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第10話 馴染みの時間
しおりを挟む彼女のベッドサイドテーブルには侍女を呼ぶための小さなベルが置かれている。喋れなくなったセレーナへの配慮が他にも色々と部屋に置かれたが、目覚めると常にいる男のせいでどれも埃を被りそうであった。
「おはよう、セレーナ」
「(おはよう、アンディ)」
三日間の熟睡から戻ってきて、彼女は思いがけず平穏な日々を過ごしている。両親との関係は戻り、アンドリューは婚約者の真相を白状した。そして伯爵家に関する密談を洗いざらい話してもらった。皮肉なもので彼女が口を閉ざしていたら、今までの要求が全自動で通っていった。
「今日は何をしたい? 庭でピクニックなんかどうだい」
「(いいわね)」
「その顔は賛成か。ブルーベリージャムサンドと、胡桃のマフィンを用意させよう。好物だろう?」
「(あなたの家じゃないのよ、まったく)」
素直で優しいのは良い事だが、すっかり毒気を失った幼馴染を彼女は心配していた。ガウンを羽織り、廊下へ出て外を眺める。しばらく家の敷地を出ていない。
「何をしている? ん?」
大きな腕に抱きしめられてセレーナは振り向くと、アンドリューは昔に戻ったみたいに彼女に寄り添い、抱きしめ、触る。
「(もう子供じゃないのよ)」
彼の前髪を指で遊ばせる。
「裸足じゃ、冷えるだろ」
アンドリューは額に唇を押し当てた。とっさに胸板を叩いたが、彼は離れるどころかセレーナを優しく包んだ。
「どこに行ったかと思っただろう」
「(私はどこにも行かないわよ)」
「心配させるな。着替えて庭へ行こう」
今まであたり前だと思っていた彼の体温がこんなに心地良いと気づいてから、セレーナのアンドリューへの視線は変化しつつある。昔ながらの馴染みの友人、親同士が仲の良い年上の世話係、口喧嘩の相手、そのどれも今の彼には当てはまらないような気がしていた。
「ほら、何してる。俺に着替えさせてほしいのか?」
セレーナは小走りで部屋に戻ると、舌を出して彼を締め出した。こんな日常が続いたら、どんな名前が付くのだろう。曖昧な感情も、胸の痛みもないこの日常が。
木陰の下にキルト生地のラグを敷き、二人で寄り添って食事をしていると、ローフォード家の使用人がやってきてアンドリューに何やら耳打ちをした。
「そうか。ご苦労だったな」
彼は神妙な面持ちで、使用人に礼を伝える。
「(何かあったの?)」
セレーナの表情は読み取れるはずだが、中々口に出さず黙り込む彼を見かねて、ブランケットを被せた。
「何だ、セレーナ」
「(二人きりなら言えるわよね)」
「教えてほしいんだな」
「(そうよ)」
ブランケットの内側で、顔を逸らす事も出来ない距離の二人は見つめ合う。まるであの大広間の時のよう呼吸を止めるのは、今度はアンドリューだった。
「(早く、言いなさい)」
「分かった、言うよ」
彼から告げられた内容に、セレーナは庭を飛び出さずにはいられなかった。
「セレーナ!」
アンドリューの声も無視して、セレーナは部屋まで走った。心臓がばくばくと彼女を駆り立てるのだった。
「また俺に失望したのか?」
扉の前で彼は言った。子供のように立ちすくむ姿がセレーナには手に取るよう浮かんだ。セレーナは扉越しにノックを一つ、彼を呼んだ。おずおずと気まずそうに入ってきたアンドリューに背を向け、彼女は心臓の落ち着きを待った。
「ブリットン伯爵に手紙を書いたんだ。パーティーの日にシャープルズ子爵夫婦が遠出した商談は、詐欺だったと。子爵家は財産のほとんどを失い、ローフォード公爵家が投資にかけた金の証明も送った。君も騙されなかったか、という心配の旨を添えて」
「(まだ隠し事があったのね)」
「気に入らないのなら、今からそれを撤回しに行く」
いつまでも壁と睨み合うセレーナの耳に、諦めたような彼の足音が聞こえた。彼女は口を動かすが声にならない。これ以上の辛抱にもう意味はないと、走り出すセレーナはアンドリューに抱きついた。
「どうした?」
「(違うのよ)」
「ん? 分からないよ」
「(そうじゃないのよ)」
「落ち着け。何が気に食わない?」
セレーナは一向に止まらない高鳴りをぎゅーっと両手で押さえ、彼を見て、話した。気持ちは明確だった。
「(私嬉しいのよ)アンディ」
「セレーナ……声」
「私、婚約破棄が嬉しいの!!」
彼女の心臓はいつまでも落ち着かなかったが、やっぱり彼の体温は心地が良かった。
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