【完結】「ラヴェラルタ辺境伯令嬢は病弱」ってことにしておいてください

平田加津実

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第10章 舞踏会の長い夜

(4)

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 通路を疾走する二人が巨大な魔力の出現を感じ取った直後、世界が足元から崩壊したかと思うほどの衝撃が立て続けに起きた。
 やや遅れて巨大な聖結界が発動したのを感じ取る。

「あっ! これはセレスの……」

 マルティーヌが即座に気づく。

 聖結界は一般的な半円球状ではなく、多少の凹凸がある巨大な箱型。
 謁見の間の壁と天井に沿って展開されていると思われる。
 室内に渦巻く魔力や魔獣の気配は感じ取れるから、魔力を遮断する機能はなく、物理的な防御に特化しているようだ。
 あの万能なセレスタンが、極振りした術を使わなければならないほど、事態は切迫している。
 
「これは、かなりやばい状況だよな」

 並走するロランが低い声で言う。

「急ごう!」

 ジョエルに教えられた突き当たりを曲がると、正面に一枚の扉が見えた。
 その扉のある壁に沿って、セレスタンの魔力が左右に大きく広がっていた。

「この向こうが、謁見の間だな」

 二人は扉の前に立つと、目を閉じて神経を研ぎ澄ませ、中の様子を魔力で探る。

 飛び回る蜂を思わせる細かな魔力は、今はかき消されている。
 その代わり、猛烈な速度で動き回る大きな魔力が四つあった。
 明らかに巨大魔獣だろうが、彼らは床に足をついていない。
 魔力が床すれすれを滑ったり、突然高く浮かび上がったり、そこから滑空してきたりする。
 急な方向転換も自在で、最初に感じた細かな魔力と共通点のある動きをしていた。

「こいつも、空を飛んでるような動きだよね」

 マルティーヌは困惑する。
 ベレニスの記憶をかき集めてみても、一致する魔獣はない。

「だよなぁ。鳥型だろうか?」
「いや。羽がついていたら、四体がこんなに接近して飛べないだろう? こんな速さで室内を飛び回るのも無理だ」
「魔獣なんだから、人間の思いもしない動きをするかもしれないぜ」
「それはそうだけど」

 中には仲間のものと思われる魔力が十人近く感じられるから、別部隊が合流したようだ。
 ジョエルのように姿は見えないが、彼らが謎の魔獣に翻弄されていることは魔力の動きから読み取れる。
 魔獣の魔力が弱まる様子もないから、攻めあぐねているのだろう。

 どんな敵か分からないのはきついな……。
 でも、早く行かないと。

 マルティーヌは気持ちを落ち着けるように深く息を吐いてから、きっと顔を上げた。

「入るぞ」
「ああ」

 扉には鍵はかかっていなかった。
 少し開けて中の様子を見ると、全く予想外の光景が広がっていた。

「な……。あれは、魚の魔獣?」

 鋭い歯がずらりと並ぶ巨大な赤い口。
 鈍く黒光る、しなやかで強靭な体躯。
 鋭く尖った尾びれと、背中に突き出した背びれ、左右の大きな胸びれ。
 見たことのない獰猛な姿ではあったが、魚には違いなかった。
 水の中を泳ぐように全身と尾をくねらせ、ひれを大きく動かして、空中を自在に泳ぎ回っている。

 仲間たちは総勢八名。
 これだけの手だれが揃っているのに、仕留められた魚は一尾も見当たらなかった。
 深傷を負っている個体もなさそうだから、かなりの難敵だ。

「マティが来たぞっ!」

 聖結界内への侵入を感知して、セレスタンが叫んだ。
 命懸けの苦戦を強いられた男たちの視線がこちらを向くことはなかったが、最強の剣士の合流を知らせる声で場の空気が変わった。

 もうしばらくなら、持ち堪えられそうだな。

 マルティーヌはすぐには戦闘に参加せず、敵の様子を観察する。

「魚なら、腹側に急所があるはずだよね」
「魚と同じなら……ね」

 見た目が似ていても、動物と魔獣とで体のつくりが違うことはよくある。
 それでも、外敵から襲われにくい、大きな胸びれに守られた胸部に心臓がある可能性が高い。

「とりあえず、あの巨体をひっくり返してみよう。ロラン、ついてこい!」
「了解!」

 マルティーヌは鮮やかなドレスの裾を翻して助走を取ると、大きく踏み切った。
 猛烈な速度で床面すれすれを旋回してきた巨大魚の胸びれに飛び乗り、さらに次の一歩で高く跳躍する。
 まるで、巨大魚と優雅に戯れる人魚のようだ。

「やあっ!」

 彼女は、空中ですらり剣を抜くと剣先を下に垂直に構え、落下の勢いを乗せて黒い背中に突き立てた。
 マルティーヌに一歩遅れて続いたロランは、彼女を鏡で写したかのような動きで、すぐ隣に剣を突き立てる。

 巨大魚の皮膚は分厚く、長剣を鍔まで押し込んでも大きなダメージは与えられない。
 背中に突き刺さる異物を排除しようと、魔獣が激しく体をくねらせる。

「やっぱ無理だよね。でも、これならどうかな?」

 マルティーヌは左手だけで剣を握って体を支えると、右の掌をざらざらした魚の皮膚に押し当てた。

「はっ!」

 大量の魔力を流し込み、魔獣の体内の魔力の均衡を破壊すると、巨大な魚はびくりと体を震わせた後、動きを止めた。
 巨体が水中を漂うようにふわりと浮く。

「よしっ! 今だ、回すぞ!」

 マルティーヌとロランは、長剣を両手でしっかり握り、同じ方向に体を投げ出した。
 その勢いで、魚の胴体はゆっくりと回転する。
 灰色の腹部が横を向き、急所があると見られる胸びれの間が顕になる。

「ヴィル! 胸びれの間を狙えっ!」

 いちばん近い位置にいたヴィルジールに指示を出す。

「よし、任せろ! はあぁぁぁっ!」

 彼が渾身の力で指示された箇所を斬りつけると、皮膚の薄い腹部はすぱりと切り裂かれ、鮮血が吹き出した。
 裂け目の奥に、力強く鼓動を刻む淡いピンク色の臓器が見える。

「これか!」

 ヴィルジールは剣を構え直すと、全身で突っ込むようにしてその臓器に切先を押し込んだ。

 ヴィルジールが動くと同時に、アロイスは体を低くして魚の魔獣の下に滑り込んだ。
 右手に逆手に握っていたのは短刀。
 彼は床に伏せると手を伸ばし、魔法陣の外周が描かれた大理石の床に、切先を何度か打ち付けた。
 細かな石の破片が周囲に飛び散り、描かれていた線が途切れる。
 魔法陣から発せられていた光がすっと消えた。

 息絶えた巨大魚は、重力に負けてどさりと床の上に落ちた。
 胴体よりわずかに遅れて、鎌のような形状の尾びれが床を激しく叩く。
 黒い体は、もうそれ以上動かなくなった。

 アロイスはすんでのところで魔獣の腹の下から転がり出ると、短刀を握った右手を突き上げ、雄叫びを上げた。

「おおっ! やったぞ! 巨大鮫を倒した」
「魔法陣も消滅した! これならいけるぞ!」

 男たちの気勢が上がる。

 マルティーヌとロラン、ヴィルジールは見事な連携でさらに二頭の息の根を止めた。
 残りの一頭はアロイスが中心となり、仲間たちが一丸となって仕留めた。
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