当て馬令嬢は自由を謳歌したい〜冷酷王子への愛をゴミ箱に捨てて隣国へ脱走したら、なぜか奈落の底まで追いかけられそうです〜

平山和人

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アステリア王都を目前に控え、箱舟は雲の中に身を潜めた。 明朝、全戦力を持って王宮へ突入する。その決戦を前に、船内は嵐の前の静けさに包まれていた。


エルナは自室のバルコニーで、遠くに見える王都の明かりを見つめていた。 そこへ、足音もなくシオンが現れる。彼はエルナの腰に手を回し、自分の胸の中に閉じ込めるように抱き寄せた。


「……怖いか、エルナ」 「いいえ。ただ、ようやくここまで来たのだなと。……殿下、もし明日、すべてが終わったら、あなたはどうしたいですか?」


シオンは少しの間、沈黙した。そして、エルナの髪に深く指を潜り込ませ、その香りを吸い込む。


「……私は、お前をどこか遠くへ連れ去りたい。誰の目も届かない、お前と私しかいない場所。そこで、お前を一生、私の腕の中に閉じ込めておきたい。……それが、私の本音だ」


「相変わらず、極端な独占欲ですわね」


「だが、お前がそれを望まないことも分かっている。お前は、風のように自由に飛び回りたい女だ。……だから、約束しろ。明日、何があっても私の側を離れないと。たとえ世界が崩壊しようと、私の手だけは離さないと」


シオンは懐から、一筋の銀色の鎖を取り出した。それは、魔力を込めた特別な一対のバングルだった。 彼はそれをエルナの手首にはめ、もう一つを自分の手首にはめる。


「これは『魂の共鳴(ソウル・リンク)』。お前の命に危機が迫れば、私の命が身代わりになる。そして、私の魔力が続く限り、お前の居場所を私は失わない。……これは私の執着の証だ。捨てようとしても、もう遅いぞ」


エルナは、手首に輝く銀色の鎖を見つめた。重いはずのその鎖が、今は何よりも頼もしく感じられた。


「……捨てたりしませんわ。この100章まで続く長い旅、最後まで私をエスコートしてくださるんでしょう? シオン殿下」


「ああ、死んでもな。……愛している、エルナ。私の命も、魂も、過去も未来も、すべてお前に捧げよう」


月明かりの下、二人は深く長い口づけを交わした。 翌朝、世界は「悪役令嬢」と「狂愛の王子」による、かつてない革命を目の当たりにすることになる。



アステリア王国の首都、王都アステリア。かつてエルナ・フォン・ラインハルトが「悪役令嬢」として蔑まれ、石を投げられ、そして命を散らした因縁の地。その美しい石畳と白亜の城壁が、今、天空から降りてきた巨大な影に飲み込まれていた。


「……見てくださいまし、殿下。かつて私を死へ追いやった人たちが、今は怯えて空を見上げていますわ」


空中要塞『星辰の箱舟』の展望デッキ。エルナは冷ややかに下界を見下ろしていた。彼女の瞳には、かつての弱々しさは微塵もない。風にたなびく白銀の髪と、決意に満ちた真紅の瞳。その美しさは、恐怖を煽るほどに研ぎ澄まされていた。


「ああ。……見苦しいものだな、エルナ。彼らはお前が『悪』であると定義することで、自分たちの平穏を守ってきた。だが、その定義そのものが私の怒りに触れたのだ。……今更、命乞いなど許しはしない」


シオンは背後からエルナの肩を抱き、彼女の耳元で氷のように冷たい声で囁いた。彼の指は、エルナの手首にある「魂の共鳴」のバングルを執拗になぞっている。シオンの魔力は、王都を包む「聖なる結界」をじわじわと侵食し、空を青白い氷の亀裂で覆い尽くしていた。


「聖星教」の鐘が、悲鳴のように鳴り響く。神殿からは、大司教ザカリアが放った光の魔法が矢となって箱舟に降り注ぐが、シオンが展開する絶対防御の壁を一枚も突き破ることはできない。


「エルナ、合図を。……お前を嘲笑ったこの街を、今すぐ私の氷で沈黙させてやろうか?」


「いいえ。……街を壊しては、私が新しく作る『商会』の支店を建てる場所がなくなりますわ。狙うのは、王宮の奥底に隠れているネズミ……大司教ザカリア、ただ一人です!」


エルナが右手を掲げると、箱舟の主砲が眩い閃光を放った。それは破壊の光ではなく、大司教が民衆にかけていた「精神操作の呪縛」を解く、浄化の波動。空から降り注ぐ光の粒子を浴びた民衆たちは、まるで長い夢から覚めたように、自分たちがなぜエルナを憎んでいたのかを自問し始めた。


運命という名の「台本」が、物理的な力によって引き裂かれ始めた瞬間だった。
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