クライン工房へようこそ!【第15部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第6部

第三章 それぞれの日々③

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(……ん? 何だ?)


 ――同時刻。市街区にある店舗にて。
 目の前の書棚から本を取ろうとしていたアッシュは、わずかに身震いをした。
 背中辺りに、ふと軽い寒気を感じたのだ。
 一瞬、店の入り口から風が吹き込んできたのかと思ったが、書棚が並ぶ店の入り口は閉じられており、誰かが入店してきた気配もない。


「……? 今のって何だったんだ?」


 アッシュは自分の首筋に片手を当てた。
 どうやら寒風の仕業ではなかったようだ。
 もしかすると、誰かが自分の噂でもしていたのだろうか。


「おやおや、師匠の旦那。女の子に噂でもされたんですかい?」


 と、その時、店の奥の方からやって来た人物に声をかけられた。
 この店舗――《穴熊屋》の主人だ。
 ここは多彩な書物を取り扱う店であり、アッシュは今、鎧機兵のメンテナンスの出張の帰りに、馴染みであるこの書店に立ち寄っていたのだ。


「まったく羨ましい限りで。きっと師匠の旦那なら両手に花どころか、溢れんばかりの花束をってところじゃねえですかい?」


 と、《穴熊屋》の主人が苦笑を浮かべて冗談を飛ばす。と、


「おいおい、何言ってんだよ、おやっさん。俺がモテる訳ねえだろ。その証拠にこの国に来てからは一回も求婚されてねえし。たった一回もだぞ!」


 ははっと笑って、アッシュはそう返した。
 彼の手は書棚に置いてある本へと伸びている。


「へ? いや旦那? 求婚ってのは生涯でもそんな何回もされねえでしょう?」


 という書店の主人の呟きは、アッシュには聞こえなかったようだ。
 すでに目的の本を手に取って、そのタイトルをまじまじと凝視していた。


「……へえ。初めて見るタイトルだな」


 そこで、すうっと目を細めて。


「《魔窟兵団と金牛の魔王》か。これって娯楽小説なのか?」


 そう呟くアッシュの瞳は、とても興味深そうだった。
 やや乱暴な口調ゆえに、粗野な性格だと思われがちなアッシュだが、実はこの書店の常連になるほどの読書家だった。
 鎧機兵に関する参考本から、こういった娯楽小説までその趣味は幅広い。


「へい。何でもセラ大陸では人気作ってことで。先々月入荷したんでさ」

「へえ~。どれどれ」


 アッシュは本を開き、背表紙に目をやった。
 そこには著者の名前が記されている。


「リゼリア=ライトハート? あんま聞かねえ名前だな」

「エリーズ国の新鋭作家と聞いてやす。噂じゃあ十代の作家とか……」


 と、教えてくれる主人に、アッシュは目を丸くした。


「へえ。十代なのか。そいつは珍しいな」


 よほどの天才なのか。かなり興味が湧いた。
 アッシュはパタンと本を閉じ、主人に告げる。


「おし。こいつを貰うよ。ユーリィも喜びそうな内容っぽいし」

「まいど~。いつもごひいきに」


 そう応えて、《穴熊屋》の主人は笑った。


「代金はいくらだ?」

「へい。それは……」


 そして主人は金額を告げた。
 それを聞き、アッシュは軽く目を剥いた。


「――安っす! 何だそれ! もしかして売れてねえのか?」


 と、思わず訊いてしまう。
 すると、主人は少し困ったような顔をして。


「いや、実はその本、原本ではなく監獄製品なんでさ」

「監獄製品だって?」


 アッシュは眉をひそめた。


「それって要するに監獄で写本された本ってことか?」

「へい。その通りでさあ」


 監獄。それは説明するまでもなく囚人を収監した施設だ。
 しかし、そこでは別に囚人を養っている訳ではない。監獄では囚人達が国の定めた労働に務めており、本の製本もまたその労働の一つだった。
 今の時代、文字を打つタイプライターは存在しているが、複写技術はまだ確立されていないため、写本する時はコツコツと打ちこまないといけないのだ。
 その単調作業を囚人達が担っているのである。


「ああ、だから安いってことか」


 アッシュは納得する。


「へい。お気に召しやせんか? この島国だと国外の本は結構貴重品でして。基本的に販売には複写本を使うようにしてんですよ。まあ、一応原本もありますんで、そちらの方がいいんでしたらお渡ししやすが」


 と、告げる主人に、アッシュはかぶりを振った。


「いや、これで構わねえよ。質が悪いって訳じゃねえし」


 そう言って、アッシュは提示された額の銅貨を主人に渡した。
 それから特に包装も頼まず、本を片手に店を後にする。
 アッシュは店の裏に待たせていた愛馬に跨り、市街区の大通りを進んだ。


「……中々騒がしくなってきたな」


 周囲を見渡しながら、アッシュは呟く。
 大通り沿いの店舗には、所々に装飾が目立つようになってきていた。行きかう人々や馬車の姿も普段よりかなり多いような気がする。
 建国祭まで残り一週間ほどだ。
 この時期が最も準備が忙しくなるのかもしれない。
 まあ、街外れにあるクライン工房には、あまり関係のない話だが。


「それにしても監獄製品かあ……」


 アッシュは、おもむろに右手に持つ本を頭上に掲げた。
 監獄と聞くと一人だけ思い出す人物がいる。
 とは言え、知り合いなどではない。
 少なくともはアッシュの事を知らないはずだ。
 だが、アッシュにとっては決して忘れられない相手であった。


「……ったくよ」


 アッシュは、しばし掲げた本を見つめた後――皮肉気に笑った。


「もしかしたら、この本はあのクソ野郎のお手製なのかもな」



       ◆



 月が輝く夜。その少年は、疲れ果てていた。
 そこは、分厚い鉄製の扉で隔離された狭い独房。
 少年はふらふらと歩くと、唯一置かれたベッドの上に力なく倒れ込んだ。
 かつて彼が使用していたものとは、比較するのも馬鹿馬鹿しいほど粗末なベッドではあるが、それでも少年の身体を受け止めてくれる。


(……ちくしょう)


 今日も朝からタイプライターだ。
 誰が書いたかも分からないくだらない小説。それをひたすら複写する。
 そんな最悪な仕事だ。まるで奴隷――いや、奴隷そのものだ。


(なんで……なんで僕がこんな目に……)


 少年はベッドに横たわったまま、グッと拳を握りしめる。
 自慢だった赤毛は強制的に短く刈られ、身に纏う囚人服は布切れを言ってもいいほどの粗末な作りだ。こんなもの人権侵害以外なにものでもない。
 こんな日々が後二十年も続くのだ。
 何の楽しみもなく、ただ奴隷のように働かされる日々が。


(ふざけるなッ! 僕を誰だと思っているんだ!)


 心の底から怒りが湧き出る。
 本来の自分はこんな場所にいるような人間ではない。
 もっと優雅に。
 もっと高貴に。
 まさに《夜の女神》に愛されるがごとく世界に祝福された人間なのだ。
 だと言うのに――。


(なんで僕がこんな目にッ!)


 少年は、ギシリと歯噛みする。
 自分がこんな目に遭うのも、すべてあの女のせいだ。
 一度は目をかけてやったというのに彼の期待を裏切り、その上、約束を果たしてやった恩も忘れて歯向かってきた挙句、卑劣な戦術で彼を貶しめた忌わしい女。
 絶対に許せる相手ではない。


「――くそッ! くそッくそッ!」


 あの時を思い出しただけで、苛立ちが胸を焼く。


「くそがッ!」


 少年は怒りのまま、何度も何度も頭をベッドに叩きつけた。
 それでも怒りは一向に収まらない。


「……絶対に! 絶対に許さないぞ! お前だけは殺してやる!」


 そして少年の口から生み出される怨唆の声。
 その憎悪に満ちた言葉は、鉄の部屋の中でしばし続き――。


「僕は必ず復讐する。忘れるな、サーシャ=フラム」


 最後に憎き少女の名を呟き、少年は眠りに落ちるのだった……。
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