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第6部

第三章 それぞれの日々②

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「あ、あの、タチバナ教官」

「……ん?」


 アティス王国・王城区。
 昼休みが半ばを終えた頃、騎士学校一階の渡り廊下にて。
 オトハ=タチバナは一人の生徒に呼び止められた。
 振り向くと、そこには髪の長い女生徒が、緊張した面持ちで立っていた。
 見覚えのある少女だ。名前は、リアナ=エーデル。
 サーシャ達のクラスメートであり、オトハの教え子の一人だった。


「何だ、エーデルか。どうかしたのか?」


 小首を傾げて、オトハがそう尋ねると、リアナはビクンと肩を震わせた。
 それから、もじもじと指先を動かしながら、


「あ、あの、タ、タチバナ教官……」


 上目遣いで少女は口を開く。


「も、もうじき建国祭ですね! そ、その、オトハさま――い、いえ、タチバナ教官はその日、何かご予定はあるんですか!」

「ん? 建国祭の予定か?」


 一瞬、おかしな呼ばれ方をしたような気がしたが、オトハは特に構わず、すでに決まっている自分の予定を告げる。


「実は友人に誘われていてな。二人で回る予定なのだ」

「………えっ」


 そう告げられたリアナは目を見開き、愕然とした表情を浮かべた。
 内容自体にも動揺したが、それ以上に、そう告げた時のオトハの表情があまりにも嬉しそう――乙女チックとも言う――だったからだ。


「そ、そんなあ……」


 と、泣き出しそうな顔で呟き、後ずさるリアナ。
 オトハは不思議そうに小首を傾げた。


「ん? どうした? 私に用があるのではないのか?」

「い、いえ、その……もういいです」


 と言って、リアナはトボトボと去って行った。
 よく分からないまま会話が終わり、オトハの方は眉を寄せるばかりだった。


「……? 何だったのだ?」


 まあ、きっと大した用件ではなかったのだろう。
 そう結論付けてオトハは再び歩き出す。と、


「うわあ、オトハさんってムゴイ……。リアナも気の毒ね」

「うん。確かに……」


 不意にそんな酷評をされた。
 オトハは眉をしかめて、ピタリと足を止める。


「何だ。今度はお前達か」


 これから進もうとした前方。そこにも見知った少女達がいた。
 アリシア=エイシスと、サーシャ=フラムの二人だ。
 二人の少女は、何やら苦笑に見えるような表情を浮かべていた。


「私に何か用……と言うより、『ムゴイ』とはどういう意味だ?」


 オトハは大きな胸を支えるように両腕を組み、サーシャ達に尋ねる。
 彼女の表情は少しばかり不機嫌だった。
 オトハの感覚としては、ただ生徒に問われたことを正直に答えただけなのだ。『ムゴイ』などと酷評される謂れはない。
 すると、サーシャとアリシアは、やれやれといった様子で嘆息した。


「(……先生も鈍感だけど、オトハさんも相当だね)」

「(そうね。傭兵経験者って、皆こんな感じになるのかしら?)」


 と、ぼそぼそと小声で会話する少女達に、


「こら。私の質問に答えろ」


 オトハが少し憤慨した様子でそう催促する。


「一体、何が『ムゴイ』のだ?」

「いや、だってリアナ、オトハさんを建国祭に誘いにきたんですよ。なのにあの返事じゃ交渉の余地すらないじゃないですか」


 と、答えるアリシアに、オトハは首を傾げた。


「ん? ああ、そうだったのか」


 ようやく得心がいった。


「しかし、私は元来人混みが苦手でな。特に間合いを取れなくなるような場所にはあまり行きたくないのだ。誘われても断るだけだぞ」


 と、言葉を続けるオトハに、サーシャが眉根を寄せる。


「けど、オトハさん。さっきのじゃあ、まるでオトハさんが恋人と出かけるみたいにもとれますし。だからリアナもショックを受けたんですよ」


 と、銀髪の少女が級友を慮って進言する。
 続けて、隣に立つ彼女の幼馴染も呆れた口調で語り出した。


「例のクジ引きの件、まだオトハさんがアッシュさんと一緒に回れるとは決まっている訳じゃないんですよ。気が早すぎます。断る理由なら――」

「い、いや、私はうそなんて言ってないぞ」


 しかし、アリシアの言葉はオトハのうっかり漏らした声に遮られた。
 アリシアが「え?」と呟き、サーシャの方はキョトンとした。
 そんな少女達の反応に、オトハはハッとする。
 ようやく自分の失言に気付くがもう遅い。


「え? オトハさん? それ、どういう意味ですか?」

「う、うん。うそじゃないって……?」


 と、アリシアとサーシャが訝しげな表情で尋ねてくる。
 すると、オトハは観念したのか、わずかに頬を染めて――。


「そ、その、本当に、誘われているのだ」


 ポツポツと白状し始めた。


「ク、クラインに……二人で回らないかって」

「「…………は?」」


 サーシャ達の表情は唖然としたものから、愕然としたものに変化した。


「ど、どういうことですか! オトハさん!」


 と、アリシアが蒼い瞳に困惑と敵意を乗せてオトハに詰め寄った。
 その際、オトハの豊かな胸と、アリシアの慎ましい双丘がドンとぶつかったのだが、そんな質量差など気迫で上回ったのか、後ずさったのはオトハの方だった。


「……ん? 今の何の声だよ?」「あれ? 校内三大美女が揃ってんじゃん」「えっ? もしかして痴話げんかとか?」


 と、近くの講堂や廊下にいた生徒や、教官が何事かと集まり始めていた。


「い、いや、あのな……」


 そんな中、オトハは少し視線を逸らして、どもりながら状況を語り出した。


「そ、その、ク、クラインの奴が日頃の礼とか、言い出してな。プ、プレゼントを贈りたいから、一緒に回らないかって……」


 台詞の最後の方では、オトハは真っ赤になって俯いていた。
 大きな胸元の前で細い指を組み、もじもじと動かしている。普段は凛々しい美女の初々しい仕草に、周囲の見物人から「おお……」と感嘆の声が上がる。
 続けて「……乙女だ」「乙女がいるぞ」と興奮が混じった声でざわつき始めた。
 しかし、対峙する二人の少女――アリシアと、サーシャにとっては、そんな雑音に耳を傾けている余裕もなかった。


「「――不公平だ! 八百長だッ!」」


 人目もはばからず絶叫する少女達。


「な、何を言うか! これはお前達がクジ引きを提案する前に、クラインの方から言い出したことだ! 八百長なんかじゃないぞ!」


 オトハもまた声を荒らげて反論した。


「そもそもクラインの性格はお前達だって知っているだろう! クラインのプレゼント攻撃はあいつの気分次第の無差別攻撃だ! これは不可抗力なんだ!」


 その言葉に、サーシャはハッとした表情を浮かべた。
 そして、幼馴染である少女の方へと目をやる。
 サーシャが凝視するのは、アリシアの手首にある銀のブレスレットだ。


「アリシアだってずるい! その銀のブレスレット!」

「……うッ!」


 アリシアは常に右手につけている大切なブレスレットに触れ、後ずさった。


「そ、それを言うのならサーシャだって、アッシュさんからサーコートをちゃっかり貰っているじゃない!」

「あ、あれはプレゼントとはちょっと違うもん!」


 と、三人それぞれが間合いを測り、互いに警戒し合う。
 琥珀の瞳に、流れるような銀色の髪を持つ少女。
 絹糸のような髪を持つ、蒼い瞳の少女。
 紫紺の髪と瞳、そして凛々しい顔立ちが印象的な美女。
 三者三様の魅力と美しさを持つ女性達は、ただ一人の男性のために、周囲がドン引きするほどの気迫を以て対峙していた。
 そんな中、野次馬達に紛れて――。


「……なあ、ロックよ」

「……何だ、エド」


 エドワードとロックが、どこか冷めた眼差しで女性陣を見つめていた。
 そして、エドワードがぼそりと語り出す。


「エイシス。マジで脈がねえェな」

「………ぐうッ!」


 友人の指摘に思わず呻くロック。
 客観的にみても、アリシアの目には、あの白髪の青年の姿しか映っていない。


「見ろよ。普段はのんびりしたフラムでさえあの剣幕だ。あの三人って師匠のことに関しては全く退かねえよな」

「………ぬぬう」


 しかし、ロックにも言いたいことはある……と言うよりもにする。


「だがな、エドよ。ここにはいないが、妹さんの想いもあの三人に劣るとは思えんぞ。それはお前だって分かっているだろ?」

「……ぐぐぐッ」


 痛い所を突かれ、今度はエドワードが呻き声を上げた。
 確かに、彼の想い人である空色の髪の少女がこの場にいれば、間違いなく参戦しているだろう。それは容易に想像できる。


「……はあ、俺らってマジで勝ち目が薄いよな、ロック」

「……それを言うなよ、エド」


 そう呟いて、肩を落とす少年達。
 そんな彼らの傍らでは、女性陣の言い争いがさらに白熱していくのだった。
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