22 / 47
第三章
パッション(1)
しおりを挟む驚き過ぎて声も出ない。ドドッドッドドッと耳の近くで心音が響いて、持っていたマンガがばさっと床に落ちた。
「ああ、よく寝た」
目を見開いて固まる彩の視界で、仁寿がのっそりと体を起こす。
先生は寝起きが弱い。それを知っているから確信できる。目をこすって、さも寝起きのように装っているが、目の前にいるのはしっかり覚醒した藤崎仁寿だ、と。
「い、いつから起きてたんですか?」
「ずっと寝てたよ」
「嘘!」
「じゃあ、藤崎君のあたりから?」
「ひ……っ!」
喉が詰まるような悲鳴のあと、彩の顔からみるみる血の気が引いていく。
――じゃあって、なに?
あたりから? って、どうしてクエスチョンマーク? もしかして、ずっと起きてたの? 心躍らせて本を読んでいたのも知ってるわけ? 次から次へと疑問がわいて、頭が混乱し始める。それに追いうちをかけるように、自分の放った言葉が雷電のごとく脳を直撃した。
――どうして、わたしなんかを好きなのよ。
とんでもない独り言が頭の中でリフレインする。頭蓋骨が割れそうなほどの大音量、エコーつき。なんならビブラートだって効いているし、ファンファーレまで鳴り響いている。
――死ぬ。
一生の不覚としかいいようがない。どうしよう。穴があったら入りたいと本気で思ったのは、これが生まれて初めてかもしれない。恥ずかしさのあまり、今にも頭が爆発して卒倒しそうだ。
「マンガ、面白かった?」
余裕たっぷりな仁寿の笑みに、彩の耳が夏の夕焼けのように真っ赤になる。
「え、ええ。まぁ……、楽しませていただきました」
どうにか平常心を保とうとするが、声はうわずり目は泳ぎ、まったく動揺を隠せない。
「そう。主人公が高校生だから、今の僕たちが読むと幼く感じるストーリーだけど、まずはこれくらいがちょうどいいかな」
「ちょうど、いい?」
「どうも、彩さんから恋愛に対するパッションを感じないからさ。刺激になればと思って。どう? 胸がきゅんとして、乙女心に火がついたんじゃない?」
仁寿の目がきらきらと無邪気な光彩を放っていたので、彩は思わず「パッションって」と小さく吹きだしてしまった。もうパッションとか乙女心なんて年齢は過ぎてしまったけれど、確かに懐かしさも相まって、気分が澎湃するには十分な刺激だったと思う。
――まったくもう、先生は。
予想もしない方向から球が飛んでくるからびっくりする。だけど、先生は言うことにもすることにも厭味がなくて、その優しさについ甘えてしまいたくもなる。もしそれを口にしたら、遠慮せずに甘えてよと満面の笑みが返ってくるのだろう。
その顔を想像すると、少しだけ動揺が落ち着いた。
「はい、久しぶりにピュアな気持ちを思い出しました」
「よかったね。大事だよ、それ」
「……あの。わたしの独り言、全部しっかり聞いてましたよね?」
「どうかな」
くすっと笑う仁寿の顔が近づいて、ふわりと唇が重なる。マンガの影響か、マシュマロみたいな感触に胸がじんわりどきどきした。触れるだけのキス。なのに、甘い余韻が全身に広がっていく。どこか、物足りなさを伴って――。
「お腹がすいたね」
立ちあがった仁寿が、メガネをかけてベランダ側のサッシを開ける。日差しに温まったリビングを、乾いた冬の風がさっと吹き抜けた。リビングの時計を見て、仁寿がキッチンでごそごそと食材を探し始める。彩は、落ちたマンガを他の巻と一緒にテーブルに積むと、仁寿を手伝おうとキッチンへ急いだ。
「彩さんはゆっくりしていてよ。テレビつけようか?」
「いえ、そんな」
「手伝ってもらうほど豪華なものは作らないよ。時間も時間だし、軽くね」
洗った手をタオルで拭う彩の隣で、仁寿がパスタを二束とレトルトのミートソースを並べる。
「小麦粉だからなぁ。百グラムでも多いか」
仁寿はつぶやきながら鍋にお湯を沸かし、フライパンにミートソースを入れて刻んだ野菜とマッシュルーム、それから赤ワインを少し足す。
――わたしの出番はなさそう。
彩は、邪魔にならないようにキッチンを出て、カウンター越しに仁寿の手際を眺めた。
「先生、ちゃんと寝ました?」
「うん。眠られない当直のあとでも、昼寝は三十分くらいで十分かな」
「そう、なんですね」
「彩さんは?」
仁寿が、ぐつぐつと煮だった鍋に菜箸でパスタを沈めながら尋ねる。
「わたし?」
「CTとか検査したんでしょ? どうだったの? ずっと気になってはいたけど、メッセージアプリで聞くような内容じゃないから聞けなかった」
「ああ……」
どう答えよう。楽しい話ではないから適当に言葉を濁そうかと迷って視線を流しから上に向けると、こちらを見ている仁寿のメガネが湯気で真っ白に曇っていたから、彩は素直に話すことにした。
――なんだか気が抜けちゃう。
彩の表情が、穏やかなほほえみに変わる。
10
あなたにおすすめの小説
腹黒外科医に唆された件~恋人(仮)のはずが迫られています~
有木珠乃
恋愛
両親を亡くし、二人だけの姉妹になった一ノ瀬栞と琴美。
ある日、栞は轢き逃げ事故に遭い、姉の琴美が務める病院に入院することになる。
そこで初めて知る、琴美の婚約者の存在。
彼らの逢引きを確保するために利用される栞と外科医の岡。
「二人で自由にならないか?」を囁かれて……。
譲れない秘密の溺愛
恋文春奈
恋愛
憧れの的、国宝級にイケメンな一条社長と秘密で付き合っている 社内一人気の氷室先輩が急接近!? 憧れの二人に愛される美波だけど… 「美波…今日充電させて」 「俺だけに愛されて」 一条 朝陽 完全無欠なイケメン×鈴木 美波 無自覚隠れ美女
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
その卵焼き俺にも食わせろ!―ワンナイトラブから逃げたはずなのに、契約で縛られてました!?―
鷹槻れん
恋愛
新沼 晴永(にいぬま はるなが/36)は俺様上司として恐れられる鬼課長。
そんな彼に毎日のように振り回されるのが、犬猿の仲(だと彼女が勝手に思っている)部下の小笹 瑠璃香(こざさ るりか/28)だ。
飲み会の夜、酔ってふにゃふにゃになった瑠璃香を晴永がまんまと持ち帰り――翌朝待っていたのはワンナイトの証拠と契約結婚の書類!?
晴永には逃げようとする瑠璃香を逃がすつもりはないらしい!?
笑いと誤解と契約の、ドタバタラブコメディ!
○表紙絵は市瀬雪さんに依頼しました♥(作品シェア以外での無断転載など固くお断りします)
【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました
藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。
次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。
不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
敏腕ドクターは孤独な事務員を溺愛で包み込む
華藤りえ
恋愛
塚森病院の事務員をする朱理は、心ない噂で心に傷を負って以来、メガネとマスクで顔を隠し、人目を避けるようにして一人、カルテ庫で書類整理をして過ごしていた。
ところがそんなある日、カルテ庫での昼寝を日課としていることから“眠り姫”と名付けた外科医・神野に眼鏡とマスクを奪われ、強引にキスをされてしまう。
それからも神野は頻繁にカルテ庫に来ては朱理とお茶をしたり、仕事のアドバイスをしてくれたりと関わりを深めだす……。
神野に惹かれることで、過去に受けた心の傷を徐々に忘れはじめていた朱理。
だが二人に思いもかけない事件が起きて――。
※大人ドクターと真面目事務員の恋愛です🌟
※R18シーン有
※全話投稿予約済
※2018.07.01 にLUNA文庫様より出版していた「眠りの森のドクターは堅物魔女を恋に堕とす」の改稿版です。
※現在の版権は華藤りえにあります。
💕💕💕神野視点と結婚式を追加してます💕💕💕
※イラスト:名残みちる(https://x.com/___NAGORI)様
デザイン:まお(https://x.com/MAO034626) 様 にお願いいたしました🌟
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる