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第6部

幕間一 彼女の願い

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「……随分とタチの悪い性格をしているようだな、こいつは」


 部下が提出した件の男に関する資料を一読し、ハンはやれやれと呟く。
 そこは彼らの隠れ家。地下室の中だ。
 ハンも含めて九人の男達が各自資料に目を通している。


「はい。まだ若いということを差し引いても、かなり短絡的な男のようです」


 と、資料を製作した部下が、自分の意見を告げる。


「しかし、だからこそ扱いやすい男なのかもしれません」

「……ふむ」


 ハンは資料に視線を落としたまま首肯する。


「確かにそうかもな。この手の人間は、餌を取り上げると何をするか分からんが、逆に言えば餌さえ与えておけば、その行動は読みやすいものだしな」


 まるで動物に対する扱いだな、と皮肉気に呟く。
 しかし、それも仕方がないことだろう。
 資料を読む限り、件の男の精神性はかなり幼い。全く他者を省みず、自分の願望のみを優先させるような男だ。下手すると獣より協調性がないのかもしれない。
 まあ、それはそれで都合良くもあるのだが。


「ところで」


 ハンは別の部下の方へと視線を向けた。


「『血』のストックはどうなっている? 採取は順調なのか?」

「はい。それですが……」


 問われた部下は、懐から二つの小瓶を取り出した。
 中には赤い液体――『血』が入っている。


「現時点で採取したのは『騎士』。そして念のために『父親』のモノも入手しています」

「……そうか。それなら、どうにかなりそうだな」


 ハンは資料を片手にあごに手をやった。
 この条件ならば作戦次第で目的を果たせそうだ。


(……ならばいよいよ動く時か)


 出来れば、建国祭とやらに入る前に任務を完遂したい。
 建国祭時は警備も通常以上に厳しくなるのは容易に想像できる。
 任務が果たせたとしても、この国からの脱出が困難になるのは明らかだ。
 動くのならば早い方がいい。


(……よし)


 ハンは静かに瞑目し、決断した。


「みな聞け。これからバルゴアス監獄に向かうぞ」


 そう告げられた八人の部下達は、神妙な面持ちで頷いた。
 それを確認してからハンも頷き返した。
 そして彼らの首領は、淡々とした口調で宣言する。


「我らの目的はただ一つ。件の男――アンディ=ジラールの確保だ」



       ◆



 ゴオオオッ、と燃え上がる炎を掲げた祭壇にて。
 偽りの夜空と、果てなき水面を背にして彼女は一人佇んでいた。


「そろそろかしら」


 ポツリと呟く。


「ギシンさん達が動き始めるのは」


 黒髪の少女は、仮面の下ですっと目を細めた。
 時期的に、すでにハン達はアティス王国に潜伏しているはず。
 ならば、そろそろ行動を起こす頃合いだろう。


「それにしてもアンディ=ジラールか」


 少女は小さな声で独白する。
 アドバイスとして、ハンに伝えた男の名前。
 陽動には使えそうと思ったのは間違いなく事実だ。
 しかし、彼女の真意は別にあった。
 別に陽動ならば現地のならず者でも雇えばいい。他にも方法はいくらでもある。
 にも拘らず、わざわざあの男の名前を教えたのは、アンディ=ジラールがサーシャ=フラムと因縁ある間柄だったからだ。
 あの男を解放するのは、言わば嫌がらせだ。
 全く面識のないサーシャへの、だった。


「……私ってこんなに嫉妬深ったかしら?」


 ついそんなことを呟くが、結局、嫌がらせをしているので言い訳もできない。
 それに、嫉妬はサーシャに対してだけではなかった。
 他にも気に喰わない相手はいる。特に現在『彼』の傍にいるサーシャを含めた四人の女性陣は本当に気に喰わない。素直に言えば、全員が目ざわりだった。
 アンディ=ジラールという男の件は、たまたまサーシャに嫌がらせできる状況と合致しただけなのだ。


「まったく。完全に公私混同ね」


 少女は皮肉気に口元を緩め、ふっと笑った。
 別に彼女は聖女などではない。昔から嫉妬の感情は確かにあった。
 しかし、嫌がらせを思いつき、ましてや実行するなど初めての経験だ。
 自分の性格は、そこまで激しくはなかったはずなのだが……。
 少女は、ふうっと嘆息する。


「……やはり私は『変質』しているのね」


 彼女は自分の豊かな胸元に、そっと片手を添えた。
 これもまた、宿命なのかもしれない。


「けど、それでも私は奇跡チャンスを得た」


 一度はすべてを失った。
 故郷も。養父ちちも。愛する人も。
 そのすべてをだ。
 だが、何の因果かこうして奇跡チャンスを得たのだ。
 ならば、この奇跡チャンスを活かさなくてどうするのか。


「……トウヤ」


 黒髪の少女は『彼』の名前を呟く。


「……逢いたいよ。トウヤ」


 思わず本音が零れた。
 しかし、まだその時期ではないことを、彼女は理解していた。
 彼女を縛る状況が、それを許してくれなかった。
 現時点で出来る事と言えば、それこそ嫌がらせぐらいだ。
 公私混同だろうが構わない。機会があれば徹底して邪魔をする。
 ――誰にも『彼』を渡したりはしない。


「ごめんね、サーシャちゃん」


 炎を見上げつつ、少女はわずかに微笑む。
 それから、彼女はポツリと呟いた。


「でも、私のトウヤに近付くのだから、これぐらいは覚悟してね」


 ゴオオオオッ、と炎が激しく燃え盛る。
 炎にかき消された彼女の声には、どこか妖艶な響きがあった――。
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