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第1部:序章 - 無名の挑戦
第42話 初質問の原稿作成
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ある日の午後、議員会館の執務室に一本の電話が入った。
「坂本議員、次回の本会議で質問の機会があります。持ち時間は十分ですので、原稿をご準備ください」
電話口の事務局職員は淡々とした口調だったが、その一言は健人の胸に強い衝撃を与えた。
――初めての質問権。
選挙を勝ち抜き、国会に足を踏み入れてからまだ数週間。右も左もわからないまま流されるように委員会や会合に出席してきた健人にとって、それはようやく「自分が声を出せる場」が与えられたことを意味していた。
電話を切ったあと、しばらく椅子に座ったまま動けなかった。緊張と興奮が入り混じり、背筋に冷たい汗が伝う。
「……やっとだ」
呟いた声は震えていた。
「質問時間は十分しかありません」
机に資料を広げながら、真田が冷静に言った。
「政策を網羅するのは不可能です。テーマを一つに絞らなければなりません」
「十分か……長いようで短いな」
健人は手にしていた陳情書の束を見つめる。机の上には市民から届いた手紙やメールの印刷が山のように積まれていた。教育費の負担、医療費の高騰、年金の不安、雇用の不安定さ――どれも切実な声だ。
「全部伝えたい。でも、全部言ったら伝わらない」
健人の言葉に、田島が腕を組んでうなずいた。
「そういうこと。演説と同じだな。欲張ると、結局何も残らない。健人、お前の一番の原点はなんだ?」
原点。
健人の脳裏に浮かんだのは、駅前で声を張り上げ続けた日々だった。誰も足を止めず、冷たい視線と野次にさらされ、それでも「誰か一人に届けば」と信じて言葉を投げかけ続けた。
「……やっぱり、若者の未来だ。俺はあの時からずっと、若者が夢を諦める社会を変えたいと思ってきた」
その言葉を聞いて、真田は穏やかに微笑んだ。
「では、そこに絞りましょう。教育格差。あなたが立つ理由と直結しています」
夜。
執務室に残った健人は、パソコンの前で唸っていた。
「言葉が……まとまらない」
資料の束をめくり、メモを取り、消しては書き直す。だが文章にすると、どうしても硬くなってしまう。数字や制度の名前を並べても、自分の声ではない気がした。
「市民の言葉で語りたいんだ……」
思わず天を仰いだ。蛍光灯の光が目に痛い。机の隅には母からもらった「がんばれ」と書かれた小さな付箋が、今も名刺入れに貼られている。
「……母さん、どうしたらいい?」
誰にともなく呟いたそのとき、田島がコンビニの袋を提げて戻ってきた。
「おーい、カップ麺買ってきたぞ。徹夜になりそうだからな」
「……ありがとう」
湯気の立つカップ麺をすすりながら、健人は田島に原稿の下書きを見せた。
「どうだ? これでいいと思うか」
田島は数分間、黙って目を通した。そして顔を上げ、苦笑した。
「健人、お前らしい熱さは伝わる。でも、正直なところ……教科書みたいだな」
「やっぱりか」
「もっとお前の言葉でいいんだよ。駅前で、誰も聞いてなくても叫んでた時の気持ちを思い出せ」
真田も傍らから静かに言った。
「原稿に魂を込めるんです。数字や制度だけでは届かない。市民の声を、ここに刻んでください」
健人は再び原稿に向き合った。
教育格差に苦しむ家庭の手紙を取り出す。
「……“うちの息子は大学に行きたいと言いましたが、家計の事情で諦めました”」
文字を追ううちに、喉が詰まる。選挙期間中に出会った少年の顔が蘇った。教師を目指していたあの少年。
「諦めるな」と握手を交わした日の温もり。
――この声を、届けるんだ。
健人は一気にキーボードを叩き始めた。数字や制度の解説は最小限に削り、市民の生の声を引用し、自分の思いを織り込む。
「未来を諦めさせないために、何をすべきか」
気づけば夜明けが近づいていた。机の上には破り捨てた原稿の紙が山のように散らばっている。その中で、一枚の完成原稿が輝いて見えた。
読み返すと、完璧とは言えない。論理的に穴もあるかもしれない。だが――これが自分の声だ。
「できたのか?」
朝、事務所に戻ってきた田島が覗き込む。
「……ああ、やっとな」
健人は赤く充血した目で笑った。
真田が原稿を手に取り、静かに目を通す。最後まで読み終え、ゆっくりとうなずいた。
「あなたらしい言葉です。政策的に不足はありますが、初質問は印象が大事。これで十分です」
健人は大きく息を吐いた。
「これが……俺の最初の声だ」
胸元の議員バッジに触れる。小さな金色の徽章。その重みと共に、自分が背負った責任の大きさを改めて感じる。
”原稿は言葉の羅列じゃない。
国民の願いを刻んだ一行一行が、
未来を問いかける声になる。“
「坂本議員、次回の本会議で質問の機会があります。持ち時間は十分ですので、原稿をご準備ください」
電話口の事務局職員は淡々とした口調だったが、その一言は健人の胸に強い衝撃を与えた。
――初めての質問権。
選挙を勝ち抜き、国会に足を踏み入れてからまだ数週間。右も左もわからないまま流されるように委員会や会合に出席してきた健人にとって、それはようやく「自分が声を出せる場」が与えられたことを意味していた。
電話を切ったあと、しばらく椅子に座ったまま動けなかった。緊張と興奮が入り混じり、背筋に冷たい汗が伝う。
「……やっとだ」
呟いた声は震えていた。
「質問時間は十分しかありません」
机に資料を広げながら、真田が冷静に言った。
「政策を網羅するのは不可能です。テーマを一つに絞らなければなりません」
「十分か……長いようで短いな」
健人は手にしていた陳情書の束を見つめる。机の上には市民から届いた手紙やメールの印刷が山のように積まれていた。教育費の負担、医療費の高騰、年金の不安、雇用の不安定さ――どれも切実な声だ。
「全部伝えたい。でも、全部言ったら伝わらない」
健人の言葉に、田島が腕を組んでうなずいた。
「そういうこと。演説と同じだな。欲張ると、結局何も残らない。健人、お前の一番の原点はなんだ?」
原点。
健人の脳裏に浮かんだのは、駅前で声を張り上げ続けた日々だった。誰も足を止めず、冷たい視線と野次にさらされ、それでも「誰か一人に届けば」と信じて言葉を投げかけ続けた。
「……やっぱり、若者の未来だ。俺はあの時からずっと、若者が夢を諦める社会を変えたいと思ってきた」
その言葉を聞いて、真田は穏やかに微笑んだ。
「では、そこに絞りましょう。教育格差。あなたが立つ理由と直結しています」
夜。
執務室に残った健人は、パソコンの前で唸っていた。
「言葉が……まとまらない」
資料の束をめくり、メモを取り、消しては書き直す。だが文章にすると、どうしても硬くなってしまう。数字や制度の名前を並べても、自分の声ではない気がした。
「市民の言葉で語りたいんだ……」
思わず天を仰いだ。蛍光灯の光が目に痛い。机の隅には母からもらった「がんばれ」と書かれた小さな付箋が、今も名刺入れに貼られている。
「……母さん、どうしたらいい?」
誰にともなく呟いたそのとき、田島がコンビニの袋を提げて戻ってきた。
「おーい、カップ麺買ってきたぞ。徹夜になりそうだからな」
「……ありがとう」
湯気の立つカップ麺をすすりながら、健人は田島に原稿の下書きを見せた。
「どうだ? これでいいと思うか」
田島は数分間、黙って目を通した。そして顔を上げ、苦笑した。
「健人、お前らしい熱さは伝わる。でも、正直なところ……教科書みたいだな」
「やっぱりか」
「もっとお前の言葉でいいんだよ。駅前で、誰も聞いてなくても叫んでた時の気持ちを思い出せ」
真田も傍らから静かに言った。
「原稿に魂を込めるんです。数字や制度だけでは届かない。市民の声を、ここに刻んでください」
健人は再び原稿に向き合った。
教育格差に苦しむ家庭の手紙を取り出す。
「……“うちの息子は大学に行きたいと言いましたが、家計の事情で諦めました”」
文字を追ううちに、喉が詰まる。選挙期間中に出会った少年の顔が蘇った。教師を目指していたあの少年。
「諦めるな」と握手を交わした日の温もり。
――この声を、届けるんだ。
健人は一気にキーボードを叩き始めた。数字や制度の解説は最小限に削り、市民の生の声を引用し、自分の思いを織り込む。
「未来を諦めさせないために、何をすべきか」
気づけば夜明けが近づいていた。机の上には破り捨てた原稿の紙が山のように散らばっている。その中で、一枚の完成原稿が輝いて見えた。
読み返すと、完璧とは言えない。論理的に穴もあるかもしれない。だが――これが自分の声だ。
「できたのか?」
朝、事務所に戻ってきた田島が覗き込む。
「……ああ、やっとな」
健人は赤く充血した目で笑った。
真田が原稿を手に取り、静かに目を通す。最後まで読み終え、ゆっくりとうなずいた。
「あなたらしい言葉です。政策的に不足はありますが、初質問は印象が大事。これで十分です」
健人は大きく息を吐いた。
「これが……俺の最初の声だ」
胸元の議員バッジに触れる。小さな金色の徽章。その重みと共に、自分が背負った責任の大きさを改めて感じる。
”原稿は言葉の羅列じゃない。
国民の願いを刻んだ一行一行が、
未来を問いかける声になる。“
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