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第二章 空き部屋は放したくない⑦
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引っ越し作業が一段落し、四〇二号室に一応の「落ち着き」が戻ったのは、夕方近くのことだった。
凛と由梨は、ベランダに並んで立っていた。
風鈴の精が、どこからともなく現れ、チリンと鳴く。その音色は、どこか祝福めいていた。
「ここからの景色、変わってないね」
由梨がぽつりと言う。
外の中庭には、鉄棒があった。動物型の遊具もある。新しくなったものもあれば、昔のままのものもある。時間は流れているのに、ここだけ止まっているような錯覚。
「……由梨も、変わってないようで、変わったね」
凛が小声で言うと、由梨は苦笑した。
「何よ、それ。あんただって変わったようで変わってないわよ」
お互い軽口を交わしながらも、まだ胸の中には、言えてない言葉が残っている。
重い言葉。過去の清算。でも、それを口にするには、まだ勇気が足りない。
由梨が、先にそれを口にした。
「……あのさ」
風の音に紛れて、か細い声が落ちる。
「あたし、あんたに、ちゃんと謝ってなかった」
凛は返事も、うなずきもしなかった。ただ耳を傾けた。妙に平静な気分だった。
「あの頃さ、あたし、自分の家のことでいっぱいいっぱいで」
由梨の声に、少しずつ本気の感情が乗り始める。
「誰かをいじめてるって自覚、なかったわけじゃないけど……、止めようとも思わなかった。流されてるのが楽だったの。一番近くの『弱そうな子』を標的にしてれば、とりあえず自分が標的にならずに済むって、わかってたから」
それが、凛だった。
声に出して言わなくても、その事実は二人の間に横たわっていた。
「あんたにいろいろ、ひどいことしたよね。……全部、最低だった」
由梨は、凛のほうを見ないまま言う。視線は、眼下の中庭に向けられたまま。
「ごめん。ほんとに、ごめん」
団地の風が、一瞬止まったような気がした。
凛は、自分の胸の中に詰まっていた砂の塊のようなものが、さらさらと音を立てて崩れていくのを感じた。
ずっと欲しかった言葉。
子どもの頃は、そんなもの、一生自分には回ってこないと思っていた。ドラマの中だけの出来事だと。現実には、誰も謝らない。加害者は忘れ、被害者だけが覚えている。それが世界のルールだと思っていた。
でも今、現実に、目の前で、謝ってもらえた。
夢みたいだ。
「……なんか……いまさら、って思わないわけじゃないけど」
凛は、自分の声が少し震えているのに気づいた。
「うん」
「でも、言ってくれて、ありがとう」
由梨が、やっとこちらを見た。その目が赤くなっていることに、凜は初めて気づいた。
由梨の表情には、子どもの頃の強がりも冷淡さもなかった。ただ、一人の人間としての弱さと、誠実さがあった。
「凛。あんたさー」
「うん」
「昔から、変なところで真面目だよね」
「『変なところで』は余計じゃない?」
二人で、同時に吹き出す。
風鈴の精が、嬉しそうにチリンと鳴いた。ベランダの手すりに腰掛け、足をぶらぶらさせている。
「で?」
しばらく笑い合ったあと、由梨が急に真顔になって凛を見つめた。
「あんた、今、何してんの?」
「え、だから管理人見習いだってば」
「いや、その肩書きがすでに意味分かんないんだけど」
由梨は眉をひそめた。
「あやかし管理人見習いって何? 新手の宗教?」
「そんな宗教ないよ!」
勢いで叫ぶと、階下のどこかから「うるさーい!」という住民の声が飛んできた。
団地は、いつでも容赦がない。プライバシーなど存在しない世界。それが団地というものだ。
「……説明、いる?」
「むしろさせて」
そんな流れで、日が暮れてから、由梨は管理人棟を訪ねてきた。
凛とお千代と、暇そうにしていたポスティング妖怪と階数表示盤の狐に囲まれながら、団地の『裏側』の話をまとめて聞くことになる。
凛と由梨は、ベランダに並んで立っていた。
風鈴の精が、どこからともなく現れ、チリンと鳴く。その音色は、どこか祝福めいていた。
「ここからの景色、変わってないね」
由梨がぽつりと言う。
外の中庭には、鉄棒があった。動物型の遊具もある。新しくなったものもあれば、昔のままのものもある。時間は流れているのに、ここだけ止まっているような錯覚。
「……由梨も、変わってないようで、変わったね」
凛が小声で言うと、由梨は苦笑した。
「何よ、それ。あんただって変わったようで変わってないわよ」
お互い軽口を交わしながらも、まだ胸の中には、言えてない言葉が残っている。
重い言葉。過去の清算。でも、それを口にするには、まだ勇気が足りない。
由梨が、先にそれを口にした。
「……あのさ」
風の音に紛れて、か細い声が落ちる。
「あたし、あんたに、ちゃんと謝ってなかった」
凛は返事も、うなずきもしなかった。ただ耳を傾けた。妙に平静な気分だった。
「あの頃さ、あたし、自分の家のことでいっぱいいっぱいで」
由梨の声に、少しずつ本気の感情が乗り始める。
「誰かをいじめてるって自覚、なかったわけじゃないけど……、止めようとも思わなかった。流されてるのが楽だったの。一番近くの『弱そうな子』を標的にしてれば、とりあえず自分が標的にならずに済むって、わかってたから」
それが、凛だった。
声に出して言わなくても、その事実は二人の間に横たわっていた。
「あんたにいろいろ、ひどいことしたよね。……全部、最低だった」
由梨は、凛のほうを見ないまま言う。視線は、眼下の中庭に向けられたまま。
「ごめん。ほんとに、ごめん」
団地の風が、一瞬止まったような気がした。
凛は、自分の胸の中に詰まっていた砂の塊のようなものが、さらさらと音を立てて崩れていくのを感じた。
ずっと欲しかった言葉。
子どもの頃は、そんなもの、一生自分には回ってこないと思っていた。ドラマの中だけの出来事だと。現実には、誰も謝らない。加害者は忘れ、被害者だけが覚えている。それが世界のルールだと思っていた。
でも今、現実に、目の前で、謝ってもらえた。
夢みたいだ。
「……なんか……いまさら、って思わないわけじゃないけど」
凛は、自分の声が少し震えているのに気づいた。
「うん」
「でも、言ってくれて、ありがとう」
由梨が、やっとこちらを見た。その目が赤くなっていることに、凜は初めて気づいた。
由梨の表情には、子どもの頃の強がりも冷淡さもなかった。ただ、一人の人間としての弱さと、誠実さがあった。
「凛。あんたさー」
「うん」
「昔から、変なところで真面目だよね」
「『変なところで』は余計じゃない?」
二人で、同時に吹き出す。
風鈴の精が、嬉しそうにチリンと鳴いた。ベランダの手すりに腰掛け、足をぶらぶらさせている。
「で?」
しばらく笑い合ったあと、由梨が急に真顔になって凛を見つめた。
「あんた、今、何してんの?」
「え、だから管理人見習いだってば」
「いや、その肩書きがすでに意味分かんないんだけど」
由梨は眉をひそめた。
「あやかし管理人見習いって何? 新手の宗教?」
「そんな宗教ないよ!」
勢いで叫ぶと、階下のどこかから「うるさーい!」という住民の声が飛んできた。
団地は、いつでも容赦がない。プライバシーなど存在しない世界。それが団地というものだ。
「……説明、いる?」
「むしろさせて」
そんな流れで、日が暮れてから、由梨は管理人棟を訪ねてきた。
凛とお千代と、暇そうにしていたポスティング妖怪と階数表示盤の狐に囲まれながら、団地の『裏側』の話をまとめて聞くことになる。
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