🟧叛雨に濡れる朝(あした)に🟧  【敵は信長か? それとも父・家康なのか!  乱世の不条理に敢然と立ち向かえ!】

海善紙葉

文字の大きさ
11 / 66
第三章  虚 実

虚 実 (三)

しおりを挟む
 小雨がぱらついていた。まだ夜は明けない。おそらくこの雨には、多分に不審の色が含まれているにちがいなかった。
 わたしのなかにも、虚と実の雨が降り続いている……。
 一体、なにが本当の事で、そうではない事とはどういう形で関り合い、溶け合いながら、無垢むくなる者らの前に立ちはだかり、束の間の平穏と調和を乱そうとするのだろうか。そんなことばかり考えていた。
 
 数日の間、蒲団ふとんから抜け出せないでいた。
 起き上がろうとすればするほど、からだのあちらこちらが痛み出すのだ。いいや、痛みを感じていると思い込んでいるせいかもしれない。
 襲撃の恐ろしさと死闘の凄さのなかで、わたしはなにも為すことができず、無邪気な傍観者を決め込んでいた。
 そんなおのれの姿が恥ずかしくてたまらない。
 さらにまた、こうして後付あとづけの理由ばかり考えている姿もまた、もう一人のおのれというものが天井の上から眺め返しているような気がしてきて、なかなかに気鬱きうつが晴れないでいた。
 あの襲撃者たちは、芦名小太郎を狙っていたのだろうか。
 それとも、このわたしを、この奥平の城を、混乱させ戸惑わせるのが目的だったのか。
 まさかあの大久保彦左衛門の命をつけ狙う者がいたとはおもわれない。

 ……それに小太郎が“姉上”と呼んだ異国の女人は、何をするために新城にやってきたのだろう。小太郎も異国人の血を受け継いでいるということなのだろうか。とするなれば、夫信昌どのも、このことを知っていたということなのか……。謎は深まるばかりで、そして“敵”のかたち茫洋ぼうようとしたままであった。


 床から離れて外に出られるようになった頃には、笹が異国の女人の情報をもたらしてくれた。小太郎が姉上と囁いた異国女の名は詞葉しよう、父親は日本人だそうである。
 小太郎を矢からかばったとき、肩と脇腹にかなりの深手を負っていたらしかった。

「……小太郎様が終日付き添って看病しておりますよ。あの様子をみるかぎり、ただの配下の者ではありませぬなあ、許婚いいなづけのごときものでは……」

 さすがに笹は詮索好きというだけでなく、人と人との関り合いを見抜く鋭い観察眼を持っている。けれど、小太郎のつぶやきは笹の耳にも入れていない。直接、小太郎に問いただすべきだとおもったからだ。
 急報に馳せ参じてくれた休賀斎の老公が、すべてを差配し曲者くせものどもの詮議せんぎにあたっているとのことであった。
敵の正体もさることながら、助勢して小太郎や彦左を護ってくれた者は、小太郎配下の者だけではない、というのがわたしの直観だった。
 そのことは老公に聴けば判明するだろう。

「……ご老公も、姫さまがお元気になられ次第、談議したいことが山ほどあると申されておられました。あっ、曲者の中には、どうやら、岡崎から来た者もいたようですよ。徒党を組まず、たった一人でした。名は、熊蔵くまぞう、姫さまの家来にしてもらうために来たのだとほざいているようです」

 岡崎といえば、あるいは熊蔵は兄信康の家来衆なのかもしれない。そのことを口にすると、笹は言下に否定した。

「いやいや、それはないでしょう……牢屋に飯と水を運んだとき、ちらりと様子を窺いましたが、あんな薄汚い身なり……、最初の頃の彦左衛門どのの方がよっぽどましという有り様でしたもの」

 おやっと不審におもったのは、あれほど忌み嫌っていた彦左のことを、笹は敬称までつけて持ち上げているようにみえた。
 これはどうしたことだろう。
 思い当たることがあるとすれば、やはり、あの乱闘の中で彦左なりに丈夫ますらおらしく戦った姿が、彦左への評価を一変させたのかもしれない。このわたしも同様に、人に対する見方というものは、ある出来事を共有することで瞬時に変わることもあるのだと気づかされた。
 まことに人の好悪の感情というものは不可解なものだ。
 わたしの家来になりたいと騒いでいるらしい熊蔵という男をみてやろうと、わたしは笹を伴って庭に出た。
 出会いがしらに休賀斎の老公が、
「伺おうとおもっていたところでござった」
と、深刻なまなざしを向けてきた。
 気をかせた笹が、老公を座敷にまねいて、わたしも続いた。

「……ようやく、敵の正体の一部が見えてきたところじゃよ」

 一部とはどういうことだろう。腕組みをしたまま老公は訥々とつとつと語り出した。

「……なんとも面妖なことに、何年も前から、この新城の里村に潜んでいたらしい。ある者は田畑を耕し、ある者は城のまかないい方として雇われ、あろうことか、足軽、鉄砲方としてもぐり込んでいた者まであった……その主力は、大賀弥四郎の残党どもだ……」

 幾年もかけて、里人の周りに溶け込み、友をつくり、ときにはもなし、近在の里人とも親しく交わり、あたかも草木のごとく地に根付いての潜入とは、もう思念の及ぶところではない。
 なんという執念深さ、なんという周到なる計画。急拵きゅうごしらえの衝撃ではなく、じっと息を潜めて機会を窺っていたのだ。そら恐ろしさに体がすくんだ。

「……ひとの怒りや怨みは、ほかの感情をおし包み、おし隠すものじゃ。……楽しみ、嬉しさ、人への思慕、神仏への恐れよりも上位に位置させることで、おのれの目的それ自体を正当化させていく……いわば、相手を敵と思うことで、おのれの生きる意味を見い出していくのじゃよ。なんとも哀しいことだがの」

 ため息混じりの老公の述懐には共鳴できた。それが乱世の運命さだめというのならば、ただじっと耐え、我慢を重ねて嵐が去るのを待つのは嫌だ。
 わたしは、このとき、これまでのような無邪気な傍観者のままでいるのは止めようとおもった。もっとおのれのほうから進んで世の中というものに関わり、世の中の動きを見据え、世の中を変えていく“亀”でありたいと強くおもった。たとえ歩みは遅くとも、そうなりたいと身悶えするほどに固く誓った。

「……うれうべきは、大賀弥四郎の残党どもだけではないことじゃ。やつらがこの里村に棲み出した頃、反織田の京畿の武将の配下が、やたらとうろついていたようだ。あるいは手を組み、利用し、利用しあっていたのかもしれん」

 迂闊うかつであった、と老公はいかにも悔しげにうめいた。
 退出しかけた老公を呼びとめ、異国女人〈詞葉〉のことを訊ねた。

「おお、忘れておった、かの者は、海賊……いや、水軍芦名衆に属しておる……首魁しゅかいは、芦名兵太郎へいたろう!」

 芦名、という姓ならば、やはり芦名小太郎の親族ということなのだろうか。

「……さあ、それは小太郎当人に確かめなさるのがよろしかろうて」

 急にそわそわと言葉をはぐらかしたまま去っていく老公は、すべてを吐露していないことは明白であった。
 なにやらこの老公にすら隠し事があると感じて、ますます人というもののあまりの複雑なありように思わず息が詰まりかけた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

改大和型戦艦一番艦「若狭」抜錨す

みにみ
歴史・時代
史実の第二次世界大戦が起きず、各国は技術力を誇示するための 「第二次海軍休日」崩壊後の無制限建艦競争に突入した 航空機技術も発達したが、それ以上に電子射撃装置が劇的に進化。 航空攻撃を無力化する防御陣形が確立されたことで、海戦の決定打は再び「巨大な砲」へと回帰した。 そんな中⑤計画で建造された改大和型戦艦「若狭」 彼女が歩む太平洋の航跡は

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

処理中です...