あやかし団地 管理人見習い日誌

双月ねむる

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第一章 団地に来ちゃった見習い管理人⑥

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 夜の管理人棟は、昼間よりも広く感じた。天井の影が深くなり、部屋の隅々まで薄暗い。畳の居間に、ちゃぶ台が二つ並べて置かれ、その上には煮物や唐揚げ、きんぴら、ポテトサラダなど、完全に「普通の家庭料理」がずらりと並んでいる。湯気が立ち上り、醤油の香りが漂う。

「す、すごい……ごちそう」

 凛は思わずつぶやく。こんなにたくさんの料理を、いつの間に作ったのだろう。

「余りものをうまく組み合わせただけよ。さ、こっち来て」

 お千代に促され、凛がちゃぶ台の端に座ると——。

「おーい、新入り来たぞー!」

 襖がバンッと開いた。凛は思わず身を縮める。

 最初に目に飛び込んできたのは、ふわふわと宙に浮かぶ、透明なガラス玉のようなもの。中に小さな風鈴が入っていて、チリン、と音を立てた。涼しげな、夏の音。

「……え」

 凛は呆然と見上げる。これが、風鈴の精?

「どもどもー、新しい管理人さん? よろしくー」

 次に入ってきたのは、人間の中学生ぐらいの背丈の、狐耳のついた青年——らしきもの。いや、輪郭は人間なのだが、顔が半分、エレベーターの階数表示板でできている。片目が「3」で、もう片方が「4」だ。デジタル表示が、ピカピカと光っている。

「初めまして。階表示盤の狐と申します。当団地エレベーターの安全と快適を担当しております」

 丁寧な口調。けれど、その目は値踏みするように凛を見ている。

「た、担当……」
「口は悪いけど腕はいいのよ、あの子」

 お千代がひそひそ耳打ちする。凛の耳元で囁く声が、妙に生々しい。

 その後ろから、何かがバサバサと紙の音を立てて飛び込んできた。広告チラシを何十枚も重ねたようなシルエット。顔には「期間限定セール」の文字が踊っている。「本日特売」「お買い得」の文字も見える。

「ポスティング妖怪で~す……あっ、新人さん……! ようこそ、情報過多の世界へ……!」

 紙の束が、ひらひらと舞う。まるで生きているかのように。

「あ、あの、凛と申します。せ、瀬川凛です……」

 気づけば、自己紹介していた。就活以来の、自分の名前の発声だ。声が震えている。けれど、ちゃんと言葉になっている。

「へぇ、りんちゃんか。音の響きは九十七点だな。エレベーターのアナウンスにしても映える」

 狐が勝手に評価してくる。その口調は、どこか上から目線だ。

「名前に点数つけないでください!?」

 凛のツッコミは、自分史上最速だったかもしれない。驚くほど自然に、言葉が出た。面接では絶対に出せなかった声量で。

 さらに、ちゃぶ台の反対側には、いつの間にか腰の曲がったおじいさんが座っている。頭にはハンチング帽。膝の上には、色あせた紙芝居の束。ボロボロになった紙芝居。表紙には「桃太郎」の文字が見える。

「あ……」

 なぜか、懐かしい匂いがした。紙と、日なたと、遠い拍手の匂い。子どもの頃、どこかで嗅いだことのある匂い。記憶の底に沈んでいた匂い。

「紙芝居おじさんよ。今は集会所の管理人も兼務してるの」

 お千代がさらりと紹介する。

「おう、新入りか。おじさん、昔はここで毎週紙芝居やってたんだがなぁ。今じゃ誰も集まらん」

 おじさんは、くしゃっと笑って凛を見た。深いしわが、顔いっぱいに刻まれている。優しい目だ。人生の重みを感じさせる目だ。

「そのうち、またやるさ。アンタも、見においで」
「は、はい……」

 よく分からないまま返事をすると、風鈴の精がチリンチリンと笑った。涼しげな音が、部屋に響く。

「ねぇねぇ、お名前、凛ちゃん? りんりん、って呼んでもいい?」
「いや、それじゃまるで昭和のアイドルみたいだから、もう少し普通に……」
「じゃあ、りん」
「一文字減った!」

 ツッコミどころが多すぎて、凛の脳内リソースが限界に近づいていた。けれど、不思議と嫌な感じはしない。

 そんな騒ぎの中、お千代は慣れた手つきで料理をよそい、皆の前に置いていく。エレベーター狐にはきんぴら、ポスティング妖怪には唐揚げ、風鈴の精には——。

「お千代さん、ぼく、これ食べられないよ。落ちるもん」

 風鈴の精が、困ったように揺れる。チリン、と小さな音。

「見て楽しみなさい」
「ひどい!」

 騒がしい。けれど、うるさいだけじゃない。不思議と、嫌な感じがしない音の渦だった。就活の面接会場の、あの息の詰まるような静寂とは真逆の空気。ここには、生活の音がある。笑い声がある。
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