【完結】言えない言葉

未希かずは(Miki)

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1.5 出会い 後編

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 それから一時間くらい、大和は僕が緊張しないようにいろんな話を振ってくれた。
 好きな動物は犬だとか、海行くとテンション上がるよな、とか。
 他愛ないこと。
 僕はその時間だけは、翼と話してるみたいに気負わずにいられた。
 大和が僕に意見を求めすぎず、ただ楽しそうに話してくれたからだ。
 でも、ふとした瞬間、大和が僕を見る目が、いつもより少し柔らかく感じた。
 みんなに笑いかけるあの明るい目とは、ほんの少しだけ違う気がする。
 そんな時、胸の奥が締め付けられるように熱くなって、僕は慌ててプリントに目を落とした。
 これは、ただの憧れじゃないのかもしれない。
 そんな考えが、頭の片隅をかすめた。

 
「水瀬はさ、放課後何してる?どこかに寄ったりしてるのか?」
 
 
 大和がふと、作業の手を止めずに聞いてきた。
 リラックスしていたおかげで、言葉がすっと出てくる。
 
「サークル入ってないし、特に用事もないから、だいたい真っ直ぐ帰るかな。実家が遠くて、アパート暮らしなんだけどね。兄と二人暮らしだから、お互い暇なときは一緒に過ごすんだ。けど……最近は向こうも忙しそうで。あとは、在宅で翻訳のバイトしたりしてる」

「へえ、翻訳なんて凄いな。水瀬にはお兄さんがいるんだ。同じ大学じゃないよな? 一緒にいるところ見たこと無いし」


 大和が興味深そうに僕を見た。
 その視線に、なぜかドキッとする。


「うん。ずっと高校まで一緒だったんだけど、僕は兄に頼りきりで。向こうが僕のことを心配して、大学はそれぞれ別にしようってことになったんだ。やりたい事も違ったし」
 
 あの時の不安やショックを思い出して、眉を少し下げた。
 
「そんなに頼れる兄貴なんだ?」

「うん。誰とでも仲良くなれるし、僕の気持ちを言わなくても分かってくれるんだよ。中学のときクラスで意見求められたときも、僕はなんて言ったら良いのか分からなくなっちゃって。そしたら、翼が代わりに話してくれたんだ。だからつい兄に頼っちゃう」
 
 大和はプリントをまとめながら、じっと僕を見つめてきた。
 夕陽がその横顔を柔らかく照らして、なんだかいつもより大和を近く感じる。
 たくさん話ができているからかもしれない。
 少しだけ顔がほころんだ。
 
「ふうん。……じゃあさ。学校にいる間は俺が水瀬の話聞いてみようかな。って俺、何言ってるんだか。やっと話せたばっかりなのに、調子に乗ったな。今の忘れて!」
 
 大和が髪に触れながら、照れ笑いをした。
 その笑顔が、いつもより少し柔らかくて、胸の奥がギュッと締め付けられた。
 こんな風に、僕のことを気にかけてくれる人がいるなんて。
 翼以外で、初めてだ。
 
「ううんっ。如月くんは優しいね。ありがとう。同じゼミ生ってだけの僕にいつも挨拶してくれて、気遣ってくれて、ほんとに嬉しいよ」
 
 大和はホッチキスを手に、唇を少し尖らせた。
 
「同じゼミ生なだけ、とか淋しいこと言うなよ。俺、本気で水瀬と仲良くなりたいんだからさ」
 
 思いがけない大和の言葉に僕の手が震えて、紙で指先を切ってしまった。
 
「っ、痛」
 
 左の人差し指の指先からじわりと血が滲んだ。
 大和がすぐに身を乗り出し、机越しに僕の左手をそっと掴む。

「やば、紙で切った? 待ってろ。俺、絆創膏持ってるから」

 大和は鞄から絆創膏を取り出し、僕の隣に来て屈んだ。
 指先を固定しようと僕の肘を大和の脇で挟んだから、自然と二人の距離が近くなった。
 大和の指が僕の指先に触れた瞬間、電気が走ったみたいに心臓がドキンと跳ねた。
 近くで感じる大和の息遣い。
 ほのかに爽やかな若葉のような香りが鼻をかすめる。
 夕陽に照らされた長いまつ毛が、かすかに金色に輝いている。
 こんな距離で大和の顔を見たのは初めてだった。
 廊下の賑やかな話し声も、教室の埃っぽい空気も、全部が掻き消えて、僕の耳には自分の心臓の音だけが響いていた。

「じ、自分で貼れるからっ!」

 慌てて手をほどこうとしたけど、大和は「いいよ。すぐ終わる」と穏やかに笑い、丁寧に絆創膏を貼ってくれた。
 その手つきは、まるで壊れ物を扱うように優しかった。
 貼り終わった後、大和がふっと僕を見上げ、いつもより少し長い間、目を合わせてくる。
 その瞳は、いつも気さくに笑う大和のものとは違って、どこか柔らかく、温かかった。
 夕陽のオレンジが大和の頬を染めていて、僕の顔も同じ色に染まっている気がした。

「ごめん、強引だったな。痛くない? 大丈夫?」

大和の優しい声が、夕陽の柔らかな光と重なるように僕を包み込む。
 言葉を返すのもやっとで、声が震えそうになる。


「う、うん……ありがとう……」

「よかった。じゃあ俺、教授の机に資料持ってくから、ちょっと休んでてな」

 大和は出来上がった資料を抱えて、軽やかな足取りで教室を出て行った。
 ドアが閉まる音がやけに大きく響いて、僕は一人、静かな教室に取り残される。
 指先に貼られた絆創膏を見つめる。
 まだ大和の指の温もりが残っているみたいで、胸のざわつきが収まらない。
 さっきのできごとが、頭の中で何度も繰り返された。
 大和の優しい声、近くで見たまつ毛、若葉のような香り。
 心臓がドクドクと高鳴って、顔が熱くなる。
 なんでこんなにドキドキするんだろう。

 机に突っ伏して、夕陽の光が揺れる窓の外を見た。
 桜の木の枝が緑を茂らせ、そっと風に揺れている。
 頭の中では、大和のこれまでの姿が次々と浮かんできた。
 初めてゼミで会った日の眩しい笑顔。
 「水瀬、今日すげえ天気いいよな」と気軽に話しかけてくれたこと。
 ディスカッションでフォローしてくれた時の、僕だけに投げかけてくれた視線。
 「水瀬の声、もっと聞きたかったんだ」と言った時の、ちょっと照れた笑顔。
 「俺、本気で水瀬と仲良くなりたいんだからさ」と真っ直ぐに見つめてきた瞳。
 どの大和も、いつも明るくて、温かくて、僕の心を軽くしてくれる。
 翼みたいに、僕の気持ちを察してくれる人。
 でも、翼とは違う。
 大和は僕をさらに知りたいというようにじっとうかがってくる。
 僕の臆病な心を、そっと開こうとしてる気がした。
 その笑顔を思い出すたび、胸の奥が温かくなるのに、同時に苦しくなる。

 中学の時、バスケ部の先輩に憧れたことがあった。
 あの時はただ「かっこいいな」と思うだけで、こんな胸の熱さはなかった。
 翼に気軽に「憧れてる」って言えるような、軽い気持ちだった。
 でも、大和のことを考えると、違う。
 もっと深い、もっと強い、言葉にできない何かがある。
 指先に貼られた絆創膏を、そっと撫でた。
 この温もりが、僕の心をこんなに揺さぶるなんて。
 こんな気持ち、翼にも話したことない。
 そんな簡単には、話せない。
 だって、これは……。

 ああ、僕は大和のことが好きなんだ。

 この言葉がストンと僕の胸に落ちた。
 大和が好き。
 それを自覚した途端、僕の鼓動は大きくなる。
 全身、指先までじんわり火照る。
 大和の笑顔を思うだけで胸が苦しい。
 この気持ちを口に出す勇気なんてない。
 だって、不器用な僕の、初めての本当の恋だったから。
 僕にはこの気持ちをどうしたら良いのか、分からなかった。

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