5 / 28
5
しおりを挟む
「……は? え? ……あ、あれ?」
卒業パーティーの会場。
主役であるはずの第一王子ウィルフレッドは、差し出した右手を空中で彷徨わせたまま、マヌケな声を漏らしていた。
目の前には、誰もいない。
婚約破棄を突きつけたはずのラーニャも、愛を誓い合うはずだったメリルも、驚くほどの速さで会場を去ってしまったからだ。
「……夢か? これは、高度な演出か何かなのか?」
王子が周囲を見渡すと、そこには静まり返った貴族たちの集団があった。
しかし、彼らの瞳に宿っているのは畏敬の念ではなく、明らかに「見てはいけないものを見てしまった」という憐みの色だ。
「お、おい! 音楽はどうした! 続けろ! まだパーティーの途中だぞ!」
王子の怒声に、楽団員たちがビクッと肩を揺らし、恐る恐る演奏を再開する。
しかし、奏でられるメロディはどこか物悲しく、まるで葬送曲のようだった。
「……なあ、君。今の見たかい?」
「ああ。メリル嬢、『QOL』がどうとか言っていなかったか?」
「それよりラーニャ様の、あの『滞納金の請求』の話。あれ、本当なら王家はやばいんじゃないか?」
ひそひそという囁き声が、会場の端々から波のように押し寄せる。
王子はそれを打ち消すように、無理やり胸を張った。
「ふ、ふん! 強がりを言いおって! ラーニャのやつ、本当はショックで泣きながら帰ったに決まっている! あの執念深い女のことだ、明日には目を真っ赤にして謝りに来るだろう!」
王子は自分を納得させるように、誰に聞かせるでもなく大声で笑った。
しかし、その笑い声は高い天井に虚しく響くだけだ。
「おい、そこの君! ワインだ! 祝いの酒を持ってこい!」
通りかかった給仕に声をかけるが、給仕は困ったように眉を下げた。
「……申し訳ございません、殿下。先ほどアストレア公爵家の方から『今この瞬間をもって、本会における公爵家の全出資を引き上げる』との伝達がございました」
「……何?」
「つきましては、この最高級ワインを含む飲食料すべて、公爵家が持ち帰る手配となっております。……あ、その手に持たれているグラスもです」
給仕は手慣れた動作で、王子の手からワイングラスをスッと抜き取った。
「な、何を……!? ここは王立学院のパーティーだぞ! 王家の主催だ!」
「形式上は左様でございますが、運営資金の九割はアストレア家からの寄付でございましたので。……あ、そちらの椅子も公爵家の備品ですので、回収させていただきます」
「うわああっ!?」
座ろうとした椅子を引かれ、王子は派手に尻餅をついた。
周囲から、ついに堪えきれなくなったような失笑が漏れ出す。
「おのれ……ラーニャめ! ここまでコケにしてくれるとは! 明日、父上に報告して、アストレア家を不敬罪で取り潰してやる!」
「……それは無理でしょうな、殿下」
背後から声をかけたのは、王室専属の会計官だった。彼は青ざめた顔で、手元の分厚い書類を震わせていた。
「どういうことだ!」
「先ほど、アストレア家から正式な『債務返還要求書』が届きました。……殿下、あなたがラーニャ様に内緒で購入されたあの『黄金の彫像』や『特注の馬車』、すべて彼女の個人口座から引き落とされていたようです」
「それがどうした! 婚約者なのだから、財布が一緒なのは当然だろう!」
「法的には全く当然ではありません! 返済が滞れば、王室の領地の一部が差し押さえられる契約になっています。……殿下、あなたは愛を手に入れる代わりに、国家の財政を破綻させかけましたぞ!」
会計官の叫びに、王子は口をパクパクとさせて固まった。
ようやく、自分の置かれた状況が「物語のヒーロー」とは程遠いものであることに気づき始めたらしい。
「あ、あわわ……。で、でもメリルが……メリルが私を支えてくれるはず……」
「そのメリル嬢も、先ほど公爵家の馬車に意気揚々と乗り込んでいくのが目撃されています」
「…………」
王子はひとり、広い会場の真ん中で膝をついた。
豪華な照明が彼を照らしているが、その影はあまりにも小さく、惨めだった。
「ラーニャ……メリル……。嘘だと言ってくれ……僕をひとり……おひとり様にしないでくれぇ……!」
王子の悲痛な叫びが会場に響き渡ったが、誰も助けの手を差し伸べる者はいなかった。
それどころか、貴族たちは「巻き込まれてはたまらない」と、次々に会場を後にし始めていた。
こうして、歴史に残る「最低の卒業パーティー」は、王子の独唱(ひとりごと)と共に幕を閉じたのである。
卒業パーティーの会場。
主役であるはずの第一王子ウィルフレッドは、差し出した右手を空中で彷徨わせたまま、マヌケな声を漏らしていた。
目の前には、誰もいない。
婚約破棄を突きつけたはずのラーニャも、愛を誓い合うはずだったメリルも、驚くほどの速さで会場を去ってしまったからだ。
「……夢か? これは、高度な演出か何かなのか?」
王子が周囲を見渡すと、そこには静まり返った貴族たちの集団があった。
しかし、彼らの瞳に宿っているのは畏敬の念ではなく、明らかに「見てはいけないものを見てしまった」という憐みの色だ。
「お、おい! 音楽はどうした! 続けろ! まだパーティーの途中だぞ!」
王子の怒声に、楽団員たちがビクッと肩を揺らし、恐る恐る演奏を再開する。
しかし、奏でられるメロディはどこか物悲しく、まるで葬送曲のようだった。
「……なあ、君。今の見たかい?」
「ああ。メリル嬢、『QOL』がどうとか言っていなかったか?」
「それよりラーニャ様の、あの『滞納金の請求』の話。あれ、本当なら王家はやばいんじゃないか?」
ひそひそという囁き声が、会場の端々から波のように押し寄せる。
王子はそれを打ち消すように、無理やり胸を張った。
「ふ、ふん! 強がりを言いおって! ラーニャのやつ、本当はショックで泣きながら帰ったに決まっている! あの執念深い女のことだ、明日には目を真っ赤にして謝りに来るだろう!」
王子は自分を納得させるように、誰に聞かせるでもなく大声で笑った。
しかし、その笑い声は高い天井に虚しく響くだけだ。
「おい、そこの君! ワインだ! 祝いの酒を持ってこい!」
通りかかった給仕に声をかけるが、給仕は困ったように眉を下げた。
「……申し訳ございません、殿下。先ほどアストレア公爵家の方から『今この瞬間をもって、本会における公爵家の全出資を引き上げる』との伝達がございました」
「……何?」
「つきましては、この最高級ワインを含む飲食料すべて、公爵家が持ち帰る手配となっております。……あ、その手に持たれているグラスもです」
給仕は手慣れた動作で、王子の手からワイングラスをスッと抜き取った。
「な、何を……!? ここは王立学院のパーティーだぞ! 王家の主催だ!」
「形式上は左様でございますが、運営資金の九割はアストレア家からの寄付でございましたので。……あ、そちらの椅子も公爵家の備品ですので、回収させていただきます」
「うわああっ!?」
座ろうとした椅子を引かれ、王子は派手に尻餅をついた。
周囲から、ついに堪えきれなくなったような失笑が漏れ出す。
「おのれ……ラーニャめ! ここまでコケにしてくれるとは! 明日、父上に報告して、アストレア家を不敬罪で取り潰してやる!」
「……それは無理でしょうな、殿下」
背後から声をかけたのは、王室専属の会計官だった。彼は青ざめた顔で、手元の分厚い書類を震わせていた。
「どういうことだ!」
「先ほど、アストレア家から正式な『債務返還要求書』が届きました。……殿下、あなたがラーニャ様に内緒で購入されたあの『黄金の彫像』や『特注の馬車』、すべて彼女の個人口座から引き落とされていたようです」
「それがどうした! 婚約者なのだから、財布が一緒なのは当然だろう!」
「法的には全く当然ではありません! 返済が滞れば、王室の領地の一部が差し押さえられる契約になっています。……殿下、あなたは愛を手に入れる代わりに、国家の財政を破綻させかけましたぞ!」
会計官の叫びに、王子は口をパクパクとさせて固まった。
ようやく、自分の置かれた状況が「物語のヒーロー」とは程遠いものであることに気づき始めたらしい。
「あ、あわわ……。で、でもメリルが……メリルが私を支えてくれるはず……」
「そのメリル嬢も、先ほど公爵家の馬車に意気揚々と乗り込んでいくのが目撃されています」
「…………」
王子はひとり、広い会場の真ん中で膝をついた。
豪華な照明が彼を照らしているが、その影はあまりにも小さく、惨めだった。
「ラーニャ……メリル……。嘘だと言ってくれ……僕をひとり……おひとり様にしないでくれぇ……!」
王子の悲痛な叫びが会場に響き渡ったが、誰も助けの手を差し伸べる者はいなかった。
それどころか、貴族たちは「巻き込まれてはたまらない」と、次々に会場を後にし始めていた。
こうして、歴史に残る「最低の卒業パーティー」は、王子の独唱(ひとりごと)と共に幕を閉じたのである。
1
あなたにおすすめの小説
私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~
あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。
「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
田舎娘をバカにした令嬢の末路
冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。
それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。
――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。
田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。
私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?
きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。
しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……
村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。
愛のない貴方からの婚約破棄は受け入れますが、その不貞の代償は大きいですよ?
日々埋没。
恋愛
公爵令嬢アズールサは隣国の男爵令嬢による嘘のイジメ被害告発のせいで、婚約者の王太子から婚約破棄を告げられる。
「どうぞご自由に。私なら傲慢な殿下にも王太子妃の地位にも未練はございませんので」
しかし愛のない政略結婚でこれまで冷遇されてきたアズールサは二つ返事で了承し、晴れて邪魔な婚約者を男爵令嬢に押し付けることに成功する。
「――ああそうそう、殿下が入れ込んでいるそちらの彼女って実は〇〇ですよ? まあ独り言ですが」
嘘つき男爵令嬢に騙された王太子は取り返しのつかない最期を迎えることになり……。
※この作品は過去に公開したことのある作品に修正を加えたものです。
またこの作品とは別に、他サイトでも本作を元にしたリメイク作を別のペンネー厶で公開していますがそのことをあらかじめご了承ください。
婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる