【完結】さっさと婚約破棄が皆のお望みです

井名可乃子

文字の大きさ
3 / 13

第3話 婚約者がやってきた(夜)

しおりを挟む


「トーマス様!? どうしてうちに?」

 呆気に取られるセレーナが先に声の主を見つけると、彼女を抱えるアンドリューの手に力がこもった。

「ちょ、痛いわよ、アンディ」
「アンディ?」

 セレーナは体勢を立て直し、すぐに距離を取った。

「いえ、彼は……その」

 気が動転する彼女をちらりと確認すると、アンドリューはため息混じりに話し始めた。

「私は、お嬢様の馴染みの者でございます。お嬢様が幼き頃から、シャープルズ子爵家の商談の手伝いをしております」
「ふっ、商人か」

 影で顔の覆われたアンドリューにトーマスは、そう吐き捨てた。

「なぜ、お前がセレーナ嬢の馬車から?」

 セレーナは血の気が引く思いだった。何もかもが表沙汰にされてしまったら、傷物以上の侮辱を受けるのは自分だけでなく、家名にまで及んでしまうのだ。

「そ、それは……」
「それは、お嬢様の帰りを待ち、馬車をお借りするためです。私はこれから子爵様の遣いに出なければなりません。私の言葉が信用できぬようなら、直接お聞きになるといい」

 貴族相手にこんな堂々とした商人など居るわけがないとセレーナは冷や汗を掻きつつ、アンドリューの援護に回るしかこの場を切り抜ける策はなかった。

「アンディ、失礼よ。こちらはブリットン伯爵様、私の婚約者です。私を抱きかかえる者がいたら、咎めるのは当然の行いですわ」
「あぁ、そうでしたか……! お嬢様、お許しください。私はお嬢様の危険を防いだだけで、もございません」
「ブリットン伯爵様、どうかこのに、お慈悲を頂けないでしょうか? 私に免じて」

 二人は伯爵に向かって、頭を下げた。アンドリューの震える肩は、どう見ても貴族の処罰に怯える憐れな商人としか、トーマスの目には映らなかった。

「頭をお上げください。私はこのようなつもりでは……。お前は、早く出発するが良い」

 アンドリューは腹を抱えながら、セレーナに目配せをする。彼女はふざける彼を睨みつけて演技を続けた。

「アンディ。ブリットン邸からの長旅で、御者は疲れています。束の間の休息をあげたら、お父様は彼を叱るかしら」
「急ぎの用ですが、水飲みくらいで腹を立てる子爵様ではないでしょう」

 セレーナはアンドリューをこの場へ留める口実を作った。自分の始めた事に笑かされている頼りない男でも、婚約者の訪問を一人で対処するよりましだと思ったからだ。

「では、そう伝えて頂戴。ところで、ブリットン伯爵様。先ほど仰っていた、どうしてもお伝えになりたい事とは何でしょう?」
「……どこか、二人きりで話したいのだが」

 すると耳をそばだてていたアンドリューが、わざとらしく間に入った。

「お嬢様、馬車に日傘をお忘れで……あれ? こんな遅くに、お二人でどこかお出掛けなさるのですか?」
「違うわ、アンディ。二人きりで、お話したい事があるそうなの」
「二人きり……お言葉ですが伯爵様、結婚前の男女が夜の逢瀬など、何か良からぬ事を勘ぐられてしまうかと。それにここはシャープルズ邸の敷地内、子爵様に知られたら大変な事になりますよ……」

 トーマスのむっとした表情はアンドリューの話を聞くうちに青ざめていき、聞き終える頃にはすっかり手中に落ちていた。


「それでは……私にやましい事などないと証明するために、今この場でセレーナ嬢にお伝えいたします」

 わざわざ追いかけてまで今夜中に伝える必要がある申し出について、セレーナは見当がついていた。昼間の苦労はこの為とは言え、長い一日を耐えてきた彼女の体力は残り僅かだった。

「明日開かれる叔父の生誕パーティーにて、正式に我々の婚約披露の場を設けたいと思っております。つきましてはご参加の旨を伺いたく、遥々、この地まで参上いたしました。……セレーナ、同席してくれるね?」

 トーマスの紡ぐ言葉はどれも、彼女には予想のつかない響きで理解に時間がかかった。昼間とは異なる正装に身を包み、彼はほとんどプロポーズのようにセレーナへ申し入れをする。彼女は初めての展開に魅了され思わず返事をし、トーマスは喜びと彼女を一遍に抱きしめた。その様子はまるで幸せを象った恋人たち、婚約を喜ぶ男女にしか見えず、アンドリューは静かに馬車の扉を閉めた。





 波乱の一日を乗り切った翌朝、セレーナは普段とは違う使用人に起こされた。

「よく眠れたか? お嬢様」

 ベッドの上で片肘をつき、淑女を見下ろす常識外れた男はとても愉快そうだった。

「アン、ディ?」

 寝ぼけ眼でまだ霞む視界の中でも、セレーナには彼が珍しく身なりを整えているのが分かった。

「あれぇ……なんで、めかし込んで……」
「さぁ、パーティーに行くぞ」

「へっ?」

 セレーナの波乱の二日目が、幕を開けた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 貴族生活を棄てたら王子が追って来てメンドクサイ。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の婚約者になってから様々な嫌がらせを受けるようになった侯爵令嬢。 王子は助けてくれないし、母親と妹まで嫉妬を向ける始末。 貴族社会が嫌になった彼女は家出を決行した。 だが、有能がゆえに王子妃に選ばれた彼女は追われることに……

誰ですか、それ?

音爽(ネソウ)
恋愛
強欲でアホな従妹の話。

完結 穀潰しと言われたので家を出ます

音爽(ネソウ)
恋愛
ファーレン子爵家は姉が必死で守って来た。だが父親が他界すると家から追い出された。 「お姉様は出て行って!この穀潰し!私にはわかっているのよ遺産をいいように使おうだなんて」 遺産などほとんど残っていないのにそのような事を言う。 こうして腹黒な妹は母を騙して家を乗っ取ったのだ。 その後、収入のない妹夫婦は母の財を喰い物にするばかりで……

〖完結〗醜い私は誰からも愛されない…そう思っていたのに、ずっと愛してくれていた人がいました。

藍川みいな
恋愛
伯爵令嬢のキャシディは幼い頃に病にかかり、顔に酷い痕が残ってしまう。その痕を隠すために包帯を巻いていると、不気味で醜いと嫌われていた。 娘を心配したホワイト伯爵は友人のルーズベルト伯爵に頼み、ルーズベルト伯爵の息子リドルフとキャシディを婚約させた。 だがリドルフはキャシディとの婚約を破棄し、キャシディが親友だと思っていたサラと婚約すると言い出した。 設定はゆるゆるです。 本編9話+番外編4話で完結です。

拗れた恋の行方

音爽(ネソウ)
恋愛
どうしてあの人はワザと絡んで意地悪をするの? 理解できない子爵令嬢のナリレットは幼少期から悩んでいた。 大切にしていた亡き祖母の髪飾りを隠され、ボロボロにされて……。 彼女は次第に恨むようになっていく。 隣に住む男爵家の次男グランはナリレットに焦がれていた。 しかし、素直になれないまま今日もナリレットに意地悪をするのだった。

完結 振り向いてくれない彼を諦め距離を置いたら、それは困ると言う。

音爽(ネソウ)
恋愛
好きな人ができた、だけど相手は振り向いてくれそうもない。 どうやら彼は他人に無関心らしく、どんなに彼女が尽くしても良い反応は返らない。 仕方なく諦めて離れたら怒りだし泣いて縋ってきた。 「キミがいないと色々困る」自己中が過ぎる男に彼女は……

厄介者扱いされ隣国に人質に出されたけど、冷血王子に溺愛された

今川幸乃
恋愛
オールディス王国の王女ヘレンは幼いころから家族に疎まれて育った。 オールディス王国が隣国スタンレット王国に戦争で敗北すると、国王や王妃ら家族はこれ幸いとばかりにヘレンを隣国の人質に送ることに決める。 しかも隣国の王子マイルズは”冷血王子”と呼ばれ、数々の恐ろしい噂が流れる人物であった。 恐怖と不安にさいなまれながら隣国に赴いたヘレンだが、 「ようやく君を手に入れることが出来たよ、ヘレン」 「え?」 マイルズの反応はヘレンの予想とは全く違うものであった。

元婚約者が「俺の子を育てろ」と言って来たのでボコろうと思います。

音爽(ネソウ)
恋愛
結婚間近だった彼が使用人の娘と駆け落ちをしてしまった、私は傷心の日々を過ごしたがなんとか前を向くことに。しかし、裏切り行為から3年が経ったある日…… *体調を崩し絶不調につきリハビリ作品です。長い目でお読みいただければ幸いです。

処理中です...