今宵、月あかりの下で

東 里胡

文字の大きさ
66 / 74
14.交錯してく

14-3

しおりを挟む
 連休終了まであと二日、榛名家の前に立っている私はその場で既に五分足踏みしている状態だった。
 さて、どうしよう?

 昨日の帰り際に美咲さんから言われたのは、
『明日ね、日帰りで箱根行ってくるの。お土産買ってくるね~!』とのこと。
 それを聞いた桃ちゃんと洸太朗くんが『ずるい』と言い出して、結局祥太朗さんの車を借りて四人で行くことになったみたい。
『て、わけで、明日の夕飯は作らなくてもいいからね、風花ちゃん。というか、仕事忙しかったのに私たちの面倒見てくれてありがと』
『あ、わかりました。祥太朗さんはどうするんですか?』
『う~ん、多分行かないと思う、つうか、彼女もいないのに来てもつまんないだろうしさ。連れていかなーい』
 ニッと笑った美咲さんに私も苦笑する。
『もしさ? 風花ちゃんが、ヒマならお弁当でも届けてやってくれない?』
『それいいね、美咲ちゃん!』
『ヒマならでいいから、忙しかったら放置しといて。多分またカップラーメンで飢えをしのぐか、面倒くさかったら何も食べないで寝てるかだから』
『ええっ!?』
 驚く私を尻目に四人は、じゃあまたね、と帰っていく。

 休憩時、マスターにはすぐに戻るからと説明したら。

「いいよ、ディナータイムの用意はもうできてるし、ゆっくりしておいで」

 笑顔で送り出してくれたけれど。

「祥太朗が、どんなんだったか教えてよ」
「え?」
「なんとなく想像つくけど、アイツ、やさしい分ヘタレなんだよな。それ次第で」
「はい?」
「ううん、いってらっしゃい」

 マスターの浮かべた笑顔に首をかしげながら榛名家まで祥太朗さんのお弁当を届けに来た。
 うん、ここまではちゃんと来たというのに、どうにも覚悟が決まらない。
 ピンポーンとインターホンを押そうとして、寸前で指を止めた。
 もし寝てたら困るし、と持ってきた鍵で玄関のドアを開く。
 いつもは、リビングと玄関の間のすりガラスから差し込む光が見えない、ということはカーテンを開けてはいないみたい。

「おじゃま、します」

 久々に帰ってきたら『ただいま』は言いずらくて、足音を立てないように上がり込むとリビングを開けた。
 朝早く四人は出かけたみたいだし、きっと起きてそのまま出かけたのだろう。
 カーテンを開けて、ひと時だけでも、と窓を開け空気を巡回させる。
 テーブルに持ってきたお弁当をおいて、キッチンに向かうと夕べ誰かが食べて使った皿がまだ水に浸かったまま。
 それを洗い終えて開けた冷蔵庫は、ほぼ空っぽ。
 旅行前に冷蔵庫整理して出かけたままの状態になんだか寂しくなる。
 ゴミ箱には皆が言っていたようにカップラーメンの空。
 身体、本当に大丈夫なんだろうか? 
 そればかりが心配になる。

 キッチンを片付けた後、お風呂掃除とトイレ掃除、それから洗面所を掃除してリビングに戻る。
 さすがに掃除機をかけたら起こしてしまいそうだし、丁寧に床を雑巾がけした。
 テレビ周りのホコリがたった数日でたまってきていて、ビックリ。
 少しむせながら、なんとか私の知っている榛名家のリビングに戻ってきた頃。

「え……、吉野、さん? 今日だっけ? 戻ってくるの」

 驚くような声に振り向いたらリビングの入り口に祥太朗さんが立っていた。
 口元を隠しているのはヒゲが生えているせいだろうか?

「いいえ、あ、これです! 祥太朗さんのお弁当、作ってきました。お夕飯に食べて下さいね」
「なんか、ごめん……、仕事大変なのに気使わせちゃって」
「全然です、私の方こそすみません、留守にしちゃって」

 お互いに、いえいえ、全然と首を横に振っていたら、やっと目が合った。

「吉野さん、元気だった?」
「はい、祥太朗さんは少し痩せました?」
「ん~、不健康な生活してたから、かも」
「桃ちゃんや美咲さんから聞きました。カップラーメンばっかり食べてるって。どうしたんですか? 祥太朗さんらしくないです」
「そう?」

 不思議なほど落ち着いて話せていることに自分でもおどろいた。
 会ったらなんて話そうか、いや、話なんかできるんだろうか。
 そう思っていたのに。
 あ、もしかしたら、私もおばさま方みたいに、祥太朗さんのことは推しとして割り切れ始めているのかもしれない。
 なら、いっそこのまま、笑顔でこの関係を続けられたらいい。

「ヒゲ、生えてるんですか?」
「うっ」

 ずっと隠している口元が気になってたずねたら、顔を赤くした祥太朗さんは、

「ちょっと剃ってくる」

 と背中を向けてしまった。

「え? 見たいです、私だけ見てないので、見たいです」
「や、無理。マジで汚いんで、そんなん吉野さんに見せるわけには」
「じゃあ今日は見ないでこのまま帰りますんで、明日までとっておいてくださいませんか。明日の夜、帰ってきたら見せて下さいね」

 祥太朗さんが出て行くのをふさぐように、スルリとその先を抜けて玄関に先に出る。
 
「あ、リビングの窓開けっぱなしなので、あとで閉めて下さい。それと、お弁当は500wで1分ほどチンしてください。お風呂洗っておいたので、今日はそのままお湯をはってくださいね、じゃあ、また明日」

 ああ、私、ちゃんと話せた。 
 笑いながら話せたと安堵して靴を履き、玄関ドアに手をかけたら。

「吉野さんの珈琲、飲みたいんだけど」

 私の腕を掴む手に、引き留められた。

「ごめん!! すぐ戻らなきゃなんないんだよね?」

 一瞬だけ引き留めた手が、あわてたようにすぐに離れていく。
 振り向かずに私は首を振り「あと、三十分ぐらいなら大丈夫です」と呟くと。

「やっぱ、ヒゲ剃らせて。その間に珈琲淹れてくれたら、めっちゃ嬉しい、かも」

 コクンと頷いたら祥太朗さんが洗面所に歩いていく足音が聞こえた。
 掴まれた腕がまだアツい。
 どうして、引き留めたの? 
 そう聞いてみたくなるのを堪えて、キッチンへと戻る。
 そうだ、珈琲を飲みたかったって言ってたじゃない、私ってば自意識過剰だ。
 丁寧に珈琲を淹れながら、カップを温める。
 久しぶりに使う自分のマシンから部屋中に珈琲の匂いが充満していく。
 春めいた陽ざしが揺れるカーテンの隙間から、まるで木漏れ日みたいに降り注ぐ。
 いつも賑やかなはずのこの家は、私と祥太朗さんだけしかいない。
 妙に静かで、ソワソワしてしまう。
 どちらかというと静かな空間も大好きなのに、今日はなぜか心細い。
 大体、二人で何を話せばいいのだろう?
 祥太朗さんのカップと私のカップに珈琲を注ぎながら、さっきまであんなに饒舌に話せていたことがウソみたいに今は緊張しまくってる。
 なかなか戻ってこない祥太朗さんに、今なら逃げ出しちゃってもいいんじゃないかって考え始めた頃に。

「お待たせ、しました」

 ヒゲを剃り、髪を整えて、ラフだけれどスウェットではない服装に着替えてきた祥太朗さんが戻ってきた。
 ヒゲの生えた祥太朗さんを見れなかったのは残念だけれど、ホッとした。
 本当にさっきまでの祥太朗さんは、私の知らない人みたいで、心配になったから。

「やっぱ、吉野さんが淹れると香りがいいんだよな、なんでだろ?」
「さあ? 使ってるのは同じ豆ですし機械ですし、祥太朗さんが淹れてくれるのもいい匂いですよ、いつも」

 向かい合ってテーブルに座り、お互い珈琲をすする。

「家のことは俺にまかせて、なんて言ったくせに、吉野さんに心配かけてごめん」
「い、いえっ、でも、心配はしてました」
「だよね、すっごい汚れてたでしょ、家の中。掃除機すらかけてなかったし、埃っぽかったでしょ、ごめん」
「あ、そうじゃなくて」
「うん?」
「家のこともですが、祥太朗さんのことが心配でした」

 俺の事? と首をかしげた祥太朗さんにうなずいた。

「私の知ってる祥太朗さんって、いつも爽やかでキレイ好きで」

 押し黙った祥太朗さんが、しばし何かを考えていて。

「多分、それ、吉野さんのせい」
「え?」
「吉野さんがキレイ好きだから、俺も釣られてたかも。あ、でも全然無理してたわけじゃなくて、早起きして着替えて掃除したりとか気持ちいいなって思ったんだ。元々この家では俺が一番しっかりしてたつもりだけど、よりしっかりした吉野さんが現れてから、もっとちゃんとしなきゃなあって」
「私、全然しっかりしてなんかないですよ」
「俺にしてみたら、めちゃめちゃしっかりなの。だから、ね」
「はい」
「やっぱすっごい必要、吉野さんが」

 おどろき目を見開いて祥太朗さんを見つめたら、あわてて首を横に振る。

「あ、あの、この家に必要ってこと、だからね?」

 です、よね……。
 祥太朗さんにとって、ではなく、榛名家に必要、っていうことぐらい。
 それでも、いい。
 それでも、こうして祥太朗さんが笑ってくれるなら。

「わかってます」

 うまく笑ったはずなのに、頬が少し引き攣ったのが自分でもわかってしまった。
 見抜かれないように、飲みかけの珈琲を一気に流し込んで立ち上がる。

「明日、仕事終わったら帰ってきます。榛名家の食事係、また頑張りますね!」

 私には、私の役目がある。
 それだけで、いい。
 キッチンにカップを下げて丁寧に洗って拭き、いつもの定位置に片づけた。

「じゃあ、そろそろ戻ります」

 頭を下げた私に祥太朗さんが何か言いかけて、そして黙り込む。

「吉野さん、送っていくから」
「大丈夫です、すぐですし」
「そうじゃなくて、俺ちゃんと吉野さんと」

 言い合いながら玄関のドアを開けたそこに。

「ただいまです、榛名先輩、吉野さん!」

 榛名家のインターホンを押そうとしていた高野さんが、スーツケースを持ち立っていた。

「お土産持って直行しました! って、榛名先輩も吉野さんもお出かけですか? みんなは?」
「え、っと」
「私は仕事に戻るとこです、美咲さんたちは夜には戻るとおもいます。じゃあ、また明日! 高野さん、おかえりなさい」
「あ、はい? いってらっしゃーい」
「待って、吉野さん」

 手を振る高野さんが、いつものように祥太朗さんを逃がさないぞとばかりに腕を掴んでいた。
 私はそれに苦笑いして、頭を下げて、急ぎ足で角を曲がった瞬間走り出す。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

【完結】あなたが私を『番』にでっち上げた理由

冬馬亮
恋愛
ランバルディア王国では、王族から約100年ごとに『裁定者』なる者が誕生する。 国王の補佐を務め、時には王族さえも裁く至高の権威を持ち、裏の最高権力者とも称される裁定者。その今代は、先国王の末弟ユスターシュ。 そんな雲の上の存在であるユスターシュから、何故か彼の番だと名指しされたヘレナだったが。 え? どうして? 獣人でもないのに番とか聞いたことないんですけど。 ヒーローが、想像力豊かなヒロインを自分の番にでっち上げて溺愛するお話です。 ※ 同時に掲載した小説がシリアスだった反動で、こちらは非常にはっちゃけたお話になってます。 時々シリアスが入る予定ですが、基本コメディです。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

私の存在

戒月冷音
恋愛
私は、一生懸命生きてきた。 何故か相手にされない親は、放置し姉に顎で使われてきた。 しかし15の時、小学生の事故現場に遭遇した結果、私の生が終わった。 しかし、別の世界で目覚め、前世の知識を元に私は生まれ変わる…

思い出のチョコレートエッグ

ライヒェル
恋愛
失恋傷心旅行に出た花音は、思い出の地、オランダでの出会いをきっかけに、ワーキングホリデー制度を利用し、ドイツの首都、ベルリンに1年限定で住むことを決意する。 慣れない海外生活に戸惑い、異国ならではの苦労もするが、やがて、日々の生活がリズムに乗り始めたころ、とてつもなく魅力的な男性と出会う。 秘密の多い彼との恋愛、彼を取り巻く複雑な人間関係、初めて経験するセレブの世界。 主人公、花音の人生パズルが、紆余曲折を経て、ついに最後のピースがぴったりはまり完成するまでを追う、胸キュン&溺愛系ラブストーリーです。 * ドイツ在住の作者がお届けする、ヨーロッパを舞台にした、喜怒哀楽満載のラブストーリー。 * 外国での生活や、外国人との恋愛の様子をリアルに感じて、主人公の日々を間近に見ているような気分になれる内容となっています。 * 実在する場所と人物を一部モデルにした、リアリティ感の溢れる長編小説です。

見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”―― 今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。 そして隣国の国王まで参戦!? 史上最大の婿取り争奪戦が始まる。 リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。 理由はただひとつ。 > 「幼すぎて才能がない」 ――だが、それは歴史に残る大失策となる。 成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。 灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶…… 彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。 その名声を聞きつけ、王家はざわついた。 「セリカに婿を取らせる」 父であるディオール公爵がそう発表した瞬間―― なんと、三人の王子が同時に立候補。 ・冷静沈着な第一王子アコード ・誠実温和な第二王子セドリック ・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック 王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、 王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。 しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。 セリカの名声は国境を越え、 ついには隣国の―― 国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。 「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?  そんな逸材、逃す手はない!」 国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。 当の本人であるセリカはというと―― 「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」 王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。 しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。 これは―― 婚約破棄された天才令嬢が、 王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら 自由奔放に世界を変えてしまう物語。

【完結】見えてますよ!

ユユ
恋愛
“何故” 私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。 美少女でもなければ醜くもなく。 優秀でもなければ出来損ないでもなく。 高貴でも無ければ下位貴族でもない。 富豪でなければ貧乏でもない。 中の中。 自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。 唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。 そしてあの言葉が聞こえてくる。 見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。 私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。 ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。 ★注意★ ・閑話にはR18要素を含みます。  読まなくても大丈夫です。 ・作り話です。 ・合わない方はご退出願います。 ・完結しています。

処理中です...