王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー

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「……はぁ、本当にやっちゃいましたね、ラーニャ様」

公爵邸の図書室。
深夜だというのに、メリルは目を血走らせながら、机の上に広げられた数枚の書類を見つめていた。
そこには、先ほどまでのパーティーの余韻など微塵もない。
あるのは、冷徹なまでに事務的な「雇用契約書」の文字だ。

「やっちゃいました、とは人聞きが悪いですわね。私は正当な手続きを経て、優秀な人材を確保しただけですわ」

私はソファに深く腰掛け、セバスが淹れ直したハーブティーを口にする。
香りが鼻に抜け、ようやく神経の昂ぶりが静まっていくのを感じる。

「でも、あの時の王子の顔……。今思い出しても、ちょっと同情しちゃいそうです。一国の王子が、衆人環視の中で婚約者と浮気相手(予定)に同時に振られるなんて」

「同情する暇があったら、その契約書の第三条をよく確認なさい」

「えーと、第三条……『業務上知り得た秘密の保持、および守秘義務違反時の違約金について』……うわっ、金額がえげつない! 私の実家が三回くらい滅びますよこれ!」

「当然でしょう? あなたはこれから、アストレア公爵家の、そして私の『懐刀』として動いてもらうのですから。それに見合う報酬は出すと言いましたわ」

メリルは生唾を飲み込み、震える手でペンを握った。
彼女の目は、恐怖よりも「これで金が手に入る」という欲望で輝いている。
いい目だ。私はこういう現金な人間が大好きだ。

「書きます。書けばいいんでしょ! 私はもう、愛だの恋だのという不安定な資産には頼りません。これからは現金(キャッシュ)とラーニャ様だけを信じて生きていきます!」

サラサラと、力強い筆致で署名がなされた。
これで、メリル・ランバートは正式に私の所有物……失礼、従業員となった。

「おめでとう、メリル。今日からあなたは、私の第一秘書ですわ」

「よろしくお願いします、ボス! ……あ、ボスって呼んでいいですか? なんかかっこいいので」

「公の場ではラーニャ様と呼びなさい。二人きりの時は……好きになさいな」

私が苦笑していると、図書室の扉が静かに開き、お父様が入ってきた。
その手には、先ほどとは別の、やや古びた革のファイルが握られている。

「ラーニャ、夜分にすまないな。例の『王家への請求書』だが、一点、確認しておきたいことがあった」

「なんですの、お父様」

「この、五年前の『王立離宮の修繕費肩代わり分』だ。これ、利子を含めると今の王家の年間予算の半分に届くんだが……本当に全額請求するのか?」

お父様の問いに、私は迷いなく頷いた。

「もちろんですわ。あの時、国王陛下は『次の増税分で必ず返す』とおっしゃいました。ですが実際には、増税分は王子の新しい馬車と、王妃様の宝石に消えましたわ。これは明確な債務不履行です」

「……お嬢様、それはつまり、王家を破産させるおつもりですか?」

傍らで控えていたセバスが、控えめに、しかし少し楽しそうに尋ねる。

「破産はしませんわ。ただ、発言力を失うだけです。これからは、王家が我が家に許可なく政策を決めることはできなくなる。……そう、実質的な統治権の委譲ですわね」

私の言葉に、お父様は「ははは!」と愉快そうに笑い声を上げた。

「恐ろしい娘だ。あのアホ王子は、ただの婚約者を捨てたつもりだったのだろうが、実際には国家の財布そのものを投げ捨てたわけだ」

「自業自得ですわ。あの方は、愛があればパンはいらないと本気で信じているのですから。ならば、パンのない生活をたっぷりと味わっていただくのが、彼のためというものです」

メリルが隣で「ひぇぇ……」と声を漏らしていたが、すぐに表情を引き締めた。

「ボス、私、明日から何から手をつければいいですか? 請求書の発送ですか? それとも王子の悪い噂の拡散ですか?」

「いいえ。まずは、私の明日のスケジュールを把握しなさい。午前中は商工会との会合、午後は隣国の特使との秘密交渉。……そして、夜には『王子の泣き言』への対応が入るはずです」

「泣き言?」

「ええ。今頃、あの王子は自分が何をしたのか、ようやく理解し始めている頃でしょう。明日には、必死の形相でこの屋敷に乗り込んでくるはずですわ」

私は窓の外、遠くに見える王宮の灯りを眺めた。
あの中には今、絶望の淵に立たされているであろう男がいる。

「楽しみですわね。あの方が、どんな顔をして私に縋ってくるのか。……セバス、明日の紅茶は、一番苦いものを用意しておいてちょうだい」

「かしこまりました、お嬢様」

夜は更けていく。
しかし、私たちの「反撃」という名の仕事は、まだ始まったばかりだった。
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