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001 終わりの始まり
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あの時交わした約束を、私は今でも覚えている。
愛しいあなたの笑顔、絡めた小指、誓いの言葉。
全て私にとって大切な宝物。
***
夜の宮殿は静まり返っていた。
まるで、この場所にかつて幸福が存在したことなどなかったかのように。
白銀の髪とライラック色の瞳、そしてその美しい髪を優雅に結い上げた皇后ルシェル・アストレアは、皇后の威厳を保ち、深紅の絨毯の上に佇んでいた。
今日という日が、彼女にとってどれほどまでに残酷なものであるのか、彼女の美しさと威厳に満ちた佇まいからはきっと誰も想像できないだろう。
ルシェルの目の前には、ルシェルの夫であり、現ヴェルディア帝国の皇帝ノア・ヴェルディアが座している。
彼の傍らには、側室であるイザベルがまるで自分が皇后であるかのように寄り添っていた。
お腹にそっと手を当て優しく摩り、いかにも妊婦であることをアピールしているようなイザベルのその姿は目に余るものがあった。
彼女はいかにも虫も殺せぬような女性らしい儚げな面影だが、それはあくまで仮初の姿だとルシェルは知っていた。
「この書類に署名すれば、正式に離婚が成立する」
ノアがルシェルに向かって冷たく言い放つ。
ノアの表情も、声も淡々としたものだった。
かつては自分のためにだけ向けられていた優しい眼差しも、ルシェルを呼ぶ穏やかな声も、陽だまりのように暖かく包み込んでくれる優しさも、そこにはなかった。
その事実を認めることは、ルシェルにとって心を抉られるようなものだった。
だが、彼女は皇后としての威厳を保たなくてはいけないと思った。
この威厳をなくすことだけは、彼女のプライドが許さない。
どうしてこんなことになったのだろう。
それはルシェルにも、ノアにも今となってはもうわからない。
ただ、”偶然”が重なった不幸だった。それだけだ。そう、それだけだ。
「…わかりました」
ルシェルはわずかに震える指で離婚証明書を手に取った。
彼女は優雅に筆を取り、迷いのない手つきで署名した。
ここにくるまで何度も考えた。
もしかしたらノアが記憶を取り戻し、かつての彼が戻ってくるのではないだろうか。
だが、それは淡い期待に終わった。
それもそうだ。
なぜならノアはルシェルに関する記憶を失っているのだからーー。
彼女と過ごした日々も、交わした誓いもすべてが忘れ去られ、彼の心にはただイザベルへの愛だけが植え付けられていた。
(あなたは本当に…これまで私のことを愛していたの?その愛は本物だった?)
そんな問いを抱くことも、今となってはもう無意味だ。
「ノア…いえ、陛下。これまであなたと共に過ごせたことを、心から感謝しております……どうかお幸せに」
ルシェルが別れの言葉を告げたその瞬間、ノアの瞳が一瞬揺れたように見えた。
ルシェルは確かにその変化を見逃さなかったが、何も言わずただ一礼をすると出口の扉の方へと振り返る。
そのとき、一人の青年がルシェルの前に現れ、そして彼は、ルシェルの瞳をしっかりと捉えた。
ルシェルは、彼がこの場にいることが信じられなかった。
2人は寸暇見つめ合い、彼が口を開く。
「皇后陛下…いや、ルシェル・アストレア様。私と共にアンダルシア王国へ来てくださいませんか」
若々しくも力のこもったその声に、一同は声の主を確認した。
そこに立っていたのは、隣国アンダルシア王国の王子であるゼノン・アンダルシアだった。
先ほどまでの静寂が嘘のように、貴族たちがざわめき出した。
「なぜ、彼がここに?」
「ルシェル様をアンダルシアに……どういうことだ?」
「あの噂は本当だったのかしら?」
「では、やはりルシェル様は…」
周囲のざわめく声も、2人には届いていないようだった。
ルシェルは潤んだ瞳で、ゼノンを真っ直ぐに見つめている。
「どうして…」
ルシェルは戸惑いを隠せない。
そんな彼女に優しく微笑み返し、ゼノンは話し続ける。
「ルシェル・アストレア様……私の妻に、アンダルシアの王妃になってくださいませんか?」
ゼノンの力強い言葉が宮殿に響き渡り、空気が凍りつく。
ルシェルを見つめるゼノンの瞳には迷いがなかった。
そして、ルシェルもまた、彼の言葉に心が熱くなるのを感じていた。
「アンダルシアの王子よ、どういうことだ」
ノアは訝しげにゼノンを見ている。
ノアの隣で皇后のように振る舞っていたイザベルは顔を顰めている。
そんな彼と彼女の表情に、ルシェルは少し心の支えが取れた気がした。
「言葉の通りです。それから、先日アンダルシア前王は崩御いたしました。よって、私は王子ではなく、現アンダルシア国王です」
ゼノンの突然の告白に、再び貴族たちがざわめきだした。
「そんな…じゃあルシェル様はアンダルシアの王妃になると?」
「他国の元皇后を王妃にしようなど…」
「王自らこのような場所に出向くなど…アンダルシアの新王は何を考えているんだ」
「まさか、戦争でも始めるつもりか」
ゼノンは再びルシェルを見つめる。
「私がルシェル様を守ります」
ルシェルは、ずっと必死に耐えていたが、ゼノンの言葉に涙がこぼれ落ちた。
そして、ゼノンを真っ直ぐに見つめ、答えた。
「アンダルシア王国に行きます。あなたの妻として、そして王妃として…」
ゼノンはルシェルを抱き寄せ、そっと髪を撫でた。
「あなたを愛しています」
愛しいあなたの笑顔、絡めた小指、誓いの言葉。
全て私にとって大切な宝物。
***
夜の宮殿は静まり返っていた。
まるで、この場所にかつて幸福が存在したことなどなかったかのように。
白銀の髪とライラック色の瞳、そしてその美しい髪を優雅に結い上げた皇后ルシェル・アストレアは、皇后の威厳を保ち、深紅の絨毯の上に佇んでいた。
今日という日が、彼女にとってどれほどまでに残酷なものであるのか、彼女の美しさと威厳に満ちた佇まいからはきっと誰も想像できないだろう。
ルシェルの目の前には、ルシェルの夫であり、現ヴェルディア帝国の皇帝ノア・ヴェルディアが座している。
彼の傍らには、側室であるイザベルがまるで自分が皇后であるかのように寄り添っていた。
お腹にそっと手を当て優しく摩り、いかにも妊婦であることをアピールしているようなイザベルのその姿は目に余るものがあった。
彼女はいかにも虫も殺せぬような女性らしい儚げな面影だが、それはあくまで仮初の姿だとルシェルは知っていた。
「この書類に署名すれば、正式に離婚が成立する」
ノアがルシェルに向かって冷たく言い放つ。
ノアの表情も、声も淡々としたものだった。
かつては自分のためにだけ向けられていた優しい眼差しも、ルシェルを呼ぶ穏やかな声も、陽だまりのように暖かく包み込んでくれる優しさも、そこにはなかった。
その事実を認めることは、ルシェルにとって心を抉られるようなものだった。
だが、彼女は皇后としての威厳を保たなくてはいけないと思った。
この威厳をなくすことだけは、彼女のプライドが許さない。
どうしてこんなことになったのだろう。
それはルシェルにも、ノアにも今となってはもうわからない。
ただ、”偶然”が重なった不幸だった。それだけだ。そう、それだけだ。
「…わかりました」
ルシェルはわずかに震える指で離婚証明書を手に取った。
彼女は優雅に筆を取り、迷いのない手つきで署名した。
ここにくるまで何度も考えた。
もしかしたらノアが記憶を取り戻し、かつての彼が戻ってくるのではないだろうか。
だが、それは淡い期待に終わった。
それもそうだ。
なぜならノアはルシェルに関する記憶を失っているのだからーー。
彼女と過ごした日々も、交わした誓いもすべてが忘れ去られ、彼の心にはただイザベルへの愛だけが植え付けられていた。
(あなたは本当に…これまで私のことを愛していたの?その愛は本物だった?)
そんな問いを抱くことも、今となってはもう無意味だ。
「ノア…いえ、陛下。これまであなたと共に過ごせたことを、心から感謝しております……どうかお幸せに」
ルシェルが別れの言葉を告げたその瞬間、ノアの瞳が一瞬揺れたように見えた。
ルシェルは確かにその変化を見逃さなかったが、何も言わずただ一礼をすると出口の扉の方へと振り返る。
そのとき、一人の青年がルシェルの前に現れ、そして彼は、ルシェルの瞳をしっかりと捉えた。
ルシェルは、彼がこの場にいることが信じられなかった。
2人は寸暇見つめ合い、彼が口を開く。
「皇后陛下…いや、ルシェル・アストレア様。私と共にアンダルシア王国へ来てくださいませんか」
若々しくも力のこもったその声に、一同は声の主を確認した。
そこに立っていたのは、隣国アンダルシア王国の王子であるゼノン・アンダルシアだった。
先ほどまでの静寂が嘘のように、貴族たちがざわめき出した。
「なぜ、彼がここに?」
「ルシェル様をアンダルシアに……どういうことだ?」
「あの噂は本当だったのかしら?」
「では、やはりルシェル様は…」
周囲のざわめく声も、2人には届いていないようだった。
ルシェルは潤んだ瞳で、ゼノンを真っ直ぐに見つめている。
「どうして…」
ルシェルは戸惑いを隠せない。
そんな彼女に優しく微笑み返し、ゼノンは話し続ける。
「ルシェル・アストレア様……私の妻に、アンダルシアの王妃になってくださいませんか?」
ゼノンの力強い言葉が宮殿に響き渡り、空気が凍りつく。
ルシェルを見つめるゼノンの瞳には迷いがなかった。
そして、ルシェルもまた、彼の言葉に心が熱くなるのを感じていた。
「アンダルシアの王子よ、どういうことだ」
ノアは訝しげにゼノンを見ている。
ノアの隣で皇后のように振る舞っていたイザベルは顔を顰めている。
そんな彼と彼女の表情に、ルシェルは少し心の支えが取れた気がした。
「言葉の通りです。それから、先日アンダルシア前王は崩御いたしました。よって、私は王子ではなく、現アンダルシア国王です」
ゼノンの突然の告白に、再び貴族たちがざわめきだした。
「そんな…じゃあルシェル様はアンダルシアの王妃になると?」
「他国の元皇后を王妃にしようなど…」
「王自らこのような場所に出向くなど…アンダルシアの新王は何を考えているんだ」
「まさか、戦争でも始めるつもりか」
ゼノンは再びルシェルを見つめる。
「私がルシェル様を守ります」
ルシェルは、ずっと必死に耐えていたが、ゼノンの言葉に涙がこぼれ落ちた。
そして、ゼノンを真っ直ぐに見つめ、答えた。
「アンダルシア王国に行きます。あなたの妻として、そして王妃として…」
ゼノンはルシェルを抱き寄せ、そっと髪を撫でた。
「あなたを愛しています」
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