当て馬令嬢は自由を謳歌したい〜冷酷王子への愛をゴミ箱に捨てて隣国へ脱走したら、なぜか奈落の底まで追いかけられそうです〜

平山和人

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箱舟から転送魔法で王宮内部へと侵入したエルナとシオン。迎撃する近衛騎士たちをシオンの魔圧だけで無力化しながら、二人が最初に向かったのは、ラインハルト公爵の執務室だった。


重厚なオークの扉をシオンが魔力で吹き飛ばすと、そこには一度目の人生でエルナを見捨てた父、ラインハルト公爵が、動かぬ肖像画のように座っていた。


「……遅かったな、エルナ。いや、王子の側を離れなかったのだから、正解だったと言うべきか」


父の目は、以前よりもさらに虚ろだった。彼はデスクの上に置かれた一通の告発書をエルナに差し出した。そこには、ラインハルト家が大司教に弱みを握られ、エルナを「悪役」として演じさせるための契約書が記されていた。


「……お父様。あなたは、私の人生が大司教の駒にされることを知っていて、黙っていたのですか?」


エルナの声が震える。シオンの瞳が、殺意を持って赤く燃え上がった。シオンが手をかざすと、公爵の首筋を氷の刃がかすめる。


「……待て、シオン殿下」


エルナが制止した。彼女は父の前に歩み寄り、その枯れ果てた手から書類を奪い取った。


「私はあなたを許しません。一度目の私を殺したことも、今の私がこうして復讐のために手を汚していることも。……ですが、死なせもしません。あなたは、私が作り替える新しい世界で、自分が何を見捨てたのかを一生かけて見届けなさい」


「……エルナ……」


父の瞳に初めて涙が浮かんだ。しかし、エルナは振り返らずに部屋を出た。シオンがその後に続く。


「エルナ、甘すぎる。……私なら、その記憶ごと消してやったものを」


「記憶を消すのは救いですわ、殿下。執着こそが最大の罰だということは、あなたが一番よく知っているでしょう?」


エルナの皮肉な微笑みに、シオンは一瞬、呆然とした後、狂おしいほどの愛おしさを込めて彼女の腰を抱き寄せた。


「……くくっ、あはは! まったくだ。お前という女は、どこまで私の心を支配すれば気が済むのだ。……いいだろう。お前のその残酷な慈悲に従おう」


二人の目的地は、王宮の最下層にある「禁忌の礼拝堂」。そこでは、大司教がこの世界そのものを贄(にえ)にするための、最後の儀式を始めようとしていた。



地下礼拝堂は、およそ神聖とは程遠い、禍々しい闇に包まれていた。祭壇の中心には、この世界の「システム」と直結した巨大なクリスタルが鎮座し、その前で大司教ザカリアが両手を広げて笑っていた。


「愚かな令嬢よ、そして呪われた王子よ。お前たちがここに来ることも、すべては予定された『シナリオ』の一部だ」


大司教の背後から、無数の黒い触手が伸びる。それは「世界の意志」そのものが、ザカリアという触媒を通して実体化したものだった。


「エルナ・フォン・ラインハルト。お前は死ぬことで、この世界の歪みを正す『生贄』だったのだ。お前が生きている今、世界は崩壊へと向かっている。……王子よ、お前が彼女を愛すれば愛するほど、この世界の理は壊れていくのだぞ」


「……理だと? そんなものに、エルナの命一粒ほどの価値があると思っているのか」


シオンが冷たく言い放つと、礼拝堂の空気が一気に氷点下まで下がった。彼の足元から広がる氷は、ザカリアの闇を物理的に押し返していく。


「お前が神の代弁者を気取るなら、私は神を殺す魔王になろう。……エルナ、下がっていろ。ここからは、私の『執着』が神の『秩序』を上回る証明だ」


シオンの髪が完全に純白に染まり、背後には六つの氷の翼が顕現した。一度目の人生で世界を滅ぼしかけた禁忌の力が、エルナを守るためだけに解放される。


しかし、ザカリアもまた、クリスタルの力を吸収し、異形の姿へと変貌していく。 「……滅びよ、イレギュラーたちよ! この世界に自由など不要だ!」


光と闇、秩序と狂愛。礼拝堂の空間そのものが悲鳴を上げ、亀裂が走り始めた。エルナはシオンの背中を見つめながら、懐から「魂の共鳴」を増幅させるための魔導触媒を取り出した。


「……殿下、一人で格好をつけさせませんわよ。……神様、見ていなさい。悪役令嬢が、あなたの最高傑作(シナリオ)を今から粉々に叩き壊してあげますから!」
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