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第11話 元、婚約者がゆく
しおりを挟む馬車を待つ間、アンドリューは本当にうるさかった。
「なぜ今日、出向く必要がある? お前は病み上がりなんだぞ。また声が出なくなったりでもしたら」
「心配なら、ついてくれば良いでしょう?」
どうしても彼女を行かせたくなく、両親とアンドリューは用事があるだ、付き添い人がいないだと散々御託を並べ立てた後だった。
「そこの二人も聞こえているのでしょう。いいですか? 一方的に婚約を破棄した家が、元婚約者の令嬢を招き入れるなど、破棄した当日にしかあり得ませんのよ。したがって、これから向かうのは道理にかないますわ」
「でも、セレーナ。なぜ直接会う必要があるんだ? わしらも望んだ結末で、もう相手方に伝える事もないであろう」
門の陰に隠れていた両親が顔を出して説得するも彼女の強すぎる意志のせいで、結局、敵の陣地へ総出で出陣する事となった。
「シャープルズの名を貶めた報いは受けていただくわ」
アンドリューもため息を吐くしかなく、二台の馬車は長旅に出る準備を始めた。
ブリットン伯爵家は押しかけてきた一行にひどく戸惑い慌てふためいたものの、セレーナの言う通り、渋々屋敷の中へ通さざるを得なかった。
「これはこれは、皆さんお揃いで」
余裕ぶるにしては足りない声量で、ブリットン伯爵家の当主は最後に現れた。
「その節は大変お世話になりました」
「セレーナ嬢、もうお加減は良いのかな」
かつて婚約者だった二人は甘い絡まりを解き、残るは人工的な生垣と実用の柵のみだ。
「セレーナ嬢! ……声」
ロウサは驚きアンドリューを見やると、公爵の目配せに彼女は口をつぐんだ。
「婚約の件でしたら、私達からは署名付きの書類をお送りいたしました。妥当な理由を添えてありますので、どうぞご確認をお願い申し上げます。本日の夕方までには着くかと」
ブリットン伯爵夫人は、セレーナを通り越して子爵へその旨を伝えた。
「承知いたした。だが、その事で伺ったわけでは無いのです。娘がどうしても皆様にお伝えしたい事があると申しておりまして、不躾ながらこうして突然の訪問をお願いした次第にございます」
「本当に突然で、何のご用意も出来ませんでしたわ」
「こちらも突然の申し出を受けたのです。おあいこという事で、ご容赦頂けませんか?」
セレーナは伯爵夫人の視界へ無理やり入っていった。
「貴女、やはり図々しい令嬢でしたのね」
拳を握りしめたアンドリューを子爵夫人がそっと収める。
「申し訳ございません。あの件に引き続き、謝罪させていただきます」
「あれは、もう良いわ。そんな事のためにわざわざ?」
「今の謝罪は新しいものです。うちが詐欺に遭って破産したという嘘を、謝罪させていただきたいのです」
「……嘘?」
トーマスは眉をひそめた。
「はい。以前ブリットン伯爵様は、私の婚約者の資質を図られました。恐れながら、家の者も同じ事を思い付いた次第でございます」
「……では、財産は」
「子爵様の日々の弛まぬ努力が、本日も実を結んでおいでです。誠に申し訳ございませんでした。それでは失礼いたします」
「ま、待ってくれ……! 最後に二人で話せないか?」
「承知いたしました」
セレーナは今までになく淑やかに話し、歩き、以前ブリットン邸に足を踏み入れた時とはまるで別人のような姿に、その場の者は圧倒されていた。別の部屋へ案内される彼女に扉が閉まった途端、トーマスは態度を変えた。
「セレーナ嬢、お許し頂きたい。また過ちを繰り返す我々の事を……あのパーティーで倒れられ、その気持ちは揺るぎないのかと今度は姉達が」
「私を馬鹿だと思っていらっしゃるの? 何度も同じ手が通用するわけが無いでしょう。それにいくらこの場で撤回を申し立てても、伯爵家の正式な書面は遠く離れたシャープルズ領へ運ばれているのですから、意味はありませんわ」
トーマスは悔しそうに顔を歪めると、思いついたようにセレーナを強引に抱き寄せた。
「ちょ、伯爵様!」
「でもこの気持ちは! 君が私に感じたこの感情は偽りじゃないだろう!! 君は何度も私を愛おしそうに見つめた!」
「やめてください……! あれは今なら分かります。箱の中で育てられた令嬢というのは、初めての経験が大袈裟に思えるのです。それが男性との事柄なら、なおさら」
「君はまだ世間知らずだ……君には刺激が強いと抑えていたが、男と女にはまだ先があるんだよ」
「…………!!」
またセレーナの声は喉の引っ掛かりに邪魔され、表へ出てくるのを拒んだ。彼女には祈りしかなかった。
——アンディ。私のアンディ。私は彼だけ。
扉は強引に開かれ、セレーナに覆い被さったトーマスは床へ投げ飛ばされる。アンドリューは怒りで震える息を殺し、青ざめた彼女へと駆け寄った。
「もう大丈夫だ。俺がいる。誰にも触らせない」
「…………」
小さく開けた口からは息だけが漏れ、アンドリューが悟ったように彼女の頭を撫でた。
「ローフォード卿がそちらの味方なのはなぜです! なぜ私を陥れるような事を!」
トーマスはこの後に及んで、まだ自分は救われる側だと思っていた。懇願する眼差しと家格差で、セレーナからこの場の主導権を取り戻そうとしている憐れな男に、アンドリューは持ち上げた前髪を垂らして言った。
「前に言ったはずだが。シャープルズ子爵家の商談の手伝いをしている、馴染みの者だと」
トーマスは目を丸くして、呆気に取られた。
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