🟧叛雨に濡れる朝(あした)に🟧  【敵は信長か? それとも父・家康なのか!  乱世の不条理に敢然と立ち向かえ!】

海善紙葉

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第四章  芯 奥

芯 奥

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 気がついたとき、わたしは揺れていた。いや、まさしく部屋全体が、右に左に揺れていたのだ。

「……大船の中でございますよ」

 見知らぬ女人が耳元で囁いた。
 聴いたことのない国訛だった。かつて感じたことのない肌触りのいい蒲団をはねのけ、立ち上がろうとするとよろけかけた。すると、何本もの腕が差し出され、そのまま真新しい襦袢じゅばんに羽織袴を着せられた。いつもの着物より動きやすい。
 みると周りを取り囲む女人たちも羽織袴だった。けれど異様に感じたのは、誰もが腰に短刀や鎌、挽き刀のようなものを帯びている姿だった。
 船の上なのに武器が必要……アッと、察した。海賊の二文字が頭裡に浮かんだのだ。
 かりに海賊にさらわれたならば、小太郎の育ての親、芦名兵太郎という首魁の差し金なのだろうか。
 そんなことを考えているわたしの前に現れた青年がばつの悪そうな顔を向けた。

「……亀さま、大丈夫ずらぁか」

 なんと大久保彦左衛門がいけしゃあしゃあとほざいた。
が、亀さまをさらってきただ
 そのことばに嗚咽して吐いた。酸っぱい臭いがまわりに散った。


 初めて体験する船酔いというものであった。
 頭の芯奥しんおううずいていた。そうしてこころも揺れている。
 得心のゆく〈理由〉というものを見い出すことができないでいたからだ。
 彦左がわたしを拉致らちする〈理由〉がつかめない。当人に問いただそうにも、わたしが傷を負っていないかを確認してのちは姿をみせない。
 どうやら別の船に乗っているらしかった。
 この〈船〉という乗り物に乗ったのも初めてのことで、大袈裟ではなく生きている心地すらしないときが続いていた。かいがいしく世話をしてくれる女人の中には、武器をもたない商家の者もいた。聴き慣れないなまりを耳にすると、あたかも異国の地に足を踏み入れてしまったかのような揺曳ようえいのなかに居るおのれというものを感じてしまう。
 何処いずこへ向かっているのか判らず、また新城しんしろの城が炎に包まれていたことを思い出しては涙が溢れ出た。
 けれど冷静を取り戻すと、やはりあの彦左の仕業しわざともおもわれなくなった。このように手際よく大船を手配していたことを考え合わせれば、どう考えても彦左一人の才覚で為せるわざではない。

「……姫様、少しは外の風にあたられたほうがよろしいですぞ!」 

 腰に脇差を帯びている船夫の一人が手招くまま甲板にあがると、塩の苦味を含んだ風が頬を撫でた。
 見渡す限りの大海原を、巨大な落日が紅く広く染めている。
 やはり、彦左は、別の小さな舟で、堺のみなとをめざして先発していたらしかった。堺。その名だけは聴き知ってる。

「……では、この船も、堺へ向かっているのでしょうか」 
「さようでござる」
と、応じた男は、弥右衛門やえもんと名乗った。
 主持しゅもちではなく、雇われ者、傭兵のたぐいといっていいだろう。

「……彦左があなたを雇ったというなら、この私が、いまから雇いましょう。新城しんしろへ連れ戻して欲しいと頼めば、みなの衆は応じてくれましょうか」
 
 わたしがうと、弥右衛門は哄笑した。侮蔑の笑いではない。
 むしろこちらの申し出に、心底驚いているようにみえた。

「はっはっ……いやあ、その手がありましたなあ。実に、おもしろきことを思い付かれましたなあ」

 笑いながら首を横に振った。
 三十はとうに過ぎているとおもわれる精悍せいかんな容貌は、全体が潮焼けて赤く腫れあがっているように見えた。きずともあざともつかない黒い斑点が頬から顎にかけて散らばっていた。

「……失礼ながら、姫様は、うーん、お城の姫様らしくはございませぬな。怖くはございませぬのか」

「怖くない、といえば嘘になりましょう。ただ、世間というものを知らない身ですから、どのように怖がっていいのかすらわかりませぬ。それに、そなたさまも、悪意のある人のようには見受けられませぬ」

 すると弥右衛門は、ふたたび哄笑した。

「わっはっは、手前を籠絡ろうらくせんとする手できましたか!呼び捨てで結構ですぞ!こちらを持ち上げても、事態は変わりませぬぞ」

 ……弥右衛門がいうには、安南ベトナム呂宋ルソンとの交易に携わり、船員としてだけでなく、要人警護、海戦支援……と、雇い主の指示のままに動いているらしかった。

「……おお、そういえば、熊蔵と申す輩を捕らえたままだが、あやつ、まことに姫様のご家来衆でござろうか」

 なんとあの熊蔵は、わたしと一緒に連れ去られてきたらしい。
 ここでも監禁されるとは、よくよく不運な男だと可哀想になった。縄を解いて着替えさせた上、連れてくるように弥右衛門に頼んだ。
 たとえ素性の定かでない者であったとしても、いまは誰でもいいから三河言葉をこの耳にしたいと思った。すると、あの熊蔵がわたしに幸運をもたらしてくれる忠犬のようにすら思われてきて、そんな想像にふっと笑みを洩らした。ほんの少しだけ気持ちがやわらいできた。熊蔵のおかげかもしれない。
 人との関り合いというものはまことに不思議なものだと、そんなことに思いをめぐらせる余裕というものが生まれてきていたようだった。
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