年下研修医の極甘蜜愛

虹色すかい

文字の大きさ
19 / 47
第三章

縮まる距離(1)

しおりを挟む


「お先に失礼します。お疲れ様でした」


 十二月五日。
 彩は、昼休憩中の上司と医師たちに挨拶をして医局をあとにした。その手には、青いハンドバッグと重要書類の入ったA4サイズの茶封筒が握られている。

 医局秘書課に所属する彩は、医事課やその他の事務職員たちとは違って制服がないから、更衣室に寄って着替える必要もない。今日は院外に出なければならない業務はなく、コートの下は七分袖の白いコットンリネンのブラウスとそれに合う膝下丈の黒いフレアスカートというシンプルな装いだった。

 廊下ですれ違った院内薬局の薬剤師と軽い雑談をして、タイムカードに打刻する。職員通用口から外に出ると、冬陽にしては熱のある強い日差しがさんさんと降りそそいでいた。

 時刻は十二時二十三分。駅までは徒歩で十五分ほどだから、ゆっくり行っても待ち合わせの時間より少し早く着くだろう。


「あれぇ、彩さん。今日は半休なんだ?」


 背後から声をかけてきたのは、数カ月前に医局長に任命された外科の篠田医師三十五歳。クセ毛のようなパーマがかもしだすイマドキの外見に、濃紺のスクラブの上に羽織ったドクターコートの袖を腕の中ほどまでまくるのは、彼の通年定番スタイルだ。


「はい。所用があって、お休みをいただきました」

「ふぅん。彩さんの机の上に、先生たちの勤務希望の紙を置いといたんだけど、気づいたかな」

「来週中には当直と日直を組んで先生にお渡ししますね」

「いつもごめん」


 悪いとはこれっぽっちも思っていない、ただの社交辞令だと明白な篠田の軽い口調。それでも彩は、顔色一つ変えずに応える。実をいうと、彩は篠田が苦手だ。彼の軽薄さや聞きたくなくても耳に入ってくる噂、年配の先生に対する敬意のないものの言い方。言葉遣いや口調の荒さが高圧的に感じるし、納得できないと相手をとことん問い詰めて論破してくるところも面倒で扱いづらい。

 しかし、彼は育った境遇と経験から、確固たる信念をもって医師の仕事と向き合っている。仕事にストイックで、一切の妥協を許さない。それを間近で見ているから、彩は私情と仕事を切り離して、篠田のいいところに目を向けるよう心がけている。それは篠田に限らず、他の医師に対しても同じだ。


「先生が忙しいのは承知しているので、気になさらないでください。でも、わたしが当直と日直を組んでいることは、絶対に内緒ですよ。事務が勤務を決めていると知ったら、先生たちの不平不満が爆発して収拾つかなくなっちゃいますから」

「分かってるよ。彩さんには世話になってばかりだな。そうだ、御礼に飯でもおごろうか」

「お気持ちだけいただきます」

「俺と二人で飯食うの、嫌なわけ?」


 篠田が、片方の口角をあげて笑う。


「先生と二人はちょっと」

「はぁ? どういう意味だ、こら」


 おかしそうに笑う彩をどう思ったのか、篠田が「じゃあね。お疲れ様」と笑顔で言い残して、ひらひらと手を振りながら職員通用口に入っていく。その背中を見送って、彩は日傘を広げた。生成りのリネン生地にマリーゴールドがワンポイントで刺繍されたそれは、百貨店で一目惚れして買ったお気に入りだ。

 じりじりと地面をこがすような日差しの中、駅前にあるコーヒー専門店を目指す。ヒールの高い靴を好まない彩の足音は、猫の忍び足のように静かだった。


 ――暑いなぁ。


 もう十二月だというのに、晴れた日の昼間は夏と変わらない。途中でたまらずコートを脱ぐ。車通りの多い片側一車線の県道を渡って、駅へ続く小道を歩くこと十五分。彩は待ち合わせ場所のコーヒー専門店に入ると、スマートフォンの画面をタップしてお店のアプリを立ち上げた。炎天下を歩いて乾いた喉を、冷たいコーヒーで潤そうと思ったのだ。

 注文カウンターに並ぶ前に一度、店内を見回す。待ち合わせ相手の姿はまだない。新商品のかわいいフラペチーノにマキアート、それからラテも魅力的だったが、結局、シンプルなドリップアイスコーヒーを注文して奥の窓際に座る。

 店内は、コーヒー特有の芳香と女性たちの陽気な笑い声に満ちていた。壁に掛けられた有名なイラストレーターの絵が描かれたカレンダーを見ると、今日の日付に赤字でポイント五倍と書かれている。どおりで、平日の昼過ぎにもかかわらず繁盛しているわけだ。

 コーヒーのグラスにさしたストローを唇ではさんで、外に目を向ける。大きなガラス張りの窓の向こうには、スーツ姿のサラリーマンや小さな子供を連れた女性たちが闊歩する日常的な光景が一枚絵のように広がっていた。それを眺めながら、冷たいアイスコーヒーを喉に流し込む。


 ――あぁ、生き返る。


 普段は会議や打ち合わせに事務作業、時には医師と別の病院へ行ったり、タイトなスケジュールで埋まっている午後が休みだと気分が一気に開放的になる。二カ月に一度あるかないかの午後半休は、彩にとって貴重なリフレッシュの時間だ。

しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

腹黒外科医に唆された件~恋人(仮)のはずが迫られています~

有木珠乃
恋愛
両親を亡くし、二人だけの姉妹になった一ノ瀬栞と琴美。 ある日、栞は轢き逃げ事故に遭い、姉の琴美が務める病院に入院することになる。 そこで初めて知る、琴美の婚約者の存在。 彼らの逢引きを確保するために利用される栞と外科医の岡。 「二人で自由にならないか?」を囁かれて……。

敏腕ドクターは孤独な事務員を溺愛で包み込む

華藤りえ
恋愛
 塚森病院の事務員をする朱理は、心ない噂で心に傷を負って以来、メガネとマスクで顔を隠し、人目を避けるようにして一人、カルテ庫で書類整理をして過ごしていた。  ところがそんなある日、カルテ庫での昼寝を日課としていることから“眠り姫”と名付けた外科医・神野に眼鏡とマスクを奪われ、強引にキスをされてしまう。  それからも神野は頻繁にカルテ庫に来ては朱理とお茶をしたり、仕事のアドバイスをしてくれたりと関わりを深めだす……。  神野に惹かれることで、過去に受けた心の傷を徐々に忘れはじめていた朱理。  だが二人に思いもかけない事件が起きて――。 ※大人ドクターと真面目事務員の恋愛です🌟 ※R18シーン有 ※全話投稿予約済 ※2018.07.01 にLUNA文庫様より出版していた「眠りの森のドクターは堅物魔女を恋に堕とす」の改稿版です。 ※現在の版権は華藤りえにあります。 💕💕💕神野視点と結婚式を追加してます💕💕💕 ※イラスト:名残みちる(https://x.com/___NAGORI)様  デザイン:まお(https://x.com/MAO034626) 様 にお願いいたしました🌟

その卵焼き俺にも食わせろ!―ワンナイトラブから逃げたはずなのに、契約で縛られてました!?―

鷹槻れん
恋愛
新沼 晴永(にいぬま はるなが/36)は俺様上司として恐れられる鬼課長。 そんな彼に毎日のように振り回されるのが、犬猿の仲(だと彼女が勝手に思っている)部下の小笹 瑠璃香(こざさ るりか/28)だ。 飲み会の夜、酔ってふにゃふにゃになった瑠璃香を晴永がまんまと持ち帰り――翌朝待っていたのはワンナイトの証拠と契約結婚の書類!? 晴永には逃げようとする瑠璃香を逃がすつもりはないらしい!? 笑いと誤解と契約の、ドタバタラブコメディ! ○表紙絵は市瀬雪さんに依頼しました♥(作品シェア以外での無断転載など固くお断りします)

鬼上官と、深夜のオフィス

99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」 間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。 けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……? 「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」 鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。 ※性的な事柄をモチーフとしていますが その描写は薄いです。

【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました

藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。 次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。

譲れない秘密の溺愛

恋文春奈
恋愛
憧れの的、国宝級にイケメンな一条社長と秘密で付き合っている 社内一人気の氷室先輩が急接近!? 憧れの二人に愛される美波だけど… 「美波…今日充電させて」 「俺だけに愛されて」 一条 朝陽 完全無欠なイケメン×鈴木 美波 無自覚隠れ美女

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

処理中です...