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13.水鏡編
62学園追放 ④
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***
美雷との通話の後、アワとフーは、引き続きフィライン・エデンには近づかないよう雷奈たちに言いつけた。
ユメも、最近出会ったばかりとはいえ木雪も、雷奈たちの友人だ。彼女らのピンチをただ懐手で傍観しているなどいたたまれない。だが、二人の潔白を証明する証拠をもっていない以上、口出しはできないのも事実だ。
仕方なく、おとなしく下校し、雷奈は巫女の仕事、氷架璃は祖父母の手伝い、芽華実は家事があるからと言って、その日はアワとフーとは別れた。
そして、再集合した三人はフィライン・エデンに来ていた。
「おとなしくなんてしてられっかー!」
「要は、鏡像ば捕まえて、自分の正体ば吐かせればよかとよ! 呪符以外の現象で現れたなら二人は晴れて自由の身! ……呪符からできたっていわれたら……」
「……不利すぎる証言ね……」
「ネガティヴ思考禁止ー! きっと奇天烈で奇想天外な別の何かだ! 二人を信じろ!」
「とにかく、鏡像に会わんことには何もわからんけん、また同じ場所に来たわけやけど……」
雷奈はぐるりと噴水公園の広場を見回した。平日だからか、ひとけはほとんどない。離れたところからはボールの音や子供の甲高い声が聞こえてくるが、この入り口から少し進んだ中途半端な地点に留まっているのは雷奈たちだけだ。
「そう都合よく出てきてくれるわけじゃないわよね……」
「アワとフーにバレる前に済ませられればいいっちゃけど……」
スマホの時計を見ながらぼやく雷奈。
……の、背中に届く叫び声。
「君達ィィィ!」
「あ、バレた」
全速力で四足ダッシュしてきた水色の猫は飛び上がると、振り返りかけた氷架璃の側頭部に猫キック。同じく飛び上がった白色の猫は、振り返りきった芽華実の額に頭突きを食らわせた。
「どうして来てるの!? なんでさらっと言いつけ破ってるの!?」
「ごめん、フー……やっぱり、いてもたってもいられなくて……」
「君達の身を案じて言ってるの、わかってるよね!?」
「だーいじょうぶだって。過保護アワ」
お返しにアワの側頭部にもデコピンをかましてやると、彼は悶絶しながら涙目で三人を見上げた。
「美雷の読み通りだよ! また噴水公園に来てるだろうって!」
「美雷?」
昼の電話でそんなやりとりなどあっただろうか、と雷奈が記憶を探っていると、アワが「さっきだよ」と補足した。
「ボクとフーにメールがあった。情報管理局から取り急ぎの報告で、鏡像についてのある共通点が浮かんできたって。その連絡がてら、三人のことだから現場に戻って来てるんじゃないかって言うものだから、来てみれば……案の定じゃないか!」
「読まれとる……」
「あいつ、余計なことを……」
にこにこ笑顔でいつも見積もりの一段上をいく彼女は、頼もしくもある一方、敵に回すと厄介極まりない相手だった。
「それで……美雷の本題の件は何ね? 鏡像についてのある共通点って?」
「うん、情報管理局が聞き取りをしたひとたちは、みんな自分の鏡像に襲われたらしいんだけど……」
アワは三人の表情を確かめながら、その信じがたい現象を、できるだけ想像しやすいよう言葉を選んで言った。
「全員、先週の大雨の日の翌日から、身に覚えのない鏡を見かける体験をしていたんだ」
物々しく告げたアワの言葉に、雷奈たちは顔を見合わせる。昨日の会話とアワの言葉を合わせると現れる最悪な予感に、表情に緊張を宿して。要は、あくまでも他人事という認識が我が事という自覚に変わった瞬間だった。
一方、昨日の会話を聞いていなかったアワは、目配せに込められたそんな含意には気づかず、自分の言葉をうまく理解しきれず仲間の表情を参照しているものととらえて、補足説明に入った。
「信じがたいと思うんだけど、ふとした瞬間に見覚えのない鏡を見かけて、でも目を離した直後にはそれを見失っているんだ。みんな、見間違いか自分以外の私物かと思って、あまり気にしていなかったようだけど……現象の正体はいまだ不明とはいえ、鏡という共通項といい、鏡像が現れる予兆としか思えないんだ。……その、それで……」
アワは言い淀んで、フーを見やった。フーも迷っていたようだが、決心したように口を開く。
「……驚かないで聞いてほしいのだけれど……実は私とアワも、同じ体験をしているの。特に気に留めていなかったから、誰に言うでもなかったけど……こうなると、私達の鏡像も現れる、もしくはすでに現れた可能性が高いわ」
人間たちにとって最も近しい猫であるアワとフーが渦中に巻き込まれたと知ったら、少なからず動揺するだろう。そう見越していたゆえに、打ち明け話には相応の覚悟を要した。
が、雷奈たちの反応は、アワとフーが思ったよりも希薄なものだった。黙っているが、「そっか」と言いたげな、そんな表情だ。
逆に戸惑ったアワが首をかしげる。
「……驚かないんだね?」
「驚かないで聞いてほしいっちゃけど」
アワの問いへの答え代わりに、雷奈が暴露する。
「私達三人も、現れては消える鏡を目撃しとります。ってことは、私達もそういうことったいね」
…………。
二匹の猫は、しばらく固まった後、互いに顔を合わせた。
そして頭が飛ぶほどの勢いで振り向き、「エエエエエェェ!?」と絶叫。
「驚かんでって言ったのに」
「驚くよぉ! 君たちまで巻き込まれてたなんて!?」
「そりゃ私らだって同じセリフだよ。何が原因なんだ、いったい」
「私、偽者だとしても、アワやフーや氷架璃たちの姿をした相手を攻撃するなんてイヤよ」
「私だってそうだよ、芽華実を傷つけるなんてできない」
「……私はよかと?」
「あんたは見た瞬間に一目散に逃げるわ。猫術で敵うわけないだろ」
「でも、そんな心が痛むような戦いにはならないんじゃないかなぁ」
アワが素朴に言い放った言葉に、氷架璃は明度百パーセントの白眼視を向けた。
「人でなしが……」
「確かに人じゃないけど! そうじゃなくって!」
「姿も中身も、似ているようで全く違う、ってことよね?」
フーの助け舟に、感涙とともに乗り込みながらアワはうなずく。
「君たちが会ったルシルの鏡像も、確かに顔や体格はそっくりだったけど、真っ白な髪に緑色の目をしていたじゃないか。それに、雰囲気や言葉遣いも似つかない。しっかりとした芯が通ってないというか……そういう意味では、本物の彼女とは正反対だよ」
「確かにそうっちゃね……」
となると、情緒面は抜きにして、単純な敵として渡り合えるかどうかである。
「ルシルかぁ……戦力まで正反対なら助かるけど、そうじゃなかったら、ちと厳しいな。雷奈はともかく、私じゃ勝てんわ」
「私もそうね……」
「ルシルの武器は剣術と水術のみならず、あの体術だ。何なら、他の二つより断然抜きんでてる」
「さすが二番隊隊長、山椒は小粒でもぴりりと辛いか……」
「誰が小粒だ」
背後から、凛々しいアルト。
飛び上がった三人の前に反射的に立ちはだかり、彼女らを守る姿勢に入るアワとフーは、胸キュンを覚えてもいい頼もしさだが、すわ敵の襲来かと胸ドキドキバクバクの三人にはキュンする余裕はない。
だが、杞憂だったようだ。そこに立っていたルシルは、執行着姿で相棒の白猫を連れた、夜の水面のような黒髪とラピスラズリの瞳をもつ少女だった。
「ほ、本物……」
「驚かすなよ……」
「誰が小粒だ」
「根に持っとる」
糾弾の意を込めた鋭いため息を吐き捨てると、ルシルは呆れを通り越して蔑むような目で三人をねめつけた。
「お前たち、この敵性ありのうえ大規模なうえメカニズム不明という一番危険な事態が生じているときに、なぜここにいる」
「鏡像の正体を暴くんだよ!」
「このままじゃ木雪とユメが罪を着せられちゃうもの!」
「鏡像ば待ち構えて、出会ったが百年目、自分の正体を名乗らせるったい!」
ルシルは肺一杯に息を吸い込んだかと思うと、斜を向いて勢いよく吐き出した。痰が絡んで苦しい時の仕草に似ているが、どうやらこれ見よがしな渾身のため息らしかった。
「それを許可している二家の坊と嬢はどういうつもりだ。首と胴体が大喧嘩の末すっぱり別れたいということか」
「この子たち、ボクたちに黙って来たんだよ!」
「それを問い詰めていたところよ。でも……」
アワとフーは、三人をちらちら横目に見ながら、ごにょごにょとつぶやいた。
察しのいいルシルが翻訳する。
「この三人の行動でこれまで何度も救われてきているから強く出られない、か」
「狂いなしの見解一致だね……」
アワの肯定に、メルが「希兵隊の面目丸つぶれですね」と他人事でもない一言を発した。
ルシルは渋面をつくる。
「それは否定しないが……話し合いが必ず通じると思うなよ。戦闘になることは大前提でいろ。その上で、相手を選べ」
そうは言うが、今回の敵に関しては幾分かの安心材料がある。
氷架璃が胸を張って豪語した。
「チエアリじゃないだけ勝算あるだろ! こちとらチエアリでもふんじばっちまう雷奈がいるんだぞ!」
「また丸投げっちゃか!」
「もちろん私たちも加勢するけど、チエアリほどの脅威はないはずでしょう?」
チエアリの恐ろしいところは、源子の扱いのケタ違いのうまさ、そして常識外れの特殊能力だ。
だが、いくら容姿や性格が違うと言えど、鏡像がそんな力を持っているとは考えにくかった。例えば白いルシルだって、普通の水術を放とうとしていたのだ。
「そりゃ、雷奈の鏡像が出てきたらめっちゃ怖いけどさ。そん時は雷奈をぶつければ互角だろ!」
「そこへ私達も参戦すれば……!」
「お前たち」
ルシルの声が、それ以降の御託を不要認定した。
彼女の顔には、呆れでも苛立ちでもない、見慣れた表情が浮かんでいた。
生真面目な二番隊隊長の表情のプリセットは、真顔だ。
「言い分はわかった。だが、一つだけ守れ」
氷架璃たちの無謀な作戦に、小言もなく切りだしたルシルの視線には、三人の頬を無言で挟んで自分のほうへ向けさせる強制力があった。
憂慮の空気もまとわず、ただひたすらに真剣な目をしながら紡がれる言葉には、逆らえない重さの真実しか宿らない。
「私の知る限りにおいてだが、絶対に戦ってはならない相手が一人だけいる。そいつに出くわしたら、即座に逃げろ」
「……雷奈か?」
ルシルはゆっくりとかぶりを振った。
「大和コウだ」
まるで無機物の名称を口にするように、ルシルは告げた。それは、彼女がそうすることに最も違和感を覚える人物の名だった。
しばし絶句した後、芽華実が恐る恐る相好を崩す。
「そ、そっか、ルシルはコウのことを頼りにしているものね。一番強いと思えるほど……」
「私は客観的で絶対的な話をしているんだよ、芽華実」
ルシルの表情は能面のように微動だにしない。見れば、メルも同じ面をつけている。
「コウがなぜ希兵隊最強かといえば、古参の一人であるからだろうし、なぜ一番隊の隊長かといえば、前任が亡くなったからなのは事実だ。だが、そのような相対的な基準とは別に、あいつは強い」
「いや、そりゃ強いだろうけどさ。あんたの幼馴染バイアスかかってんじゃないのか?」
「では、お前はクロ化して刀まで持った霞冴に太刀打ちできるか?」
氷架璃は答えなかった。素直に答えるのが癪だった。
源子を好きなだけ操り、ああも軽やかに片手で剣術を繰り出す霞冴に対峙することを想定して、勝てるかどうかというのは質問が間違っている。正しくは、何秒で首が飛ぶか、だ。
「言っておくが、あの時の目的が霞冴を連れ戻すことではなく、霞冴を……殺すことだったなら、コウは無傷でやってのけただろう。実際、途中までは圧倒していたんだ。それに、先の侵攻では、一人でチエアリを破った戦績もある」
ルシルの言葉がひとひら、またひとひらと積み重なっていくごとに、その真実味が質量を帯びてくる。
「鋼猫特有の戦闘スタイルは大きく三つ。鋼術そのものを振るう、鋼から武器を生成して用いる、そして自らの身に鋼の性質を宿して肉弾戦に出る。コウはそのいずれも卓越しているんだ。通常の鋼術はもちろん、刀からクナイから鎖鎌のような複雑なものまで造形するし、あいつの手足は命じれば鋸となり、鎚となり、錐となる。私の一念発起に付き合うと抜かすまでは、家業の大工を本気で継ぐつもりだったんだ。跡取りとして幼くして身につけたその技術は、十年もの時を経て慣熟し、今や戦闘技術へと昇華されている」
ルシルは一度、雷奈たちにイメージの咀嚼の時間をくれた。
――確かに、ガオン戦で最もダメージを与えたのは彼だろう。
武具も防具もいらない、身一つが矛であり盾。しかも詠唱・言霊いらず。そんな彼に希兵隊は武道の技術をも上乗せした。
「そういうわけだ。言ってはなんだが、私でも勝てる気がしない。だから、もしもコウの鏡像に遭遇したら、迷わず戦線から離脱しろ」
「ばってん」
雷奈が反論する。
「そんな最強なコウも――」
一つだけ、弱点がある。
そして、その攻略方法も判明している。
それを告げようとした雷奈の口が、驚愕の形のまま固まった。
氷架璃と芽華実たちも同じものを視認して硬直するのを見て、ルシルがばっと袂をなびかせて身をひるがえした。
そこには、大きな姿見が鎮座していた。音もなく、前触れもなく、刹那と刹那の間隙に滑り込ませたように現れた。
「こいつか……!」
「ま、また誰かの鏡像が出てくるったい!?」
その言葉通り、何をも映さぬ鏡面に、ぴしりと亀裂が走った。
ぴしり、ぴしり、ぴしっ……。
まるで怪物の卵が孵化するように、不気味なほど静かに割れていく。
ぴしり、ぴし……。
やがて、機が熟した。
バリィン! と耳をつんざく破裂音とともに、鏡の破片が砕け散る。
その跡地には、うろのような虚空がぽっかりと口を開けていた。
次なる鏡像は、ルシルの偽者ではないことだけは確かだ。それ以外は全てが未知数。雷奈が出てきても、氷架璃や芽華実、アワやフー、あるいはこの場にいない誰が出てきてもおかしくはない。
大きく脈打つ心臓に押し出されて巡る血液と同じ速さで、緊張が頭を、体を駆け回る。
ゆっくりと地を踏む音がした。
メルを下ろしたルシルが、左腰の柄に手をやった。
闇の中から、徐々に、徐々に明らかになっていく姿を見て――刀の柄を、震える指先が小刻みに叩く音がした。
「……下がれ」
言葉尻の吐息が揺れる。
「――私が時間を稼ぐから、今すぐ逃げろ!」
言うなり、抜刀して切っ先を向ける。
新たな鏡像に。
着物袖の簡素な衣と指貫の袴をまとい、灰色髪の中に一房だけ赤を差した、幼馴染の生き写しに。
美雷との通話の後、アワとフーは、引き続きフィライン・エデンには近づかないよう雷奈たちに言いつけた。
ユメも、最近出会ったばかりとはいえ木雪も、雷奈たちの友人だ。彼女らのピンチをただ懐手で傍観しているなどいたたまれない。だが、二人の潔白を証明する証拠をもっていない以上、口出しはできないのも事実だ。
仕方なく、おとなしく下校し、雷奈は巫女の仕事、氷架璃は祖父母の手伝い、芽華実は家事があるからと言って、その日はアワとフーとは別れた。
そして、再集合した三人はフィライン・エデンに来ていた。
「おとなしくなんてしてられっかー!」
「要は、鏡像ば捕まえて、自分の正体ば吐かせればよかとよ! 呪符以外の現象で現れたなら二人は晴れて自由の身! ……呪符からできたっていわれたら……」
「……不利すぎる証言ね……」
「ネガティヴ思考禁止ー! きっと奇天烈で奇想天外な別の何かだ! 二人を信じろ!」
「とにかく、鏡像に会わんことには何もわからんけん、また同じ場所に来たわけやけど……」
雷奈はぐるりと噴水公園の広場を見回した。平日だからか、ひとけはほとんどない。離れたところからはボールの音や子供の甲高い声が聞こえてくるが、この入り口から少し進んだ中途半端な地点に留まっているのは雷奈たちだけだ。
「そう都合よく出てきてくれるわけじゃないわよね……」
「アワとフーにバレる前に済ませられればいいっちゃけど……」
スマホの時計を見ながらぼやく雷奈。
……の、背中に届く叫び声。
「君達ィィィ!」
「あ、バレた」
全速力で四足ダッシュしてきた水色の猫は飛び上がると、振り返りかけた氷架璃の側頭部に猫キック。同じく飛び上がった白色の猫は、振り返りきった芽華実の額に頭突きを食らわせた。
「どうして来てるの!? なんでさらっと言いつけ破ってるの!?」
「ごめん、フー……やっぱり、いてもたってもいられなくて……」
「君達の身を案じて言ってるの、わかってるよね!?」
「だーいじょうぶだって。過保護アワ」
お返しにアワの側頭部にもデコピンをかましてやると、彼は悶絶しながら涙目で三人を見上げた。
「美雷の読み通りだよ! また噴水公園に来てるだろうって!」
「美雷?」
昼の電話でそんなやりとりなどあっただろうか、と雷奈が記憶を探っていると、アワが「さっきだよ」と補足した。
「ボクとフーにメールがあった。情報管理局から取り急ぎの報告で、鏡像についてのある共通点が浮かんできたって。その連絡がてら、三人のことだから現場に戻って来てるんじゃないかって言うものだから、来てみれば……案の定じゃないか!」
「読まれとる……」
「あいつ、余計なことを……」
にこにこ笑顔でいつも見積もりの一段上をいく彼女は、頼もしくもある一方、敵に回すと厄介極まりない相手だった。
「それで……美雷の本題の件は何ね? 鏡像についてのある共通点って?」
「うん、情報管理局が聞き取りをしたひとたちは、みんな自分の鏡像に襲われたらしいんだけど……」
アワは三人の表情を確かめながら、その信じがたい現象を、できるだけ想像しやすいよう言葉を選んで言った。
「全員、先週の大雨の日の翌日から、身に覚えのない鏡を見かける体験をしていたんだ」
物々しく告げたアワの言葉に、雷奈たちは顔を見合わせる。昨日の会話とアワの言葉を合わせると現れる最悪な予感に、表情に緊張を宿して。要は、あくまでも他人事という認識が我が事という自覚に変わった瞬間だった。
一方、昨日の会話を聞いていなかったアワは、目配せに込められたそんな含意には気づかず、自分の言葉をうまく理解しきれず仲間の表情を参照しているものととらえて、補足説明に入った。
「信じがたいと思うんだけど、ふとした瞬間に見覚えのない鏡を見かけて、でも目を離した直後にはそれを見失っているんだ。みんな、見間違いか自分以外の私物かと思って、あまり気にしていなかったようだけど……現象の正体はいまだ不明とはいえ、鏡という共通項といい、鏡像が現れる予兆としか思えないんだ。……その、それで……」
アワは言い淀んで、フーを見やった。フーも迷っていたようだが、決心したように口を開く。
「……驚かないで聞いてほしいのだけれど……実は私とアワも、同じ体験をしているの。特に気に留めていなかったから、誰に言うでもなかったけど……こうなると、私達の鏡像も現れる、もしくはすでに現れた可能性が高いわ」
人間たちにとって最も近しい猫であるアワとフーが渦中に巻き込まれたと知ったら、少なからず動揺するだろう。そう見越していたゆえに、打ち明け話には相応の覚悟を要した。
が、雷奈たちの反応は、アワとフーが思ったよりも希薄なものだった。黙っているが、「そっか」と言いたげな、そんな表情だ。
逆に戸惑ったアワが首をかしげる。
「……驚かないんだね?」
「驚かないで聞いてほしいっちゃけど」
アワの問いへの答え代わりに、雷奈が暴露する。
「私達三人も、現れては消える鏡を目撃しとります。ってことは、私達もそういうことったいね」
…………。
二匹の猫は、しばらく固まった後、互いに顔を合わせた。
そして頭が飛ぶほどの勢いで振り向き、「エエエエエェェ!?」と絶叫。
「驚かんでって言ったのに」
「驚くよぉ! 君たちまで巻き込まれてたなんて!?」
「そりゃ私らだって同じセリフだよ。何が原因なんだ、いったい」
「私、偽者だとしても、アワやフーや氷架璃たちの姿をした相手を攻撃するなんてイヤよ」
「私だってそうだよ、芽華実を傷つけるなんてできない」
「……私はよかと?」
「あんたは見た瞬間に一目散に逃げるわ。猫術で敵うわけないだろ」
「でも、そんな心が痛むような戦いにはならないんじゃないかなぁ」
アワが素朴に言い放った言葉に、氷架璃は明度百パーセントの白眼視を向けた。
「人でなしが……」
「確かに人じゃないけど! そうじゃなくって!」
「姿も中身も、似ているようで全く違う、ってことよね?」
フーの助け舟に、感涙とともに乗り込みながらアワはうなずく。
「君たちが会ったルシルの鏡像も、確かに顔や体格はそっくりだったけど、真っ白な髪に緑色の目をしていたじゃないか。それに、雰囲気や言葉遣いも似つかない。しっかりとした芯が通ってないというか……そういう意味では、本物の彼女とは正反対だよ」
「確かにそうっちゃね……」
となると、情緒面は抜きにして、単純な敵として渡り合えるかどうかである。
「ルシルかぁ……戦力まで正反対なら助かるけど、そうじゃなかったら、ちと厳しいな。雷奈はともかく、私じゃ勝てんわ」
「私もそうね……」
「ルシルの武器は剣術と水術のみならず、あの体術だ。何なら、他の二つより断然抜きんでてる」
「さすが二番隊隊長、山椒は小粒でもぴりりと辛いか……」
「誰が小粒だ」
背後から、凛々しいアルト。
飛び上がった三人の前に反射的に立ちはだかり、彼女らを守る姿勢に入るアワとフーは、胸キュンを覚えてもいい頼もしさだが、すわ敵の襲来かと胸ドキドキバクバクの三人にはキュンする余裕はない。
だが、杞憂だったようだ。そこに立っていたルシルは、執行着姿で相棒の白猫を連れた、夜の水面のような黒髪とラピスラズリの瞳をもつ少女だった。
「ほ、本物……」
「驚かすなよ……」
「誰が小粒だ」
「根に持っとる」
糾弾の意を込めた鋭いため息を吐き捨てると、ルシルは呆れを通り越して蔑むような目で三人をねめつけた。
「お前たち、この敵性ありのうえ大規模なうえメカニズム不明という一番危険な事態が生じているときに、なぜここにいる」
「鏡像の正体を暴くんだよ!」
「このままじゃ木雪とユメが罪を着せられちゃうもの!」
「鏡像ば待ち構えて、出会ったが百年目、自分の正体を名乗らせるったい!」
ルシルは肺一杯に息を吸い込んだかと思うと、斜を向いて勢いよく吐き出した。痰が絡んで苦しい時の仕草に似ているが、どうやらこれ見よがしな渾身のため息らしかった。
「それを許可している二家の坊と嬢はどういうつもりだ。首と胴体が大喧嘩の末すっぱり別れたいということか」
「この子たち、ボクたちに黙って来たんだよ!」
「それを問い詰めていたところよ。でも……」
アワとフーは、三人をちらちら横目に見ながら、ごにょごにょとつぶやいた。
察しのいいルシルが翻訳する。
「この三人の行動でこれまで何度も救われてきているから強く出られない、か」
「狂いなしの見解一致だね……」
アワの肯定に、メルが「希兵隊の面目丸つぶれですね」と他人事でもない一言を発した。
ルシルは渋面をつくる。
「それは否定しないが……話し合いが必ず通じると思うなよ。戦闘になることは大前提でいろ。その上で、相手を選べ」
そうは言うが、今回の敵に関しては幾分かの安心材料がある。
氷架璃が胸を張って豪語した。
「チエアリじゃないだけ勝算あるだろ! こちとらチエアリでもふんじばっちまう雷奈がいるんだぞ!」
「また丸投げっちゃか!」
「もちろん私たちも加勢するけど、チエアリほどの脅威はないはずでしょう?」
チエアリの恐ろしいところは、源子の扱いのケタ違いのうまさ、そして常識外れの特殊能力だ。
だが、いくら容姿や性格が違うと言えど、鏡像がそんな力を持っているとは考えにくかった。例えば白いルシルだって、普通の水術を放とうとしていたのだ。
「そりゃ、雷奈の鏡像が出てきたらめっちゃ怖いけどさ。そん時は雷奈をぶつければ互角だろ!」
「そこへ私達も参戦すれば……!」
「お前たち」
ルシルの声が、それ以降の御託を不要認定した。
彼女の顔には、呆れでも苛立ちでもない、見慣れた表情が浮かんでいた。
生真面目な二番隊隊長の表情のプリセットは、真顔だ。
「言い分はわかった。だが、一つだけ守れ」
氷架璃たちの無謀な作戦に、小言もなく切りだしたルシルの視線には、三人の頬を無言で挟んで自分のほうへ向けさせる強制力があった。
憂慮の空気もまとわず、ただひたすらに真剣な目をしながら紡がれる言葉には、逆らえない重さの真実しか宿らない。
「私の知る限りにおいてだが、絶対に戦ってはならない相手が一人だけいる。そいつに出くわしたら、即座に逃げろ」
「……雷奈か?」
ルシルはゆっくりとかぶりを振った。
「大和コウだ」
まるで無機物の名称を口にするように、ルシルは告げた。それは、彼女がそうすることに最も違和感を覚える人物の名だった。
しばし絶句した後、芽華実が恐る恐る相好を崩す。
「そ、そっか、ルシルはコウのことを頼りにしているものね。一番強いと思えるほど……」
「私は客観的で絶対的な話をしているんだよ、芽華実」
ルシルの表情は能面のように微動だにしない。見れば、メルも同じ面をつけている。
「コウがなぜ希兵隊最強かといえば、古参の一人であるからだろうし、なぜ一番隊の隊長かといえば、前任が亡くなったからなのは事実だ。だが、そのような相対的な基準とは別に、あいつは強い」
「いや、そりゃ強いだろうけどさ。あんたの幼馴染バイアスかかってんじゃないのか?」
「では、お前はクロ化して刀まで持った霞冴に太刀打ちできるか?」
氷架璃は答えなかった。素直に答えるのが癪だった。
源子を好きなだけ操り、ああも軽やかに片手で剣術を繰り出す霞冴に対峙することを想定して、勝てるかどうかというのは質問が間違っている。正しくは、何秒で首が飛ぶか、だ。
「言っておくが、あの時の目的が霞冴を連れ戻すことではなく、霞冴を……殺すことだったなら、コウは無傷でやってのけただろう。実際、途中までは圧倒していたんだ。それに、先の侵攻では、一人でチエアリを破った戦績もある」
ルシルの言葉がひとひら、またひとひらと積み重なっていくごとに、その真実味が質量を帯びてくる。
「鋼猫特有の戦闘スタイルは大きく三つ。鋼術そのものを振るう、鋼から武器を生成して用いる、そして自らの身に鋼の性質を宿して肉弾戦に出る。コウはそのいずれも卓越しているんだ。通常の鋼術はもちろん、刀からクナイから鎖鎌のような複雑なものまで造形するし、あいつの手足は命じれば鋸となり、鎚となり、錐となる。私の一念発起に付き合うと抜かすまでは、家業の大工を本気で継ぐつもりだったんだ。跡取りとして幼くして身につけたその技術は、十年もの時を経て慣熟し、今や戦闘技術へと昇華されている」
ルシルは一度、雷奈たちにイメージの咀嚼の時間をくれた。
――確かに、ガオン戦で最もダメージを与えたのは彼だろう。
武具も防具もいらない、身一つが矛であり盾。しかも詠唱・言霊いらず。そんな彼に希兵隊は武道の技術をも上乗せした。
「そういうわけだ。言ってはなんだが、私でも勝てる気がしない。だから、もしもコウの鏡像に遭遇したら、迷わず戦線から離脱しろ」
「ばってん」
雷奈が反論する。
「そんな最強なコウも――」
一つだけ、弱点がある。
そして、その攻略方法も判明している。
それを告げようとした雷奈の口が、驚愕の形のまま固まった。
氷架璃と芽華実たちも同じものを視認して硬直するのを見て、ルシルがばっと袂をなびかせて身をひるがえした。
そこには、大きな姿見が鎮座していた。音もなく、前触れもなく、刹那と刹那の間隙に滑り込ませたように現れた。
「こいつか……!」
「ま、また誰かの鏡像が出てくるったい!?」
その言葉通り、何をも映さぬ鏡面に、ぴしりと亀裂が走った。
ぴしり、ぴしり、ぴしっ……。
まるで怪物の卵が孵化するように、不気味なほど静かに割れていく。
ぴしり、ぴし……。
やがて、機が熟した。
バリィン! と耳をつんざく破裂音とともに、鏡の破片が砕け散る。
その跡地には、うろのような虚空がぽっかりと口を開けていた。
次なる鏡像は、ルシルの偽者ではないことだけは確かだ。それ以外は全てが未知数。雷奈が出てきても、氷架璃や芽華実、アワやフー、あるいはこの場にいない誰が出てきてもおかしくはない。
大きく脈打つ心臓に押し出されて巡る血液と同じ速さで、緊張が頭を、体を駆け回る。
ゆっくりと地を踏む音がした。
メルを下ろしたルシルが、左腰の柄に手をやった。
闇の中から、徐々に、徐々に明らかになっていく姿を見て――刀の柄を、震える指先が小刻みに叩く音がした。
「……下がれ」
言葉尻の吐息が揺れる。
「――私が時間を稼ぐから、今すぐ逃げろ!」
言うなり、抜刀して切っ先を向ける。
新たな鏡像に。
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