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「……は? え? ……あ、あれ?」
卒業パーティーの会場。
主役であるはずの第一王子ウィルフレッドは、差し出した右手を空中で彷徨わせたまま、マヌケな声を漏らしていた。
目の前には、誰もいない。
婚約破棄を突きつけたはずのラーニャも、愛を誓い合うはずだったメリルも、驚くほどの速さで会場を去ってしまったからだ。
「……夢か? これは、高度な演出か何かなのか?」
王子が周囲を見渡すと、そこには静まり返った貴族たちの集団があった。
しかし、彼らの瞳に宿っているのは畏敬の念ではなく、明らかに「見てはいけないものを見てしまった」という憐みの色だ。
「お、おい! 音楽はどうした! 続けろ! まだパーティーの途中だぞ!」
王子の怒声に、楽団員たちがビクッと肩を揺らし、恐る恐る演奏を再開する。
しかし、奏でられるメロディはどこか物悲しく、まるで葬送曲のようだった。
「……なあ、君。今の見たかい?」
「ああ。メリル嬢、『QOL』がどうとか言っていなかったか?」
「それよりラーニャ様の、あの『滞納金の請求』の話。あれ、本当なら王家はやばいんじゃないか?」
ひそひそという囁き声が、会場の端々から波のように押し寄せる。
王子はそれを打ち消すように、無理やり胸を張った。
「ふ、ふん! 強がりを言いおって! ラーニャのやつ、本当はショックで泣きながら帰ったに決まっている! あの執念深い女のことだ、明日には目を真っ赤にして謝りに来るだろう!」
王子は自分を納得させるように、誰に聞かせるでもなく大声で笑った。
しかし、その笑い声は高い天井に虚しく響くだけだ。
「おい、そこの君! ワインだ! 祝いの酒を持ってこい!」
通りかかった給仕に声をかけるが、給仕は困ったように眉を下げた。
「……申し訳ございません、殿下。先ほどアストレア公爵家の方から『今この瞬間をもって、本会における公爵家の全出資を引き上げる』との伝達がございました」
「……何?」
「つきましては、この最高級ワインを含む飲食料すべて、公爵家が持ち帰る手配となっております。……あ、その手に持たれているグラスもです」
給仕は手慣れた動作で、王子の手からワイングラスをスッと抜き取った。
「な、何を……!? ここは王立学院のパーティーだぞ! 王家の主催だ!」
「形式上は左様でございますが、運営資金の九割はアストレア家からの寄付でございましたので。……あ、そちらの椅子も公爵家の備品ですので、回収させていただきます」
「うわああっ!?」
座ろうとした椅子を引かれ、王子は派手に尻餅をついた。
周囲から、ついに堪えきれなくなったような失笑が漏れ出す。
「おのれ……ラーニャめ! ここまでコケにしてくれるとは! 明日、父上に報告して、アストレア家を不敬罪で取り潰してやる!」
「……それは無理でしょうな、殿下」
背後から声をかけたのは、王室専属の会計官だった。彼は青ざめた顔で、手元の分厚い書類を震わせていた。
「どういうことだ!」
「先ほど、アストレア家から正式な『債務返還要求書』が届きました。……殿下、あなたがラーニャ様に内緒で購入されたあの『黄金の彫像』や『特注の馬車』、すべて彼女の個人口座から引き落とされていたようです」
「それがどうした! 婚約者なのだから、財布が一緒なのは当然だろう!」
「法的には全く当然ではありません! 返済が滞れば、王室の領地の一部が差し押さえられる契約になっています。……殿下、あなたは愛を手に入れる代わりに、国家の財政を破綻させかけましたぞ!」
会計官の叫びに、王子は口をパクパクとさせて固まった。
ようやく、自分の置かれた状況が「物語のヒーロー」とは程遠いものであることに気づき始めたらしい。
「あ、あわわ……。で、でもメリルが……メリルが私を支えてくれるはず……」
「そのメリル嬢も、先ほど公爵家の馬車に意気揚々と乗り込んでいくのが目撃されています」
「…………」
王子はひとり、広い会場の真ん中で膝をついた。
豪華な照明が彼を照らしているが、その影はあまりにも小さく、惨めだった。
「ラーニャ……メリル……。嘘だと言ってくれ……僕をひとり……おひとり様にしないでくれぇ……!」
王子の悲痛な叫びが会場に響き渡ったが、誰も助けの手を差し伸べる者はいなかった。
それどころか、貴族たちは「巻き込まれてはたまらない」と、次々に会場を後にし始めていた。
こうして、歴史に残る「最低の卒業パーティー」は、王子の独唱(ひとりごと)と共に幕を閉じたのである。
卒業パーティーの会場。
主役であるはずの第一王子ウィルフレッドは、差し出した右手を空中で彷徨わせたまま、マヌケな声を漏らしていた。
目の前には、誰もいない。
婚約破棄を突きつけたはずのラーニャも、愛を誓い合うはずだったメリルも、驚くほどの速さで会場を去ってしまったからだ。
「……夢か? これは、高度な演出か何かなのか?」
王子が周囲を見渡すと、そこには静まり返った貴族たちの集団があった。
しかし、彼らの瞳に宿っているのは畏敬の念ではなく、明らかに「見てはいけないものを見てしまった」という憐みの色だ。
「お、おい! 音楽はどうした! 続けろ! まだパーティーの途中だぞ!」
王子の怒声に、楽団員たちがビクッと肩を揺らし、恐る恐る演奏を再開する。
しかし、奏でられるメロディはどこか物悲しく、まるで葬送曲のようだった。
「……なあ、君。今の見たかい?」
「ああ。メリル嬢、『QOL』がどうとか言っていなかったか?」
「それよりラーニャ様の、あの『滞納金の請求』の話。あれ、本当なら王家はやばいんじゃないか?」
ひそひそという囁き声が、会場の端々から波のように押し寄せる。
王子はそれを打ち消すように、無理やり胸を張った。
「ふ、ふん! 強がりを言いおって! ラーニャのやつ、本当はショックで泣きながら帰ったに決まっている! あの執念深い女のことだ、明日には目を真っ赤にして謝りに来るだろう!」
王子は自分を納得させるように、誰に聞かせるでもなく大声で笑った。
しかし、その笑い声は高い天井に虚しく響くだけだ。
「おい、そこの君! ワインだ! 祝いの酒を持ってこい!」
通りかかった給仕に声をかけるが、給仕は困ったように眉を下げた。
「……申し訳ございません、殿下。先ほどアストレア公爵家の方から『今この瞬間をもって、本会における公爵家の全出資を引き上げる』との伝達がございました」
「……何?」
「つきましては、この最高級ワインを含む飲食料すべて、公爵家が持ち帰る手配となっております。……あ、その手に持たれているグラスもです」
給仕は手慣れた動作で、王子の手からワイングラスをスッと抜き取った。
「な、何を……!? ここは王立学院のパーティーだぞ! 王家の主催だ!」
「形式上は左様でございますが、運営資金の九割はアストレア家からの寄付でございましたので。……あ、そちらの椅子も公爵家の備品ですので、回収させていただきます」
「うわああっ!?」
座ろうとした椅子を引かれ、王子は派手に尻餅をついた。
周囲から、ついに堪えきれなくなったような失笑が漏れ出す。
「おのれ……ラーニャめ! ここまでコケにしてくれるとは! 明日、父上に報告して、アストレア家を不敬罪で取り潰してやる!」
「……それは無理でしょうな、殿下」
背後から声をかけたのは、王室専属の会計官だった。彼は青ざめた顔で、手元の分厚い書類を震わせていた。
「どういうことだ!」
「先ほど、アストレア家から正式な『債務返還要求書』が届きました。……殿下、あなたがラーニャ様に内緒で購入されたあの『黄金の彫像』や『特注の馬車』、すべて彼女の個人口座から引き落とされていたようです」
「それがどうした! 婚約者なのだから、財布が一緒なのは当然だろう!」
「法的には全く当然ではありません! 返済が滞れば、王室の領地の一部が差し押さえられる契約になっています。……殿下、あなたは愛を手に入れる代わりに、国家の財政を破綻させかけましたぞ!」
会計官の叫びに、王子は口をパクパクとさせて固まった。
ようやく、自分の置かれた状況が「物語のヒーロー」とは程遠いものであることに気づき始めたらしい。
「あ、あわわ……。で、でもメリルが……メリルが私を支えてくれるはず……」
「そのメリル嬢も、先ほど公爵家の馬車に意気揚々と乗り込んでいくのが目撃されています」
「…………」
王子はひとり、広い会場の真ん中で膝をついた。
豪華な照明が彼を照らしているが、その影はあまりにも小さく、惨めだった。
「ラーニャ……メリル……。嘘だと言ってくれ……僕をひとり……おひとり様にしないでくれぇ……!」
王子の悲痛な叫びが会場に響き渡ったが、誰も助けの手を差し伸べる者はいなかった。
それどころか、貴族たちは「巻き込まれてはたまらない」と、次々に会場を後にし始めていた。
こうして、歴史に残る「最低の卒業パーティー」は、王子の独唱(ひとりごと)と共に幕を閉じたのである。
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