🟧叛雨に濡れる朝(あした)に🟧  【敵は信長か? それとも父・家康なのか!  乱世の不条理に敢然と立ち向かえ!】

海善紙葉

文字の大きさ
12 / 66
第三章  虚 実

虚 実 (四)

しおりを挟む
 熊蔵くまぞうと名乗った青年は、後ろ手に縛られたまま牢の中にひとりきりで居た。牢といっても、うまやを手直ししただけの荒造りの小屋のようなもので、朽ちかけた板塀の隙間から陽がふんだんにこぼれ落ちていた。
 なるほどこれでは手を縛っておかなければ、逃げるのも容易だろうとおもわれた。
 わたしがきたことを牢番が告げると、熊蔵は転がるように寄ってきて、頭を藁まみれの地面に額をすりつけた。両手は腰のあたりで縛られたままなので、だるまが左右に揺れているようにみえた。家来になりたいという相手だけに、悪戯心いたずらごころというものが芽生えてきて、あえて居丈高いたけだかにふるまってやろうと決めた。

おもてを上げよ、熊蔵とか申したな。このの家来になりたいというは、どういう存念じゃ!」

 少し調子に乗りすぎたきらいはあるけれど、一度口に出してしまったからには、いつもとは違うもう一人のわたしというものを演じ続けなければならない……。

「ははっ!」

 熊蔵が顔をあげると、まるで藁と土と埃まみれの泥人形のようにおもえてきて、思わず大声で笑いそうになった。これはいかぬと慌てて咳払いでごまかした。

「はいっ、なりたいのでございます!」
「なにゆえ、このの家来になりたいのかを聴いておる!」
「はっ、はい、なりたいとおもうたからでございます……」
「どうしてなのか、その理由を申し述べてみよ」
「ははっ、どうしてもなりたいとおもったのが、嘘偽わざる理由でございまする……」

 こんな禅問答のような繰り返しが続いたあとで、牢番に縄をほどいてやるように言った。あの休賀斎の老公が二度ほど熊蔵を詮議せんぎした上で、このような牢とはいえない小屋にれたらしい。
 つまりは、害のない相手だと判断したにちがいなかった。そのことを牢番に伝え、彦左衛門の従者にでもしてやるがいいと言い添えた。
 城内に残った老兵や里村の年長のらを、彦左が勝手に集めて見回りの集団を作っていたようなので、そこに熊蔵を放り込めば彦左が鍛えてくれるだろう。会話らしい会話もなく立ち去ったのは、熊蔵のことよりも重要なことがあったからだ……是が非でも小太郎に会いにいかなければならなかった。


 小太郎は表情を変えず口許くちもとに笑みを浮かべたまま、なにも喋りだそうとはしない。端正な顔立ちには似つかわしくない老成しているところがあって、彦左のように手柄を立ててやろうといった功名心もないようで、なにかとてつもないことを心に期している熱さも見受けられない。
 生きる上での大切な何かが欠落しているようにすら思えてくる。

「……詞葉の具合はどうでしょう」
 わたしのほうから切り出すしかなかった。
「大事ない」
「でも傷は深いと聴きましたよ」
「もう峠はこえた」
「………」

 日頃から寡黙な小太郎だが、これでは会話が続かない。
 思いきって詞葉を“姉上”と呼んだ真意というものを問い質した。すると、小太郎の表情が崩れた。なにか物のでも見るような目付きでこちらを窺っていた。

「……誰の耳にも入れてはおりませぬ。この亀しか知らないこと」

 そう告げると、小太郎は安堵あんどしたのか、女人のような小さな吐息を洩らした。ようやく喋る気になったらしい。

「……幼少の頃、ともに暮らした……実の姉のような方だ」
「では、芦品兵太郎という御仁が小太郎どのの父上さまなのでしょうか」 
「……いや、育ての親、のようなものだ」

 そう言ったきり、ふたたび会話が途切れた。こちらから訊かないかぎり、みずから扉を押し開こうとはしない。らちがあかない、とはこういうことなのだろう。
 すると、突然、小太郎が意外なことを告げた。

「……あの乱闘のなかに、伊賀者がいたぞ」

 伊賀者というからには、おそらく服部半蔵さまの配下の者にちがいない。わたしを警護するために新城に潜ませておいたのだろう。そのように告げると、小太郎は言下に否定した。

「いや、そうではあるまい。このわたしを狙っていた……、ごとではないぞ!大賀の残党どもを陰であやつっていた正体は、伊賀者とみた!」

 吐き捨てるように言った小太郎の推測というものは、わたしには得心できなかった。半蔵さまの上には、父家康がいる。まさか父が小太郎の命を狙っていたというのだろうか。
 ため息すら出なかった。
 休賀斎の老公も、このことを知って伏せていたというのだろうか。
 口を開きかけたとき、小太郎はぷいと視線をはずし、そのまま退出していった。あまたの疑念だけが取り残された。


 ……その夜、わたしの鼻が男の臭いを嗅ぎつけた。晩夏とはいえ、蒸せる風の名残りに混じって、汗と埃と尿の臭いというものが混在したものに包み込まれた。
 寝ているわたしの背に差し込まれた四本の腕のあの感触だけは、いまだに忘れることはできない。ぐいぐいと背骨を圧する痛さに耐えかねて、「痛いっ!」
と、叫んだ。
「姫!お案じあるな!いまから、姫をお救いまいらせる・・・」
 幼児が抱きかかえられるようにして持ち上げられたわたしは、めらめらと燃え上がる炎と煙を、はっきりと視た。
 馬のいななきがこだましていた。
 刃を交える音に混じって、侍女たちがあげる凄まじい声が耳朶じだに届いたその瞬間、わたしは気を失った……。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』でも同時掲載しています◇

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…そして終戦工作 分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦 そしてそこから繋がる新たな近代史へ

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

処理中です...