猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一

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愛せない

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「そう。あのお市さまと雲之介が……」

 僕は向かい合って座りながら、全てを志乃に白状した。これ以上黙っているのは心苦しかったし、罪悪感が増してきたからだ。
 それに志乃には言わないといけない。

「それで、雲之介はどうしたいの?」

 ハッとして伏せていた顔を上げて志乃を見た。
 志乃の表情には怒りも悲しみもなかった。
 優しく微笑んでいて、まるで菩薩さまのようだった。

「どう、したいって……」
「あなたはお市さまと結ばれたいの?」

 どうして――そんなことが言えるんだろう。
 もしも僕とお市さまが結ばれてしまえば、志乃は――

「いや、それは――」
「本音を言って。嘘は言わないで。私に隠し事しないで」

 厳しい言葉だけど、責めている風ではなかった。

「あなたは私に言ってくれた。自分のために幸せになってほしいって」
「……確かに言ったよ」
「でも私のために雲之介が不幸になるのは嫌よ。そんなの幸せじゃないわ」

 そう言われてしまうと立つ瀬がない。
 しばらく黙ってしまった。すると志乃が溜息を吐いた。

「……あなたが本音を言わないのなら、私から言うわ」

 志乃は僕の目を見て、はっきりと言った。

「まだ私も弥助のことが忘れられないわ。おそらく一生、忘れることはないのよ」
「…………」
「それにあなたを心から愛せていない」

 少し悲しかったけど、それでも驚きはなかった。
 そうだろうなとぼんやりと思った。

「雲之介のことは好きよ。でもどうしても恨みは残ってしまう」
「……うん。それは仕方ないよ」
「だけど――ここでの生活は楽しいわ」

 志乃は優しげな表情を見せる。

「雲之介と過ごす毎日。穏やかな日々。お酒を吞んでやさぐれていた生活と比べたら雲泥の差よ」
「……それを聞けて良かったよ」
「ええ。何気ない平穏な日々が戦国乱世においては幸せかもしれないわね。だけど――」

 志乃の表情がすっと厳しいものになる。

「墨俣のことを黙っていたのは許せなかったわ」
「あっ……」
「もしもあなたが死んでしまったら――そう考えるだけで夜も眠れないわ」

 だからあんなに怒ってたんだ……
 幸せにすると言っておきながら、志乃に心配させるなんて、最低だ僕は。

「そう落ち込まないの。もうその件については許したわ」

 志乃は笑って言う。それから改まって僕に訊ねる。

「それで、お市さまとどうなりたいの?」
「どうなりたい……」
「結ばれたいの? それとも別の道を行くの?」

 僕は――逆に訊ねてしまう。

「志乃。もしも結ばれたいと言ったら、君はどうするつもりなんだ?」
「うん? ……考えてないわ。でも離縁して、実家に戻るかしら」

 あっさりと言う志乃に何も言えない。
 すると僕の手を握って、それから射抜くように、再び僕の目を見る。

「私は幸せになりたいけど、雲之介が不幸になるのは嫌よ」

 その言葉で、僕の気持ちが固まってしまった。
 やっぱり志乃のことは裏切れない。
 たとえお市さまを深く想っていても、曲げてはいけない道理がある。
 だから、僕は、お市さまを――愛せない。
 愛しては、いけない。

「……おいで。雲之介」

 僕の様子から志乃は察したようだった。
 正座のまま手招きしてくれた。
 僕は、甘えるように、志乃の膝の上に頭を置く。

「……気持ちは分からないでもないわ」
「……ごめん」
「……何に対して?」
「……いろんなことについて」

 自然と涙が溢れてきた。
 本当に僕は、自分勝手だった。
 志乃の気持ちも知らないで、自分だけ悩んでいた。
 本当に情けなくて、格好悪い。

「いいのよ。でもありがとう」

 頭を撫でてくれた志乃。

「私を選んでくれて、ありがとう。好きよ。雲之介」
「……こんな僕のことを好いてくれるのか?」
「ええ。どんなあなたでも、好いてあげるわ」
「……僕は最低だな」
「そうね。本当に最低ね。でも好きよ」

 僕は顔を上げて、志乃に言う。
 最低だと分かっているけど、言わないといけない。

「僕も志乃のことが好きだ」
「……そう。嬉しいわ」
「志乃、君に誓うよ。僕は君を必ず幸せにするって」

 そして今度は僕のほうから手を握った。

「絶対に裏切らないし、約束も守る。これも誓うよ」

 志乃は僕の言葉に何故か一瞬、傷ついたような顔をした。でもそれは一瞬のことだった。すぐに嬉しそうな顔になったから、気のせいだと思った。

「ええ。信じているわ。雲之介――」



 それから五日間、志乃と一緒に過ごした。
 清洲の町に遊びに行ったり、志乃の実家でくつろいだり、それから一緒に馬に乗って海を見に行った。
 日頃の家事は苦じゃないらしいけど、なるべく僕がやってあげた。
 志乃の笑顔は綺麗だった。守りたいと思うし宝物だと思った。
 これからもずっと居よう。
 そう思えるようになった。
 不思議だな、夫婦って。
 見ず知らずの他人同士だったのに。
 一方的に恨まれる立場だったのに。
 それがこうして――仲良く居られるんだから。

 楽しくも短い五日間が終わり、僕は藤吉郎の元に向かった。

「おっ。すっきりとしたようだな。志乃に諭されたか慰められたか分からんが、顔つきが良くなった」

 藤吉郎は全部お見通しだったようだ。
 藤吉郎と小一郎さん、そして小六は僕が来るのを清洲城の正門前で待っていた。
 三人とも事情を知っているので、僕を気遣ってくれる。

「悩みは取れたようだね。雲之介くん」

 優しい言葉をかけてくれる小一郎さん。

「まあ複雑だと思うがな、兄弟」

 ぶっきらぼうに肩に手を置いてくれた小六。

「ええ。もう大丈夫。北近江まででしたっけ?」
「ああ。佐和山城で浅井軍と合流する。俺たちはそこまでの護衛だね」

 小一郎さんが言ってくれた。
 僕は小六に訊ねた。

「護衛の人数は?」
「一千だな。侍女たちを含めない数だが」
「分かった。ありがとう」

 そんな会話をしていると清洲城の正門が開いた。
 一千の護衛の兵の中心に輿が見られた。傍には鈴蘭さんを始めとした見知った侍女たちが居た。
 あそこに、お市さまが居る――

「皆の者、行くぞ」

 藤吉郎に促されて、僕たちはお市さまの輿に向かう。
 藤吉郎は跪きながら、口上を述べる。

「織田家侍大将、木下藤吉郎が護衛仕ります」
「……よろしくお願いします」

 輿の窓が開いた。
 そこには、久しぶりに見た、一層美しくなったお市さまのお顔が見えた。
 そして跪いている僕を一瞥した。

「ふふふ。あなた様には、もう会えぬと思っておりましたが。まさかこのような場で会えるとは」

 お市さま……本当に美しく成長なされた。

「今日は晴天。空には雲一つないのに、何故か雨が降ってきますね」
「……恐れながら、今日は雨は――」

 そう言いかけた侍女の鈴蘭さん。しかしお市さまの顔を見て、言葉を止めた。

「左様にございますね。お顔に雨が付きました。失礼いたします」

 高価な布でお市さまの目元を拭く鈴蘭さん。

「……それでは、木下殿。よろしくお願いします」
「ははっ。承りました」

 こうして、一千の兵と僕たちは、北近江の佐和山城に向かう。

 他国の殿に嫁入りされるお市さまを見て、胸が締め付けられる。
 僕は耐えられるだろうか……
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