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番外編
その後すぐ:蛍と桜庭
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健吾と別れた後、蛍はぼんやりと電車に揺られていた。夢でも見ているような気持ちだったが、同時に混乱もしていた。
健吾は番を解消したと言っていた。そんなこと本当にできるのだろうか?
いや、できることは蛍も知ってる。
だが、それはオメガにとってかなりリスクのある行為だと聞いている。
相手の人は大丈夫なのだろうか。健吾自身も無理をしているのではないか。
蛍はスマートフォンを取り出した。
『今、何してる?』
桜庭にメッセージを送る。
『バイト終わったところで家に向かってる。どうした?』
蛍は慌てて電車を降りた。
このまま一人でいたら、不安に押しつぶされそうだった。
すぐに桜庭に電話をする。
「もしもし、さく?」
『おう、どうした?』
桜庭の落ち着いた声が聞こえる。
「あのさ、番解消って知ってる?」
『ああ、一応。でも、前も言ったけど、俺、その辺のこと詳しくないぜ』
「うん、あのさ、健ちゃ……好きな人が、番解消したって言ってて、それで俺のこと、好きだって言ってくれたんだけれど」
声が震える。嬉しいのか不安なのか、自分でもよく分からない。
『よかったな』
桜庭の声は温かかった。
「うん、よかったんだけど、信じられないし、けっこう混乱してる。健ちゃんといた時は、嬉しくて気が回らなかったんだけれど、番解消したってことは、相手の人はどうなっちゃうの?」
『白石、落ち着けよ。その人とは話せないの?』
「話せるけど、聞くのが怖い」
もし健吾が無理をしていたら。相手の人を傷つけていたら。そんな犠牲の上に成り立つ愛なんて、蛍は望んでいない。
『大丈夫か? 今、一人?』
「一人」
蛍の声は小さくなっていた。
『大学の近く? 相沢さんとか小野とか、呼べるか?』
「分かんない。ねえ、どうしよう」
『今、どこ?』
蛍は行先表示を見て、駅名を告げる。
『わかった、そこにいろよ。動くなよ』
桜庭はそう言って電話を切った。
蛍はベンチに座って待った。
何本か電車を見送ると、息を切らした桜庭がやってきた。
「さく」
「大丈夫か?」
桜庭が蛍の肩に手を置いた。
その温かさに、蛍は少し気持ちが落ち着いた。
「うん、どうしよう」
「俺も来ながらいろいろ調べてみたけれど、治療っていうのがあるみたいだ。お前の好きな人、治療を受けたんじゃないか?」
「治療……」
蛍は桜庭のスマートフォンの画面を覗き込んだ。
そこには番解消の治療について書かれた記事が表示されている。
「まあ、何度も言うけど、俺は詳しくないし、その好きな人に聞くのが確実だと思うけどさ」
「そっか……」
蛍は深く息を吐いた。
そうだ、健吾に直接聞けばいい。
信じられないほど優しい人だから、きっと正直に話してくれる。
「大丈夫か? おまえ、実家暮らしだっけ? 家まで送るよ」
「うん、ごめん」
「大丈夫、暇だし」
桜庭が軽く笑った。その笑顔に、蛍の緊張が少しほぐれる。
桜庭の厚意に甘えることにした。
桜庭からは下心も感じず、長く付き合ってきた友人のような安心感があった。同じオメガ同士だからだろうか。
改めて横目に桜庭を見る。
目を見張るほどの美男子というわけではないが、なぜか人目を引いた。
特に、その美しい榛色の瞳に見つめられると、その気はなくともドキリとする。
「さくは、好きな人、いないの?」
蛍が尋ねると、桜庭は少し考えてから答えた。
「俺は……、そういうの、いらないんだ」
「いらない? なんで?」
ずっと健吾を思ってきた蛍からすると、いささか不思議な感覚だった。恋愛感情がない人生は想像できない。
「想像つかないからかな。アルファとも、女の子とも、想像つかない」
少し声を抑えて、桜庭がつぶやく。
その表情には、寂しさではなく、ただ事実を述べているだけの穏やかさがあった。
「まあ、俺のことはいいんだよ。おまえの好きな奴ってどんな人なの?」
そう言って人好きのする顔で微笑む。
「健ちゃんは――」
蛍は健吾について話し始めた。
小学生の頃の思い出、高校での再会、大学での日々。
話しているうちに、気持ちが徐々に落ち着いてくる。そのうちに到着した電車に二人で乗り込む。
揺れる車内で、桜庭が言った。
「そんな人ならさ、相手の人に健康被害が行くようなこと、しないんじゃないの? だからこそ今まで番でい続けたんだろうし」
「そうかな」
桜庭の言葉は、蛍の不安を和らげた。そうだ、健吾はそんな人だ。相手を傷つけるような選択はしない。
「帰ったら電話でもして話聞いてみろよ」
「うん」
蛍は頷いた。ちゃんと健吾と話そう。信じて、向き合おう。
「隣にいたほうがいいならいてやってもいいぜ」
「うん、大丈夫。落ち着いた」
蛍は桜庭に微笑んだ。本当に落ち着いていた。
「ああ、みたいだな。よかった」
桜庭も安心したように笑う。
「ありがとう。さくっていいやつだよね」
「そうかあ。普通だろ」
桜庭が照れくさそうに首を傾げた。
蛍の家の最寄り駅に着くと、桜庭が改札まで見送ってくれた。
「じゃあな。ちゃんと話せよ」
「うん。今日は本当にありがとう」
「いいって。また明日な」
桜庭が手を振る。蛍も手を振り返して、改札を抜けた。
家に着くと、蛍はすぐにスマートフォンを取り出した。健吾の名前を見つめて、深呼吸する。
大丈夫。信じよう。
電話をかけると、すぐに健吾が出た。
「蛍? どうしたの?」
その優しい声を聞いて、蛍の不安は溶けていった。
「健ちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
健吾は番を解消したと言っていた。そんなこと本当にできるのだろうか?
いや、できることは蛍も知ってる。
だが、それはオメガにとってかなりリスクのある行為だと聞いている。
相手の人は大丈夫なのだろうか。健吾自身も無理をしているのではないか。
蛍はスマートフォンを取り出した。
『今、何してる?』
桜庭にメッセージを送る。
『バイト終わったところで家に向かってる。どうした?』
蛍は慌てて電車を降りた。
このまま一人でいたら、不安に押しつぶされそうだった。
すぐに桜庭に電話をする。
「もしもし、さく?」
『おう、どうした?』
桜庭の落ち着いた声が聞こえる。
「あのさ、番解消って知ってる?」
『ああ、一応。でも、前も言ったけど、俺、その辺のこと詳しくないぜ』
「うん、あのさ、健ちゃ……好きな人が、番解消したって言ってて、それで俺のこと、好きだって言ってくれたんだけれど」
声が震える。嬉しいのか不安なのか、自分でもよく分からない。
『よかったな』
桜庭の声は温かかった。
「うん、よかったんだけど、信じられないし、けっこう混乱してる。健ちゃんといた時は、嬉しくて気が回らなかったんだけれど、番解消したってことは、相手の人はどうなっちゃうの?」
『白石、落ち着けよ。その人とは話せないの?』
「話せるけど、聞くのが怖い」
もし健吾が無理をしていたら。相手の人を傷つけていたら。そんな犠牲の上に成り立つ愛なんて、蛍は望んでいない。
『大丈夫か? 今、一人?』
「一人」
蛍の声は小さくなっていた。
『大学の近く? 相沢さんとか小野とか、呼べるか?』
「分かんない。ねえ、どうしよう」
『今、どこ?』
蛍は行先表示を見て、駅名を告げる。
『わかった、そこにいろよ。動くなよ』
桜庭はそう言って電話を切った。
蛍はベンチに座って待った。
何本か電車を見送ると、息を切らした桜庭がやってきた。
「さく」
「大丈夫か?」
桜庭が蛍の肩に手を置いた。
その温かさに、蛍は少し気持ちが落ち着いた。
「うん、どうしよう」
「俺も来ながらいろいろ調べてみたけれど、治療っていうのがあるみたいだ。お前の好きな人、治療を受けたんじゃないか?」
「治療……」
蛍は桜庭のスマートフォンの画面を覗き込んだ。
そこには番解消の治療について書かれた記事が表示されている。
「まあ、何度も言うけど、俺は詳しくないし、その好きな人に聞くのが確実だと思うけどさ」
「そっか……」
蛍は深く息を吐いた。
そうだ、健吾に直接聞けばいい。
信じられないほど優しい人だから、きっと正直に話してくれる。
「大丈夫か? おまえ、実家暮らしだっけ? 家まで送るよ」
「うん、ごめん」
「大丈夫、暇だし」
桜庭が軽く笑った。その笑顔に、蛍の緊張が少しほぐれる。
桜庭の厚意に甘えることにした。
桜庭からは下心も感じず、長く付き合ってきた友人のような安心感があった。同じオメガ同士だからだろうか。
改めて横目に桜庭を見る。
目を見張るほどの美男子というわけではないが、なぜか人目を引いた。
特に、その美しい榛色の瞳に見つめられると、その気はなくともドキリとする。
「さくは、好きな人、いないの?」
蛍が尋ねると、桜庭は少し考えてから答えた。
「俺は……、そういうの、いらないんだ」
「いらない? なんで?」
ずっと健吾を思ってきた蛍からすると、いささか不思議な感覚だった。恋愛感情がない人生は想像できない。
「想像つかないからかな。アルファとも、女の子とも、想像つかない」
少し声を抑えて、桜庭がつぶやく。
その表情には、寂しさではなく、ただ事実を述べているだけの穏やかさがあった。
「まあ、俺のことはいいんだよ。おまえの好きな奴ってどんな人なの?」
そう言って人好きのする顔で微笑む。
「健ちゃんは――」
蛍は健吾について話し始めた。
小学生の頃の思い出、高校での再会、大学での日々。
話しているうちに、気持ちが徐々に落ち着いてくる。そのうちに到着した電車に二人で乗り込む。
揺れる車内で、桜庭が言った。
「そんな人ならさ、相手の人に健康被害が行くようなこと、しないんじゃないの? だからこそ今まで番でい続けたんだろうし」
「そうかな」
桜庭の言葉は、蛍の不安を和らげた。そうだ、健吾はそんな人だ。相手を傷つけるような選択はしない。
「帰ったら電話でもして話聞いてみろよ」
「うん」
蛍は頷いた。ちゃんと健吾と話そう。信じて、向き合おう。
「隣にいたほうがいいならいてやってもいいぜ」
「うん、大丈夫。落ち着いた」
蛍は桜庭に微笑んだ。本当に落ち着いていた。
「ああ、みたいだな。よかった」
桜庭も安心したように笑う。
「ありがとう。さくっていいやつだよね」
「そうかあ。普通だろ」
桜庭が照れくさそうに首を傾げた。
蛍の家の最寄り駅に着くと、桜庭が改札まで見送ってくれた。
「じゃあな。ちゃんと話せよ」
「うん。今日は本当にありがとう」
「いいって。また明日な」
桜庭が手を振る。蛍も手を振り返して、改札を抜けた。
家に着くと、蛍はすぐにスマートフォンを取り出した。健吾の名前を見つめて、深呼吸する。
大丈夫。信じよう。
電話をかけると、すぐに健吾が出た。
「蛍? どうしたの?」
その優しい声を聞いて、蛍の不安は溶けていった。
「健ちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
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