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第9話 アンドリューの目論み2
しおりを挟む「正式に婚約した事を発表いたします」
パーティーは終わりを告げたはずだったのに、ブリットン伯爵の声は大広間に響き渡った。アンドリューは柄にも無く思考が止まり、セレーナに手を振り返す事も出来なかった。
「旦那様しっかり。こちらへ」
肩へとぶつかってくる人の群れの中でデイジーに支えられながら「終わった」とアンドリューは無気力だった。いつかは来る彼女との終わりを延命する事も許されないのかと。
「きゃーー!!」
ほんの少し彼女から目を離した隙に、来客の悲鳴の先には倒れているセレーナの姿があった。
「セレーナ!」
「行ってはいけません。ここは我慢です、旦那様」
婚約者とその家族に介抱される、誰よりも愛おしく大事な幼馴染に駆け寄る事もアンドリューには許されなかった。それから、セレーナは三日間意識のないままで、今も眠り続けていた。
「何よりの救いは、公爵様の正体が知られなかった事です。頼もしい侍女を持たれて幸運ですわね」
ロウサの冗談にも反応しなくなったアンドリューは、よく見ると目の下に隈を作り憔悴していた。この三日間、寝食を疎かにしている事は明らかだった。
「昨日、シャープルズ子爵夫婦は戻られた。セレーナは心配ない。問題は彼女の意識が戻った途端に、結婚への準備が進む事だ。そんな酷な仕打ちを誰もセレーナに与える権利はない。たとえ婚約者であっても」
アンドリューの声は怒りで震える。
「パーティーの夜の続きを、聞いていただけますか?」
ロウサの密告は想定内ではあったが、アンドリューの予想に正確な色を塗ってくれた。前ブリットン伯爵とブリットン辺境伯は大変仲の良い兄弟であった。社交場が苦手な弟に「辺境伯は、もうお休みかな?」と冗談で場を和ませ、彼を庇う良い兄が前伯爵だった。その兄が病に倒れ、家族への援助を頼まれた辺境伯は恩返しのつもりで快く承諾した。だがいざ兄が亡くなると、妻やその子供達は遺産と援助金を使い贅沢三昧の日々を送り、見かねた辺境伯は援助を打ち切ったのだった。
「うちが貧乏になったのは分かっていました。領地経営もお父様みたく人望のない弟ではすぐ赤字になり、借金は膨らみ続けました」
その後見かねた辺境伯は伯爵家へある申し出をした。援助を再開してもいいか条件がある、と。それは今の借金を自力で返済してからというものであった。
「けれど家族が思いついたのは、財産が多く嫡男のいない家の令嬢を娶り、持参金でまかなうというものでした」
「なるほど。おおよそ、私の読み通りだな」
ロウサは唇を噛み、立ち上がった。
「私は、弟が婚約者を迎える、そんな単純な事で生活を立て直せるならそれで良いと思っていました。でも姉と弟は貪欲で、少しでも我を出した令嬢達をチョコレートなどという子供じみた方法で母を欺き、選別していました。そしてセレーナ嬢を迎えた時、分かったのです。心根が優しく一番純粋で無欲な者が食い物にされ、私達の暮らしは成り立つのだと。だから私は見切りをつけたのです。家族は卑しい人種です。一緒にされたくない。私からの謝罪など何の意味も持ちませんが、セレーナ嬢がお倒れになったのは全て私共のせい……心からお詫び申し上げます」
彼女はアンドリューに深々と頭を下げた。
「顔を上げなさい。セレーナの事は君のせいではありません。君は聡明で賢い、それでいてユーモアも利いている。ここに彼女が居れば、きっと良き友になること請け合いだ」
ロウサは目尻を拭い、窓辺に飾られた父の写真を見やった。誇らしい気持ちをそっと胸の奥へ仕舞い話を続けた。
「叔父は何の爵位も持たない次男でしたが、自力で出世してこの辺境の地を手に入れた人間です。今回は上手くいっても、きっとまた自堕落な伯爵家に嫌気がさし援助を打ち切るでしょう。だからローフォード公爵様に、ここで打ちのめして頂きたいのです」
「実は、もう手は打ってある」
「本当ですか?!」
アンドリューはここまでの話を聞いて、自身の計画の着実性を担保してくれた彼女に礼をした。
「昨日の夜、ブリットン伯爵に手紙を出した。そろそろ届いているはずなんだが」
「それはどういった……」
「帰って自分の目で確認してみればいいさ。ロウサ嬢、お父上を早くに亡くされた苦しみはよく分かります。私が力になれたかどうか、結果を手紙で送ってくれるととても助かるのだが」
「勿論です。では、急いで帰りましょう」
辺境伯邸からの二度目の帰還は、心なしか体が軽いようにアンドリューは思った。風向きはいずれ変わるものなのだ。
「旦那様!! すぐに出発なさってください!」
帰宅するとデイジーが外で待ち構え、大きな手振りで馬車を留めた。
「お嬢様が! セレーナ嬢が、お目覚めになられたそうです……!!」
アンドリューは身を乗り出して、御者を急かした。
「セレーナ!」
アンドリューがセレーナの自室へ入ると、侍女に水を飲ませてもらっている所だった。たった三日でも何も食べていない彼女はやつれていた。
「セレーナ、ずっと眠っていたんだよ。聞いたか? 体は何ともないのか?」
セレーナはこくりと頷く。侍女は部屋を出た。
「どれだけ心配した事か……俺のせいだ。俺の計画が上手くいっていれば、セレーナに負担がかかる事もなかった」
彼女は一度顔を伏せたが、もう一度ゆっくり彼を見た。
「ん? 何だ。何か言いたい事があるなら何でも言ってくれ。罵倒でも何でも、引き受けるよ」
「…………」
セレーナは口を開き、自分の喉に手を当てた。
「声が出ないのか?」
セレーナはショック状態で声を失っていた。アンドリューは力一杯抱きしめた。この小さな身体に自分はどれだけ無理をさせてしまったのかと、彼は悔やんでも悔やみきれなかった。弱々しいその小さな手は、愚かな男の背中を優しくさすった。
「これからは、側を離れない。絶対だ」
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