うとめは、その言葉にむしろ心外という風な顔をしてから、柔らかく微笑んだ。
「いいんです。あの子は優秀ですから。鳴上さんも、あの子の才能に惚れたんでしょう?」
「数学に加えて情報工学までモノにして帰ってきたからな。控えめに言って虜だな」
 その言い方に、うとめはくすっと笑う。その笑顔の下には、誇らしさと、少しのせつなさが薄く層をなしていた。
「あの子はいつもそうです。私より後に生まれてきたくせに、いつの間にか追いついてきて、私の前を歩いていく。私が進んでも、その分あの子も先に進んで……いつも、先に行くのはあの子なんです。きっと、これからもそう。この先の人生、ずっと……最後まで……」
 声は、曖昧に透き通って、一度消えた。
 ややあって、うつむいたうとめの口から、残されたひとしずくが、ぽつりとこぼれる。
「……先に、いってしまうんです」
 声の余韻が、静かな廊下に波紋を広げる。その形は、水面にこぼした涙が作り出すものに似ていた。
 イヅナは、唇を噛みしめるうとめをそっと見守っていたが、やがてその頭にぽんと手を置いて歩き出した。
「戻ろうぜ。お前もやることあるだろ」
 うとめは小さく息を吐き出すと、うなずいて足を踏み出した。
 目的地はほんの数歩先だ。宮希の部屋の実にすぐ隣、「調査室 室長補佐 宇奈川羽留」のネームプレートがかかった扉に、鍵を差し込んだ。

***

 ――さて。
 すばやく頭を切り替えた宮希は、モニターに向かい、マウスを握る。左利きの握りに合わせたエルゴノミックマウスは、ガジェット一つ一つにこだわる彼のお気に入りの一品だ。
 スリープ状態になっていたパソコンを揺り起こし、菫から受け取ったデータを開いてちょちょっと編集。ショートカットキーとマクロをふんだんに駆使し、あっという間に分析ソフト対応の形に並び替えると、当該ソフトを起動させ、事情聴取結果を読み込ませる。
 このようなテキストデータは、いわゆる質的データと呼ばれるもので、まずは頭から通して読むことが多い。
 だが、宮希は一度、量的データ――すなわち数値で表せる結果にする。質的データを軽んじているわけではなく、それが自分の思考スタイルに合っていることを知っているからだ。
 数値で表されたデータを一望して、外観を把握して、着目すべき点や視点の枠組みの案をいくつか出しておく。先入観にとらわれるのでは、という批判もあろうが、あくまでも「案」であり「可能性」であることを念頭に置くことは常に意識している。それに、これまでこの方法で分析を担ってきて、失敗したことは一度もない。
 結果が出力された。まずは共起ネットワーク図と呼ばれる、円で囲んだ単語を、よく使われるもの同士で線で結んだ図だ。頻出単語ほど、大きな円で表される。
 話を聞いている限り、「襲う」「自分」などの単語の頻出が予測された。表現の違いこそあれ、全員からこれらに類する単語が出てきて然るべしだった。
 だが。
「……は?」
 図を目にした宮希の口から、懐疑心の塊が音となってこぼれた。
 確かに、予測していた単語が大きな円を描いている。しかし、それと同じ規模の円が、予想だにしていなかった単語を伴って紛れ込んでいた。まるで仲間同士で集まっているひと達にカメラを向けたら、全くのよそ者が前にしゃしゃり出てピースサインをしてきたかのような違和感だ。
 しばらく呆けた後、確認のため、事情聴取内容の書き起こし本文のファイルを開いた。検索機能で、そのよそ者を探す。
 次のひとも。その次のひとも。事情聴取に応じた被害者は皆、話のどこかで、と共にを述べている。
 イヅナに語った分析手順は大きく狂った。分析の必要すらなかったのではないか。これほどならば、おそらく、向日葵と菫も聴取の途中から気づいていたはずだ。
 被害者全員が、あのの翌日から、三日連続で鏡の空目そらめを生じるなど、偶然であってたまるものか。
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