【完結】「ラヴェラルタ辺境伯令嬢は病弱」ってことにしておいてください

平田加津実

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第10章 舞踏会の長い夜

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 大理石の床は中央に敷かれた絨毯と同じ色に染まった。
 生臭い真紅の海に鮫の魔獣の骸が四つ横たわる。

「これほどの魔獣を倒すとは、大したものだ」

 腕を組んで様子を見ていたジェラルドが驚いた様子で言う。
 しかし、放った魔獣が全滅したというのに、どこか余裕が感じられる。

「皆、気をつけろ。まだ何か仕込んでいるかもしれない」

 修道士の様子を訝しんだオリヴィエが、謁見の間の中央に集まってきた仲間たちに警戒を促した。
 これまで謁見の間の入り口付近から離れられなかったセレスタンも、聖結界を解除し、隅で怯えて固まっていた細い魚の魔獣を一気に殲滅してから、駆け寄ってきた。

 ヴィルジールは、おぞましい石の椅子に座り、謎の王冠を二つ頭上にいただいた王太子を睨みつけた。

「アダラール! なぜこのようなこと……」
「ヴィルジール! お前はまさか……ベレニス、なの……か?」

 問い詰める弟の声をかき消すように、兄が掠れた声を必死に張り上げた。

「えっ? なぜ、そんな」
「お前の動きは、彼女に……ベレニスにそっくりだ。そんな動きができるのは、彼女の生まれ変わりに他ならない。お前はベレニスなのだろう!」
「ち……」

 ヴィルジールはとっさに否定しようとした言葉を飲み込んだ。

 以前、ロランにも同じことを言われた。
 その彼は、ベレニスの仲間であったエドモンの生まれ変わりだった。
 彼は、ベレニスの動きを再現したヴィルジールの剣技をエドモンの記憶と重ね、彼女の生まれ変わりではないかと疑ったのだ。

 つまり、アダラールもベレニスをよく知る何者かの生まれ変わり?
 だとすると、誰だ。

 候補に上がるのは魔導士チェスラフと魔術師アンナ。
 しかしアンナは『死の森』の奥地に到達することなく命を落とした。
 となると、『死の森』の秘密を知っているのはただ一人。

「ヴィル! チェスラフだ。あいつはチェスラフの生まれ変わりなんだ」

 マルティーヌが、正面にいる男には届かない声で断言する。

「やはり、そうか」

 ヴィルジールはマルティーヌをちらりと見ると小さく頷いた。

 かつての仲間が……しかも、この時代においても聖者として慕われているチェスラフの生まれ変わりが魔王とは、なんという皮肉。
 しかし彼が、チェスラフ聖教を国教として広めようとしていたことを考えると、彼の行動と前世との関係には矛盾はなかった。

 ヴィルジールは考える。

 マルティーヌとアロイス、ロランがかつての仲間の生まれ変わりであることは、まだ伏せておいた方が良い。
 このまま、自分がベレニスの生まれ変わりだと信じさせたほうが有利だ。

 同じように考えたマルティーヌも、自分がそうだとは名乗り出なかった。

「俺がベレニスの生まれ変わりに見えるのなら、兄上もそうなのだな。兄上は……チェスラフなのだろう!」

 ヴィルジールが指を指して断言すると、濁っていたアダラールの瞳に、なぜか希望と喜びの色が浮かんだ。

「あぁ……。お前、本当にベレニスだったのだな」
「そうだ」
「お前に頼みがある。私を……私を殺してくれ! お前に殺されるのなら本望だ」

「——なっ!」

 王太子に対峙する者たちにどよめきが起きた。
 『死の森』からおぞましい力を秘めた椅子を持ち出し、魔法陣を解読し、王城に魔獣を召喚してまで力を求めた魔王である彼が、なぜ今、殺されることを望むのか分からない。

「頼む、ベレニス! 私を殺してくれ!」

 アダラールはなおも懇願すると、彼の背後の真紅の垂れ幕が大きく揺れ動いた。

「ベレニスだと! まさか、ベレニスの生まれ変わりもいるのか!」

 その声と共に幕の陰から別の男が姿を現した。

 光沢のある濃いグレーの生地に黒と銀の幾何学模様の刺繍が入った、地味ながらも豪華な衣装に身を包んだ若い男。
 髪色は濃い茶で、面長。
 アダラールやヴィルジールとどことなく似ているが、陰湿な雰囲気をまとっている。

 その彼が、激昂した様子でアダラールの前に出る。

「貴様がそうか! ヴィルジール! 貴様がベレニスの生まれ変わりなのか!」
「フィリベール兄上?」

 もう一人の兄の登場に、ヴィルジールが困惑した。

 第三王子のフィリベールは頭脳明晰で魔力も高かったが、学者気質で、自室に引きこもって魔道具作成に没頭する変わり者だった。
 四人いる王子の中で、彼一人だけが身分の低い第二王妃の子ということもあって、権力争いからも遠く、誰からも期待されることはなかった。

「なるほど。そういうことか」

 ヴィルジールがつぶやく。

 第三王子の左腕に通されていたのは、王冠を模したような三本の細い銀の輪。
 第一王子の頭に二つ乗せられているものと同じだ。

 きっとあの輪は、彼が開発した魔道具。
 マルティーヌのネックレスに仕込まれているような、魔力を増幅する類のものだろう。

 アダラールは魔法陣の作成や魔道具の開発をフィリベールに、足りない魔力をジェラルドに頼り、魔王の椅子の力を手に入れようと画策した。
 この二人が魔王の協力者だったのだ。

 そして、彼らに裏切られた。

「ベレニスっ! 貴様の……貴様のせいで、我は全てを失ったのだ!」

 フィリベールがヴィルジールに興奮で血走った目を向けた。

「どういう意味だ。……まさか」

 強烈な憎悪は弟ヴィルジールを通して、ベレニスに向けられている。
 現在に伝わる勇者としての彼女ではなく、四百前を生きた彼女に——。

 おそらく、フィリベールも何者かの生まれ変わりだ。

 ヴィルジールはちらりとマルティーヌの様子を見た。

 本物のベレニスの生まれ変わりである彼女は、青い顔でフィリベールを見つめている。
 彼の正体と、前世の自分に向けられる憎悪の理由に、心当たりがない様子だ。

「あと少しで、我はこの大陸のすべてを掌中に収められるはずだったのだ。今、この国に建てられている像はベレニスでもチェスラフではなく我だったのだ。だが、貴様が勝手に死んだせいで、我は自分の国も命も失った。今となっては、歴史の片隅に愚王として記されている哀れな王だ。それもすべてベレニス、貴様のせいだ!」

 フィルベールの口調は普段のおどおどしたものとは全く異なり、尊大で饒舌。
 話す内容も、第三王子として生きる彼のものとは違う。
 まるで別人だ。

 生まれ変わりたちは前世の記憶に言動が支配されることがあるが、彼もそんな状態だった。

 アダラールが目の前に立つ男の背中をはっと見上げ、青ざめた唇を震わせた。

「まさか……ヴァロフ王か」

 長生きをしたチェスラフは、仲間の中で唯一、ヴァロフ王の悲惨な末路を見ていた。
 無謀とも言える戦を周辺国に仕掛けたものの、ベレニスという強大な戦力を失い、彼の国は滅ぼされた。
 そして捕えられた王は、民衆の怒号が渦巻く中で首を落とされたのだ。

「はははは、ようやく気づいたか! ずいぶんと間抜けな話だな。我は貴様がチェスラフだということに、すぐ気づいたというに。どうだ? 自分が利用していると思っていた格下の王子に、逆に利用されていたと知った気分は」

 第三王子は王太子の顎を掴んで顔を上げさせた。
 王太子は相手の目を見ることができず、視線を逸らす。

「ヴァロ……フ?」

 思いがけない名に、マルティーヌの声が掠れた。
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