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第三章 虚 実
虚 実 (四)
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熊蔵と名乗った青年は、後ろ手に縛られたまま牢の中にひとりきりで居た。牢といっても、厩を手直ししただけの荒造りの小屋のようなもので、朽ちかけた板塀の隙間から陽がふんだんにこぼれ落ちていた。
なるほどこれでは手を縛っておかなければ、逃げるのも容易だろうとおもわれた。
わたしがきたことを牢番が告げると、熊蔵は転がるように寄ってきて、頭を藁まみれの地面に額をすりつけた。両手は腰のあたりで縛られたままなので、だるまが左右に揺れているようにみえた。家来になりたいという相手だけに、悪戯心というものが芽生えてきて、あえて居丈高にふるまってやろうと決めた。
「面を上げよ、熊蔵とか申したな。この亀の家来になりたいというは、どういう存念じゃ!」
少し調子に乗りすぎたきらいはあるけれど、一度口に出してしまったからには、いつもとは違うもう一人のわたしというものを演じ続けなければならない……。
「ははっ!」
熊蔵が顔をあげると、まるで藁と土と埃まみれの泥人形のようにおもえてきて、思わず大声で笑いそうになった。これはいかぬと慌てて咳払いでごまかした。
「はいっ、なりたいのでございます!」
「なにゆえ、この亀の家来になりたいのかを聴いておる!」
「はっ、はい、なりたいとおもうたからでございます……」
「どうしてなのか、その理由を申し述べてみよ」
「ははっ、どうしてもなりたいとおもったのが、嘘偽わざる理由でございまする……」
こんな禅問答のような繰り返しが続いたあとで、牢番に縄をほどいてやるように言った。あの休賀斎の老公が二度ほど熊蔵を詮議した上で、このような牢とはいえない小屋に容れたらしい。
つまりは、害のない相手だと判断したにちがいなかった。そのことを牢番に伝え、彦左衛門の従者にでもしてやるがいいと言い添えた。
城内に残った老兵や里村の年長の児らを、彦左が勝手に集めて見回りの集団を作っていたようなので、そこに熊蔵を放り込めば彦左が鍛えてくれるだろう。会話らしい会話もなく立ち去ったのは、熊蔵のことよりも重要なことがあったからだ……是が非でも小太郎に会いにいかなければならなかった。
小太郎は表情を変えず口許に笑みを浮かべたまま、なにも喋りだそうとはしない。端正な顔立ちには似つかわしくない老成しているところがあって、彦左のように手柄を立ててやろうといった功名心もないようで、なにかとてつもないことを心に期している熱さも見受けられない。
生きる上での大切な何かが欠落しているようにすら思えてくる。
「……詞葉の具合はどうでしょう」
わたしのほうから切り出すしかなかった。
「大事ない」
「でも傷は深いと聴きましたよ」
「もう峠はこえた」
「………」
日頃から寡黙な小太郎だが、これでは会話が続かない。
思いきって詞葉を“姉上”と呼んだ真意というものを問い質した。すると、小太郎の表情が崩れた。なにか物の怪でも見るような目付きでこちらを窺っていた。
「……誰の耳にも入れてはおりませぬ。この亀しか知らないこと」
そう告げると、小太郎は安堵したのか、女人のような小さな吐息を洩らした。ようやく喋る気になったらしい。
「……幼少の頃、ともに暮らした……実の姉のような方だ」
「では、芦品兵太郎という御仁が小太郎どのの父上さまなのでしょうか」
「……いや、育ての親、のようなものだ」
そう言ったきり、ふたたび会話が途切れた。こちらから訊かないかぎり、みずから扉を押し開こうとはしない。埒があかない、とはこういうことなのだろう。
すると、突然、小太郎が意外なことを告げた。
「……あの乱闘のなかに、伊賀者がいたぞ」
伊賀者というからには、おそらく服部半蔵さまの配下の者にちがいない。わたしを警護するために新城に潜ませておいたのだろう。そのように告げると、小太郎は言下に否定した。
「いや、そうではあるまい。このわたしを狙っていた……、戯れ言ではないぞ!大賀の残党どもを陰で操っていた正体は、伊賀者とみた!」
吐き捨てるように言った小太郎の推測というものは、わたしには得心できなかった。半蔵さまの上には、父家康がいる。まさか父が小太郎の命を狙っていたというのだろうか。
ため息すら出なかった。
休賀斎の老公も、このことを知って伏せていたというのだろうか。
口を開きかけたとき、小太郎はぷいと視線をはずし、そのまま退出していった。あまたの疑念だけが取り残された。
……その夜、わたしの鼻が男の臭いを嗅ぎつけた。晩夏とはいえ、蒸せる風の名残りに混じって、汗と埃と尿の臭いというものが混在したものに包み込まれた。
寝ているわたしの背に差し込まれた四本の腕のあの感触だけは、いまだに忘れることはできない。ぐいぐいと背骨を圧する痛さに耐えかねて、「痛いっ!」
と、叫んだ。
「姫!お案じあるな!いまから、姫をお救いまいらせる・・・」
幼児が抱きかかえられるようにして持ち上げられたわたしは、めらめらと燃え上がる炎と煙を、はっきりと視た。
馬の嘶きがこだましていた。
刃を交える音に混じって、侍女たちがあげる凄まじい声が耳朶に届いたその瞬間、わたしは気を失った……。
なるほどこれでは手を縛っておかなければ、逃げるのも容易だろうとおもわれた。
わたしがきたことを牢番が告げると、熊蔵は転がるように寄ってきて、頭を藁まみれの地面に額をすりつけた。両手は腰のあたりで縛られたままなので、だるまが左右に揺れているようにみえた。家来になりたいという相手だけに、悪戯心というものが芽生えてきて、あえて居丈高にふるまってやろうと決めた。
「面を上げよ、熊蔵とか申したな。この亀の家来になりたいというは、どういう存念じゃ!」
少し調子に乗りすぎたきらいはあるけれど、一度口に出してしまったからには、いつもとは違うもう一人のわたしというものを演じ続けなければならない……。
「ははっ!」
熊蔵が顔をあげると、まるで藁と土と埃まみれの泥人形のようにおもえてきて、思わず大声で笑いそうになった。これはいかぬと慌てて咳払いでごまかした。
「はいっ、なりたいのでございます!」
「なにゆえ、この亀の家来になりたいのかを聴いておる!」
「はっ、はい、なりたいとおもうたからでございます……」
「どうしてなのか、その理由を申し述べてみよ」
「ははっ、どうしてもなりたいとおもったのが、嘘偽わざる理由でございまする……」
こんな禅問答のような繰り返しが続いたあとで、牢番に縄をほどいてやるように言った。あの休賀斎の老公が二度ほど熊蔵を詮議した上で、このような牢とはいえない小屋に容れたらしい。
つまりは、害のない相手だと判断したにちがいなかった。そのことを牢番に伝え、彦左衛門の従者にでもしてやるがいいと言い添えた。
城内に残った老兵や里村の年長の児らを、彦左が勝手に集めて見回りの集団を作っていたようなので、そこに熊蔵を放り込めば彦左が鍛えてくれるだろう。会話らしい会話もなく立ち去ったのは、熊蔵のことよりも重要なことがあったからだ……是が非でも小太郎に会いにいかなければならなかった。
小太郎は表情を変えず口許に笑みを浮かべたまま、なにも喋りだそうとはしない。端正な顔立ちには似つかわしくない老成しているところがあって、彦左のように手柄を立ててやろうといった功名心もないようで、なにかとてつもないことを心に期している熱さも見受けられない。
生きる上での大切な何かが欠落しているようにすら思えてくる。
「……詞葉の具合はどうでしょう」
わたしのほうから切り出すしかなかった。
「大事ない」
「でも傷は深いと聴きましたよ」
「もう峠はこえた」
「………」
日頃から寡黙な小太郎だが、これでは会話が続かない。
思いきって詞葉を“姉上”と呼んだ真意というものを問い質した。すると、小太郎の表情が崩れた。なにか物の怪でも見るような目付きでこちらを窺っていた。
「……誰の耳にも入れてはおりませぬ。この亀しか知らないこと」
そう告げると、小太郎は安堵したのか、女人のような小さな吐息を洩らした。ようやく喋る気になったらしい。
「……幼少の頃、ともに暮らした……実の姉のような方だ」
「では、芦品兵太郎という御仁が小太郎どのの父上さまなのでしょうか」
「……いや、育ての親、のようなものだ」
そう言ったきり、ふたたび会話が途切れた。こちらから訊かないかぎり、みずから扉を押し開こうとはしない。埒があかない、とはこういうことなのだろう。
すると、突然、小太郎が意外なことを告げた。
「……あの乱闘のなかに、伊賀者がいたぞ」
伊賀者というからには、おそらく服部半蔵さまの配下の者にちがいない。わたしを警護するために新城に潜ませておいたのだろう。そのように告げると、小太郎は言下に否定した。
「いや、そうではあるまい。このわたしを狙っていた……、戯れ言ではないぞ!大賀の残党どもを陰で操っていた正体は、伊賀者とみた!」
吐き捨てるように言った小太郎の推測というものは、わたしには得心できなかった。半蔵さまの上には、父家康がいる。まさか父が小太郎の命を狙っていたというのだろうか。
ため息すら出なかった。
休賀斎の老公も、このことを知って伏せていたというのだろうか。
口を開きかけたとき、小太郎はぷいと視線をはずし、そのまま退出していった。あまたの疑念だけが取り残された。
……その夜、わたしの鼻が男の臭いを嗅ぎつけた。晩夏とはいえ、蒸せる風の名残りに混じって、汗と埃と尿の臭いというものが混在したものに包み込まれた。
寝ているわたしの背に差し込まれた四本の腕のあの感触だけは、いまだに忘れることはできない。ぐいぐいと背骨を圧する痛さに耐えかねて、「痛いっ!」
と、叫んだ。
「姫!お案じあるな!いまから、姫をお救いまいらせる・・・」
幼児が抱きかかえられるようにして持ち上げられたわたしは、めらめらと燃え上がる炎と煙を、はっきりと視た。
馬の嘶きがこだましていた。
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