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第3話 婚約者がやってきた(夜)
しおりを挟む「トーマス様!? どうしてうちに?」
呆気に取られるセレーナが先に声の主を見つけると、彼女を抱えるアンドリューの手に力がこもった。
「ちょ、痛いわよ、アンディ」
「アンディ?」
セレーナは体勢を立て直し、すぐに距離を取った。
「いえ、彼は……その」
気が動転する彼女をちらりと確認すると、アンドリューはため息混じりに話し始めた。
「私は、お嬢様の馴染みの者でございます。お嬢様が幼き頃から、シャープルズ子爵家の商談の手伝いをしております」
「ふっ、商人か」
影で顔の覆われたアンドリューにトーマスは、そう吐き捨てた。
「なぜ、お前がセレーナ嬢の馬車から?」
セレーナは血の気が引く思いだった。何もかもが表沙汰にされてしまったら、傷物以上の侮辱を受けるのは自分だけでなく、家名にまで及んでしまうのだ。
「そ、それは……」
「それは、お嬢様の帰りを待ち、馬車をお借りするためです。私はこれから子爵様の遣いに出なければなりません。私の言葉が信用できぬようなら、直接お聞きになるといい」
貴族相手にこんな堂々とした商人など居るわけがないとセレーナは冷や汗を掻きつつ、アンドリューの援護に回るしかこの場を切り抜ける策はなかった。
「アンディ、失礼よ。こちらはブリットン伯爵様、私の婚約者です。私を抱きかかえる者がいたら、咎めるのは当然の行いですわ」
「あぁ、そうでしたか……! お嬢様、お許しください。私はお嬢様の危険を防いだだけで、他意は微塵もございません」
「ブリットン伯爵様、どうかこの憐れなアンディに、お慈悲を頂けないでしょうか? 私に免じて」
二人は伯爵に向かって、頭を下げた。アンドリューの震える肩は、どう見ても貴族の処罰に怯える憐れな商人としか、トーマスの目には映らなかった。
「頭をお上げください。私はこのようなつもりでは……。お前は、早く出発するが良い」
アンドリューは腹を抱えながら、セレーナに目配せをする。彼女はふざける彼を睨みつけて演技を続けた。
「アンディ。ブリットン邸からの長旅で、御者は疲れています。束の間の休息をあげたら、お父様は彼を叱るかしら」
「急ぎの用ですが、水飲みくらいで腹を立てる子爵様ではないでしょう」
セレーナはアンドリューをこの場へ留める口実を作った。自分の始めた事に笑かされている頼りない男でも、婚約者の訪問を一人で対処するよりましだと思ったからだ。
「では、そう伝えて頂戴。ところで、ブリットン伯爵様。先ほど仰っていた、どうしてもお伝えになりたい事とは何でしょう?」
「……どこか、二人きりで話したいのだが」
すると耳をそばだてていたアンドリューが、わざとらしく間に入った。
「お嬢様、馬車に日傘をお忘れで……あれ? こんな遅くに、お二人でどこかお出掛けなさるのですか?」
「違うわ、アンディ。二人きりで、お話したい事があるそうなの」
「二人きり……お言葉ですが伯爵様、結婚前の男女が夜の逢瀬など、何か良からぬ事を勘ぐられてしまうかと。それにここはシャープルズ邸の敷地内、子爵様に知られたら大変な事になりますよ……」
トーマスのむっとした表情はアンドリューの話を聞くうちに青ざめていき、聞き終える頃にはすっかり手中に落ちていた。
「それでは……私にやましい事などないと証明するために、今この場でセレーナ嬢にお伝えいたします」
わざわざ追いかけてまで今夜中に伝える必要がある申し出について、セレーナは見当がついていた。昼間の苦労はこの為とは言え、長い一日を耐えてきた彼女の体力は残り僅かだった。
「明日開かれる叔父の生誕パーティーにて、正式に我々の婚約披露の場を設けたいと思っております。つきましてはご参加の旨を伺いたく、遥々、この地まで参上いたしました。……セレーナ、同席してくれるね?」
トーマスの紡ぐ言葉はどれも、彼女には予想のつかない響きで理解に時間がかかった。昼間とは異なる正装に身を包み、彼はほとんどプロポーズのようにセレーナへ申し入れをする。彼女は初めての展開に魅了され思わず返事をし、トーマスは喜びと彼女を一遍に抱きしめた。その様子はまるで幸せを象った恋人たち、婚約を喜ぶ男女にしか見えず、アンドリューは静かに馬車の扉を閉めた。
波乱の一日を乗り切った翌朝、セレーナは普段とは違う使用人に起こされた。
「よく眠れたか? お嬢様」
ベッドの上で片肘をつき、淑女を見下ろす常識外れた男はとても愉快そうだった。
「アン、ディ?」
寝ぼけ眼でまだ霞む視界の中でも、セレーナには彼が珍しく身なりを整えているのが分かった。
「あれぇ……なんで、めかし込んで……」
「さぁ、パーティーに行くぞ」
「へっ?」
セレーナの波乱の二日目が、幕を開けた。
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