朱色の雫

弦景 真朱(つるかげ しんしゅ)

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第一章 ナルス

喧嘩した伯父夫婦

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 あれから、数日。
 頭の整理ができないまま、霧の中を歩いているような状態だ。彼は何者か。彼は歴代の長から何をされていたのか。彼に起きた出来事を事実として理解はしたものの、頭の中は願望が渦巻く。自分の祖先たちが、非人道的なことをしてきたなど嘘だと。
 純粋に今までの概念や、人なら持ち合わせているはずの良心を壊されたようなものだ。

 私が知らなかっただけとはいえ。
ーー『朱己には、長として血塗られた道を。』
 白蓮伯父上の言葉が、頭をよぎる。

 太陽が高く登っている時間帯。今日は曇りのため、太陽自体はどこにあるのかよくわからないが。
 私は部屋を出ると、目的の部屋の扉を叩いて、声をかけた。

「朱己です」
「入りなさい。よく来たね、朱己」

 相変わらずの完璧な笑顔で、迎えてくれた白蓮伯父上。一礼して部屋へ入れば、椅子に腰掛けるよう促された。

「何か、わかったかな」
「はい。香卦良に会いました」
「そうかい」

と言って微笑む伯父上の瞳の奥は、まだ読めない。
 腿の上で手を握りしめて、聞きたいことを、何度も頭の中で確認する。

「……随分と、迷っているね。今日は忙しくないから、ゆっくりでいいよ」

 視線を伯父上に合わせると、伯父上は相変わらずの笑顔でこちらを見ていた。意を決して話し始めようとした瞬間、伯父上に手で止められる。

「すまない。少し待ってくれるかい。……わかってるよ。扉の外で盗み聞きするくらいなら、入ってきたらどうだい」

 一拍おいたあと、扉が静かに開いた。

「葉季……!」

 そこには、気まずそうな顔をしながら、佇む葉季の姿。

「好きな子の大切な話を盗み聞きなんて、嫌われないかい? 葉季」

 くつくつと笑う伯父上を横目に見ながら、私は葉季に尋ねた。

「どうしてここに?」
「あの紙束を、解読したあとから最近にかけて、お主の様子がおかしかった故、何かあったのかと。お主の部屋に行ったら、朱公がここに行ったと教えてくれたのでな」

 なるほど。
 仕事が出来る側近だ。彼女は素直に答えたのだろう。葉季がどんな懸念を抱えて聞きに来たのかは、一旦置いておいたとして。

「つまり、私がまた朱己に何やら面倒なことを言うのではないか、と心配になって追いかけてきたってことだね」

 伯父上の言葉に葉季がバツ悪そうに口を結ぶ。
 伯父上は何やら、楽しんでいるようだった。

「朱己。壮透からは、なんと言われたかな?」
「……誰にも、言うな。と」

 伯父上は笑顔で頷く。
 そして葉季に視線を移すと、人差し指を立てて笑顔で言った。

「そういうことだ。葉季、君は長ではない。知らなくていいことは山ほどある。……だけど、知りたいと言うなら、交換条件を飲んでもらおう」
「「交換条件……」」

 思わず葉季と言葉が重なる。
 伯父上は、急に真剣な顔つきになると、顔の前で手を組んだ。

「葉季。法葉が欲しいものを、聞いてきてくれないかい」
「は?」

 眉間に皺を寄せて、伯父上から視線を外せない葉季を見ながら、私も伯父上の真意を探る。

「この前、少し喧嘩をしたのだけれど、それからというもの、口も聞いてくれなくてね。そろそろ仲直りしたいんだけど、物欲がない人だろう。私には何もねだってこないし。今、聞いてきてくれないかい」
「はあ……」

 目が点になっている葉季を見て、笑顔になる伯父上。
 まさか、部屋から出すために。葉季も伯父上の思惑に気づいていたのか、頭を掻きながら部屋を出ていった。

「さて、と。話の続きをしようか。あ、ちなみに喧嘩したのは本当だよ。由々しき事態なんだ」

 はぁ、とため息をつきながら、視線を落とす伯父上は、いつもの絶対的な余裕は、微塵も感じられず、一人の人だった。

「……伯父上も、不器用なんですね」
「当たり前だよ。惚れた相手の前では、何もうまくいかない……さ、悪いが、早くしないと葉季が戻ってきてしまう」

 いつもの笑顔に戻ると、伯父上は私に話すよう促してくる。

「はい。実はまだ、すべてを香卦良から聞いたわけではなく、覚悟ができたらまたおいでと言われました。……二条家の、女人が子種をもらっているというのは、本当ですか」
「……本当だよ。代々、二条家の女人は、血を絶やさないために香卦良の子種をもらう。二条家の男は、四条家以外から妻をもらうけどね」

 だから、二条家同士で子を為す、香卦良と二条家の女人の子は、長の必須能力である光と闇の属性が強く顕在化しやすい、という研究結果も出ている。と付け足した。
 そうなると生まれてくる、次の疑問。

「姉様と私と妲音は、二条家の女人です。……例外になるわけではありませんよね」

 父上でなく、白蓮伯父上に聞く理由は、これを聞きたかったから。恐らく父は答えてはくれないだろう。なんなら例外にすべく奮闘してくれているのかもしれない。
 私が手を握りしめて顔を伏せた時、伯父上は少しだけ息を吐きだして、目を伏せた。

「そうだね。例外にするつもりはない、……と言いたいところだけど、朱己。君は、葉季と子を為すなら例外にはなるだろう。二条家同士だからね」

 その言葉に顔を上げると、白蓮伯父上は、背もたれに深く腰掛けて、天井を見上げた。

「……妲音は、もう夫婦だからね」

 言いかけたところで、伯父上はこちらを見てきた。正確には、私を通り越した先を見ていた。

「そこまでじゃ、白蓮」
「法葉。やっと口を利いてくれたね。葉季、聞き出せたかな?」

 美しい黒髪をなびかせて、葉季とともに現れた伯母上は、まだ怒っていそうな声色だった。

「葉季が珍しく来たと思えば……欲しいものなどないわ! それにしても、そちはまた朱己を試そうとして、呆れるな」

 伯父上はまだ笑顔のまま、席を立つ。
 椅子を引くと、そこに伯母上が腰掛けた。
 伯母上が伯父上を睨み上げる。

「試す……」

 思わず口から溢れ落ちた言葉を、伯父上が笑顔で拾った。

「妲音は結婚した。だから君が香卦良とそうなるか、もしくは、妲音を寡婦にするか、君たちの姉、華音かのんを差し出すか。……そう言ったら、君は迷わず葉季を捨てる、と言うだろうと思ってね」

 葉季の顔が怒りで染まったのがわかったが、私はそれを否定できなかった。
 妲音を寡婦にはさせない。姉様も差し出さない、となれば。確かに、私しかいない、と思ってしまう。顔を歪めれば、それを見ていた伯母上が伯父上の服を掴む。

「白蓮! そちもわかっておろう! 妲音が寡婦にならんために、壮透が研究を重ねておるのじゃ。光琳を死なせんためにのう。じゃが、それは朱己を差し出すためではない! 娘たちの人権を守るためじゃ」
「そうだね、法葉」

 笑う伯父上は、何故か嬉しそうだった。

「朱己、試してすまないね。君たちが幸せになってくれればいいと、思っているよ」
「勿論です、父上」

 ここに来ていきなり、胡散臭さ満載のことを言われ、少しだけたじろいだ。葉季が私の椅子の背もたれに手を置いてきた。

「もとより姪の朱己とて、妾達の娘と同じこと! 少しは優しくするのじゃ」

 伯母上は椅子から立ち上がり、こちらに向かって歩いてきた。

「すまぬな、朱己。白蓮にはきつく言っておく故、葉季と仲良くやっておくれ」

 私のところで片膝を付き、手を取る伯母上に、私は急いで立たせようとする。

「法葉様! いけません、私に片膝を折るなど」
「良いのじゃ。朱己、そちは大切な姪。そしてゆくゆくは娘じゃ。妾達が必ず守る。二条家の闇から。じゃから、力を貸しておくれ」

 まだ、何かあるのだろうか。
 二条家の闇。
 私は、伯母上の手を握り返し、返事をすることしかできなかった。伯父上が、意味もなく私を試すことをしないことは、よくわかっている。
 何か、理由があるはず。なのに、まだわからない。
 伯父上を見れば、相変わらず美しい笑顔でこちらを見ていた。

『朱己。君が話したかったことは、また後日真面目に話そう』

 脳内に突然響く言葉に、思わず目を見開く。
 あえて声に出さずに、念を飛ばしてきた。二人に聞かせないために。
 長以外、知らなくていいこと、と念を押された気がして、ただ小さく頷いて返すしかなかった。
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