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槍の又左の訓練
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「何をしとるか雲之介! 腕を上げんか腕を!」
「は、はい!」
まるで人を殺しかねないほどの怒号が僕に降りかかる。長槍を半時近く持って、既に疲れきった腕を無理矢理上げる。
「実際の合戦ではもっと疲れる、もっと耐えねばならぬ! そのくらいでへこたれるな!」
もうすっかり夏になっていた。
清洲城の訓練場。そこで僕は元小姓で今は織田家の武将、槍の又左と呼ばれる前田利家さまのしごきを受けていた。まあ僕一人で受けているのではなく、三十人ほど居るのだけど、人一倍できないものだから叱責を受けているのだ。
特に織田家の長槍は長かった。普通は二間半ぐらいなのに、三間半もある。長ければ重くなる。まだ子供の僕には扱いが難しかった。
「あっ……」
槍を持って走っていると足がもつれて倒れてしまった。
「雲之介! 立て、立つんだ! 倒れたままだと討ち取られるぞ!」
前田さまの声に立ち上がろうとするけど、疲れ切っていて、立てない……
「雲之介、大丈夫か?」
一人の青年が近づいてきた。純朴そうな顔をしている。名前は弥助。僕を脇に抱えて歩かせる。
「あ、ありがとう。弥助さん……」
「こら! 助けるんじゃない! 雲之介、自分の力でやり遂げるんだ!」
前田さまが恐い顔でこっちに来て、弥助さんを引き剥がす。
「ま、前田さま。雲之介はもう無理です。せめてお慈悲を――」
「馬鹿野郎! 慈悲で命が助かるか! 戦で死人にならぬように鍛えているのだ!」
僕はよろよろとまた駆け出す。ゆっくりでも、なんとか……
「そうだ! 最後までやるんだ!」
そんな僕を弥助は哀れむような目で見ていた。
訓練が終わって、隅で休んでいると竹筒を差し出される。弥助さんだった。
「ほれ。これ飲めや」
「あ、ありがとう。弥助さん」
ごくごくと飲んでいると弥助さんが隣に座ってきた。
「なあ。なんでお前は足軽になったんだ?」
「まあ正確には小者だけど……」
「それなら尚更、足軽と同じ訓練を受ける必要はないだろう? 小者でも戦うことはあるけどよ」
それは――藤吉郎に言われたからだ。
「武士になるために、訓練ぐらいは受けんとな。わしはあまりやりとうないが」
小者頭に出世した藤吉郎は、台所方を命じられている。
「織田家は意外と銭はあるが無駄も多い。なるべく節制せねばならんな」
嬉々として仕事に励んでいる。そのおかげで周りから重宝されるようになっていた。
だから僕も負けないように頑張らないと。
「……僕の恩人のために、やっていることだから、苦じゃないです」
そう答えると弥助は「……無理はしないでな」と優しく言ってくれた。
「しかし恩人のためか。農民の俺には信じられない話だな」
「弥助さんは、どうして足軽に?」
「俺は百姓の次男坊なんだ。田んぼは兄が継ぐ。だから食い扶持は自分でなんとかしないとな。それに織田家は戦えば銭がもらえるし」
普通の大名家では百姓をかり出して戦をする。だから種まきや稲刈りがある時期には戦はできないけど、織田家では田畑のない百姓の次男坊や三男坊を足軽として雇うことでいつでも戦うことができる。それに加えて他国からの流れ者も同様に従えている。だから戦のない時期に戦うことで、大殿は勝ってきた――とは言えない。流れ者は織田家に忠義があるわけではないから負け戦と見ると逃亡してしまう。だから尾張の兵は弱兵と言われているんだ。
だからこそ、前田さまは僕たちを鍛えているんだろうな。
「ま、互いに次の戦で死なんようにな」
「次の戦? どこと戦うんですか?」
大殿は尾張の大部分を手中に収めている。だとすれば、三河か伊勢になるだろう。北の美濃は同盟しているし。
「知らないのか? 信長さまの弟君、信行さまだ」
「信行さま? そんなまさか――」
兄弟同士で戦うなんて――
「家督争いよ。同じ正室の子で、信行さまのほうが優秀だと言う者もいる。それに有力な家臣である柴田勝家さまや林秀貞さまも信行さまを推している。いずれ戦が起こると噂している」
「そうだったんだ……」
あまりの衝撃に声も出なかった。兄弟同士で殺し合う。それが武士なのだろうか。大名なのだろうか。
「ま、戦になったらどうにかして生き残らないとな」
弥助さんは最後に悪戯っぽい顔で言った。
「お前を守る余裕はないからな。精々自分の身は自分で守れ」
少しだけムッとした僕は「分かってますよ!」と言って竹筒を返した。
その晩。僕は藤吉郎の家に呼ばれた。
「おう。雲之介、よう来たな。こっちに来て酌でもしてくれ」
長屋の一室に入ると藤吉郎が前田さまと酒を酌み交わしていた。僕は頭を下げて前田さまに言われるまま、酌をした。
出された器に酒を注ぐ。前田さまは一気に吞み干した。
「かああ! 美味いなあ!」
「利家さまは豪快だのう。雲之介、もう一杯注いでやれ」
顔を真っ赤にして上機嫌な藤吉郎。ますます猿みたいだ。
「藤吉郎、もうすぐ戦が始まるぞ」
前田さまがどきりとすることを話し始めた。
「ほほう。どちらと戦いますかな? 三河の今川ですか? それとも伊勢の北畠ですか?」
「違う違う。弟君さまよ」
だいぶ酔っている前田さま。藤吉郎は「ほうほう。弟君さまが?」と言いつつ僕に目配せして吞ませるように促した。黙って酒を注ぐ。
「大殿が言ってたわ。近々攻めてくると。しかしこうも言ってたな。美濃の舅殿が居る限りは攻めて来んと」
「なるほど。道三さまがいらっしゃるのなら安心と言ったようですな」
道三とは美濃の大名、斎藤道三のことだ。なんでも大殿のことを高く買っているらしい。自分の娘と結婚させるくらいだから。
「しかし美濃のマムシもいつまで生きているのやら。案外死んでしまうかもしれんな」
「おっ? 病気の噂でもあるのですか?」
「違うわ。子の義龍殿と仲が悪いのよ。いつ叛かれても仕方ないな」
兄弟だけじゃなくて、親子までも殺しあうんだ……
「しかし藤吉郎。どうしてそのようなことを訊く?」
「あっはっは。利家さまは織田家一の勇猛果敢な武将だと思うておりますゆえ」
「うん? ああ、そうかそうか!」
疑い出した前田さまに答えになってないお世辞を言う藤吉郎。だけどお世辞で前田さまは機嫌が良くなってうやむやになってしまった。
「ところで雲之介はどうですかな」
「うん? 本人を目の前にして言うのはどうかと思うが、武の才はないな」
こっちに水を向けられて驚いた。
そして才能がないとはっきり言われて、ちょっぴり悲しかった。
自分でも分かっていたけど……
「なんというか素直すぎるな。槍捌きも単調だ」
「まあ裏表を使い分けられない子供ですからな」
藤吉郎もそう言って酒を吞む。
藤吉郎の前で言われるのは、とても恥ずかしい。この場から逃げ出したかった。
「子供にしては体力があるが、それだけだな……」
最後にそう言うと、徐々に船を漕ぎ出して、前田さまはとうとう寝てしまった。
「寝てしまわれたか。雲之介、布団を敷いてくれ」
藤吉郎は真っ赤な顔で僕に命じた。僕は布団を敷いて前田さまを寝かした。
「雲之介、おぬしに頼みたいことがある」
前田さまを寝かしつけて戻ると藤吉郎の顔色が普通に戻っていた。酔いが覚めている。
「頼みたいこと? なんだ?」
さっきの汚名返上ってわけじゃないけど、藤吉郎の頼みだったら人殺し以外なんでもやるつもりだった。
「大殿の弟君、信行さまがどういう人物か、見てきてほしい」
予想外の頼みに「信行さまを?」と首を傾げてしまう。
「わしが直接見れば良いのだが、今度普請奉行を任されることになってな」
「おお。凄いじゃないか」
「まあな。それで暇がない。だからおぬしに行ってもらいたい」
僕は「分かったけど、何を見てくればいいんだ?」と質問した。
「人となりだな。どんな性格か……まあ難しく考えるな。おぬしが思ったことをわしに言ってくれればいい」
これはよく分からなかったけど、とりあえず直接見てくればいいんだな。
「もしも怪しまれたら小者頭の木下藤吉郎の弟分と言えばよかろう。見逃してもらえるはずだ」
「うん。分かった。それでいつ見てくればいい?」
「なるべく早くだ。そうだな、明日にでも末森城に向かえ。しばらく周辺をふらついていれば会えるであろう」
そう言って結構な金子を渡してくれた。
「分かったよ。それじゃ明日、出立する」
そう答えた僕だけど、本当のところは分かっていなかった。
実際に訊くべきだったんだ。
どうして藤吉郎は信行さまを見てくるように言ったのかを。
「は、はい!」
まるで人を殺しかねないほどの怒号が僕に降りかかる。長槍を半時近く持って、既に疲れきった腕を無理矢理上げる。
「実際の合戦ではもっと疲れる、もっと耐えねばならぬ! そのくらいでへこたれるな!」
もうすっかり夏になっていた。
清洲城の訓練場。そこで僕は元小姓で今は織田家の武将、槍の又左と呼ばれる前田利家さまのしごきを受けていた。まあ僕一人で受けているのではなく、三十人ほど居るのだけど、人一倍できないものだから叱責を受けているのだ。
特に織田家の長槍は長かった。普通は二間半ぐらいなのに、三間半もある。長ければ重くなる。まだ子供の僕には扱いが難しかった。
「あっ……」
槍を持って走っていると足がもつれて倒れてしまった。
「雲之介! 立て、立つんだ! 倒れたままだと討ち取られるぞ!」
前田さまの声に立ち上がろうとするけど、疲れ切っていて、立てない……
「雲之介、大丈夫か?」
一人の青年が近づいてきた。純朴そうな顔をしている。名前は弥助。僕を脇に抱えて歩かせる。
「あ、ありがとう。弥助さん……」
「こら! 助けるんじゃない! 雲之介、自分の力でやり遂げるんだ!」
前田さまが恐い顔でこっちに来て、弥助さんを引き剥がす。
「ま、前田さま。雲之介はもう無理です。せめてお慈悲を――」
「馬鹿野郎! 慈悲で命が助かるか! 戦で死人にならぬように鍛えているのだ!」
僕はよろよろとまた駆け出す。ゆっくりでも、なんとか……
「そうだ! 最後までやるんだ!」
そんな僕を弥助は哀れむような目で見ていた。
訓練が終わって、隅で休んでいると竹筒を差し出される。弥助さんだった。
「ほれ。これ飲めや」
「あ、ありがとう。弥助さん」
ごくごくと飲んでいると弥助さんが隣に座ってきた。
「なあ。なんでお前は足軽になったんだ?」
「まあ正確には小者だけど……」
「それなら尚更、足軽と同じ訓練を受ける必要はないだろう? 小者でも戦うことはあるけどよ」
それは――藤吉郎に言われたからだ。
「武士になるために、訓練ぐらいは受けんとな。わしはあまりやりとうないが」
小者頭に出世した藤吉郎は、台所方を命じられている。
「織田家は意外と銭はあるが無駄も多い。なるべく節制せねばならんな」
嬉々として仕事に励んでいる。そのおかげで周りから重宝されるようになっていた。
だから僕も負けないように頑張らないと。
「……僕の恩人のために、やっていることだから、苦じゃないです」
そう答えると弥助は「……無理はしないでな」と優しく言ってくれた。
「しかし恩人のためか。農民の俺には信じられない話だな」
「弥助さんは、どうして足軽に?」
「俺は百姓の次男坊なんだ。田んぼは兄が継ぐ。だから食い扶持は自分でなんとかしないとな。それに織田家は戦えば銭がもらえるし」
普通の大名家では百姓をかり出して戦をする。だから種まきや稲刈りがある時期には戦はできないけど、織田家では田畑のない百姓の次男坊や三男坊を足軽として雇うことでいつでも戦うことができる。それに加えて他国からの流れ者も同様に従えている。だから戦のない時期に戦うことで、大殿は勝ってきた――とは言えない。流れ者は織田家に忠義があるわけではないから負け戦と見ると逃亡してしまう。だから尾張の兵は弱兵と言われているんだ。
だからこそ、前田さまは僕たちを鍛えているんだろうな。
「ま、互いに次の戦で死なんようにな」
「次の戦? どこと戦うんですか?」
大殿は尾張の大部分を手中に収めている。だとすれば、三河か伊勢になるだろう。北の美濃は同盟しているし。
「知らないのか? 信長さまの弟君、信行さまだ」
「信行さま? そんなまさか――」
兄弟同士で戦うなんて――
「家督争いよ。同じ正室の子で、信行さまのほうが優秀だと言う者もいる。それに有力な家臣である柴田勝家さまや林秀貞さまも信行さまを推している。いずれ戦が起こると噂している」
「そうだったんだ……」
あまりの衝撃に声も出なかった。兄弟同士で殺し合う。それが武士なのだろうか。大名なのだろうか。
「ま、戦になったらどうにかして生き残らないとな」
弥助さんは最後に悪戯っぽい顔で言った。
「お前を守る余裕はないからな。精々自分の身は自分で守れ」
少しだけムッとした僕は「分かってますよ!」と言って竹筒を返した。
その晩。僕は藤吉郎の家に呼ばれた。
「おう。雲之介、よう来たな。こっちに来て酌でもしてくれ」
長屋の一室に入ると藤吉郎が前田さまと酒を酌み交わしていた。僕は頭を下げて前田さまに言われるまま、酌をした。
出された器に酒を注ぐ。前田さまは一気に吞み干した。
「かああ! 美味いなあ!」
「利家さまは豪快だのう。雲之介、もう一杯注いでやれ」
顔を真っ赤にして上機嫌な藤吉郎。ますます猿みたいだ。
「藤吉郎、もうすぐ戦が始まるぞ」
前田さまがどきりとすることを話し始めた。
「ほほう。どちらと戦いますかな? 三河の今川ですか? それとも伊勢の北畠ですか?」
「違う違う。弟君さまよ」
だいぶ酔っている前田さま。藤吉郎は「ほうほう。弟君さまが?」と言いつつ僕に目配せして吞ませるように促した。黙って酒を注ぐ。
「大殿が言ってたわ。近々攻めてくると。しかしこうも言ってたな。美濃の舅殿が居る限りは攻めて来んと」
「なるほど。道三さまがいらっしゃるのなら安心と言ったようですな」
道三とは美濃の大名、斎藤道三のことだ。なんでも大殿のことを高く買っているらしい。自分の娘と結婚させるくらいだから。
「しかし美濃のマムシもいつまで生きているのやら。案外死んでしまうかもしれんな」
「おっ? 病気の噂でもあるのですか?」
「違うわ。子の義龍殿と仲が悪いのよ。いつ叛かれても仕方ないな」
兄弟だけじゃなくて、親子までも殺しあうんだ……
「しかし藤吉郎。どうしてそのようなことを訊く?」
「あっはっは。利家さまは織田家一の勇猛果敢な武将だと思うておりますゆえ」
「うん? ああ、そうかそうか!」
疑い出した前田さまに答えになってないお世辞を言う藤吉郎。だけどお世辞で前田さまは機嫌が良くなってうやむやになってしまった。
「ところで雲之介はどうですかな」
「うん? 本人を目の前にして言うのはどうかと思うが、武の才はないな」
こっちに水を向けられて驚いた。
そして才能がないとはっきり言われて、ちょっぴり悲しかった。
自分でも分かっていたけど……
「なんというか素直すぎるな。槍捌きも単調だ」
「まあ裏表を使い分けられない子供ですからな」
藤吉郎もそう言って酒を吞む。
藤吉郎の前で言われるのは、とても恥ずかしい。この場から逃げ出したかった。
「子供にしては体力があるが、それだけだな……」
最後にそう言うと、徐々に船を漕ぎ出して、前田さまはとうとう寝てしまった。
「寝てしまわれたか。雲之介、布団を敷いてくれ」
藤吉郎は真っ赤な顔で僕に命じた。僕は布団を敷いて前田さまを寝かした。
「雲之介、おぬしに頼みたいことがある」
前田さまを寝かしつけて戻ると藤吉郎の顔色が普通に戻っていた。酔いが覚めている。
「頼みたいこと? なんだ?」
さっきの汚名返上ってわけじゃないけど、藤吉郎の頼みだったら人殺し以外なんでもやるつもりだった。
「大殿の弟君、信行さまがどういう人物か、見てきてほしい」
予想外の頼みに「信行さまを?」と首を傾げてしまう。
「わしが直接見れば良いのだが、今度普請奉行を任されることになってな」
「おお。凄いじゃないか」
「まあな。それで暇がない。だからおぬしに行ってもらいたい」
僕は「分かったけど、何を見てくればいいんだ?」と質問した。
「人となりだな。どんな性格か……まあ難しく考えるな。おぬしが思ったことをわしに言ってくれればいい」
これはよく分からなかったけど、とりあえず直接見てくればいいんだな。
「もしも怪しまれたら小者頭の木下藤吉郎の弟分と言えばよかろう。見逃してもらえるはずだ」
「うん。分かった。それでいつ見てくればいい?」
「なるべく早くだ。そうだな、明日にでも末森城に向かえ。しばらく周辺をふらついていれば会えるであろう」
そう言って結構な金子を渡してくれた。
「分かったよ。それじゃ明日、出立する」
そう答えた僕だけど、本当のところは分かっていなかった。
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