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輿入れ
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「なあ兄弟。本当に良かったのか?」
馬上で僕に囁く小六。僕は答えなかった。
「小六殿。そのようなことは言ってはいけません」
「しかし小一郎。俺は兄弟が不憫でならねえ。お市さまも可哀想だ。好きあっている者同士が結ばれないなんてよ」
小一郎さんの言葉でも小六は止まらない。そして前方の輿を見据えながら僕に訴える。
「そりゃあ雲之介には志乃さんが居る。それは重々承知の上だ。あんな良い嫁さんはそうはいねえ。でもよ、あの涙見たら――」
「分かっているよ、小六の兄さん」
僕も輿を見ていた。だけどそれは護衛の意味でだ。
「あんたの言葉はありがたいけど、もういいんだ」
「いいってよ……」
「それ以上言わないでくれ」
僕は小六と小一郎さんに向かって微笑んだ。
多分、渇いた笑みだったと思う。
「それ以上言われると、頭がおかしくなる」
「……兄弟」
「……雲之介くん」
二人は同情するような目だった。
僕はみんなから優しいと言われるけど、この二人もなかなか優しいなとぼんやり思った。
空を見上げた。
お市さまがおっしゃってたように、雲一つない空。
なんだか、馬鹿にされているくらいに、青かった。
「小一郎さん、小六。僕は――お市さまのことが好きだ」
輿を見ながら話す僕。二人は黙って話を聞いてくれた。
「だからお市さまには幸せになってほしいし、不幸になってほしくない」
「でもよ……」
「僕と一緒になっても幸せにはできないし、不幸になってしまうんだ」
小六の言葉を遮って、断言した。
「だから、これで良いんだ。聞けば夫となる浅井長政は器量人だって言うじゃないか。先代から跡を譲られたときから善政を敷いているという。家柄も申し分ない。しかも大名だ。陪臣で足軽組頭の僕なんて、逆立ちしたって敵わない」
まるで自分に言い聞かせているようだと思ってしまう。
「……分かったよ。雲之介くんの気持ちは十分伝わった」
小一郎さんはそう言って、何かを言おうとする小六を制した。
「だから――もう泣くな」
気がつけば、ぽたりと落ちていた。
おかしいな。今日は晴天なのに。
やっぱりお市さまの言うとおりだったな。
「……ごめん」
謝ったけど、僕は誰に謝ったんだろう。
小一郎さん? 小六?
それとも藤吉郎? 志乃?
いや、違う。
謝りたかったのは――
「詮のないことだよ」
そう呟いて、涙を拭う。
やっぱり空は青かった。
お市さまは北近江の浅井家に嫁ぐ。そのためには敵国である美濃を経由しなければいけなかった。そのために道中、襲われる可能性が高かった。だから浅井家も美濃との国境に出兵していた。
清洲城を出発して数刻後、浅井家の武将と無事に合流することができた。
やってきたのは豪胆そうな、いかにも武将だと言わんばかりの四角い顔をしている男だった。藤吉郎がその武将と相対する。僕は小一郎さんと小六と一緒に藤吉郎の傍に控えていた。
「遠藤直経だ。そなたは?」
「木下藤吉郎と申す」
藤吉郎が名乗ると遠藤さんは「ほう。貴殿が……」と驚いた顔をした。
「あの墨俣一夜城を作ったとされる、織田家家中でも指折りの策士……」
「そのように伝わっているのか。あっはっは。わしも有名になったものよ」
なんか、藤吉郎が遠くに感じる。
あのときついて行って正解だったと思うけど、なんだか淋しい。
しばらく話した後、遠藤さんは「さっそくだが、お市さまを引き渡してもらおう」と言う。
「ああ。それはやぶさかではないが、佐和山城まで同行してもよろしいか?」
「……何ゆえに?」
「わしの主命は『お市さまを佐和山城まで護衛すること』だ。いや、浅井軍の強さ、江北の兵の精強さは重々承知の上だが、主命を途中で放棄したとなると、大殿に叱られてしまう」
「それは分かるが……」
遠藤さんが苦言を呈そうとすると、藤吉郎が頭を下げた。
「頼む。わしの顔を立てる意味で、護衛を続けさせてくれ!」
「……分かった。まあ兵は多いほうがいいだろう」
渋々納得した遠藤さん。藤吉郎は顔を上げて「かたじけない!」と猿みたいな笑みを見せた。
このとき、どうして藤吉郎は護衛をやめなかったのか。
この時点では気づかなかったけど、日が暮れて陣をはる頃になって気づいた。
いや気づいたというより、藤吉郎に言われた。
「雲之介。最後の機会だ。お市さまと話してこい」
呼び出した僕に陣中で藤吉郎は言った。
「まさか、そのためだったのか?」
「もちろんだ。当たり前だろうが」
陣中には小一郎さんと小六も居た。正確に言えば四人しか居なかった。
「己の想いを伝える最後のときだ。さあ、行け」
「だけど……」
怖気づく僕に苛立ったのか、小六は立ち上がって、僕の胸ぐらを掴んだ。
「うじうじしてんじゃねえ! はっきりしろ! 男を見せろよ兄弟!」
「こ、小六……」
「お前が言った言葉だ! ここで動かなけりゃ男じゃねえだろ!」
それでも僕は――
「このまま浅井長政に奪われていいのか!?」
「…………」
「お市さまのことを想っていないのか!?」
「…………」
次第に心が熱くなってくる――
「なんとか言えよ! おい兄弟!」
「僕だって! なんとかしたいに決まってるだろう!」
僕は小六を突き飛ばした。
「僕だって、どうしていいのか分からないんだよ! だって身分が違うじゃないか!」
小六が立ち上がって真剣な表情で言う。
「だったら、身分が無ければ、想いを伝えたのかよ」
「――っ! もちろんだ!」
今度は藤吉郎が僕に向かって言う。
「ならば今宵は身分を忘れろ」
「……何言っているんだ?」
「ただの雲之介として、お市さまを普通のおなごと思って話してみよ」
藤吉郎も立ち上がって、僕に言う。
「嫁ぐお市さまの最後の思い出を、彩ってやるのだ」
「……藤吉郎」
「さあ行け。この陣を出て、お市さまに会いに行くのだ」
僕は三人の顔を見た。同じように僕を応援している。
「……ここで動かなくちゃ、野暮の極みだな」
呟いて、頭を下げて、陣を出た。
「頑張れよ! 兄弟!」
小六の声が、激励が、後押しが、嬉しかった。
そして――お市さまがいらっしゃる陣。
「……やはり来ましたか」
鈴蘭さんが陣の入り口の前に居た。数名の侍女も一緒だった。
「鈴蘭さん……そこを通してくれ」
「……断ったら?」
僕は「無理矢理でも通る」と刀に手をかけた。
侍女たちは僕を睨む。
だけど鈴蘭さんだけは微笑んでいた。
「ようやく、覚悟が決まったのですね」
道を――すっと開けた。
お市さまへの道を。
「……いいのか?」
怪訝な表情をしていた僕に鈴蘭さんは「良いのです」ときっぱりと言った。
いつも真面目な鈴蘭さんだけど、いつも以上に真剣な顔をしていた。
「私は今までお市さまに不自由を強いてきました。海が見たいと言われても断りました。清洲の町に行きたいと願われても断りました。そして雲之介さん。あなたに会いたいと乞われたときも断ったのです。それがお市さまにとってどれほど辛いことか……」
鈴蘭さんは僕に向かって言う。
「あなたを――信じていいのですね?」
僕は頷いた。
「ああ。僕を信じてくれ」
鈴蘭さんはお辞儀をした。侍女たちも同じようにする。
見て見ぬフリをするというわけか。
「ありがとう。鈴蘭さん」
「お礼を言われる――ほどではありませぬ」
鈴蘭さんの隣を通って、僕は――お市さまの居る陣に入った。
「あっ。雲之介さん……」
そこには、お市さまが居た。
美しくて可憐で清楚で可愛らしい、お市さま。
会いたくて、恋焦がれていた、お市さま。
もうすぐ、輿入れしてしまう、お市さま。
それが――目の前に居た。
僕たちの運命はどこからすれ違ったんだろう。
分からない。
分からない。
馬上で僕に囁く小六。僕は答えなかった。
「小六殿。そのようなことは言ってはいけません」
「しかし小一郎。俺は兄弟が不憫でならねえ。お市さまも可哀想だ。好きあっている者同士が結ばれないなんてよ」
小一郎さんの言葉でも小六は止まらない。そして前方の輿を見据えながら僕に訴える。
「そりゃあ雲之介には志乃さんが居る。それは重々承知の上だ。あんな良い嫁さんはそうはいねえ。でもよ、あの涙見たら――」
「分かっているよ、小六の兄さん」
僕も輿を見ていた。だけどそれは護衛の意味でだ。
「あんたの言葉はありがたいけど、もういいんだ」
「いいってよ……」
「それ以上言わないでくれ」
僕は小六と小一郎さんに向かって微笑んだ。
多分、渇いた笑みだったと思う。
「それ以上言われると、頭がおかしくなる」
「……兄弟」
「……雲之介くん」
二人は同情するような目だった。
僕はみんなから優しいと言われるけど、この二人もなかなか優しいなとぼんやり思った。
空を見上げた。
お市さまがおっしゃってたように、雲一つない空。
なんだか、馬鹿にされているくらいに、青かった。
「小一郎さん、小六。僕は――お市さまのことが好きだ」
輿を見ながら話す僕。二人は黙って話を聞いてくれた。
「だからお市さまには幸せになってほしいし、不幸になってほしくない」
「でもよ……」
「僕と一緒になっても幸せにはできないし、不幸になってしまうんだ」
小六の言葉を遮って、断言した。
「だから、これで良いんだ。聞けば夫となる浅井長政は器量人だって言うじゃないか。先代から跡を譲られたときから善政を敷いているという。家柄も申し分ない。しかも大名だ。陪臣で足軽組頭の僕なんて、逆立ちしたって敵わない」
まるで自分に言い聞かせているようだと思ってしまう。
「……分かったよ。雲之介くんの気持ちは十分伝わった」
小一郎さんはそう言って、何かを言おうとする小六を制した。
「だから――もう泣くな」
気がつけば、ぽたりと落ちていた。
おかしいな。今日は晴天なのに。
やっぱりお市さまの言うとおりだったな。
「……ごめん」
謝ったけど、僕は誰に謝ったんだろう。
小一郎さん? 小六?
それとも藤吉郎? 志乃?
いや、違う。
謝りたかったのは――
「詮のないことだよ」
そう呟いて、涙を拭う。
やっぱり空は青かった。
お市さまは北近江の浅井家に嫁ぐ。そのためには敵国である美濃を経由しなければいけなかった。そのために道中、襲われる可能性が高かった。だから浅井家も美濃との国境に出兵していた。
清洲城を出発して数刻後、浅井家の武将と無事に合流することができた。
やってきたのは豪胆そうな、いかにも武将だと言わんばかりの四角い顔をしている男だった。藤吉郎がその武将と相対する。僕は小一郎さんと小六と一緒に藤吉郎の傍に控えていた。
「遠藤直経だ。そなたは?」
「木下藤吉郎と申す」
藤吉郎が名乗ると遠藤さんは「ほう。貴殿が……」と驚いた顔をした。
「あの墨俣一夜城を作ったとされる、織田家家中でも指折りの策士……」
「そのように伝わっているのか。あっはっは。わしも有名になったものよ」
なんか、藤吉郎が遠くに感じる。
あのときついて行って正解だったと思うけど、なんだか淋しい。
しばらく話した後、遠藤さんは「さっそくだが、お市さまを引き渡してもらおう」と言う。
「ああ。それはやぶさかではないが、佐和山城まで同行してもよろしいか?」
「……何ゆえに?」
「わしの主命は『お市さまを佐和山城まで護衛すること』だ。いや、浅井軍の強さ、江北の兵の精強さは重々承知の上だが、主命を途中で放棄したとなると、大殿に叱られてしまう」
「それは分かるが……」
遠藤さんが苦言を呈そうとすると、藤吉郎が頭を下げた。
「頼む。わしの顔を立てる意味で、護衛を続けさせてくれ!」
「……分かった。まあ兵は多いほうがいいだろう」
渋々納得した遠藤さん。藤吉郎は顔を上げて「かたじけない!」と猿みたいな笑みを見せた。
このとき、どうして藤吉郎は護衛をやめなかったのか。
この時点では気づかなかったけど、日が暮れて陣をはる頃になって気づいた。
いや気づいたというより、藤吉郎に言われた。
「雲之介。最後の機会だ。お市さまと話してこい」
呼び出した僕に陣中で藤吉郎は言った。
「まさか、そのためだったのか?」
「もちろんだ。当たり前だろうが」
陣中には小一郎さんと小六も居た。正確に言えば四人しか居なかった。
「己の想いを伝える最後のときだ。さあ、行け」
「だけど……」
怖気づく僕に苛立ったのか、小六は立ち上がって、僕の胸ぐらを掴んだ。
「うじうじしてんじゃねえ! はっきりしろ! 男を見せろよ兄弟!」
「こ、小六……」
「お前が言った言葉だ! ここで動かなけりゃ男じゃねえだろ!」
それでも僕は――
「このまま浅井長政に奪われていいのか!?」
「…………」
「お市さまのことを想っていないのか!?」
「…………」
次第に心が熱くなってくる――
「なんとか言えよ! おい兄弟!」
「僕だって! なんとかしたいに決まってるだろう!」
僕は小六を突き飛ばした。
「僕だって、どうしていいのか分からないんだよ! だって身分が違うじゃないか!」
小六が立ち上がって真剣な表情で言う。
「だったら、身分が無ければ、想いを伝えたのかよ」
「――っ! もちろんだ!」
今度は藤吉郎が僕に向かって言う。
「ならば今宵は身分を忘れろ」
「……何言っているんだ?」
「ただの雲之介として、お市さまを普通のおなごと思って話してみよ」
藤吉郎も立ち上がって、僕に言う。
「嫁ぐお市さまの最後の思い出を、彩ってやるのだ」
「……藤吉郎」
「さあ行け。この陣を出て、お市さまに会いに行くのだ」
僕は三人の顔を見た。同じように僕を応援している。
「……ここで動かなくちゃ、野暮の極みだな」
呟いて、頭を下げて、陣を出た。
「頑張れよ! 兄弟!」
小六の声が、激励が、後押しが、嬉しかった。
そして――お市さまがいらっしゃる陣。
「……やはり来ましたか」
鈴蘭さんが陣の入り口の前に居た。数名の侍女も一緒だった。
「鈴蘭さん……そこを通してくれ」
「……断ったら?」
僕は「無理矢理でも通る」と刀に手をかけた。
侍女たちは僕を睨む。
だけど鈴蘭さんだけは微笑んでいた。
「ようやく、覚悟が決まったのですね」
道を――すっと開けた。
お市さまへの道を。
「……いいのか?」
怪訝な表情をしていた僕に鈴蘭さんは「良いのです」ときっぱりと言った。
いつも真面目な鈴蘭さんだけど、いつも以上に真剣な顔をしていた。
「私は今までお市さまに不自由を強いてきました。海が見たいと言われても断りました。清洲の町に行きたいと願われても断りました。そして雲之介さん。あなたに会いたいと乞われたときも断ったのです。それがお市さまにとってどれほど辛いことか……」
鈴蘭さんは僕に向かって言う。
「あなたを――信じていいのですね?」
僕は頷いた。
「ああ。僕を信じてくれ」
鈴蘭さんはお辞儀をした。侍女たちも同じようにする。
見て見ぬフリをするというわけか。
「ありがとう。鈴蘭さん」
「お礼を言われる――ほどではありませぬ」
鈴蘭さんの隣を通って、僕は――お市さまの居る陣に入った。
「あっ。雲之介さん……」
そこには、お市さまが居た。
美しくて可憐で清楚で可愛らしい、お市さま。
会いたくて、恋焦がれていた、お市さま。
もうすぐ、輿入れしてしまう、お市さま。
それが――目の前に居た。
僕たちの運命はどこからすれ違ったんだろう。
分からない。
分からない。
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